学位論文要旨



No 124818
著者(漢字) 弓削田,晃弘
著者(英字)
著者(カナ) ユゲタ,アキヒロ
標題(和) 大脳基底核疾患に対する脳深部刺激療法の治療効果・作用機序に関する生理学的研究 : 衝動性眼球運動課題による検討
標題(洋)
報告番号 124818
報告番号 甲24818
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3238号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠井,清登
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 齊藤,延人
 東京大学 准教授 川合,謙介
 東京大学 講師 湯本,真人
内容要旨 要旨を表示する

1. 本研究の目的

パーキンソン病(Parkinson's disease; PD)は、中脳黒質のドパミン細胞が選択的に変性して大脳基底核(basal ganglia; BG)機能が異常をきたすことにより、黒質網様部(substantia nigra pars reticulate; SNr)や淡蒼球内節(globus pallidus internal segment; GPi)からの抑制性出力が過剰になって運動過少などの症状が出現すると考えられている。

これに対して、今日ドパミン補充療法や脳深部刺激療法(deep brain stimulation; DBS)が広く用いられている。前者は広くドパミン系神経回路に影響を及ぼすと予想される一方で、後者はそのターゲットとなる視床下核(subthalamic nucleus; STN)やGPiなどが関与する系に限局して効果を及ぼすと予想される。

BGは大脳皮質からの入力やBG諸核間の投射を受け、BG内でのループ回路や大脳皮質へのfeedback経路すなわちBG-thalamocortical pathwayを形成している。一方で、BGからは脳幹への直接投射もあり、衝動性眼球運動(saccade; サッカード)やロコモーション、咀嚼、発声などの原始的な機能の制御に深く関与している。後者によって制御される機能の中で、サッカードは動物研究によりその機能解剖が明らかにされており、大脳諸皮質から上丘(superior colliculus; SC)への直接入力とBGを介したSCへの入力とによりサッカード発現が制御されていることが知られている。

本研究では、非侵襲的、定量的でかつBG機能を直接的に反映すると考えられているサッカード課題を用いて、STN DBS、レボドパ、GPi DBSがPDのサッカードにおよぼす効果について検討した。

2. サッカードに対するSTN DBSの効果に関する研究

目的:PDではSTNの活動性異常も指摘されており、それに対する電気刺激療法すなわちSTN DBSがPDの治療として今日広く用いられるようになっている。STNはサッカードにかかわる神経回路の中で重要な役割を果たしていることが知られており、STN DBSにより特にBGが深く関与する随意性サッカードが改善すると予想された。STN DBSのサッカードへの効果研究は一報あるものの、十分な被験者数ではなくかつ抑制機能の検討はされておらず、今回我々は十分な被験者数でかつ抑制機能まで含めてその効果を検討した。

対象:両側STN DBS術後のPD 32名(男性15名、女性17名)および年齢・性別を調整した正常対照50名(男性21名、女性29名)

方法:レボドパ内服中のPDにおいてSTN DBSのon時およびoff時に、眼電図を記録しながら視覚誘導性サッカード(visually guided saccade; VGS)・ギャップ・サッカード(gap saccade; GS)などの反射性サッカード課題、記憶誘導性サッカード(memory guided saccade; MGS)・逆サッカード(antisaccade; AS)などの随意性サッカード課題、および反応時間(reaction time; RT)課題を施行し、サッカードの潜時・振幅の正確さ・最大角速度、および各種誤サッカード頻度へのSTN DBSの効果を検討した。また、正常対照との比較、後述のレボドパ、GPi DBSとの比較も行った。

結果:PDでは反射性・随意性サッカードいずれも障害されており、レボドパ内服に加えてSTN DBSを施すと反射性・随意性サッカードともに改善した。また、四肢の運動症状も改善し、MGS課題時の誤反応の頻度も減少したが、AS課題時の誤反応の頻度は減少しなかった。

考察:STN DBSにより反射性・随意性サッカードいずれも改善したことから、STN DBSは両者に共通する神経回路、つまり上丘の機能を改善したと考えられる。また、STN DBSによりMGS課題時の誤反応頻度が減少したことから、その制御に深く関与するSTN-SNr-SC回路へも効果をもたらしたと考えられる。一方でAS課題時の誤反応頻度は変化せず、その制御に深く関与する前頭葉機能へは影響をおよぼさなかったと考えられる。

