学位論文要旨



No 124828
著者(漢字) 坂本,典之
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,ノリユキ
標題(和) パニック障害患者の日常生活下における身体活動度および自律神経活動の評価
標題(洋)
報告番号 124828
報告番号 甲24828
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3248号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠井,清登
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 准教授 島津,明人
 東京大学 講師 下澤,達雄
 東京大学 講師 高井,大哉
内容要旨 要旨を表示する

パニック障害 (panic disorder; PD)は不安障害の一疾患として位置づけられ、「広場恐怖を伴うパニック障害」および「広場恐怖を伴わないパニック障害」に分類される。その生涯罹患率は1.4~3.5% といわれており、決して希な疾患ではない。PDの症状は、突然の動悸、めまい、呼吸困難、手足のしびれ、発汗など、多彩な身体症状を伴うパニック発作 (panic attack; PA) をくり返し、「また発作が起こるのではないか・・・」という、発作に対する予期不安や、「死んでしまうのではないか・・・」「気が狂ってしまうのではないか・・・」といった恐怖感をはじめとした精神症状を併せ持ち、広場恐怖と呼ばれる、発作の起こった場所や状況に対する回避行動が見られることも多い。また、PAは、普段の日常生活の中で、突然、予期せぬ状況で発作的に起こることが多く、症状も激しいため、たびたび内科外来や救急外来などを受診するが、受診時には症状が治まっていることも多く、その病状の把握や病態生理の評価には、自覚症状や生理学的変化を日常生活下でリアルタイムに記録する必要がある。

PDの病態は不明な点が多いが、自覚的な不安のみならず、生物学的な異常の存在が指摘されるようになり、心拍変動の評価をはじめとして、PDの病態生理学的評価研究がこれまで多くなされてきた。しかし、そのほとんどが、実験室などの特殊環境下や、薬剤投与などによる研究のため、その結果を日常生活にまで一般化することができず、また、自己報告による記憶によるバイアス(recall bias)が存在するため、その報告の信頼性に問題があるなどの重大な欠点が存在した。

そこで、本研究では、Stoneらによって提唱された、"現象を日常生活下で、その瞬間に評価・記録し、記憶によるバイアスを避けることにより妥当性を最大にする方法" と定義される、Ecological Momentary Assessment (EMA) の手法を応用し、日常生活下におけるPD患者のPA、身体活動度および自律神経活動をリアルタイムに記録し、その特徴を評価することによって病態解明への糸口を見つけることを目的として、以下の研究1および研究2を施行した。

(研究1) パニック発作と身体活動度の関係について

PDは、アメリカ精神医学会のガイドライン DSM-IV-TR (APA, 2000)の中で、不安障害に分類される。不安評価スケールとして知られる、the Hospital Anxiety and Depression Scale (HAD)やthe Hamilton Anxiety Scale (HAM-A)中でも、 "restlessness" と関連した項目を含むように、不安は身体活動度と関連するとされている。しかし、より信頼性の高い方法を用いて、客観的に測定した身体活動度と自覚症状の関係について報告した研究はない。したがって、本研究では、日常生活下で手首装着型活動度計(アクチグラフ)を装着し、EMAの手法を応用して、PDと身体活動パターンの関係を評価することを目的とした。

対象は、PD患者16名(男性2名、女性14名)。平均年齢 32.8 ± 5.2 歳。日常生活における客観的な身体活動度およびPAの評価を目的として、腕時計型身体活動度計(アクチグラフ)を内蔵した腕時計型コンピュータ(電子日記)を用いた。

全ての被験者が、少なくとも11日間 (レンジ:11~18日間、中央値:14日間)の記録を完了した。全ての被験者が、記録期間中、少なくとも1回 (レンジ:1~10回、中央値:3.5回)のPAを記録した。身体活動度の評価には double cosinor法を用い、期間中の平均身体活動度を表わすmesor(補正平均)と、24時間成分と12時間成分それぞれについて、身体活動度のばらつきの大きさを表わすamplitude(振幅)および、日内変動(サーカディアンリズム)のずれを表わすacrophase(頂点位相)を算出した。パニック障害の各指標(PA頻度、PDSSスコア、HAM-Aスコア)と、double cosinor法から算出された身体活動度変数(mesor、amplitude、acrophase)との関係を評価するため、Pearsonの相関係数を求めた。

