学位論文要旨



No 124798
著者(漢字) 山内,稚佐子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマウチ,チサコ
標題(和) HER2陽性乳癌のトラスツズマブ治療に対する病理形態学的および分子病理学的治療効果予測因子に関する研究
標題(洋)
報告番号 124798
報告番号 甲24798
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3218号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 准教授 小川,利久
 東京大学 准教授 伊藤,彰彦
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 講師 金内,一
内容要旨 要旨を表示する

【背景】近年、わが国における乳癌の罹患数および死亡数の増加は著しく65歳未満の若い世代では女性の癌死亡の第1位となっている。乳癌はホルモン療法、抗がん剤療法などの薬物療法が有用であり、奏功率、生存率の改善がみられている。近年全乳癌の20-30%を占めるHER2陽性乳癌に対するトラスツズマブを中心とする抗体療法などの分子標的療法が行われその有用性が示されており、今後の有力な治療法として期待されている。しかし、トラスツズマブはHER2過剰発現乳癌すべての自然経過を変更するものではないこともわかってきており、初回トラスツズマブ単剤投与に反応する症例はHER2過剰発現乳癌の約1/3以下であるといわれている。これと同様に顕微鏡的転移癌の場合、トラスツズマブの術後補助療法による年間ハザード比の減少は50%にすぎず、かなりの割合の腫瘍がトラスツズマブに耐性であることが示唆される。しかし、トラスツズマブ耐性の機序についてはあまり解明されていない。そこで本研究では、HER2陽性乳癌に対するトラスツズマブの治療効果予測因子および耐性回避の方法について解明することを試みた。

【目的】、HER2陽性乳癌に対するトラスツズマブの治療効果予測因子を臨床病理学検討により明らかにし、耐性回避の方法について解明する

【検討1】

1.対象:1993年から2007年までの間に国立がんセンター東病院にて外科治療がなされたHER2強陽性乳癌186例中再発にてトラスツズマブが投与された22例を対象とした。再発確認以降トラスツズマブ(タキソールとの併用あるいは単剤)が投与されてから病状の進行を伴わず、1年以上トラスツズマブの投与が継続された症例および病状の進行なく半年以上トラスツズマブが投与されたが、患者の希望あるいは副作用(心毒性)により投与中止となった症例を有効群とし、病状の進行により1年未満で投与中止となった例を無効群とした。

2.方法:初回手術検体ブロックより代表ブロックを選別しtissue microarray標本を作製し種々の因子について免疫組織学手法を用い検討した。

3.結果:症例背景を表1に示す。トラスツズマブ投与により治療効果を認めた(response)群11例、効果を認めなかった(resistance)群11例であった。両群間で年齢、腫瘍径、病期、組織学的悪性度、ホルモンレセプター発現の有無、術前あるいは術後化学療法の有無について検討したが、有意な差は認めなかった。免疫組織化学検査では、Foxp3陽性リンパ球が少ない(<15個/5HPF)群およびpan-cadherin陰性群においてトラスツズマブの治療効果を認めた。これまでに報告されている細胞質内のシグナル伝達経路における各因子については差を認めなかった(表2)。

また、トラスツズマブ有効例では全生存率の延長を認めた(図1A)。免疫組織学的検討において2群間に差を認めたPan-cadherinにいつおいても全生存率に差を認めた(図1B)。Foxp3陽性リンパ球が少ない(<15個/5HPF)かつpan-cadherin陰性症例でも全生存率の延長を認めた。(図1C)。

以上より、HER2陽性乳癌組織の免疫染色においてPan-cadherin陽性およびFoxp3陽性細胞の多い症例でトラスツズマブに抵抗性である例が有意に多く、生存率にも有意差を認めた。このことより、治療前にPan-cadherinおよびFoxp3を計測することにより、トラスツズマブの効果を期待できない群(できる群)を選別することができる可能性が示唆された。

これまでにトラスツズマブの腫瘍細胞に対する作用機序の一つとして抗体依存性細胞傷害の作用が知られている。抗体依存性細胞傷害の中心的役割を担うNK細胞に発現する抑制性レセプターのリガンドとしてカドヘリンファミリーが報告されており、今回の結果はその関与を裏付けるものであった。そこで、腫瘍細胞におけるカドヘリン発現の有無によるトラスツズマブを介する抗体依存性細胞傷害の違いについて検討した。

