学位論文要旨



No 124831
著者(漢字) 菊池,貴子
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,タカコ
標題(和) mTORシグナルによるAktリン酸化調整機序の解明
標題(洋)
報告番号 124831
報告番号 甲24831
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3251号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,直秀
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 山岨,達也
 東京大学 講師 栗原,由紀子
内容要旨 要旨を表示する

【目的】

インスリンは、肝、骨格筋、脂肪組織などに作用し、糖取込み、グリコーゲン合成、蛋白質合成、DNA合成などを促進し、一方、脂肪の分解や糖新生は抑制することによって、糖脂質代謝を調整している。そのいずれにも PI 3-kinase から Akt を介する系が重要な役割を担っている。インスリンや growth factor によって PI 3-kinase が活性化され、細胞膜周囲に PIP3 が増えると、Akt は cytosol から plasma membrane に移動し、そこで PH ドメインをもつ PDK1 と会合し、スレオニン-308 、セリン-473 がリン酸化を受けて活性型となる。スレオニン-308 をリン酸化する PDK1 は、Akt と同様に PH ドメインを有しており、Akt だけではなく SGK、p70S6K なども スレオニン リン酸化することが明らかにされている。一方 セリン-473 をリン酸化する PDK2 については、いまだ確立されていない。

mTOR (mammalian target of rapamycin) は、セリン/スレオニンキナーゼであり、過栄養状態やアミノ酸刺激により活性が上昇し、細胞増殖や代謝機構を調節する。古典的な系としてラパマイシンで抑制されるmTOR complex 1 (mTORc 1) が知られており、mTOR、Raptor、LST8 (GβL としても知られている)からなり、p70S6K や4E-BP1のようなeffector を通して細胞増殖、蛋白合成を促進する。一方ラパマイシン非感受性のmTORc 2 はmTOR、Rictor、LST8などからなる。最近、 mTORc 2 が Akt のセリン-473 をリン酸化する PDK2 の候補として注目され、それを裏付ける報告を見かける。

例えば David M. Sabatini らは、 Rictor や mTOR の knock down で Akt の セリン-473 リン酸化が低下することをヒト細胞で報告した。また、 Bing Su らは mTORc 2 のアダプター蛋白のひとつとして、SIN1の存在を明らかにし、SIN1 knock outによって Akt のセリン-473リン酸化が消失することから、SIN1-Rictor-mTOR よって構成される complex が PDK2 であると報告している。

我々は、 mTOR とインスリンシグナルの生体内での関与を調べるため、KKAy マウスに mTORc 1 の構成蛋白である Raptor の C 端を欠損させたアデノウイルス (Raptor-ΔCT) を静注し解析した。その中で Raptor-ΔCT によって肝特異的に p70S6K の活性が抑制され、さらにセリン-636 IRS1 リン酸化が低下していたことから、mTORc 1 から IRS1 へのネガティブフィードバックが解除され、PI 3-kinase / Akt 系を介し、インスリン刺激時の血糖が改善することを報告した (Figure 1)。この結果は 2 型糖尿病モデルマウスにおける血糖改善という好ましい結果であり、さらに詳細な検討が必要と考えた。第一に Raptor-ΔCT 発現によってインスリン非刺激時にも Akt のリン酸化がコントロール群よりも上昇する現象に対するメカニズムが不明であった。本研究では、その点について HepG2 細胞を用い解析を行なった。

【方法】

Raptorは mTOR と p70S6K、4E-BP1 を結び付けるアダプター蛋白の役割を果たしている。Raptor の C 端を欠損させた Raptor-ΔCT を過剰発現させると mTOR-p70S6K 結合を阻害して p70S6K へのシグナルを抑制することが報告されている。この Raptor-ΔCT をアデノウイルスで過剰発現させ、インスリンシグナル伝達系や PP2A 活性、Akt の局在、mTORc 1/2の変化を調べた。さらに、mTORc 1 と 2 に共通のアダプター蛋白である LST8 の作用を調べるために、HA-tag を付加した LST8 発現アデノウイルスを作製し、mTOR complex 下流蛋白のリン酸化を Western Blot 解析で評価した。

【結果】

Aktの上流シグナルである、IRS-1チロシンリン酸化、及びPI3K活性は、インスリン非刺激時は有意差を認めなかった。一方、Aktを脱リン酸化するPP2Aやその他の Protein Phosphatase は、インスリン非刺激時のAktリン酸化上昇には関与していない結果であった。さらに PI 3-kinase と Akt の間に位置するPDK1、PTENの蛋白発現量は不変であった。Akt が PDK1 によってリン酸化を受けるためには、細胞膜近辺に移動してくることが重要であるが、Raptor-ΔCT群ではAktがより膜分画へ局在している結果を得た。

