学位論文要旨



No 124797
著者(漢字) 八代,嘉美
著者(英字)
著者(カナ) ヤシロ,ヨシミ
標題(和) マウス造血幹細胞の冬眠状態維持に関わる機能分子の探索および解析
標題(洋)
報告番号 124797
報告番号 甲24797
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3217号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斎藤,泉
 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 教授 中村,卓郎
 東京大学 教授 井上,聡
 東京大学 准教授 ,浩一郎
内容要旨 要旨を表示する

幹細胞とはある特定の組織や臓器を構成する成熟細胞へと分化する「多分化能」と、自己と同じ能力を持った細胞を複製する「自己複製能」を兼ね備えた細胞であり、生体のさまざまな組織に存在し、個体の一生にわたって各々の幹細胞が属する組織を構成する細胞を供給し続けている。個体の一生という長期間にわたり、幹細胞を維持するために、幹細胞には他の分化した細胞にはない特殊な制御機構が備わっていることが考えられており、そのひとつとして、幹細胞が通常の細胞周期から離脱した静止期(G0期)にあることがあげられる。

これまでわれわれの研究室では、FACS (fluorescence activated cell sorter) を用いて得られるCD34陰性または弱陽性、 c-kit陽性、Sca-1陽性、分化抗原陰性 (Lin-) (CD34-KSL)分画細胞中に造血幹細胞が高濃度に存在していることを報告しており、このような手法で濃縮した画分にある細胞をPyronin-YやKi-67抗体を用いて染色し解析すると、ほとんどの細胞がG0期に存在していること、BrdU取り込み実験の結果から、造血幹細胞が3週間に1度程度の頻度で分裂することを報告しており、造血幹細胞が一定のインターバルの後に細胞周期に入って分裂することで、自分自身と血液前駆細胞を供給するというユニークなシステムを持つことを示した。

しかしin vitroにおいて造血幹細胞の培養を行った場合、ある程度の造血活性をもった細胞としてその数を増やすことは可能となりつつあるが、培養中に造血前駆細胞へと分化してしまうものも多く、長期間にわたり造血幹細胞本来の能力を維持したまま増幅を行うことはいまだに困難とされている。in vitroにおいて生体内での造血幹細胞の能力を再現できない要因のひとつとして、幹細胞と幹細胞の性質を維持する能力を持つ支持細胞から構成された微小環境"ニッチ"の再現の困難さが挙げられる。

たとえば造血幹細胞が骨表面の骨芽細胞上に存在し、その場においてG0期で維持されているという報告がなされており、ニッチには支持細胞のほか、さまざまな細胞から分泌されたサイトカインや細胞外マトリックス等が存在し、その複雑な調和によって幹細胞の細胞周期調節が行われ、自己複製や分化・増殖が制御されていると考えられている。こうしたニッチにおける幹細胞の細胞周期調節機構を明らかにすることができれば、in vitroにおいて造血幹細胞の機能を維持しつつ、増殖の制御を行うことが可能となると考えられる。

われわれの研究室では、サイトカインによる外部からのシグナルがPI3K/AKT経路におけるリン酸化標的である細胞核内のFOXO転写因子をリン酸化し、核外への移行を促すことを見出した。このようなFOXO遺伝子の働きは冬眠中のリスや、栄養飢餓状態における線虫の耐性幼虫状態への移行などでも重要な位置を占めていることが報告されている。

FOXO転写因子は糖・脂質代謝、細胞周期の制御、アポトーシス、寿命・老化等に関連して重要な役割を果たす遺伝子であり、通常は核内に局在し標的遺伝子のプロモーター領域に結合し、標的遺伝子の発現を亢進させる。この標的遺伝子には細胞周期を調節するp27(kip1)、p57(kip2)があり、造血幹細胞の細胞周期調節に大きな意味を持つと考えられた。

FOXO転写因子の標的遺伝子にはアポトーシス関連遺伝子であるBim、TRAILやFas Ligand、酸化ストレス消去酵素であるMn-SODやcatalase、DNA損傷修復に関与する遺伝子である Gadd45などの遺伝子群があり、これらの発現を制抑することにより多彩な機能を発揮している。また、最近の報告では、FOXO転写因子のノックアウトマウスを作成すると、造血幹細胞の分化は正常であるが、すぐに枯渇してしまうことが示された。この中で、FOXO欠損造血幹細胞内では活性酸素種(ROS)が上昇してDNA障害性が高まっていることや細胞周期が亢進していることが報告されている。

