学位論文要旨



No 124792
著者(漢字) 新谷,大悟
著者(英字)
著者(カナ) ニイヤ,ダイゴ
標題(和) 蛋白質分解酵素MT1-MMPによる膜蛋白質Luの切断とその意義
標題(洋)
報告番号 124792
報告番号 甲24792
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3212号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古川,洋一
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 教授 濡木,理
 東京大学 特任教授 渡邉,すみ子
 東京大学 教授 北村,俊雄
内容要旨 要旨を表示する

癌細胞は組織内では細胞外マトリックスに囲まれており、浸潤の際にはそれを分解する。この、細胞外マトリックスを主な基質とする一群の酵素としてマトリックスメタロプロテアーゼ(matrix metalloproteinase; MMP) がある。MMPは活性中心に亜鉛イオンが結合する一群のエンドペプチダーゼであり、今日まで20数種が見出されている。MMPはコラーゲンやエラスチン、ラミニン、フィブロネクチンなどほとんどのECM成分に対して幅広い分解活性をもち、且つ、中性のpHにおいて高い生理活性を有している。これらのMMPはその構造から大きく2つの型に分類することができ、1つは分泌型MMP、もう1つは膜型MMP( membrane-type matrix metalloproteinase; MT-MMP) である。

Membrane-type-1 MMP( MT1-MMP)はMT-MMPの基本形であり、1994年にHT1080ヒト線維肉腫細胞の細胞表面でMMP-2を活性化する因子として同定され、MMPの基本ドメインに加えてC末端側に疎水性の細胞膜貫通部位をもつ膜型のMMPである。MT1-MMPは、それ自体が直接I、II、III型コラーゲン、フィブロネクチン、プロテオグリカン、ラミニン、フィブリン、アグリカンといった広範な細胞外マトリックス成分を分解することに加えて、基底膜の構成成分であるIV型コラーゲンの分解酵素であるMMP-2やMMP-13を細胞表面上で効率的に活性化し、細胞周囲の微小環境の制御を行い、癌細胞の増殖や浸潤・転移に関与していると考えられている。また、MT1-MMPは腫瘍における発現亢進が示されている。しかしながら、MT1-MMPを介した癌細胞浸潤の分子メカニズムの理解はいまだ十分ではない。以上の背景から、MT1-MMPの基質となりうる分子の同定・機能解析は、腫瘍進展の機序の理解につながる可能性があると考えられた。

当研究室における、ヒト類上皮細胞株A431を用いたプロテオミクス解析にて、MT1-MMPと相互作用する分子が網羅的に解析され、163種類同定された。とくに、MT1-MMPの直接の機能部位である細胞膜上で相互作用しうる膜蛋白質64種類含まれており、細胞機能に深く関わる可能性があった。同定された膜蛋白質のいくつかで検証した結果、すべての分子はMT1-MMPとの結合分子であること、半数がMT1-MMPにより切断を受ける基質候補であることが示された。将来的に、これらの基質候補それぞれについて解析をすすめることで、MT1-MMPを介した細胞機能制御の理解が深まるものと考えられた。

そこで、基質候補膜蛋白質の1つであるLu(Lutheran blood group protein)の解析を通じて、他の基質候補にも応用可能な実験法を模索することにした。この分子は、細胞外に5つのIg様ドメインをもつ、免疫グロブリンスーパーファミリーの膜蛋白であり、腫瘍では卵巣癌や皮膚癌での発現亢進が報告されている。Luはラミニンα5の特異的レセプターであり、細胞と基底膜の接着に関与すると考えられるが、特に腫瘍におけるLuの機能の条件、分子メカニズムの詳細は明らかでない。そこで、MT1-MMPとLuの相互作用の意義について検証することは、腫瘍進展のメカニズム、Luの機能の理解において有意義と考えられた。

本研究ではまず、LuがMT1-MMPによって切断されることを確認した。培養細胞にLuとMT1-MMPを発現させると、細胞側、培養上清中にそれぞれLuの断片が出現することが確認された。次に、MT1-MMPによるLu切断部位の同定を試みた。C端側断片のN末端配列解析、合成LuペプチドのMT1-MMP活性ドメインによる切断実験により、切断箇所が、Lu第5ドメインと膜貫通領域の間に存在することが示された。切断部位の3アミノ酸N端側はプロリンであり、これは既知のMT1-MMP切断のコンセンサス配列の情報に漏れない箇所であった。切断部位の両端をアラニン酸置換した変異体を作製したところ、MT1-MMP存在下でも、MT1-MMP依存性Lu断片が出現しないことが確認された。このことから、MT1-MMP特異的なLu切断部位が、1箇所存在することがわかった。