さらに mTORc 1 及び 2 の各構成蛋白の発現量に変化を認めなかったが、Raptor-ΔCT 群では mTORc 1 において内因性の Raptor と mTOR の結合はコントロール群に比較して明らかに低下していた。一方 mTORc 2は Raptor-ΔCT 群では LST8 と Akt の結合、LST8 と Rictor の結合が増加していた。

また、アデノウイルスを用い HepG2 細胞に LST8 を過剰発現させると、mTORc 1 下流シグナル (p70S6K) だけでなく mTORc 2 の下流シグナル (Akt) のリン酸化も有意に上昇することがわかった。

【考察】

過栄養やインスリン刺激により mTOR が活性化されると、その下流の p70S6K や 4E-BP1 を介して蛋白合成が増加する。このシグナルを伝達する complex は Raptor、mTOR、LST8 などから成る、ラパマイシンで抑制されるmTORc 1 である。また、p70S6K が IRS-1 をセリンリン酸化することでインスリンシグナル伝達系にネガティブフィードバックをかけることが知られており、過栄養や高インスリン血症によって引き起こされるインスリン抵抗性状態、糖代謝破たんのメカニズムの一因と考えられている。このように、mTOR complex とインスリンシグナル伝達系は相互に複雑に作用している (Figure 2)。今回、mTORc 2 シグナルの変化によって、Akt セリン-473 のリン酸化が変化しており、mTORc 2 が PDK2 の有力な候補であると改めて再確認できた。

Raptor-ΔCT 過剰発現で認めるインスリン非刺激時の Akt のリン酸化亢進の要因として、IRS-1チロシンリン酸化や PI3K 活性などの Akt の上流シグナルや、PP2A やその他の Protein Phosphatase 、PDK1、PTEN は Akt のリン酸化への関与は否定的であった。

そこで mTOR complex を検討したところ、蛋白発現量には変化はなかったが、内因性の Raptor と mTOR との結合が明らかに低下しており、mTORc 1 シグナルが低下していた。また mTORc 2 においては、LST8 と Akt、LST8 と Rictor の結合が増加しており mTORc 2 シグナルが増強していた。mTOR、Raptor、Rictor などの mTOR complex 構成蛋白は、分子量の大きな蛋白が多く、それぞれが多くの部位で複雑に結合していることが報告されている。そのために mTOR や Raptor の一部を欠損させると相互の結合が低下する。Raptor-ΔCT は、全長の Raptor に比較すると mTOR との結合は弱い。しかし、全く結合しないのではなく、過剰発現した Raptor-ΔCT の一部は mTOR との結合が認められる。mTORc 1 の構成蛋白には、LST8 も含まれるが、Raptor-ΔCT と mTOR が結合している複合体には LST8 は結合できないのではないかと推察した。

LST8 は mTOR に結合する 36 KD のアダプター蛋白であり mTORc 1 に対する stabilizer であると報告されている。我々も LST8 アデノウイルスを作製し、HepG2 細胞に過剰発現させたところ、mTORc 1 のみでなく mTORc 2 の下流シグナルも増強することが確認され、LST8 はmTORc 1 のみでなく mTORc 2 の stabilizer として働くと考えられた。Raptor-ΔCT の過剰発現でLST8 と Rictor、LST8 と Akt の結合が増加しており、Raptor-ΔCT と mTOR の複合体からフリーになった LST8 が mTORc 2 に向かい、mTOR-Rictor の複合体を安定化させて、下流の Akt との結合を促すこととなり、mTORc 2 による Akt のリン酸化が促進されたのではないかと推測された(Figure 3)。

Akt は糖取り込み、グリコーゲンや脂肪合成の促進、アポトーシス抑制など多岐にわたる生体の重要なシグナルの中心的な役割を果たす蛋白であり、その活性調節の解明は糖脂質代謝異常や悪性疾患などの病態の解明、治療・創薬に結びつくため、意義深いと考える。Raptor-ΔCT の過剰発現系で観察された Akt のリン酸化亢進のメカニズムを解析することで LST8 を介する mTORc 1 と 2 の関連性についてひとつの見解を得た。

【結論】

mTORc 1、mTORc 2のバランスの変化によってAktリン酸化が調整されて、糖尿病の病態に重要な役割を担っている。

Koketsu, Y., Kikuchi, T.,Hepatic overexpression of a dominant negative form of raptor enhances Akt phosphorylation and restores insulin sensitivity in K/KAy mice.Am J Physiol Endocrinol Metab, 2008. 294 (4): p. E719-25.

