学位論文要旨



No 124811
著者(漢字) 中原,康雄
著者(英字)
著者(カナ) ナカハラ,ヤスオ
標題(和) ゲノム解析を基盤とした多系統萎縮症の病因解明へのアプローチ
標題(洋)
報告番号 124811
報告番号 甲24811
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3231号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 佐々木,司
内容要旨 要旨を表示する

1.研究背景と目的

多系統萎縮症(Multiple System Atrophy: MSA)は1969年にGrahamとOppenheimerが提唱した名称であり、それまで別個の疾患と考えられていた小脳症状を主体とする孤発性オリーブ橋小脳萎縮症(Olivo-Ponto-Cerebellar Atrophy: OPCA), パーキンソニズムを主体とする線条体黒質変性症(Striato-Nigral Degeneration: SND), 自律神経障害を主体とするシャイ・ドレーガー症候群(Shy-Drager Syndrome: SDS)を包括する疾患概念である。本邦における脊髄小脳変性症(spinocerebellar degeneration: SCD)の中で、非遺伝性のものは67.2%を占めるが、さらにその非遺伝性の中で64.4%がMSAであり、MSAはSCDの中で最も頻度の高い病型である。1989年にはPappらが、これらの疾患では共通して病理学的に特徴的な嗜銀性封入体であるGlial Cytoplasmic Inclusion(GCI)がオリゴデンドログリアに認められることを発表し、MSAの名称のもとに一疾患単位として注目されるようになった。

臨床面では1998年にはGilmanらによりMSAの診断基準である'Consensus Statement'が公表され、疾患単位としての輪郭がより明確なものとなり、今日に至っている。Gilmanの診断基準では自律神経障害がMSAのベースにある症状と見なされ、SDSの概念は消えさろうとしている。かつてのOPCA, SNDは、小脳症状を優位とする病型(OPCAとほぼ同義)であるMSA-C, パーキンソニズムを優位とする病型(SNDとほぼ同義)であるMSA-Pと称されるようになっている。

これまで、MSAは孤発性の疾患であり、発症に遺伝因子は存在しないと考えられてきたが、近年病理学的に診断された家族発症例が複数確認され、発症に関与する遺伝因子の存在が注目されている。パーキンソン病やアルツハイマー病, 筋萎縮性側索硬化症などの神経変性疾患を考えた場合、その9割以上が孤発性だが、一部に家族性のものが存在し、その原因遺伝子が1990年代以降、次々に明らかにされている。例えばアルツハイマー病の場合、家族性の原因遺伝子として、APP, PS1, PS2が見出されており、また遺伝的risk factorとしてApoE4多型が見出されている。これらはいずれもAβの蓄積というカスケードに繋がることが示されており、孤発性アルツハイマー病のAβの蓄積, 老人斑の形成というプロセスと重なるところが多いと考えられている。このように、家族性の神経変性疾患の研究と孤発性の神経変性疾患の研究を統合することで、そこに共通するカスケードを明らかにできる可能性がある。MSAの発症においても何らかの遺伝因子が判明し、発症メカニズム解明の端緒となる可能性がある。

MSAの病因解明へのアプローチとして、単一遺伝子疾患-多遺伝子疾患の幅広いスペクトルを考慮に入れ、

1. 孤発性MSAを対象とした大規模関連解析(genome wide association study: GWAS)

2. まれに見られる家族性MSAに焦点を絞った連鎖解析に基づくアプローチ

という2つのアプローチを統合して進めている。本報告では多系統萎縮症における関連遺伝子の同定を目標に、ゲノム解析を基盤としたアプローチについて述べる。

2.対象と方法

多系統萎縮症の遺伝因子を解明することを目的に、「厚生労働省 難治性疾患研究事業 運動失調症の病態および治療に関する研究班」の活動として、JAMSAC(JApan Multiple System Atrophy research Consortium)が設立された。本コンソーシアムは、MSAについて多施設共同研究体制を基盤とした自然歴およびゲノム解析研究を行い、その原因の解明と治療法の確立を目的として設立され、

1. MSA症例の臨床情報およびゲノムDNA, cell lineの収集と管理

2. これらのリソースを共有することにより、全ゲノム解析に基づく疾患関連遺伝子の探索研究を進めるとともに幅広い視点に立つ個別研究を推進する

3. MSAの縦断的な自然歴を明らかにしていく

といった3つを柱として活動を行っている。現在コンソーシアムには18施設が参加し、MSA検体の収集と臨床情報の収集を行っており、2005年末より検体収集を開始し、MSA検体に併せ、解析を行っていく上で重要となる正常対照者の検体も収集を行った。文書によるインフォームドコンセントを得て、末梢血液19mLを採血し、うち14mLよりゲノムDNAを抽出。必要に応じてゲノムDNAを得るため、残り5mLからB細胞リンパ芽球細胞株を樹立し保存。東京大学にて連結可能匿名化し、それら匿名化後の検体を使用し遺伝子解析研究を行った。孤発性MSAを対象としたGWASには、JAMSACにて収集した検体と過去検体を併せ、MSA: 214検体, 正常対照者: 226検体についてIllumina社のHumanHap 550K Genotyping BeadChipR による全ゲノムSNPタイピングを施行し、得られたSNPデータは、PLINK(v1.02, 27/Mar/2008)を使用し関連解析を行った。