【検討2】

1.対象:HER2陽性乳癌細胞株SKBR3(Pan-cadherin negative)

HCC1569 (Pan-cadherin positive: E-cadherin positive, N-cadherin positive)

2.方法:カドヘリンの発現状態の異なる2種類のHER2陽性乳癌細胞株を用い以下の検討を行った。

(1).各細胞について35mmdishに1×105ずつ腫瘍細胞(T)を捲き、24時間後にトラスツズマブおよび健常者から採取した末梢血単核球(E)を加え、その24時間後に生腫瘍細胞数を計測した。なお、トラスツズマブは0、0.021mg/ml、0.105mg/mlと加える濃度を変え検討した。また末梢血単核球はT:Eを1:0、1:1、1:20と変え検討を行った。

(2). HCC1569(Pan-cadherin positive: E-cadherin positive, N-cadherin positive)についてE-cadherin(CDH1)、N-cadherin(CDH2)を、siRNAの手法を用いて、それぞれあるいは同時にノックダウンし、方法(1).と同様の検討を行った。

(3).末梢血単核球カドヘリンをリガンドとするNK細胞の抑制性レセプターであるkiller cell lectin-like receptorG1:KLRG1発現細胞を除去し、方法(1).と同様の検討を行った。

3.結果:SKBR3(Pan-cadherin negative)では末梢血単核球の数依存的に腫瘍細胞生存率の低下を認めた(図2A)。

HCC1569(Pan-cadherin positive: E-cadherin positive, N-cadherin positive)では末梢血単核球の数に関わりなく腫瘍細胞生存率の低下を認めなかった(図2A)。しかし、HCC1569についてE-cadherin(CDH1)をノックダウンしたところ、末梢血単核球の数依存的に腫瘍細胞生存率の低下を認めた。N-cadherin(CDH2)のみをノックダウンした群ではT:Eが1:20までの比率ではコントロール群と差を認めなかった。E-cadherin(CDH1)およびN-cadherin(CDH2)をダブルノックダウンした群においてはE-cadherin(CDH1)のみをノックダウンした群と同様の結果を認めた(図2B)。

次にKLRG1発現細胞を除去した末梢血単核球を用いて同様の検討を行ったところ、カドヘリン発現の消失しているあるいは減弱しているSKBR3およびE-cadherin(CDH1)あるいはN-cadherin(CDH2)をノックダウンしたHCC1569では未処理の末梢血単核球を用いて行った検討と同様にトラスツズマブの濃度に関わらず、末梢血単核球数に依存して腫瘍細胞生存率の低下を認めた。さらにカドヘリン発現を伴う未処理のHCC1569では、未処理の末梢血単核球を用いた場合と異なり、トラスツズマブの濃度に依らず、末梢血単核球の数依存的に腫瘍細胞生存率の低下を認めた(図3)。

以上の結果より、HER2陽性ヒト乳癌細胞株においてE-cadherinあるいはN-cadherinを発現する細胞株はトラスツズマブ濃度や末梢血単核球数に関わらず、トラスツズマブに対し耐性を示すことが判明した。しかし、E,N-cadherinの発現を減弱させることにより、これらの細胞株のトラスツズマブに対する耐性は消失した。また、末梢血単核球からE,N-cadherinをリガンドとするKLRG1を発現する細胞を除去することによりトラスツズマブに対する耐性は消失することが確認できた。

【総括】臨床症例を検討することにより、pan-cadherinおよびfoxp3が効果予測因子であることを見出し、治療前にPan-cadherinおよびFoxp3を計測することにより、トラスツズマブの効果を期待できる群の抽出が可能ではないかと考えた。さらにこの結果よりトラスツズマブに対する耐性に関して免疫学的機構が強く関与していることが予想された。そこでトラスツズマブの主たる作用機序の1つである抗体依存性細胞傷害活性について検討したところ、末梢血単核球中のE. N-cadherinをリガンドとする抑制性レセプターKLRG1を発現する免疫担当細胞により抗体依存性細胞傷害活性が抑制されることを見出し、このKLRG1発現細胞を除去することによりトラスツズマブ耐性を回避できる可能性があることを見出した。