Figure 1 Raptor-ΔCT発現によって、2型糖尿病モデルマウスで血糖改善する機構

Figure 2 mTOR complex とインスリンシグナル伝達系の関係

Figure 3 mTORc 1 と 2 の関係性についての仮説

審査要旨 要旨を表示する

近年ラパマイシンに非感受性の mTOR complex (mTORc 2) が Akt をリン酸化するPDK2 の候補と報告され、mTORシグナルとインスリンシグナルの密接な関係が明らかとなっている。本研究では、mTORc 1 の構成蛋白である Raptor の C 端を欠損させた優性阻止型 Raptor-ΔCT をアデノウイルスを用い 肝細胞由来の培養細胞である HepG2 細胞に発現させ、その際に認められるインスリン非刺激時の Akt リン酸化亢進の機序を解析した。結果、LST8 を介する mTORc 1 と 2 の関連性についての結果を得た。

1.優性阻止型Raptor-ΔCTの過剰発現によって、糖尿病モデルであるKKAyマウスでは、糖負荷試験での血糖値が改善するが、この際インスリン刺激時だけでなく、インスリン非刺激時においてもインスリンシグナル伝達系の改善を認める。この機序を解析するためにHepG2細胞を用いた。HepG2細胞においてもインスリン刺激時で 3 倍程度 Akt のリン酸化 (セリン-473、スレオニン-308) が上昇し、インスリンシグナル伝達系の有意な改善を認めた。さらにインスリン刺激時だけでなく、インスリン非刺激時においてもインスリンシグナル伝達系の有意な改善を認めた。

2.Akt の上流シグナルである、IRS-1 チロシン リン酸化、及び PI 3-Kinase 活性は、KKAy マウスで得られた結果と同様、インスリン刺激時で 2 倍程度上昇していたが、一方インスリン非刺激時では コントロール群とRaptor-ΔCT群に有意差を認めなかった。

3.セリン、スレオニン リン酸化された蛋白は Protein Phosphatase によって脱リン酸化を受けリン酸化/脱リン酸化状態のバランスをとっているが、Akt を直接脱リン酸化する特異的脱リン酸化酵素である PP2A(Protein Phosphatase 2A) については、Raptor-ΔCT 群において活性が上昇傾向にあり、PP2A と Akt の結合もインスリン非刺激時において有意差を認めなかった。また、PP2A 以外で、非特異的に蛋白の脱リン酸化を行なう他のProtein Phosphatase の関与については、脱リン酸化アッセイ法により評価を行なったが、脱リン酸化を受ける程度は同等であり、脱リン酸化の関与は否定的であった。

4.PI 3-kinase と Akt の間に位置する PDK1 、lipid Phosphatase である PTEN に Raptor-ΔCT による変化がないかを調べるため蛋白発現量を測定したが、いずれも差を認めなかった。

5.Akt が PDK1 によってリン酸化を受けるためには、細胞膜近辺に移動してくることが重要であるが、Akt の局在を、超遠心分離法を用いて確認し、実際に Raptor-ΔCT 群ではコントロール群と比べ膜分画へ移動していることを確認した。

6.mTORc 1及び 2 については、各構成蛋白の発現量は 2 群間で差を認めなかった。しかしRaptor-ΔCT 群ではコントロール群と比較して、 mTORc 1 に関して内因性の Raptor と mTOR の結合が約 1/3 と有意に低下していた。一方 mTORc 2 に関しては Raptor-ΔCT 群ではコントロール群と比較して LST8 と Akt の結合、LST8 と Rictor の結合が それぞれ約 2.5、2 倍増加しており、mTORc 2 のシグナルが増強していることが確認された。Rictor と mTOR の結合については有意ではないが、増加傾向を認めた。つまりRaptor-ΔCT発現によって mTORc 1 シグナルが減少し、mTORc 2 シグナルが増加していることがわかった。

7.さらに詳しく mTOR complex の作用を解析するために、mTORc 1及び 2 の共通のアダプター蛋白である LST8 過剰発現アデノウイルスを作成した。このアデノウイルスを用い LST8 を過剰発現させた HepG2 細胞において、mTORc 1 及び 2 の下流シグナルである p70S6K 、Akt のリン酸化について調べたところ、LST8 過剰発現群でいずれのリン酸化もコントロール群と比較して有意な上昇を認めた。近年 LST8 は mTOR と Raptor の結合に対する stabilizer として作用すると報告されたが、今回の結果より mTORc 1 だけでなく mTORc 2 の stabilizer としての作用もあると考えられた。

8.上記6、7より、Raptor-ΔCT と mTOR の複合体からフリーになった LST8 が mTORc 2 に向かいmTOR-Rictor の複合体を安定化させて、下流の Akt との結合を促すこととなり、mTORc 2 による Akt のリン酸化が促進されたのではないかと推測された。

以上、本研究ではいまだ未知である Akt セリン-473 のキナーゼ、PDK2 が mTORc 2 である有力な根拠をしめした。またアダプター蛋白である LST8 を介する mTORc 1 と 2 の関連性についてひとつの見解を得た。Akt は糖取り込み、グリコーゲンや脂肪合成の促進、アポトーシス抑制など多岐にわたる生体の重要なシグナルの中心的な役割を果たす蛋白であり、その活性調節の解明は糖脂質代謝異常や悪性疾患などの病態の解明、治療・創薬に結びつくため、意義深く、学位の授与に値するものと考えられる。

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