学位論文要旨



No 124787
著者(漢字) 白木,
著者(英字)
著者(カナ) シラキハラ,タクヤ
標題(和) TGF-β誘導性上皮-間葉移行の分子機構の解析
標題(洋)
報告番号 124787
報告番号 甲24787
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3207号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 講師 太田,聡
 東京大学 特任教授 渡邉,すみ子
 東京大学 教授 宮川,清
内容要旨 要旨を表示する

EMT (Epithelial-Mesenchymal Transition、上皮-間葉移行) とは上皮細胞が間葉系様細胞に形態的及び機能的に変化する現象であり、個体発生における原腸陥入や器官形成、創傷治癒、癌の浸潤・転移などの過程で観察される。EMT を獲得した細胞では、上皮系から間葉系への発現マーカーの変化やアクチンストレスファイバーの再構築が誘導され、運動能や浸潤能が著しく亢進する。TGF-βは EMT を誘導する代表的なサイトカインである。in vivo では、癌浸潤先端での癌細胞に対して TGF-βによる EMT の誘導が示唆されており、TGF-βのノックアウトマウスでは口蓋裂や心臓房室組織の形成不全など EMT 誘導が必須な発生過程での異常が認められる。in vitro においてもいくつかの正常上皮細胞や癌細胞で TGF-βによる EMT 様の変化が誘導されることが知られている。しかし、EMT 獲得の評価系として用いられているマーカー遺伝子の発現変化に関わる TGF-βシグナルの下流因子は未だほぼ明らかにされていない。そこで本研究の前半部では上皮細胞に特異的な発現を示す E-cadherin の TGF-β誘導性 EMT での転写制御機構の分子生物学的解析を行った。また、TGF-β刺激によって EMT を獲得すると FGF の受容体である FGFR の発現量が変動することを見出したことから、本研究の後半部では TGF-β誘導性 EMT への FGF シグナルの関与についての検討を試みた。

マウス乳腺上皮 NMuMG 細胞では TGF-β 刺激後約 24 時間から顕著な EMT の獲得を形態的に観察することができる。TGF-β刺激後の EMT の評価マーカー及び EMT との関連が報告されている数種類の転写因子について発現量の経時変化を定量性 RT-PCR 法で解析し、δEF1 ファミリーに属する転写因子である SIP1 とδEF1 が E-cadherin と逆相関して上昇することに着目した。SIP1 とδEF1 は共に E-cadherin のプロモーター領域へ直接結合することにより転写を強力に抑制し、過剰発現することで内在性の E-cadherin の発現が抑えられた。さらに、siRNA を用いて 両転写因子のノックダウンを行うと、TGF-βによる E-cadherin の転写抑制やそれに伴う運動能の亢進が抑えられた。しかしその一方で、間葉系マーカーである fibronectin や N-cadherin は SIP1 やδEF1 による制御を受けず、これら転写因子は特定の EMT マーカーにのみ特異的に作用していることが明らかとなった。

NMuMG 細胞は TGF-βで EMT を獲得すると、EMT のマーカー遺伝子以外にFGFR1IIIc の発現上昇が認められた。そこでこの受容体が認識するリガンドである FGF2 を TGF-β と共に添加して持続的な共刺激を行ったところ、驚くことに TGF-βの単独刺激時と比べてより顕著な線維芽細胞様の細胞骨格変化と細胞運動能や細胞外マトリックスの分解の亢進がもたらされた。一方、NMuMG 細胞を TGF-β の単独刺激下で4日間以上の長期培養を行うとδEF1 転写因子を介して筋線維芽細胞のマーカーであるαSMA が発現が誘導された。このαSMA 陽性細胞は FGF2 との共刺激下では出現しなかった。以上のことから、FGF2 からのシグナルは TGF-βによる EMT の誘導を形態的にも機能的にも促進し、一方で筋線維芽細胞様細胞への分化を抑制していることが示唆された。

本研究で示した TGF-β誘導性 EMT で見られる各々のマーカー遺伝子の転写制御が別々の転写因子によって行われているという成果は、癌治療や癌診断を最終目標とした分子生物学的観点からの EMT 研究にとって極めて重要な発見であると考えている。また、FGF2 との協調作用という新規のシグナルクロストークからは、今後創傷治癒や線維化などの分子レベルでの理解や組織工学にも繋がることが期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は初期発生や創傷治癒、癌細胞の浸潤・転移などの過程において重要な役割を演じていると考えられる上皮-間葉移行 (EMT) の分子機構を明らかにすることを目的とし、前半部では TGF-β誘導性 EMT での上皮系マーカー E-cadherin 転写制御機構、後半部では EMT 獲得における TGF-βと FGF2 のシグナルクロストークの解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.乳腺上皮 NMuMG 細胞を TGF-βで刺激して EMT を誘導し、E-cadherin の発現抑制と逆相関する転写因子を探索し、SIP1 とδEF1 を見出した。同じδEF1 ファミリーに属する SIP1 とδEF1 は共に E-cadherin プロモーター上の E-box2/1 の領域に結合し、その転写を抑制した。

2.SIP1 とδEF1 を同時のノックダウンすることで TGF-βによる E-cadherin の転写抑制が阻害された。しかし、N-cadherin や fibronectin など間葉系マーカーの発現誘導には影響が認められず、各種 EMT マーカー遺伝子の制御に関わる転写因子が同一ではないことが示唆された。

3.δEF1 ファミリーの転写因子は TGF-β/Smad の直接的な標的遺伝子ではないため、その上流因子を探索して Ets1 を見出した。

4.TGF-βで EMT を獲得した NMuMG 細胞では FGFR1IIIc の発現が上昇し、FGFR2IIIb が減少することが明らかとなった。そこで、FGFR1IIIc のリガンドである FGF2 を TGF-βと同時に添加して細胞培養を行ったところ、TGF-βの単独刺激時よりもさらに劇的な線維芽細胞様の形態変化を示し、細胞運動能や細胞外マトリックス分解能の亢進が認められた。

5.数日間の長期的な TGF-β刺激を行うとδSMA 陽性の筋線維芽細胞様細胞が出現した。この TGF-βによるδSMA の発現誘導はδEF1 転写因子を介することをノックダウンによって示した。また、FGF2/FGFR1IIIc/MAPK の経路によって TGF-βによるδSMA 発現誘導は阻害された。

以上、本論文は TGF-β誘導性 EMT においてδEF1 ファミリーの転写因子が特定のEMT マーカーのみを制御する因子であることを明らかにした。また、TGF-βによって EMT を獲得した細胞では FGFR1 シグナルへの感受性が上昇し、FGFからのシグナルが加わることで線維芽細胞様の形態変化や機能の活性化が促進することを新規に明らかにした。本研究成果は癌診断への応用や創傷治癒や線維化の分子レベルでの理解や組織工学にも繋がることも期待でき、学位の授与に値するものと考えられる。

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