家族性MSAに関しては、平成15年に日本神経学会専門医を対象としたアンケート調査を行い、同一家系内に複数のMSA発症例が存在する家系が複数見出され、この調査を契機に、臨床現場でMSAの家族歴に注意が払われるようになり、その後も家族内発症例が見出される機会が増えている。家族性MSAの検体に関しては、孤発性MSAと同様に文書によるインフォームドコンセントを得、倫理面への配慮を十分払い収集を行った。その結果、少なくとも本邦では9家系のMSA家族内発症例が、さらに9家系のMSAとパーキンソン病の家族内発症例が存在することが明らかとなり、そのうちDNAの存在する5家系についてAffymetrix社のGenome-Wide Human SNP 6.0R による全ゲノムSNPタイピングを施行し、得られたSNPデータは、Linkage packageの単点解析プログラムであるmlinkと統合パッケージのAllegro version2を使用し連鎖解析を行った。

3.結果

GWASでは、タイピングの行われたMSA: 214検体, 正常対照者: 226検体について、検体ごとのCall rate(≧99%), 近親者や同一検体のチェック(IBD), 染色体異常の有無について調べ、その結果最終解析検体としてMSA: 209検体, 正常対照者: 220検体について解析を行った。タイピングされた約56万個のSNPにてLocusごとのcall rateがMSA群, 正常対照者群共に98%以上得られ、正常対照者群にてHardy-Weinberg平衡を満たすSNP(p>1E-6)に基づいて選別された544,148個のSNPのうち、χ2検定(Allelic test)のp値における有意差の認められるSNP数はp<0.05: 24,024個, p<0.01: 4,748個, p<0.001: 482個, p<0.0001: 47個であった。それぞれ単独で低いp値を示すSNPに併せ、2q31, 3p24, 3p26, 3q11, 4p13, 5p15, 5q35, 6q23, 8q24, 9q31, 11p15, 11q13, 11q22, 12q13, 13q32, 15q22, 16q23, 18q12, 21q21といった領域にて近接して連続する低いp値を示すSNPの連なりが認められた。家族性MSAにおける連鎖解析では、5家系について解析を行い、Locusごとのcall rateがMSA, 非発症者共に100%得られ,非発症者におけるHardy-Weinberg平衡を満たし(p>0.05)、また親子間矛盾, minor allele frequency(MAF)=0を除外したSNPについてmlink (LINKAGE/Fastlink), Allegroを用い、parametricおよびnon-parametric の連鎖解析を施行した。NPLの上昇の認められる部位は、NPL>2: 4p15-p16, 6q21-q22, 13q12, 20p12, 2>NPL>1.5: 1q43, 2p15-p16, 3p24, 3p26, 5q33-q35, 6p21, 7p11, 7p12, 7p15, 7q11, 11p11, 11q12, 11q23, 13q31, 14q32, 15q24, 16p12-p13, 17q25, 20q13であり、それらの領域に連鎖が示唆された。GWAS, 連鎖解析ともに有意差が認められ、MSAの原因遺伝子, 疾患関連遺伝子に関係する可能性も考えられる領域は、3p24, 3p26, 5q35, 15q22であった。