こうしたことから、われわれは造血幹細胞の3週間にわたるインターバルをリスの冬眠になぞらえ、『冬眠状態』と呼んでいる。つまり、造血幹細胞のG0期は単なる細胞周期の停止ということにとどまらず、個体の一生という長期間にわたり幹細胞をプールし続けるために不可欠な抗ストレスシステムとして位置づけているが、こうした冬眠状態の制御を行う機構については明らかになっていない点が多い。

そこで本研究では、造血幹細胞における遺伝子の発現状態を把握するためにプロファイリングを行い((1))、その中で発現が認められ、FOXO転写因子と密接な関係を持つことが報告されている遺伝子Sirt1の造血幹細胞における機能解析を行った((2))。

(1) ハイスループットシークエンシングを用いた造血幹細胞の遺伝子プロファイリング造血幹細胞の濃縮法には、我々が報告したCD34-KSL分画のほか、骨髄細胞のHoechst 33342を取り込まない細胞群(Side population:SP 細胞)のc-Kit+Sca-1(hi)Lin-, Thy1.1(lo)c-Kit+Sca-1(hi)Lin-, c-Kit+Sca-1(hi)Lin-Rho(lo)、そして胎児肝に存在する胎児型造血幹細胞とされるc-Kit+Sca-1(hi)Lin-AA4.1+など、さまざまな方法が報告されている。このように造血幹細胞の純化技術は向上しているが、造血幹細胞の絶対的な数そのものが少ないために、これらの方法によっても得られる造血幹細胞の個数は少なく、造血幹細胞を用いて生化学的な解析を行うことが極めて困難であった。

こうした造血幹細胞集団ではマイクロアレイによって遺伝子情報が収集されており、Stem Cell Database (SCDb; http://stemcell.princeton.edu/)として集約され、ネットワーク上で比較することができるが、現在最も高頻度に造血幹細胞が濃縮されているとされるCD34-KSL分画の細胞はこうしたデータベースに含まれておらず、比較を行うことは出来ない。また、マイクロアレイによる解析はその性質上、新規の遺伝子の発現や発現の低い遺伝子などを確認することは不向きであるといえる。

そこで我々はCD34-KSL画分およびSP Lin-細胞からcDNAライブラリーを作成してハイスループットシークエンシングを行うことで、2種類の純化法による造血幹細胞の発現情報の比較を行うとともに、マイクロアレイ解析で網羅することのできなかった新規の遺伝子や、non-coding RNA候補配列を得ることを試みた。

それぞれのライブラリーについて、約9500の5'末端配列をシークエンスし、既存の臓器別遺伝子ライブラリデータベースを用いたin silicoサブトラクションを行ってハウスキーピング遺伝子を排除後、CD34-KSLからは215種、SP Lin-からは308種の造血幹細胞に比較的特異的な遺伝子群を同定した。さらに造血幹細胞において発現する29種のmRNA様non-coding RNA候補配列を得た。このような我々のアプローチは、造血幹細胞などの少数細胞における遺伝子プロファイリングを可能とし、また幹細胞生物学にとって有用なデータベースを提供するものと考えられる。

(2) 造血幹細胞におけるSirt1遺伝子の機能解析

Sirt1はNAD存在下で活性化される脱アセチル化酵素であり、さまざまな生物種で高度に保存された遺伝子である。線虫やショウジョウバエ、あるいやマウスでの寿命延長に関与しており、線虫やショウジョウバエにおけるSirt1ホモログ遺伝子であるSir2の量や活性を増大させると寿命が延長し、欠失・変異させると短縮することが報告されている。近年の研究により、Sirt1は細胞に対するさまざまなストレス抵抗性や生存を制御していることが明らかになってきた。たとえばp53の脱アセチル化を行ってアポトーシスを抑制したり、FOXO転写因子と結合し、これらを脱アセチル化することで細胞のストレス抵抗性と生存を高めることが示されている。

これまでわれわれの研究室では造血幹細胞のFOXO転写因子が核内に存在し、造血幹細胞のG0期維持に寄与していることを報告しており、FOXO転写因子が造血幹細胞の冬眠機構にとって重要であることを示してきた。(1)の実験において、CD34-KSL細胞由来、SP Lin-細胞由来それぞれのプロファイルでSirt1遺伝子が発現していることを見出した。前記の通りSirt1はFOXO転写因子と結合し、細胞のストレス抵抗性に対して重要な役割を果たすとされ、造血幹細胞の冬眠機構にも大きな関わりを持つと考えられた。そこで、本研究では造血幹細胞におけるSirt1遺伝子の生理的な機能についての解析を行った。

