学位論文要旨



No 124819
著者(漢字) 仙葉,聡彦
著者(英字)
著者(カナ) センバ,トシヒコ
標題(和) 白内障手術の費用効用分析 : 時間交換法(time trade-off)を用いた選好価値の測定から
標題(洋)
報告番号 124819
報告番号 甲24819
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3239号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,英樹
 東京大学 准教授 福田,敬
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 准教授 松山,裕
 東京大学 教授 新家,眞
内容要旨 要旨を表示する

目的

現在白内障は我が国のロービジョンの原因の第1位である。我が国の総患者数は2005年(平成17年)10月の患者調査によると、129万人と報告されている。その根治的治療として外科的治療が第一選択となるが、その費用は小さくない。有限である医療資源の有効活用をはかるためには、医療サービスの効率性を分析することが重要である。医療資源の効率性の分析には経済的評価の手法が用いられ、その一つに費用効用分析がある。費用効用分析においては、費用の増分を新たに獲得された質調整生存年(quality-adjusted life years: QALYs)で除したcost per QALYs gainedが使われることが多く、この値を用いて各医療サービス間の効率性が比較検討できる。本研究では、主として生活の質を改善する医療サービスである白内障手術に対して費用効用分析を行う。具体的には、QALYs算定に必要になる重み付けに使われる選好価値を直接的な測定法である時間交換法(time trade-off: TTO)を用いて測定し、白内障手術のcost per QALY gained を算出する。この数値をこれまでに報告されている同様の数値と比較検討する。これにより我が国の白内障手術の経済的評価を明らかにすることを本研究の目的とする。なお、本研究では公的医療保険者の立場から見た白内障手術の医療経済評価を行うが、白内障においては日常生活の不便さの体感が選好の評価にきわめて重要であることから、一般市民を対象とした選好の測定は行わず患者の選好を測定し、両者の選好の違いを考慮した感度分析を実施した。

方法

対象はK県のA病院あるいは他院にて白内障と診断され、かつA病院の眼科にて白内障手術の適応と診断され、両眼の手術を行うことを承諾した40歳以上の患者である。2006年3月から2007年5月までに、TTOと視覚評価法(visual analogue scale: VAS)とを用いて手術前1か月と手術後4か月の時点での視覚に関する選好価値を著者である眼科医が測定し、またvisual function questionnaire (VFQ)の自記式質問票を用いて視覚に関する疾患特異的QOLを得点化して測定した。手術は、測定を実施した眼科医とは異なる4人の眼科医が担当した。白内障手術費用とその前後の診療費用は、医療保険の診療報酬請求金額より推定する方法をとった。入院手術と日帰り手術の別に請求金額を算出した。分析として、TTO、VAS、VFQ、視力の間の相関をPearson積率相関係数を用いて検討した。さらにTTOを従属変数として、視力の良い方の眼の矯正視力(corrected visual acuity in the better-seeing eye: BVA)、年齢、性別、就労、同居の有無、眼疾患の合併症数、眼疾患以外の合併症数を独立変数とする重回帰分析を行った。以上の相関分析と回帰分析は、手術前に測定した変数、手術後に測定した変数、そして変数の手術前後の変化のそれぞれについて行った。

費用効用分析として、手術前後のTTOの変化と対象の平均余命からQALYを算出し、QALYsと手術費用からcost per QALY gainedを算出した。さらに、費用、割引率、選好価値の増分について感度分析を実施した。

結果

調査を依頼した114人中、拒否8名、手術中止4名、手術後の測定のできなかった者25名であり、解析対象者は77人(回収率は77 / 114 = 67.5%)となった。平均年齢(標準偏差)は、73.7 (7.9)歳で、70-79歳が55.8%を占めた。女性は47人(61.0%)であった。77名の平均余命の平均(標準偏差)は14.7 (6.5)年であった。本研究の対象集団におけるTTO、VAS、VFQの平均値(標準偏差)は、それぞれ手術前で0.48(0.22)、53.8(18.5)、69.1(16.7)、手術後で0.71(0.23) 、71.6(15.8)、79.4(13.0)であった。TTO、VAS、VFQのすべてにおいて、手術前後の測定値の間で有意差が認められた(paired t-test, P < 0.001)。TTOに関して、手術前、手術後、手術前後の変化のすべてでTTOとVAS、TTOとVFQ、TTOとBVAの間に有意な相関が認められた。TTOを従属変数とし、BVAを独立変数として含む重回帰分析では、手術前ではBVAのみが有意となった。手術後では、性別および眼疾患の合併症数が有意となり、手術前後の変化では、BVAの変化および性別が有意となった。白内障手術によって獲得されたQALYsを割引率3%で算出したところ、77人の平均は1.95QALYとなった。また、対象集団のA病院における白内障診療費用は平均468,000円と算定された。よって、白内障手術のcost per QALY gainedは、240,000円と算出された。感度分析の結果、上記の値は149,000円から605,000円の範囲に収まった。