4.考察

本研究では、孤発性MSAを対象としたGWASと家族性MSAに焦点を絞ったgenome wide linkage studyの2つのアプローチを統合して進めており、MSAの病因解明へのアプローチとして、単一遺伝子疾患-多遺伝子疾患の幅広いスペクトルを考慮している点が大きな特色の一つである。GWASに関しては、1(st) screeningが完了し、国際的にみても順調に計画が進んでいる。また、連鎖解析に関しては、当研究室にて高密度SNPを搭載したDNAチップに対応した連鎖解析をスムーズに行うためのパイプラインを開発しており、それをMSAの解析にも応用しているといったように、GWAS, 連鎖解析両者において高密度SNPチップを用いたゲノムワイドな解析によるアプローチを行い、GWAS, 連鎖解析ともに有意差が認められ、MSAの原因遺伝子, 疾患関連遺伝子に関係する可能性も考えられる領域を同定した。GWASの結果では、それぞれ単独で低いp値を示すSNPに併せ近接して連続する低いp値を示すSNPの連なりが認められた。これら連鎖が示唆される領域にあるlocusは、決してconclusiveとは言えないものの、suggestiveなlociであると考えられる。連鎖解析の結果からは、1ヵ所に連鎖がまとまらずlocus heterogeneityがある可能性についても考慮する必要があると思われる。また、候補遺伝子に基づくResequencing, aCGH, CAGリピート数測定では、既知の病因遺伝子に変異を認めず、これまでパーキンソン病,脊髄小脳変性症などの関連疾患として知られていない遺伝子の関与が考えられる。しかし、解析におけるサンプルサイズは十分とはいえず、解析検体数は非常に重要なポイントの一つになるという点が常につきまとう。国内での神経変性疾患におけるコンソーシアムではJAMSACは先駆けの一つであり、多施設共同研究体制の元、少しでも多くの検体を収集するような研究の枠組みは研究上重要な点であり、そういった点を踏まえ、引き続き検体の収集を行っていく必要がある。また、本研究のGWASにて有意差の認められたp値は、Bonferoniの補正や、Bayes的手法といった有意水準を超える程の有意差を示してはおらず、今回の解析結果をすぐにMSAの発症における何らかの遺伝因子への関連に結びつけるのではなく、次の課題としてはGWASにおいては日本人症例のreplication studyの実現が重要となってくる。発症の原因としては、common disease common variant仮説があるが、common disease common variantは見つかっても弱いリスクでしかなく、変異として強い影響をもつcommon disease multiple rare variant という考えも大事であり、MSAの原因としては、その双方の仮説をふまえた研究が必要となってくると考えられる。家族性MSAの連鎖解析についての取り組みに関しては、関連する国内外の研究との比較と位置づけをみても本研究のみで、海外では家族性MSAの認知が進んでおらず、そういった意味では、このような統合的なアプローチが本研究の大きな特徴であり、今回の結果を踏まえ、今後引き続き家系に関しても集積を行っていく必要がある。孤発性の神経変性疾患の頻度は決して低いものではなく、孤発性神経変性疾患の病態機序を明らかにしていくためには、臨床情報の分析, ゲノム解析の両者共に不可欠であり、そういった観点を踏まえ、多施設共同研究体制のもと、詳細な臨床情報, ゲノムリソースを集積し、大規模ゲノム解析を適用していくことが重要であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はパーキンソニズム, 小脳症状, 自律神経障害といった症状を呈する神経変性疾患である多系統萎縮症(Multiple System Atrophy: MSA)において関連遺伝子の同定を目標に、

1.孤発性MSAを対象とした大規模関連解析

(genome wide association study: GWAS)

2. まれに見られる家族性MSAに焦点を絞った連鎖解析に基づくアプローチという2つの統合的な手法を基に解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

GWASではMSA: 209検体, 正常対照者: 220検体について解析を行い、タイピングされた約56万個のSNPにてLocusごとのcall rateがMSA群, 正常対照者群共に98%以上得られ、正常対照者群にてHardy-Weinberg平衡を満たすSNP(p>1E-6)に基づいて選別された544,148個のSNPのうち、χ2検定(Allelic test)のp値における有意差の認められるSNP数はp<0.05: 24,024個, p<0.01: 4,748個, p<0.001: 482個, p<0.0001: 47個であった。それぞれ単独で有意なp値を示すSNPに併せ、2q31, 3p24, 3p26, 3q11, 4p13, 5p15, 5q35, 6q23, 8q24, 9q31, 11p15, 11q13, 11q22, 12q13, 13q32, 15q22, 16q23, 18q12, 21q21といった領域にて近接する低いp値(p<0.01)を示すSNPの連なりが認められた。家族性MSAにおける連鎖解析では、5家系について解析を行い、Locusごとのcall rateがMSA, 非発症者共に100%得られ,非発症者におけるHardy-Weinberg平衡を満たし(p>0.05)、また親子間矛盾, minor allele frequency(MAF)=0を除外したSNPについてmlink (LINKAGE/Fastlink), Allegroを用い、parametricおよびnon-parametric の連鎖解析を施行した。NPLの上昇の認められる部位は、NPL>2: 4p15-p16, 6q21-q22, 13q12, 20p12, 2>NPL>1.5: 1q43, 2p15-p16, 3p24, 3p26, 5q33-q35, 6p21, 7p11, 7p12, 7p15, 7q11, 11p11, 11q12, 11q23, 13q31, 14q32, 15q24, 16p12-p13, 17q25, 20q13であり、それらの領域に連鎖が示唆された。さらにGWAS, 連鎖解析ともに有意差が認められ、MSAの原因遺伝子, 疾患関連遺伝子に関係する可能性も考えられる領域、3p24, 3p26, 5q35, 15q22についてタイピングデータを用い、LD(連鎖不平衡)map, haplotype blockの作成, haplotype associationを行い、その結果、有意差を認めるhaplotypeの組み合わせを確認した。

以上、難病神経変性疾患である多系統萎縮症の疾患関連遺伝子の同定を目指した研究であり、本研究はこれまで原因の解明されていない多系統萎縮症においてゲノムワイドな解析に基づくアプローチから疾患関連遺伝子の同定をしていく上で重要な貢献をなすと考えられ、学位授与に値するものと考えられる。

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