学位論文要旨



No 124802
著者(漢字) 笹野,仲史
著者(英字)
著者(カナ) ササノ,ナカシ
標題(和) エダラボンによる放射線感受性の修飾
標題(洋)
報告番号 124802
報告番号 甲24802
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3222号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 准教授 垣見,和宏
 東京大学 准教授 朝蔭,孝宏
 東京大学 講師 鈴木,崇彦
 東京大学 講師 寺原,敦朗
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

癌の放射線治療においては、正常組織への副作用が問題になる場合があり、正常組織の副作用を減らしつつ、腫瘍組織の治療効率を上げることができるように様々な工夫がなされている。その一つの手段として、放射線防護剤により正常組織の放射線感受性を低下させるか、放射線増感剤により腫瘍組織の放射線感受性を増加させることが考えられている。

エダラボンは、臨床的に脳梗塞の治療薬として広く用いられている薬剤であるが、フリーラジカルスカベンジャーとしても知られており、放射線防護に有効である可能性がある。

実際に、マウスのLD(50/30)が減少し、エダラボンに放射線防護効果があることを示した報告があるが、詳細な分子機構などは解明されていない。今回の実験では、エダラボン投与が放射線感受性に与える影響をin vitroで研究し、エダラボンが放射線防護剤などとして臨床使用できるための手助けになれたらよいと考えた。

材料と方法

細胞はヒトT細胞白血病細胞株MOLT-4、ヒト前B細胞白血病細胞株Nalm-6、ヒト肝細胞癌細胞株HepG2を用いた。MOLT-4、Nalm-6は5%FBS (fetal bovine serum)と抗生物質を含むRPMI-1640を培地として、37℃で5%CO2と95%空気の混合気体の中で培養した。HepG2は5% FBSと抗生物質を含むDulbecco's Modified Eagle Mediumを培地として、37℃で5%CO2と95%空気の混合気体の中で培養した。

エダラボンは田辺三菱製薬株式会社(東京)から原末を提供され、pH約8.8、30 mg/mlの濃度になるように調製したものを用いた。細胞死の判定に色素排除試験を用いた。アポトーシスの判定にAnnexinV-PI染色を用いた。細胞内ROSの測定をCM-H2-DCFDA (chloromethyl-2',7'-dichlorodihydrofluorescein diacetate) のキットを用いて行った。アポトーシス関連分子、(p53、カスパーゼ3、カスパーゼ7、p21(WAF1)、PUMA、Bcl-2)の発現量やリン酸化状態について、ウエスタンブロット法で調べた。アポトーシスに伴うDNA断片化の解析を、電気泳動法を用いて行った。アポトーシスへのp53の関与を調べるために、short hairpin typeのp53を過剰発現させたMOLT-4細胞(p53ノックダウンMOLT-4)を用いた。P53結合ドメインをルシフェラーゼに結合させたプロモーター解析用ベクターを用いて、p53の転写活性を調べた。

結果

まずは、エダラボンの細胞毒性を色素排除試験で調べたところ、3 mg/ml 以下までの濃度のエダラボンを投与した時には、細胞の生存率は60%以上であり、エダラボンの毒性は実験する上で許容範囲内の毒性であると考えた。しかし、濃度を6 mg/mlまで上げると、細胞の生存率は30%以下に低下し、毒性が強すぎると判断された。よって、以下の実験はすべて3 mg/ml以下の濃度のエダラボンを用いて行った。

エダラボンを放射線照射5分前にMOLT-4に投与し、その後2 GyのX線を照射し、20時間後に細胞の生存率を調べところ、エダラボンの濃度が2.7, 3 mg/ml の時は、エダラボンを投与しない時に比べて細胞の生存率が有意に改善し(p < 0.05)、エダラボンの放射線防護効果による結果と考えられた。逆に、エダラボンの濃度が0.15, 0.75, 1.5 mg/ml の時は、細胞の生存率が有意に低下し(p < 0.05)、エダラボンの放射線増感効果によると考えられた。この放射線増感効果は、エダラボンの細胞毒性を考えても、エダラボンと放射線の効果の単純な足し算よりは高い効果があると思われた。

まずは、放射線防護効果について詳しく調べるために、エダラボン濃度を3 mg/mlとして実験を続けた。X線線量を2 Gyから5 Gyに上げても、同様の放射線防護効果が見られた (p < 0.05)。また、照射の20時間後だけでなく、8-20時間後の間でいずれも放射線防護効果が認められた(p < 0.05)。

AnnexinV-PI染色を行ったところ、AnnexinV(-)PI(-)の細胞(アポトーシスを起こさず生存していると考えられる細胞)は、照射単独に比べ、照射前にエダラボンを投与することにより著明に改善した(p < 0.05)。この結果から、エダラボンはX線によるアポトーシスを抑制していることが分かった。