結果、double cosinor法より算出したmesorと、パニック発作頻度(r = 0.55, p = 0.03)および、HAM-Aのトータルスコア(r = 0.62, p = 0.01)との間に、有意な正の相関を認めた。(図) その他の身体活動度変数(amplitudeおよびacrophase)と、PA頻度およびHAM-Aとの間には、有意な相関は認めなかった。

結論として、PA回数のより多いPD患者および、不安のより強いPD患者では、客観的に評価した身体活動度が高く、これらの結果は、"restlessness"など不安障害の病態を反映している可能性がある。

(研究2) 夜間パニック発作の自律神経活動変化について

夜間パニック発作(nocturnal panic; NP)とは、睡眠中、パニック状態で覚醒することを指す。先行研究によると、PD患者の33~71%がNPを有すると報告されており、NPはPD患者において比較的よくみられる症状といえる。NPは睡眠中に、状況依存的な認知刺激とは無関係に起こると考えられるため、NPはPDのより純粋な病態生理学的メカニズムを理解する手がかりとなる可能性があるとされ、これまでNPに関する心拍変動解析など生理学的研究がなされてきた。しかし、予期せず睡眠中に突然起こるといったNPの特徴から、記録や評価が難しく、日常生活下で自然発生したNPの心拍変動などの自律神経活動変化をとらえ、その自覚症状をより信頼性の高い方法を用いてリアルタイムに評価した報告はこれまでに存在しない。したがって、本研究の目的は、PDの病態生理学的なメカニズムを探るため、EMAを応用し、イベント心電図を用いて日常生活下で自然発生したNPの自律神経活動変化をとらえ、その特徴をリアルタイムに評価することを目的とした。

対象は、PD患者20名(男性4名、女性16名)。平均年齢33.7 ± 5.7歳。少なくとも11日間 (レンジ:11~18日間、中央値:14日間)の記録を完了した。20名中、19名が「広場恐怖を伴うパニック障害」の診断基準を満たした。1名は「広場恐怖を伴わないパニック障害」であった。自律神経活動の評価には、心拍数 (heart rate; HR)および交感神経活動の指標とされるLF/HFを用い、NP直前のHRおよびLF/HFについてWavelet解析をおこなった。さらに、発作時とコントロール期間(睡眠安静時)のHR及びLF/HFを比較するため、Multilevel解析を行った。

結果、日常生活下における2週間の記録で、20名中19名に、89回のPA (median 4.0, range 1 - 10) が電子日記に記録され、そのうち73回 (82.0%) の心電図記録 (median 3.0, range 1 - 10)を得た。全てのPAが、DSM-IV-TRにおけるPAの診断基準を満たした。PAを起した19名中6名(31.6%)に、計16回のNP(全パニック発作中16.3%)が観察され、発作直前、全ての被験者が睡眠中であったことが、Coleのアルゴリズムにより確認された。16回のNP中、14回のNP (median 2.0, range 1 - 4)が電子日記に記録され、うち11回 (78.6%)の心電図記録 (median 1.0, range 1 - 4)を得た。睡眠中にもかかわらず、すべてのNPにおける、イベント心電図ボタンプレス直前に、突然のLF/HFの一過性増加を認めた。LF/HFの一過性変化に対応して、覚醒前の数分間に、突然のHR増加が観察された。Multilevel解析の結果、NP前のpeak HR (p< 0.0006) およびpeak LF/HF (p < 0.0003) は、睡眠安静期間のそれらと比較して有意に高値であった。(表)

結論として、睡眠中の突然の交感神経系活動の賦活および心拍数の増加などの生理的変化がNPに先行し、これらの変化がNP発生のトリガーになっている可能性があることが示唆された。

以上、本研究では、EMAを応用し、腕時計型コンピュータおよびイベント心電図などのウェアラブル装置を用いることによって、主観的な不安だけでなく、今まで評価することが困難であった、PD患者の日常生活下における身体活動度や自律神経活動などの客観的な指標を検討し、病態解明の糸口を示すことができたと考える。今後は、外来治療などにも本研究で用いたEMAの手法が応用されることで、日常生活における、疾患のより正確な病態把握や、それに基づく的確な指導・治療方針の選択に役立つ可能性があると考える。

