学位論文要旨



No 124835
著者(漢字) 大谷,真
著者(英字)
著者(カナ) オオタニ,マコト
標題(和) 摂食障害女性患者における血中全長線維芽細胞増殖因子23濃度
標題(洋)
報告番号 124835
報告番号 甲24835
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3255号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 山崎,力
 東京大学 教授 上妻,志郎
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 講師 関,常司
内容要旨 要旨を表示する

線維芽細胞増殖因子 (fibroblast growth factor: FGF) 23は、分子量約26kDaの骨芽細胞から産出されるタンパク質であり、尿中リン排泄を促進する近年発見された物質である。FGF23は、無機リンの恒常性に重要な役割を果たしており、近位尿細管におけるリンの再吸収を抑制することで腎臓からのリンの排泄を促し、血中カルシウム濃度に影響を与えることなく血中リン濃度を低下させると言われている。また、FGF23は、1,25-dihydroxy vitamin Dの産生を強力に抑制し、間接的に腸管からのリンの吸収量を減少させることも知られている。

一方、再栄養症候群は、摂食障害患者〔特に、神経性食欲不振症(Anorexia Nervosa: AN)患者〕において、飢餓状態からの栄養リハビリテーションの過程で起きる現象としてよく知られている。再栄養症候群では、飢餓状態から急速に再栄養をすすめることで、炭水化物の摂取量が増加し、グルコース代謝への急激な移行が起こり、アデノシン三リン酸などのリンを含んだ物質の必要量が増大するため、そのためにリンが利用され、低リン血症が引き起こされるものと考えられている。再栄養症候群に伴う低リン血症は、不整脈、せん妄、突然死といった重篤な結果を引き起こす可能性があるため、摂食障害患者の治療を行うにあたり、再栄養症候群は、臨床上、非常に重要な合併症の一つである。再栄養症候群といった合併症の存在もあり、摂食障害患者にとって、無機リンの恒常性は重要なものであるが、これまでのところ、摂食障害患者における血中FGF23濃度を調べた研究はない。そのため、本研究は、AN患者、神経性大食症(Bulimia Nervosa: BN)患者、健常対照群の血中FGF23濃度を測定し、各群間で比較検討することを目的とした。

〔横断研究-1:神経性食欲不振症患者における血中FGF23濃度〕

再栄養症候群といった合併症の存在もあり、AN患者にとって、無機リンの恒常性は重要なものであるが、これまでのところ、摂食障害患者における血中FGF23濃度を調べた研究はない。そのため、本研究は、AN患者、健常対照群の血中FGF23濃度を探索的に測定することを目的とした。

制限型AN(以下、AN-R)6名、むちゃ食い/排出型AN(以下、AN-BP)6名、健常者11名を被験者とした。一晩の絶食後、空腹時採血を行い、Immutopics社 intact FGF23 Enzyme-Linked ImmunoSorbent Assay(以下、ELISA)kitを用いて、血中FGF23濃度を測定した。

血中FGF23濃度は、健常者と比べ、AN-BP患者で有意に上昇しており、AN-R患者と健常者では有意差がなかった(図1)。むちゃ食い・排出行動のないAN-R患者では上昇せず、むちゃ食い・排出行動を行っているAN-BP患者で上昇しており、むちゃ食いまたは排出行動と血中FGF23濃度との関連を推測させる結果であった。

〔横断研究-2:神経性大食症患者における血中FGF23濃度〕

横断研究-1の結果は、AN患者において、むちゃ食いまたは排出行動と血中FGF23濃度との関連を推測させるものであった。BN患者も、AN-BP患者と同様に、むちゃ食い・排出行動を認めるが、BN患者における血中FGF23濃度を調べた研究はない。そのため、本研究は、BN患者、健常対照群の血中FGF23濃度を探索的に測定することを目的とした。

BN患者13名、健常者11名を被験者とした。プロトコールは、横断研究-1と同じであった。ただし、2群間の比較だけではなく、BN患者を、(1)週一回以上むちゃ食いが認められる「高頻度過食群」、(2)むちゃ食いが週一回未満の「低頻度過食群」の2群に分けた上で、(3)健常者群を合わせ3群間の比較も行った。

BN患者と健常者の2群間の比較の結果(図2)では、BN患者で血中FGF23濃度が上昇しており、むちゃ食いもしくは排出行動と血中FGF23濃度の関連が推測された。3群間の比較の結果(図3)では、高頻度過食群のみで、血中FGF23濃度が上昇しており、むちゃ食いもしくは排出行動のなかでも、とりわけ、むちゃ食いの頻度と血中FGF23濃度の関連が推測された。

〔縦断研究:ANおよびBN患者の入院治療前後における血中FGF23濃度の変化〕

横断研究-1~2の結果は、AN患者およびBN患者で、むちゃ食いおよび排出行動(とりわけ、むちゃ食い)と血中FGF23濃度の関連を推測させる結果だった。しかし、現時点で、むちゃ食いまたは排出行動と血中FGF23濃度との関連は明らかではない。