Sirt1を活性化する薬剤であるレスベラトロールを添加して造血幹細胞の培養を行ったところ、p27などの細胞周期制御因子の転写が亢進し、造血幹細胞の細胞周期の停止が維持されることが明らかとなった。また、遺伝子導入によるSirt1遺伝子のgain of functionによってもp27、p57などの細胞周期制御に関わる遺伝子の発現の上昇が確認されたほか、MnSOD、catalaseといった酸化ストレスのスカベンジャー遺伝子の発現上昇が確認された。実際にAPF染色によって培養下でのSirt1導入造血幹細胞内の活性酸素種(ROS)の測定を行ったところ、細胞内のROSは有意に低下していることが確認された。また、アポトーシス誘導条件下で培養を行ったSirt1導入造血幹細胞でAnnexin V染色を行ったところ、アポトーシスを引き起こす細胞が有意に減少しており、Sirt1遺伝子の導入がアポトーシスを抑制していることが確認された。

本研究では、Sirt1遺伝子が造血幹細胞に存在していることを確認し、造血幹細胞のG0期維持とストレス抵抗性の亢進に関与していることを示した。この結果は、幹細胞の冬眠は細胞分裂の頻度を低下させてストレスに遭遇する頻度を低下させるというだけではなく、アポトーシス抵抗性遺伝子や酸化ストレスのスカベンジャーを発現させ、積極的に細胞内の環境を整備するための期間であり、長期間にわたり細胞を供給し続けるために不可欠な期間であることを示唆するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、長期にわたりG0状態にとどまる造血幹細胞の特徴的な細胞周期に着目し、単なる細胞周期の停止ということにとどまらず、個体の一生という長期間にわたり幹細胞をプールし続けるために不可欠な生理的な抗ストレスシステムとして捉え、冬眠状態の制御を行う機構を明らかにすることを目的として行われた。その結果、以下のような結果を得ている。

1.造血幹細胞における遺伝子の発現状態を把握するためにプロファイリングを行い、CD34-KSL画分およびSP Lin-細胞からcDNAライブラリーを作成してハイスループットシークエンシングを行うことで、2種類の純化法による造血幹細胞の発現情報の比較を行うとともに、マイクロアレイ解析で網羅することのできなかった新規の遺伝子や、non-coding RNA候補配列を得ることを試みた。

それぞれのライブラリーについて、約9500の5'末端配列をシークエンスし、既存の臓器別遺伝子ライブラリデータベースを用いたin silicoサブトラクションを行ってハウスキーピング遺伝子を排除後、CD34-KSLからは215種、SP Lin-からは308種の造血幹細胞に比較的特異的な遺伝子群を同定した。さらに造血幹細胞において発現する29種のmRNA様non-coding RNA候補配列を得た。

2.上記1.の実験において、CD34-KSL細胞由来、SP Lin-細胞由来それぞれのプロファイルでSirt1遺伝子が発現していることを見出した。Sirt1はFOXO転写因子と結合し、細胞のストレス抵抗性に対して重要な役割を果たすとされ、造血幹細胞の冬眠機構にも大きな関わりを持つと考えられた。そこで、本研究では造血幹細胞におけるSirt1遺伝子の生理的な機能についての解析を行った。

Sirt1を活性化する薬剤であるレスベラトロールを添加して造血幹細胞の培養を行ったところ、p27などの細胞周期制御因子の転写が亢進し、造血幹細胞の細胞周期の停止が維持されることが明らかとなった。また、遺伝子導入によるSirt1遺伝子のgain of functionによってもp27、p57などの細胞周期制御に関わる遺伝子の発現の上昇が確認されたほか、MnSOD、catalaseといった酸化ストレスのスカベンジャー遺伝子の発現上昇が確認された。実際にAPF染色によって培養下でのSirt1導入造血幹細胞内の活性酸素種(ROS)の測定を行ったところ、細胞内のROSは有意に低下していることが確認された。また、アポトーシス誘導条件下で培養を行ったSirt1導入造血幹細胞でAnnexin V染色を行ったところ、アポトーシスを引き起こす細胞が有意に減少しており、Sirt1遺伝子の導入がアポトーシスを抑制していることが確認された。

以上、本論文は造血幹細胞の遺伝子について詳細な解析を行うと同時に、Sirt1遺伝子が造血幹細胞にストレス抵抗性を与えていることを確認した。本研究は幹細胞の冬眠は細胞分裂の頻度を低下させてストレスに遭遇する頻度を低下させるというだけではなく、アポトーシス抵抗性遺伝子や酸化ストレスのスカベンジャーを発現させ、積極的に細胞の環境を整備するための期間であり、長期間にわたり細胞を供給し続けるために不可欠な期間であることを示すことができた。この結果は、これまで詳細になっていなかった造血幹細胞の冬眠機構の機能を明らかにし幹細胞研究の発展に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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