図 mesor と、パニック発作頻度およびHAM-A 総得点の散布図 (研究1)

(a) mesorとパニック発作頻度の散布図

(b) mesorとHAM-A 総得点の散布図

表 マルチレベル解析による HRaとLF/HF値bの変化 (研究2)

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、パニック障害の病態に心因性以外の生物学的要因が関与している可能性を調べるため、Ecological Momentary Assessment (EMA) の手法を応用して、パニック障害患者の日常生活下における身体活動度および自律神経活動をリアルタイムに記録し、その特徴について評価を行ったものであり、以下の結果を得ている。

研究1: パニック発作と身体活動度の関係について

手首装着型身体活動度計(アクチグラフ)内蔵の腕時計型コンピュータを電子日記として用い、日常生活下の身体活動度と発作時自覚症状をリアルタイムに記録した。記録された身体活動度についてdouble cosinor法によるデータ解析をおこない、モデルのmesor(補正された平均身体活動度)と、12時間周期成分および24時間周期成分それぞれのamplitude(振幅)、acrophase(頂点位相)をそれぞれ算出した。不安と身体活動度の関連を検討するため、パニック障害の各指標(パニック発作頻度、PDSS総得点、HAM-A総得点)と、double cosinor法から算出された各身体活動度変数についてPearsonの相関係数を求めた。

1. double cosinor法により求めたmesorと、リアルタイムに記録されたパニック発作頻度および研究導入時のHAM-A総得点の間に、それぞれ有意な正の相関を認め、パニック発作回数が多い患者および不安の強い患者ほど、平均的身体活動度が高いことが示された。

2. double cosinor法により求めたamplitudeおよびacrophaseと、パニック発作頻度の間には有意な正の相関を認めなかった。すなわち、発作頻度が増しても、身体活動度のばらつきの変化や活動サイクル(日内変動)のずれを引き起こさないことが示された。

研究2: 夜間パニック発作の自律神経活動変化について

ループメモリー型イベント心電図を用いて、日常生活下で自然発生した夜間パニック発作の自律神経活動変化を記録した。記録されたR-R間隔についてWavelet解析を行い、交感神経活動の指標となるLF/HFを算出した。また、研究1と同じ腕時計型コンピュータを用いて、夜間パニック発作の自覚症状を記録し、身体活動度の記録から睡眠-覚醒判定を行った。

1. パニック発作を記録した被験者19名中6名(31.6%)に夜間パニック発作が観察された。

2. 腕時計型コンピュータに記録された89回のパニック発作中、夜間パニック発作は14回(15.7%)であった。

3. 腕時計型コンピュータに記録された14回の夜間パニック発作のうち、11回の心電図を記録した。

4. 11回全ての夜間パニック発作心電図において、睡眠中にもかかわらず、突然のLF/HFの増加を伴う10bpm以上の心拍数増加が、覚醒に先行していた。

5. マルチレベル解析を用いて、睡眠安静時の平均心拍数および平均LF/HF値と、ピーク時心拍数およびLF/HF値を比較したところ、心拍数、LF/HF値ともに、ピーク時に有意に上昇していることが示された。

以上、本論文は、研究1において、パニック障害患者の日常生活下で、パニック発作回数が多い患者および不安が強い患者では、身体活動度のばらつきの変化やサーカディアンリズムのずれを伴うことなく、平均的身体活動度が高くなることを明らかにした。これは、パニック障害の病態に身体活動度が関連している可能性を示し、不安障害における"restlessness"を客観的に捉えている可能性がある。さらに研究2において、イベント心電図を使用したことで、パニック障害患者の日常生活下で、自然発生した夜間パニック発作の心電図を初めて記録することに成功し、夜間パニック発作の発生に先行する突然の心拍数およびLF/HFの上昇を明らかにした。これは、夜間パニック発作発生の機序として、突然の交感神経系の賦活がトリガーになっている可能性を示した。

本研究を通じて得られた結果は、パニック障害患者の外来における客観的な病態評価法の発展に貢献するだけでなく、その病態メカニズムの解明と新たな治療アルゴリズムの開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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