摂食障害患者は入院すると、一般的に、むちゃ食い・排出行動は一時的ではあるが消失する。摂食障害入院患者を対象に、入院治療でむちゃ食い・排出行動を消失させることにより、入院治療の前後での血中FGF23濃度の変化を縦断的に検討することを目的とした。さらに、入院治療前の血中FGF23濃度とむちゃ食い・嘔吐・下剤乱用の頻度、リン摂取量の関連を調べることも目的とした。

AN-R患者8名、AN-BP患者4名、BN患者3名、健常者9名を被験者とした。入院治療の前後(BN患者の1名は治療前のみ)で、一晩の絶食後、空腹時採血を行い、Kinos社 intact FGF23 ELISA kit を用いて、血中FGF23濃度を測定した。また、採血と同じ日に、むちゃ食い・嘔吐・下剤乱用の頻度について質問を行った上で、食物摂取頻度調査Food Frequency Questionnaire based on food groups Ver.2.0調査票に回答してもらい、リン摂取量を算出した。

AN-BP+BN群、AN-R群それぞれに対し、入院治療前後の比較、および、入院治療前・入院治療後と健常者との比較を行った。さらに、全患者の入院治療前のデータに対し、横断的に、2変数間で、Spearman順位相関係数(ρ)を求め、その結果から、(1)嘔吐の頻度を制御変数とした場合のむちゃ食いの頻度と血中FGF23濃度の偏相関係数(ρ(嘔吐))、(2)むちゃ食いの頻度を制御変数とした場合の嘔吐の頻度と血中FGF23濃度の偏相関係数(ρ(むちゃ食い))も算出した。

〈結果1:AN-BPおよびBN患者〉(表1)

AN-BPおよびBN患者の縦断研究の結果では、患者群のむちゃ食いの頻度および血中FGF23濃度は、入院治療前、健常者と比べ有意に高かったが、入院治療後、健常者との有意差がない程度にまで減少していた。また、患者群のリン摂取量も、入院治療前、健常者と比べ有意に高い傾向にあったが、入院治療後、健常者との有意差および差の傾向もない程度にまで減少していた。これらの結果は、AN-BPおよびBN患者で、むちゃ食いの頻度と血中FGF23濃度が関連することを示唆するものであり、更に、むちゃ食いの頻度・血中FGF23濃度とリン摂取量が関連している可能性を推測させるものであった。

〈結果2:AN-R患者〉(表2)

AN-R患者のFGF23濃度は、健常者と比べ、治療前、有意差がなかったものの、治療後には、有意に上昇していた。前後比較でも、治療前に比べ、治療後に有意に上昇していた。一方、入院治療の前後でリン摂取量の有意な変化は認められておらず、今回の結果からだけでは、血中FGF23濃度とリン摂取量を関連づける証拠は見つけられなかった。入院治療後のAN-R患者で血中FGF23濃度が上昇する原因については、今後の検討課題であると考えられた。

〈結果3:入院治療前〉

Spearman順位相関係数の結果(表3)から、摂食障害患者では、(1)血中FGF23濃度がリン摂取量と関連していること、(2)血中FGF23濃度がむちゃ食いの頻度と関連していること、(3)血中FGF23濃度が嘔吐の頻度と関連していること、(4)リンの摂取量がむちゃ食いの頻度と関連していること、(5)むちゃ食いの頻度と嘔吐の頻度が関連していることの5点が示唆された。しかし、偏相関分析の結果(ρ(嘔吐)=0.730, p=0.003、ρ(むちゃ食い)=0.289, p=0.334)から、摂食障害患者の場合、むちゃ食いの頻度と嘔吐の頻度のうち、血中FGF23濃度と関連しているものは、むちゃ食いの頻度の方であると推測された。

〔まとめ〕

AN-BPおよびBN患者では、むちゃ食いの頻度と血中FGF23濃度が関連している可能性があり、むちゃ食いを定期的に行っている入院治療前には、血中FGF23濃度が上昇し、むちゃ食いが消失した入院治療後には、健常者と変わらない程度にまで低下した。また、AN-BPおよびBN患者では、むちゃ食いの頻度および血中FGF23濃度の変化には、リン摂取量の変化が関連している可能性も考えられた。但し、むちゃ食いを行わないAN-R患者でも、入院治療後に血中FGF23濃度の上昇が認められることも判っており、AN-R患者の入院治療を通じての血中FGF23濃度の変化については、今後の更なる検討課題であると考えられた。

表1: AN-BP+BN群と健常者のデータ

表2: AN-R群と健常者のデータ

表3:入院治療前の摂食障害患者における血中FGF23濃度、むちゃ食い・嘔吐・下剤乱用の頻度およびリン摂取量間のSpearman順位相関係数

図1: AN患者と健常者の血中FGF23濃度

図2: BN患者と健常者の血中FGF23濃度

図3: BN患者(高頻度過食群と低頻度過食群)と健常者の血中FGF23濃度

審査要旨 要旨を表示する

低リン血症を特徴とする再栄養症候群という合併症の存在もあり、摂食障害患者にとって、リンの恒常性は重要なテーマである。線維芽細胞増殖因子23(FGF23)は、骨芽細胞から産出される蛋白であり、尿中リン排泄を促進する近年発見された物質である。FGF23は、リンの恒常性に深く関わっていると考えられているが、摂食障害患者において、血中FGF23濃度を検討した報告はない。本研究は、摂食障害患者〔神経性食欲不振症-制限型(AN-R)患者、神経性食欲不振症-むちゃ食い/排出型(AN-BP)患者、神経性大食症(BN)患者〕の血中FGF23濃度を明らかにするために、まず、血中FGF23濃度を横断的に測定し、続いて、入院治療の前後で縦断的に測定し、下記の結果を得ている。