考察

本研究における費用効用分析で示された結果によれば、我が国の老人性白内障に対する超音波水晶体乳化吸引術と眼内レンズ挿入術は、20,000USドル以下という従来の報告の基準に基づけば、highly cost effectiveであると考えられる。本研究では、選好の直接的測定法の一つであるTTOを用いて、白内障手術の前後の選好価値を測定した。その結果、白内障手術によるutility gainは、従来の報告と比較して大きい数値となった。従来の報告がQOLの質問票から選好ウェイトを推定する方法あるいは視力からの換算式により選好ウェイトを算出する方法を取っているのに対し、本研究で使用したTTOでは、面接法により選好価値を測定した。そのため手術後に対象が面接者と相対した際に手術成果を自ら過大評価する可能性、また、対象はすべて手術を予定していた者であり手術を受ける意思表示として手術前の状態を自ら過小評価する可能性は否定できない。しかし、TTOは選好の直接的測定法であり、理論的に最も正しい方法の1つとされている。解析により、TTOによる選好価値は先行研究と同様、視力の良い方の眼の矯正視力と関連があることが示され、また、眼疾患に特異的な評価尺度であるVFQと関連のあることが示された。よってこの選好価値の妥当性は高いと考えられる。

結論

本研究の対象集団においては、白内障手術のcost per QALY gainedは240,000円であることが示された。これは同じ両眼の白内障手術に関する従来の報告より小さい値であり、白内障手術の効率性がより正確な方法により示されたものと考えられる。本研究の結果は、我が国における白内障手術の経済的価値を明らかにするとともに、今後の我が国の医療サービスの経済的評価の情報蓄積に役立つと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、医療資源の有効活用をはかるための医療サービスの効率性の分析の重要性に鑑みて、公的医療保険者の立場から見た白内障手術の経済的価値を明らかにすることを目的として、時間交換法 (time trade-off) を使用して白内障手術の費用効用分析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.40歳以上の白内障患者77人について、白内障手術の前後において時間交換法により選好価値を測定した結果、手術前に比較して手術後に有意に改善することを認めた。選好価値は、手術前、手術後、および手術前後の変化において、眼疾患特異的なQOL尺度である National Eye Institute Visual Function Questionnaireと有意に相関することが示された。また、手術前および手術前後の変化において、選好価値は視力の良い方の眼の矯正視力と関連があることが示された。視力と眼疾患特異的なQOL尺度の両方との間に有意な関連が示されたことにより、時間交換法による選好価値の測定の妥当性が示された。

2.白内障手術中および手術後に合併症を生じなかったと仮定するモデルを作成して、医療保険の診療報酬請求金額より、白内障手術を施行しなかった場合と比較した両眼の白内障手術とその前後の診療費用の増分を推定した。入院手術については488,000円、日帰り手術については423,000円と算定された。対象集団における入院手術患者数と日帰り手術患者数とで重み付けした結果、対象集団の白内障手術前後の診療費用の増分の平均は468,000円と算定された。

3.時間交換法による選好価値の増分(標準偏差)は、0.226 (0.252) と算定され、調査対象集団の平均余命の平均は14.7歳であった。これらの数値より、3%の割引率を適用して白内障手術によって獲得された質調整生存年 (quality-adjusted life year: QALY) を算出したところ、1.95 QALYとなった。さらに白内障手術の診療費用の増分とより、対象集団の白内障手術によるcost per QALY gainedは、240,000円 / QALYと算出された。

4.合併症を生じないと仮定して診療費用を算出したことに基づき、白内障診療費用が25%増加するとした感度分析を行ったところ、cost per QALY gainedは、300,000円 / QALYとなった。時間交換法で測定した選好価値は時間選好の影響を受けやすいことに基づき、割引率を0%、5%、10%とした感度分析を行ったところ、cost per QALY gainedは、それぞれ、149,000円 / QALY、319,000円 / QALY、605,000円 / QALYとなった。本研究は一般市民を対象とした選好の測定は行わず患者の選好を測定したことに基づき、両者の選好の違いを考慮した感度分析を行ったところ、選好価値の増分が25%減少、50%減少した場合、cost per QALY gainedは、それぞれ、319,000円 / QALY、480,000円 / QALYとなった。

5.本研究において両眼の白内障手術のcost per QALY gainedは、240,000円 / QALYと算出され、先行研究に示された数値より小さいものとなった。感度分析の結果を考慮しても、本研究で得られた値は、一般的にhighly cost effective とされている20,000 USドル / QALYを下回り、本研究の対象集団における白内障手術はhighly cost effectiveであることが示された。

以上、本論文は時間交換法を選好価値の測定に使用した費用効用分析から、中高年者を対象とした両眼の白内障手術の費用対効果が高いことを明らかにした。本研究の結果は、我が国における白内障手術の経済的価値を明らかにするとともに、今後の我が国の医療サービスの経済的評価の情報蓄積に役立つと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24377