3. サッカードに対するレボドパ内服治療の効果に関する研究

目的:PD治療では現在でも内服治療がファースト・ラインである。レボドパはBGのドパミン神経終末でのドパミン生合成を増加させ、BGの直接路と間接路のバランスを変えることによりPDの四肢の運動症状を改善させると同時に、BGが深く関与する随意性サッカードも改善させると予想された。レボドパのサッカードへの効果の研究報告はあるものの、少数例での検討であったり抑制機能を検討していないなど十分に調べられておらず、また結果も一致をみていない。今回我々はレボドパのサッカードへの効果を十分な被験者数でかつ抑制機能まで含めて検討した。

対象:未治療のPD 14名(男性10名、女性4名)

方法:レボドパ100mg内服前後に眼電図を記録しながらVGS、GS、MGS、AS、RTの各課題を施行し、サッカードの潜時・振幅の正確さ・最大角速度および各種誤反応の頻度へのレボドパの効果を検討した。また、正常対照(前述)、STN DBS(前述)、GPi DBS(後述)との比較も行った。

結果:未治療PDに対するレボドパ投与により四肢の運動症状は改善し、MGS潜時は短縮したが、VGS・GS潜時は延長した。またレボドパを内服してもMGS課題時の誤反応頻度やAS課題時の誤反応頻度は減少しなかった。

考察:レボドパにより、BGが強く関与する随意性サッカードのMGS潜時が短縮した一方で、反射性サッカードの潜時が短縮しなかったことから、レボドパはBGの直接路と間接路とのバランスを変えただけで、BGを介した上丘の活動性制御への効果には乏しかったと考えられる。また、MGS課題時の誤反応頻度を減少させなかったことから、その制御に深く関与するSTN-SNr-SC回路への効果に乏しかったと考えられる。さらに、AS課題時の誤反応頻度は変化せず、その制御に深く関与する前頭葉機能へは影響をおよぼさなかったと考えられる。

4. サッカードに対するGPi DBSの効果に関する研究

目的:PDに対する外科治療としてSTN DBSが広く行われている一方で、BGの出力核の一つであるGPiもPDに対するDBSのターゲットとして用いられている。GPi DBSはPDの運動症状を改善するが、サッカードにかかわる神経回路にGPiは含まれていないためサッカードへの効果に乏しいと予想された。これまでGPi DBSのサッカードへの効果研究は、1例のみでの研究報告があるのみであった。今回我々はGPi DBSのサッカードへの効果を多数例でかつ抑制機能まで含めて検討した。

対象:両側GPi DBS術後のPD 6名(男性2名、女性4名)

方法:レボドパ内服中のPDにおいてGPi DBSのon時およびoff時に、眼電図を記録しながらVGS、GS、MGS、AS、RTの各課題を施行し、サッカードの潜時・振幅の正確さ・最大角速度、および各種誤サッカードの頻度へのGPi DBSの効果を検討した。また、前述の正常対照、STN DBS、レボドパとの比較も行った。

結果: レボドパに加えてGPi DBSを施すことにより四肢の運動症状は改善し、反射性・随意性サッカードいずれも改善した。MGSの誤反応頻度は不変であったが、ASの誤反応頻度は減少傾向であった。

考察:反射性・随意性サッカードいずれも改善したが、MGS課題時の誤反応頻度は不変であったことから、GPiが出力核となっているBG - thalamocortical pathwayの機能改善をもたらした一方で、GPiが関与しないSTN-SNr-SC回路へは効果をもたらさなかったと考えられる。また、AS課題時の誤反応が減少傾向になったことから、その制御に強く関与する前頭葉に対してBG - thalamocortical pathwayを介して二次的に効果をもたらした可能性が示唆された。

5. 結論

上記のように、STN DBSは反射性・随意性サッカードいずれも改善させ、MGSの誤反応抑制も改善させたことから、反射性・随意性サッカード双方に共通の神経回路である上丘の機能を改善すると同時に、STN-SNr-SC回路を介する上丘への抑制性出力にも効果をもたらしたと考えられる。レボドパは随意性サッカードのMGS潜時を短縮させた一方で、反射性サッカードの潜時は短縮させなかったことから、BGの直接路と間接路のバランスを変えただけで、BGを介した上丘の活動性改善への効果には乏しかったと考えられる。GPi DBSは反射性・随意性サッカードいずれも改善させたがMGSの誤反応は減少させず、BG-thalamocortical pathwayの機能を改善させるがSTN-SNr-SC回路を介した上丘への抑制性出力には影響を及ぼさないと考えられる。また、ASの誤反応を改善傾向にしたことからBG-thalamocortical pathwayを介して前頭葉機能を改善させる可能性が示唆された。これらのメカニズムの解明にはさらなる研究が必要と考えられるが、外科治療と作用機序が異なることを示しており、内服治療と外科治療とを組み合わせることによってさらに有効な治療を行っていくことが可能になると思われる。また上記の知見にもとづき、サッカード検査はパーキンソン病など大脳基底核疾患の病態診断や治療効果判定への応用していくことが可能であると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はパーキンソン病治療に用いられている脳深部刺激療法(deep brain stimulation; DBS)の治療効果や作用機序を解明するために、衝動性眼球運動(saccade; サッカード)課題を用いて視床下核(subthalamic nucleus; STN) DBS、レボドパ、淡蒼球内節(globus pallidus pars interna; GPi) DBSの各治療がサッカードへおよぼす効果を調べ、以下の結果を得ている。