1.AN-R患者と健常者の間で、血中FGF23濃度は有意差が認められなかった(p=0.149)が、AN-BP患者の血中FGF23濃度は健常者と比較し有意に高かった(p=0.001)。むちゃ食い・排出行動のないAN-R患者で血中FGF23濃度は上昇せず、むちゃ食い・排出行動を定期的に行っているAN-BP患者で血中FGF23濃度が上昇しており、むちゃ食いまたは排出行動と血中FGF23濃度との関連を推測させる結果であった。

2.BN群と健常者の2群間の比較では、BN群で有意に血中FGF23濃度の上昇が認められた(p=0.002)。むちゃ食い・排出行動を定期的に行っているBN患者で血中FGF23濃度が上昇しており、BN患者でも、むちゃ食いまたは排出行動と血中FGF23濃度との関連が推測される結果であった。

3.BN患者を、週一回以上むちゃ食いが認められる「高頻度過食群」、と、むちゃ食いが週一回未満しか認められない「低頻度過食群」の2群に分けた上で、健常者群を合わせ3群間の比較も行った場合、血中FGF23濃度は、高頻度過食群で、健常者および低頻度過食群と比較し有意に高く(対健常者: p<0.001, 対低頻度過食群: p=0.011)、健常者と低頻度過食群では有意差が認められなかった(p=0.441)。高頻度過食群のみで、血中FGF23濃度が上昇しており、むちゃ食いもしくは排出行動の中でも、とりわけ、むちゃ食いと血中FGF23濃度との関連が推測される結果であった。

4.入院治療前の摂食障害患者において、血中FGF23濃度は、むちゃ食いの頻度および嘔吐の頻度と有意に正に相関したが、下剤乱用の頻度とは有意な相関は認められなかった。また、むちゃ食いの頻度は、嘔吐の頻度と有意な正の相関を示した。嘔吐の頻度を制御変数とした場合、むちゃ食いの頻度と血中FGF23濃度は有意に正に相関した(ρ(嘔吐)=0.730, p=0.003)が、むちゃ食いの頻度を制御変数とした場合、嘔吐の頻度と血中FGF23濃度は、有意な相関が認められなかった(ρ(むちゃ食い)=0.289, p=0.334)。これら結果は、入院治療前の摂食障害患者において、血中FGF23濃度と関連しているものは、むちゃ食い・排出行動の中でも、嘔吐の頻度や下剤乱用の頻度ではなく、むちゃ食いの頻度であることを示唆する結果であった。

5.AN-BPおよびBN患者では、入院治療前、健常者と比較して、血中FGF23濃度、むちゃ食いの頻度は有意に高く(血中FGF23濃度: p<0.001, むちゃ食いの頻度: p=0.002)、リン摂取量は、有意ではないものの高い傾向が認められた(p=0.036)が、入院治療後では、健常者と比較しても、血中FGF23濃度、むちゃ食いの頻度、リン摂取量で有意差および差の傾向も認められなかった。また、入院治療前は、入院治療後と比較して、血中FGF23濃度、リン摂取量、むちゃ食いの頻度が有意に高かった(血中FGF23濃度: p=0.028, 摂取カロリー量: p=0.028, リン摂取量: p=0.046, むちゃ食いの頻度: p=0.039)。これらの結果は、AN-BPおよびBN患者で、むちゃ食いの頻度 と 血中FGF23濃度 が関連することを示唆するものであり、更に、むちゃ食いの頻度・血中FGF23濃度とリン摂取量が関連している可能性を推測させる結果であった。

6.AN-R患者の入院治療前後の比較では、入院治療前に比べ、入院治療後で有意に血中FGF23濃度は上昇していた (p=0.012) が、リン摂取量を含め、その他の項目では、有意な変化は認められなかった。入院治療後のAN-R患者で、血中FGF23濃度の上昇が認められたが、原因は不明であり、今後の検討課題であると考えられた。

以上、本論文の結果は、AN-BPおよびBN患者において、むちゃ食いの頻度と血中FGF23濃度が関連することを示唆するものであった。摂食障害患者において、これまで、むちゃ食いの客観的指標となるものは見つかっておらず、新たに、むちゃ食いの客観的指標となるものが見つかれば、臨床上、非常に有意義であるものと考えられる。本研究の結果から、AN-BPおよびBN患者において、血中FGF23濃度が、むちゃ食いの客観的指標の有力な候補となりうるものと考えられ、本研究は、その候補を新たに示した点で、摂食障害の臨床上、重要な貢献をなすものと考えられ、学位授与に値するものと考えられる。

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