表1.症例背景および病理学的因子についての検討

表2.免疫組織学的検討結果

図1.トラスツズマブ治療乳癌症例22例に関する生存率の検討

図2.トラスツズマブと末梢血単核球によるHER2陽性乳癌細胞に対する細胞傷害性

35mmdishに1×105ずつ腫瘍細胞(T)を捲き、24時間後にトラスツズマブおよび健常者から採取した末梢血単核球(E)を加えた。その24時間後に生腫瘍細胞数を計測した。

A: SKBR3、未処理のHCC1569。B:siRNAにてCDH1、CDH2をノックダウンしたHCC1569。

図3.トラスツズマブとKLRG1発現細胞を除去した末梢血単核球によるHER2陽性乳癌細胞の細胞傷害性

35mmdishに1×105ずつ腫瘍細胞(T)を捲き、24時間後にトラスツズマブおよび健常者から採取した末梢血単核球をソーティングし、KLRG1発現細胞を除去した末梢血単核球(E)を加えた。その24時間後に生腫瘍細胞数を計測した。

A: SKBR3、未処理のHCC1569。B:siRNAにてCDH1、CDH2をノックダウンしたHCC1569。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はHER2陽性乳癌の主たる治療薬である分子標的治療薬トラスツズマブに対する治療効果予測因子の抽出、および耐性機序の解明と耐性解除の方法を得ることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.トラスツズマブを投与されたHER2陽性再発乳癌の22例の臨床検体(手術標本)を用い、治療効果と種々のタンパク質の発現について免疫組織化学検査を用いて検討した。その結果、既に報告されているトラスツズマブの直接的細胞増殖抑制に関わるシグナル伝達に関するタンパク質の発現には差を認めなかったが、腫瘍細胞にpan-cadherinを発現している群および腫瘍組織内に多数のfoxp3浸潤を認める群では有意にトラスツズマブは無効である例が多く、pan-cadherinを発現している群では全生存率の低下を認めた。以上より、トラスツズマブ投与前に腫瘍材料を用いてpan-cadherinおよびfoxp3を評価することにより治療効果が予測できる可能性が示唆された。

2.カドヘリンはNK細胞の抑制性レセプターKLRG1のリガンドであることより、pan-cadherinの発現とトラスツズマブの抗体依存性細胞傷害作用との関連について検討した。特に乳癌に発現が確認されているE-cadherinおよびN-cadherinについて、ヒト乳癌細胞株を用いて関与を検討した結果、E-cadherinあるいはN-cadherinを発現している腫瘍細胞では、両カドヘリンが発現していない腫瘍細胞株では未処理のヒト末梢血単核球を共培養した状態でトラスツズマブを投与した場合末梢血単核球数依存的にトラスツズマブの濃度に依らず、腫瘍細胞生存率の低下を認めるのに対し、腫瘍細胞生存率の低下を認めないことを示した。

3.カドヘリン発現を伴う腫瘍細胞のカドヘリン発現をsiRNAにより減弱させた状態で未処理の末梢血単核球と共培養した場合、トラスツズマブを投与によりトラスツズマブの濃度に依らず、腫瘍細胞生存率の低下を認めるようになることを示した。

4.末梢血単核球からKLRG1発現細胞を除去することにより、腫瘍細胞のカドヘリン発現状況に関わらず、末梢血単核球数依存的にトラスツズマブ投与によりトラスツズマブの濃度に依らず、腫瘍細胞生存率の低下を認めることを示した。

5.4h-Cr放出試験にて、上記2-4について腫瘍細胞生存率と抗体依存性細胞傷害は対応していることを示した。

以上、本論文はHER2陽性乳癌に対するトラスツズマブ投与による効果予測因子を同定した。また、トラスツズマブの耐性機序の一部を示し、その耐性解除の方法を見出した。本研究はトラスツズマブ投与が無効であるとされるHER2陽性乳癌の3分の2症例に対し効果的な治療を行うため重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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