学位論文要旨



No 124844
著者(漢字) 笹子,敬洋
著者(英字)
著者(カナ) ササコ,タカヨシ
標題(和) 新規小胞体ストレス調節因子Sdf2l1によるインスリン感受性調節作用の検討
標題(洋)
報告番号 124844
報告番号 甲24844
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3264号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 特任教授 山崎,力
 東京大学 准教授 平田,恭信
 東京大学 講師 野田,泰子
内容要旨 要旨を表示する

肝臓は糖代謝に於いて中心的な役割を果たす臓器であり、また全身のインスリン感受性への影響や糖尿病の病態形成の観点からも、重要である。肝臓は絶食時と再摂食時で果たす役割を大きく切り換えるが、この摂食状態に応じた代謝調節機構の破綻が、肥満・糖尿病の病態形成に大きな役割を果たしていることが明らかとなってきた。

この代謝調節に於いて鍵を握る分子及び生命現象を明らかとするため、私はまず野生型マウスに、24時間の絶食後、6時間再摂食させ、絶食時と再摂食時の遺伝子発現を、マイクロアレイで網羅的に解析した。その結果、再摂食時に発現が上昇する遺伝子の中に、小胞体ストレス関連遺伝子を複数認めた。小胞体ストレスは、蛋白の翻訳が過剰になるか、正常に折りたたまれない蛋白が増加することによって生じ、肥満や糖尿病でインスリン感受性が低下する1つの機序として、最近注目を浴びている。また上昇幅が2番目に大きいSdf2l1(stromal cell-derived factor 2 like 1)も、摂食と小胞体ストレスを結びつける鍵分子の候補として、併せてこれに注目した。

この結果を基に、野生型マウスに絶食と再摂食をかけ、絶食時と再摂食6時間での肝臓で、mRNA発現をRT-PCRにて検討した。その結果、マイクロアレイ解析で発現が上昇していた小胞体ストレス関連遺伝子の発現が、実際に上昇ないし上昇の傾向を示しており、その他の代表的な小胞体ストレス関連遺伝子についても同様であった。そこで肝臓での小胞体ストレスマーカーの遺伝子発現の経時的変化を、より詳細に解析した。その結果、代表的な小胞体ストレスマーカーはいずれも、再摂食1-4時間で大幅に上昇しており、Sdf2l1も同様の経過を示すことが分かった。このことから肝臓に於ける小胞体ストレスは、摂食の度に生理的な反応として惹起されている可能性が示唆された。

Sdf2l1の機能を解析するため、Sdf2l1を発現するアデノウイルスを作製した。これを野生型マウスに尾静脈注射し、肝臓にてSdf2l1の過剰発現モデルを作製した。まずこのマウスの肝臓で、摂食状態に応じた小胞体ストレスマーカーの変化を解析した。その結果、Sdf2l1過剰発現マウスでは、再摂食時に有意にはマーカー遺伝子の発現が低下していた。このことからSdf2l1を肝臓で過剰発現させることで、摂食時の小胞体ストレスが軽減される可能性が示された。

小胞体ストレス改善が糖代謝に好影響を及ぼす可能性を考え、耐糖能とインスリン感受性の評価を行なった。その結果Sdf2l1過剰発現マウスで、経口グルコース負荷試験とインスリン負荷試験はいずれも改善を示した。このことから、肝臓でSdf2l1を過剰発現させることで、インスリン感受性の亢進と耐糖能の改善を来たすことが示された。

このマウスの肝臓でのインスリンシグナルを評価した。その結果、インスリン受容体のレベルでは明らかな差を認めなかったものの、インスリン受容体基質のレベルではインスリンシグナルが賦活化されている結果であり、更に下流のAktのリン酸化も同様であった。更に、再摂食時のJNKのリン酸化も抑制されており、小胞体ストレスの改善が、JNK経路の抑制を介して、インスリン受容体基質のセリンリン酸化を抑制し、インスリンシグナルを賦活化させているものと考えられた。

続いて、Sdf2l1が実際の病態に於いてどのような役割を果たしているかを明らかにするため、糖尿病モデルマウスであるdb/dbマウスで、Sdf2l1の発現を検討した。まず週齢に伴う変化を見ると、Sdf2l1は6週齢の時点で既に対照マウスよりも発現が低下しており、14週齢では更に低下幅拡大することが分かった。10週齢のマウスで絶食・再摂食時の発現変化を解析したが、随時摂食、絶食、再摂食のいずれの時点でも発現は低下したままであり、いずれも既知の小胞体ストレスマーカー遺伝子の変化とは異なるままであった。このことからSdf2l1の低下が、病態形成を考える上で重要な役割を果たしていることが考えられた。

そこで病態モデルに、発現が低下しているSdf2l1をアデノウイルスで補充する実験を行なった。Sdf2l1発現を回復させてdb/dbマウスでは、耐糖能が有意に改善しており、インスリン抵抗性も改善傾向にあった。

このマウスで肝臓でのインスリンシグナルを評価したところ、やはりインスリン受容体のレベルでは明らかな差がないものの、下流のAktのリン酸化は改善傾向を示した。更に肝臓での脂肪代謝の指標として、肝臓での中性脂肪含量を解析したところ、Sdf2l1補充マウスで中性脂肪含量の低下傾向を認めた。このことから病態モデルでSdf2l1の発現を回復させることで、インスリンシグナルが賦活化され、脂肪肝についても改善している可能性が示唆された。