CM-H2-DCFDAにより、X線治療におけるエダラボンによるROSの変化を調べたところ、照射前にエダラボンを投与することにより、ROSが有意に抑えられることが分かった(p < 0.05)。

X線照射により、p53の蓄積、リン酸化、その標的分子であるp21(WAF1)、PUMAのいずれも照射単独では増加がみられたが、エダラボン投与により増え方が抑制されていた。また、カスパーゼ3、カスパーゼ7も照射単独では増加していたが、エダラボン投与により抑制されていた。また、抗アポトーシスタンパク質であるBcl-2の総量は、照射単独でもエダラボン投与後の照射でも変化は見られなかった。

アポトーシスの指標でもあるDNAの断片化は、X線照射8時間後から明らかであったが、照射前にエダラボンを投与することにより、ほぼ完全に抑制されることが分かった。

以上より、3 mg/ml のエダラボンをX線照射5分前に投与することにより、ROSの除去、p53経路の抑制を介して、MOLT-4細胞のアポトーシスが抑制されることがin vitroで示された。

これ以降は、低濃度のエダラボンの放射線増感効果について、その分子機構などを解析した。そのため、以後の実験はエダラボン濃度を0.75 mg/mlとした。エダラボン投与時の放射線増感効果はX線の照射線量を1 Gy、5 Gyとしても同様に認められた(p < 0.05)。また、照射20時間後だけでなく、照射8 - 20時間後において有意な増感効果が認められた(p < 0.05)。また、この放射線増感効果はNalm-6細胞、HepG2細胞でも認められたが(p < 0.05)、その増感効果はMOLT-4細胞ほどではなかった。

別のフリーラジカルスカベンジャーであるDMSO(dimethylsulfoxide)で同様の実験を行ったところ、10 mg/mlのDMSOを投与して照射した時には、その放射線防護効果により細胞の生存率は照射単独の時に比べて有意に改善したが、2 mg/mlのDMSOを投与して照射した時には、細胞の生存率は照射単独の時と比べて有意差は見られなかった。よって、すべてのフリーラジカルスカベンジャーが低濃度にすれば放射線増感効果が見られるわけではないことが分かった。

AnnexinV-PI染色を行ったところ、エダラボンはアポトーシスを増感することにより、放射線増感効果を齎すことが分かった。また、カスパーゼ7が照射のエダラボン投与により、照射単独時よりも活性化が亢進することが分かった。CM-H2-DCFDAキットにより細胞内ROSを調べたところ、細胞内ROSは照射前の0.75 mg/mlのエダラボン投与により照射単独に比べて抑制されることが分かった。ただし、3 mg/mlのエダラボンの時ほどは抑制されなかった。

このとき、p53のSerine15, 20残基のリン酸化は照射前のエダラボン投与により増加しているが、p53の蓄積、Serine6, 9, 392残基のリン酸化については、エダラボン投与により増加していないことが分かった。そこで、siRNAでp53をノックダウンしたMOLT-4細胞を用いて、X線照射単独で治療した場合と、0.75 mg/mlのエダラボンを照射前に投与し、X線照射した場合の生存率を調べたところ、統計的有意差は見られなかった。よって、エダラボンの放射線増感効果にはp53が深く関与していることが分かった。

p53の標的分子の一つであり、CDK阻害作用のあるp21(WAF1)は、照射単独により増加するが、0.75 mg/mlのエダラボンを投与することにより、抑制されることが分かった。次に、p53の転写活性をルシフェラーゼアッセイにより調べた。X線照射により増加していたp53の転写活性が、照射5分前にエダラボンを投与することにより、大部分が抑制されることが分かった。そこで、MOLT-4細胞にエダラボンとCDK阻害剤であるロスコビチンを同時に投与して照射したところ、エダラボンのみを投与して照射した場合より、有意に生存率が改善した(p < 0.05)。また、照射単独と比べて有意差が見られなかった。この結果から、p21(WAF1)の抑制がアポトーシス増感に寄与している可能性が示唆された。

次に別のp53標的分子であるPUMAについて調べた。MOLT-4細胞にX線照射した後のPUMAの発現は、時間とともに増えていったが、照射前に0.75 mg/mlのエダラボンを投与することにより、その増え方はより際立った。