前述のとおり、Luの機能における情報は、ラミニンα5鎖を介した接着という、ほぼ一件に限られているといっても過言ではない。そこで、ラミニンα5鎖を含む、ラミニン10(α5β1γ1)を精製し、細胞表層のLuに結合させる実験系を試みた。用いた細胞はA431であったが、Luとおなじくラミニンα5鎖を認識するインテグリンをも発現していた。しかしながら、Lu発現をshRNAによってノックダウンすると、ラミニン10の結合が著しく抑制され、この結果はLuがラミニン10との結合に大きな役割を果たしていることを示すものであった。さらに、MT1-MMPをsiRNAによってノックダウンすると、細胞のLu表面量が増加し、ラミニン10の結合も増加した。この結果は、Luのラミニン10認識部位が第2ドメインと第3ドメインの間にあるという既知の情報と、MT1-MMPによる切断部位が第5ドメインと膜貫通領域の間にあることを考えれば、MT1-MMPによるLu切断は、ラミニン10 を認識する有効な受容体数を減少させるという可能性を示唆するものであった。

今回我々は、Luが切断を受けることを初めて見出し、さらにその責任酵素にMT1-MMPが含まれており、MT1-MMP特異的なLu切断が存在することを示した。また、LuのMT1-MMPによる切断部位を同定し、その部位はドメイン5と膜貫通領域の間であることをつきとめた。これまで、赤血球以外の細胞で、内因性に発現したLuに着目してラミニン10との相互作用を検証した報告はなく、癌に関連した病態生理的条件下でのLuの機能を示した点で有意義と考えられた。

MT1-MMPが、癌が浸潤、転移をする際に重要な役割をするという背景を考えれば、MT1-MMPにより修飾される現象は、癌の浸潤、転移に有利にはたらく可能性を孕んでいる。今回明らかになった、MT1-MMPの発現が細胞のLuの表面発現を減少させ、ひいては基底膜の重要な構成成分であるラミニン10との結合を抑制するという事実は、一見すると癌が局所で強固な足場を作り増殖するというメカニズムには不利に思える。しかし逆に、MT1-MMPによる直接的、間接的ECM分解により細胞が基底膜を貫通するのと同時に、基底膜との相互作用をまぬかれて、局所にとどまらずに自由に散布する機会をふやしているとも考えられる。

さらなる詳細な検討が必要であるが、本研究により、MT1-MMPが、Lu切断を介して癌細胞の基底膜への接着を制御している可能性が示された。このことは、MT1-MMPの浸潤・転移における多彩な機能を理解するうえで重要な所見であると考えられる。

総括すると、本報告は、(1)タンデムマス解析が、相互作用膜蛋白質の探索のスクリーニングとして有用なアプローチであること、(2)MT1-MMPにより切断される他の新規基質の同定にも応用可能な実験法を示したこと、(3)ほぼ機能未知の膜蛋白質Luが、MT1-MMPによる切断をうけ、ラミニン10との結合を調節されている可能性があること、を示した点で有意義と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、癌進展のメカニズムの理解を深めるため、癌細胞の運動や浸潤に関わるMT1-MMP(膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1)と相互作用し、生理的な基質となる分子を同定し、さらに、その一つである膜蛋白質LuとMT1-MMPの相互作用の意義を解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.タンデムマス解析でMT1-MMP相互作用分子として同定された蛋白質のうち、検証可能であった18種類の膜蛋白質すべてにおいて、MT1-MMPと結合することが、免疫沈降法で示された。タンデムマス解析で、実際の結合分子を同定できる可能性が高いことが示された。

2.タンデムマス解析でMT1-MMP相互作用分子として同定された18種類の膜蛋白質のうち9種類は、切断を示唆するMT1-MMP依存性分子量変化を呈した。タンデムマス解析法により、比較的高い確率で酵素基質を同定できることが示された。

3.MT1-MMP基質候補のひとつである、膜蛋白質Lu (Lutheran blood group glycoprotein) の一過性発現、内因性発現において、この分子が切断されることを初めて見出し、さらにMT1-MMP特異的な切断が存在することを確認した。

4.MT1-MMPによるLu切断部位を、N末端アミノ酸解析、試験管内切断実験にて同定した。その部位は、Lu第5ドメインと膜貫通領域の間であった。

5.Luのリガンドであるラミニン10とLu発現細胞の結合実験により、MT1-MMPの発現はLu細胞表面量、ラミニン10の細胞への結合を減少させることが示された。

6.MT1-MMP以外のMT-MMPによる切断を一過性強制発現系でみたところ、MT2-MMP、MT3-MMPによっても同様のLu切断が確認された。

以上、本論文は、癌進展に関与するMT1-MMPの相互作用膜蛋白質のスクリーニングとして、タンデムマス解析が有用なアプローチであること、MT1-MMPにより切断される他の新規基質の同定・解析にも応用可能な実験法を示したこと、ほぼ機能未知の膜蛋白質Luが、MT1-MMPによる切断をうけ、ラミニン10との結合を調節されている可能性があること、を示した点で有意義と考えられた。MT1-MMPの、癌浸潤・転移における機能のさらなる解明に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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