以上の結果をまとめると、まず、インスリン抵抗性を来たす病態モデルの慢性状態で生じるものと思われていた肝臓での小胞体ストレスが、再摂食時に生理的な反応として惹起されていることが、今回明らかとなった。小胞体ストレスを介したIRS-1のリン酸化状態の変化という新しい概念は、摂食時の生理的なインスリンシグナルの調節機序を明らかにする上で、非常に重要である可能性が考えられる。すなわち摂食時の肝臓では、遺伝子レベルで調節を受けるIRS-2と異なり、IRS-1はリン酸化状態の変化という別な機序によって、いずれもインスリンシグナルが過剰とならないように合目的に抑制がかかっている可能性が示唆された。

中でも私が解析したSdf2l1は、摂食と小胞体ストレス、及びインスリン感受性の関係を考える中で、摂食時の小胞体ストレスが過剰とならないように調節を担い、インスリン感受性に関しても調節を行なっていることが明らかとなった。

また、Sdf2l1の発現は糖尿病モデルマウスで低下しているだけでなく、それを補うことで耐糖能の改善をもたらすことが明らかとなった。これまでも病態モデルにて、インスリン抵抗性に伴う高インスリン血症が肝臓でのIRS-2発現を低下させることに加え、IRS-1のセリンリン酸化が、一部は過剰な小胞体ストレスに因って亢進することが、更なるインスリン感受性低下を来たすことが想定されてきた。今回の私の検討では、何らかの原因でSdf2l1の発現が低下することが、過剰な小胞体ストレスの原因となっている可能性が考えられる。すなわち、Sdf2l1が糖尿病の病態形成の中で鍵を握っていると共に、有効な治療対象となる可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、肥満・糖尿病の病態形成に重要な役割を果たしていると考えられる、摂食状態の応じた肝臓での代謝制御機構について、より詳細な機序を解明することを目的としている。絶食状態と再摂食状態でのマウスの肝臓での検討から、下記の結果を得ている。

1.野生型マウスの肝臓で、24時間絶食後と6時間再摂食時のmRNA発現を、マイクロアレイで網羅的に解析した。その結果、再摂食時に発現が上昇する遺伝子の中に、小胞体ストレス関連遺伝子を複数認めた。また上昇幅が2番目に大きいSdf2l1(stromal cell-derived factor 2 like 1)も、摂食と小胞体ストレスを結びつける鍵分子の候補として、併せてこれに注目した。

2.野生型マウスの肝臓で、24時間絶食後と6時間再摂食時のmRNA発現をRT-PCRで解析したところ、マイクロアレイ解析で発現が上昇していた小胞体ストレス関連遺伝子のmRNA発現が、実際に上昇ないし上昇の傾向を示しており、その他の代表的な小胞体ストレス関連遺伝子についても同様であった。その経時的変化をより詳細に解析すると、代表的な小胞体ストレスマーカーはいずれも、再摂食1-4時間で大幅に上昇しており、Sdf2l1も同様の経過を示すことが分かった。このことから肝臓に於ける小胞体ストレスは、摂食の度に生理的な反応として惹起されている可能性が示唆された。

3.アデノウイルスを用い、肝臓でSdf2l1を過剰発現させた野生型マウスを作製した。このマウスの肝臓では、再摂食時の小胞体ストレスマーカーのmRNA発現が低下していた。このことからSdf2l1を肝臓で過剰発現させることで、摂食時の小胞体ストレスが軽減される可能性が示された。

4.このSdf2l1過剰発現マウスでは、経口グルコース負荷試験とインスリン負荷試験は、いずれも改善を示した。更に肝臓でのインスリンシグナルを評価すると、再摂食時にインスリン受容体基質、及びその下流のAktのレベルで賦活化されている一方、再摂食時のJNKのリン酸化は抑制されていた。このことからSdf2l1を肝臓で過剰発現させることで、JNK経路の抑制を介して、インスリンシグナルが賦活化され、全身のインスリン感受性と耐糖能も改善しているものと考えられた。

5.Sdf2l1が実際の病態形成に果たす役割を明らかにするため、肥満・糖尿病モデルマウスであるdb/dbマウスで、Sdf2l1の発現を検討した。まず週齢に伴う変化を見ると、Sdf2l1は6週齢の時点で既に対照マウスよりもmRNA発現が低下しており、14週齢では更に低下幅拡大することが分かった。10週齢のマウスで絶食・再摂食時の発現変化を解析したが、随時摂食、絶食、再摂食のいずれの時点でも発現は低下したままであり、いずれも既知の小胞体ストレスマーカー遺伝子の変化とは異なる挙動であった。このことからSdf2l1の低下が、病態形成を考える上で重要な役割を果たしていることが考えられた。

6.アデノウイルスを用い、肝臓でSdf2l1を過剰発現させたdb/dbマウスを作製した。このマウスでは耐糖能が有意に改善しており、肝臓でのインスリンシグナルは賦活化されていた。更に肝臓での中性脂肪含量は低下傾向を認め、実際に脂肪酸合成に重要な転写因子であるPPARγのmRNA発現が低下を示した。このことから病態モデルでSdf2l1の発現を回復させることで、肝臓でのインスリンシグナルが賦活化され、脂肪肝についても改善している可能性が示唆された。

以上、本論文は絶食時と再摂食時のマウスの肝臓の解析を基に、摂食によって肝臓にて小胞体ストレスが、生理的な反応として惹起されること、新規小胞体ストレス調節因子であるSdf2l1は小胞体ストレス調節を介して摂食時のインスリン感受性が過剰とならないよう調節を行っていること、肥満・糖尿病モデルではSdf2l1の発現が低下しているが、それを補うことでインスリン感受性が改善することを明らかにした。本研究は、摂食状態に応じた代謝制御機構の破綻と肥満・糖尿病の関連を、小胞体ストレスの面から初めて明らかとし、また新規小胞体ストレス調節因子Sdf2l1の機能解明は、糖尿病の病態形成や治療戦略を考える上でも大きな貢献をなすと期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

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