考察

以上の結果から、高濃度(2.7-3 mg/ml)のエダラボンには放射線防護効果、低濃度(0.15-0.75 mg/ml)のエダラボンには放射線増感効果があることが分かった。放射線防護効果はMOLT-4細胞において、ROSの抑制、p53経路の抑制を介して、アポトーシスを抑制することにより起こっていた。低濃度エダラボンの放射線増感効果については、p53が深く関与しており、エダラボンが直接的または間接的にp53のリン酸化状態を変化させ、p53標的分子の転写活性を変化させることによりアポトーシスの増感が起こっている可能性が考えられた。p53標的分子の一つであるPUMAは亢進するとアポトーシス促進に働くことが知られている。別のp53標的分子であるp21(WAF1)は細胞周期制御に関わるが、これが抑制されることにより、細胞周期制御ができなくなり、放射線照射後のアポトーシスが促進することが知られている。今回の実験でも、エダラボンの放射線増感効果にPUMAの亢進、p21(WAF1)の抑制が関与している可能性が示唆された。

結語

エダラボンは、高濃度においては、MOLT-4細胞において放射線防護効果を示し、低濃度においては、放射線増感効果を示した。

臨床的なエダラボンの血中濃度は、今回の実験の血中濃度よりも遥かに低いとされており、実際の臨床で使用した場合にどのような効果があるのかは分からない。理想的には、悪性腫瘍組織に増感効果が働き、正常組織に防護効果が働くとよいが、投与方法の工夫などにより達成できる可能性もあると考えられる。エダラボンはそのような魅力的な潜在能力を秘めた化合物であることは間違いないだろう。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はフリーラジカルスカベンジャーとして知られており、臨床的にも脳梗塞の治療薬として広く使用されているエダラボンが、細胞の放射線感受性にどのような影響を与えるか、in vitroのレベルで解析したもので、下記の結果を得ている。

1.ヒトT細胞白血病細胞株MOLT-4細胞において、エダラボンを放射線照射前に様々な濃度で投与した後、色素排除試験によって細胞の生存率を調べた。2.7-3 mg/mlの濃度(高濃度)で投与した場合には、投与しない場合に比べて細胞の生存率が改善し、放射線防護効果を示した。0.15-1.5 mg/mlの濃度(低濃度)では、投与しない場合に比べて細胞の生存率は逆に低下し、放射線増感効果を認めた。このように高濃度で放射線防護効果、低濃度で放射線増感効果を示す薬剤は他に知られていない。

2.MOLT-4細胞においてAnnexinV-PI染色の結果を行ったところ、高濃度エダラボンによる放射線防護効果はアポトーシスを抑制することにより起こっていることが分かった。また、低濃度エダラボンによる放射線増感効果はアポトーシスを亢進させることにより起こっていることが分かった。

3.ウエスタンブロット法による発現タンパクの解析や、CM-H2-DCFDAを用いた細胞内ROSの定量を行った結果、高濃度エダラボンは細胞内ROSを除去して、p53の蓄積やリン酸化を抑制し、カスパーゼの活性化を抑制することにより、MOLT-4細胞のアポトーシスを抑制していることが分かった。

4.低濃度エダラボンによる放射線増感効果はMOLT-4細胞以外に、ヒト前B細胞白血病細胞株Nalm-6や、ヒト肝細胞癌細胞株HepG2でも観察された。ウエスタンブロット法による発現タンパクの解析を行った結果、照射前に低濃度のエダラボンを投与すると、投与せずに照射した場合に比べて、p53のSerine15,20残基のリン酸化が亢進していることが分かった。MOLT-4細胞において、p53をsiRNAでノックダウンして、低濃度エダラボンを投与して照射した場合と、投与せずに照射した場合で、色素排除試験で細胞の生存率を比較したところ、両者に変化が見られなかった。すなわちエダラボンの放射線増感効果が打ち消されていた。このことから、p53がエダラボンの放射線増感効果に深く関与していることが示唆された。p53標的分子の一つで、アポトーシスに関与しているとされるPUMAの活性化は、低濃度エダラボンを照射前に投与することにより、投与しない場合に比べて亢進していたが、別のp53標的分子であり、細胞周期制御に関与しているとされるp21(WAF1)は抑制されていた。p21(WAF1)はルシフェラーゼアッセイによって転写レベルでも抑制が確認された。PUMAの亢進、p21(WAF1)の抑制ともアポトーシス促進に働くとされており、これらがエダラボンによる放射線増感効果に関与している可能性が示唆された。p21(WAF1)の抑制により、細胞周期制御が困難となるため、アポトーシスが促進することは、外因性のCDK阻害剤であるロスコビチンを低濃度エダラボンとともに投与すると、放射線増感効果が打ち消されることからも示唆された。

以上、本論文はエダラボンが高濃度で放射線防護効果を示すことと、低濃度で放射線増感効果を示すこと、およびその分子機構の一部を明らかにした。エダラボンは臨床的に使用されている薬剤であり、放射線防護剤あるいは放射線増感剤として、将来的に臨床応用も期待できる。本研究は今後の放射線治療の効率化に寄与する可能性を十分に秘めており、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24654