1. レボドパ内服に加えてSTN DBSを施すことにより、随意性サッカードの潜時を短縮させ振幅を増大させた。また、随意性サッカードの誤反応(記憶誘導性サッカード(memory guided saccade; MGS)時のsaccade to cue)を減少させた。研究開始前は大脳基底核の関与が少ない反射性サッカードへは影響が少なく大脳基底核が強く関与する随意性サッカードをよく改善させると予想されたが、予想に反し反射性サッカードも潜時が短縮し振幅が増大した。反射性・随意性サッカードともに改善したことから、STN DBSがSTN-SNr回路の過剰活動を抑えて、反射性・随意性サッカード双方に共通に関与する神経回路つまり上丘への過剰抑制を軽減することによりサッカードの潜時短縮、振幅増大をもたらし、更にMGSの誤反応(saccade to cue)を減少させたと考えられる。

2. レボドパにより随意性サッカードのMGSの潜時が短縮した。また、研究開始前はレボドパもSTN DBSと同様に反射性サッカードへは影響が少ないが随意性サッカードをよく改善させると予想されたが、予想と反しMGSの誤反応(saccade to cue)抑制を改善させず、また反射性サッカードの潜時を延長させた。レボドパは大脳基底核の直接路(動き出しの制御)と間接路(ブレーキの制御)の双方へ作用してそのバランスへ影響をもたらし、大脳基底核が深く関与するMGSの開始を改善したと考えられる。しかし、反射性・随意性サッカード双方に共通に関与する上丘の神経活動レベルへの効果に乏しかったために反射性サッカードの潜時は短縮させなかったと考えられる。更に、レボドパは上丘への唯一の抑制性入力であるSTN-SNr- SC回路に対する効果が乏しいため、不要なサッカード(MGSの誤反応(saccade to cue))の抑制効果に乏しかったと考えられる。

3. GPi DBSにより反射性・随意性サッカードともに改善し、ASの誤反応(prosaccade)も減少傾向になった。研究前には、GPiがサッカードにかかわる神経回路には含まれていないため、GPi DBSはサッカードに影響をおよぼさないと予想されたが、これと反した結果になった。MGSの誤反応(saccade to cue)抑制は改善させなかったので、予想通りにSTN-SNr-SC回路へは効果がなかったと考えられる。GPiは大脳基底核-視床皮質経路の出力核であることから、同回路を介して広く大脳皮質の活動性を改善し、これにより二次的に眼球運動関連領野の活動性を改善してサッカードの動き出しや大きさを改善したと考えられる。また、ASの誤反応(prosaccade)を減少傾向にさせたことから、大脳皮質の活動性改善効果が前頭葉にまでおよんだ可能性が示唆される。

以上、本論文はSTN DBS、レボドパ、GPi DBSの各治療がサッカードへおよぼす効果の検討から、その効果の相違点を明らかにした。これまでの研究から知られている各サッカードに関与する神経回路との対比から、各治療法のメカニズムの相違が一部明らかにされたと考えられる。本研究はこれまで知られていなかったSTN DBSの不要なサッカード (記憶誘導性サッカード課題時のsaccade to cue) の抑制効果や反射性サッカードの改善効果、GPi DBSの反射性および随意性サッカードの改善効果などを新たに示したとともに、レボドパおよびGPi DBSが不要なサッカードの抑制(記憶誘導性サッカード課題時のsaccade to cue)の抑制には改善効果をもたらさないことを新たに示した。これによりSTN DBS、レボドパ、GPi DBSの作用機序の解明、およびパーキンソン病症状と大脳基底核機能との関わりの解明に重要な貢献をなし、パーキンソン病診断・治療に寄与すると考えられることから、学位の授与に値するものと考えられる。

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