学位論文要旨



No 124854
著者(漢字) 中川,勇人
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,ハヤト
標題(和) マウス肝障害モデルにおけるApoptosis signal-regulating kinase 1(ASK1)-MAPK経路の役割
標題(洋)
報告番号 124854
報告番号 甲24854
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3274号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 國土,典宏
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 准教授 平田,恭信
 東京大学 准教授 植木,浩二郎
 東京大学 講師 森屋,恭爾
内容要旨 要旨を表示する

〈研究の背景および目的〉

Mitogen-activated protein kinase (MAPK)経路は、細胞外からの多様な刺激によって活性化される重要な細胞内シグナル伝達経路の一つであり、細胞増殖や細胞分化、細胞死など様々な生命現象に関与している。近年、MAPKの一つであるc-jun N-terminal kinase (JNK)が、薬剤性肝障害や非アルコール性脂肪性肝炎、虚血再還流障害など、特に酸化ストレスを介した肝障害に重要な役割を果たすことが報告され注目されている。しかし、酸化ストレスによるMAPK活性化機序や、肝障害を起こすメカニズムについては十分解明されていない。そこで本研究ではマウスにおいても人間と同様の機序で障害が再現できるアセトアミノフェン肝障害モデルを用いて、酸化ストレスを介した肝細胞死におけるシグナル伝達経路について検討した。

アセトアミノフェンは解熱鎮痛剤として広く用いられているが、過剰に服用すると致死的な急性肝障害を生じ、欧米では薬剤起因性の重症肝障害の原因として最も多い。治療法としては1980年代にN-acetyl-cysteinの有効性が示されて以降進歩がなかったが、近年肝障害にJNKが中心的役割を果たすと報告され、JNK阻害薬の臨床応用が期待されている。しかし一方でJNKは肝臓の再生にも重要な分子であり、重症肝障害の状態でJNK阻害薬を投与することは、肝再生不全を惹起する懸念がある。そのためアセトアミノフェンによる特異的なJNK活性化経路を同定し、そこを阻害するような治療法が望まれる。ただアセトアミノフェンによるJNK活性化には酸化ストレスの関与が推察されているものの、その上流についてはよくわかっていない。

近年酸化ストレスを介したJNK、p38の活性化にApoptosis signal-regulating kinase 1(ASK1)が重要な役割を果たしていると報告されている。ASK1は広範に発現しているMAPKKKで、活性酸素種やTumor necrosis factor-α、lipopolysaccharideなど、様々なストレス刺激に応答し、JNKおよびp38経路を活性化させる。当初酸化ストレスやサイトカイン刺激に対してアポトーシスを誘導する分子として同定されたが、近年それ以外にも自然免疫やサイトカイン誘導などにも関与することが報告されている。

これらの背景から、本研究ではASK1ノックアウトマウス(ASK1-/-マウス)を用いて、ASK1-MAPK経路のアセトアミノフェン肝障害の病態への関与について検討した。

〈方法〉

8-10週齢オスのASK1(-/-)マウスと同週齢の野生型マウス(WTマウス)にアセトアミノフェン300mg/kgを腹腔内投与し、6時間後と24時間後に屠殺。血清ALTと病理組織で障害の程度を比較し、アポトーシスをTUNEL染色にて評価した。またJNKの関与を確認するため、JNK1ノックアウト(JNK1(-/-))、JNK2ノックアウト(JNK2(-/-))マウス、およびJNK阻害薬SP600125を1時間前に投与したマウスについても同様の検討を行った。またASK1の下流因子を調べるため、WTマウスとASK1-/-マウスのアセトアミノフェン投与前後の肝臓における遺伝子発現を、マイクロアレイを用いて比較した。上記5種類のマウスの肝臓におけるMKK4、JNKの活性化をWestern blotで比較検討した。WTマウスにおいてASK1の活性化をWestern blotで検討するとともに、ASK1の活性化阻害物質であるThioredoxin(Trx)との結合状態を免疫沈降法にて検討した。アセトアミノフェン肝障害におけるp38の関与については、p38αヘテロノックアウトマウス(p38α(+/-)マウス)とp38阻害薬SB203580を用いて検討した。またアセトアミノフェンによる直接的な細胞障害を評価するため、WTマウスとASK1-/-マウス由来の初代培養肝細胞を用いて、MAPK活性化や細胞障害について比較検討した。さらに、アセトアミノフェン肝障害における炎症反応へのASK1の関与を検討するために、肝組織中の炎症性サイトカイン発現量をReal-time PCR法により検討するとともに、WTマウスとASK1-/-マウス由来の初代培養脾細胞を壊死肝細胞により刺激し、MAPK活性化とサイトカイン分泌量を検討した。そのほかの肝障害におけるASK1-JNK経路の関与について検討するために、四塩化炭素誘発性肝障害モデルを用いた。

〈結果〉

ASK1(-/-)マウスにおけるアセトアミノフェン投与6時間後、24時間後の血清ALT値は、WTマウスに比べて有意に低かった。組織学的にも中心静脈周囲壊死が軽度であり、アポトーシスが著明に抑制されていた。またJNK阻害薬はほぼ完全に障害を抑制しており、JNK1(-/-)、JNK2(-/-)でも障害が軽減されていた。マイクロアレイを用いた検討では、JNK依存性遺伝子でアセトアミノフェン肝障害との関連が報告されているjunとfosの誘導が、ASK1(-/-)マウスにおいて有意に抑制されていた。これらよりASK1-JNK経路のアセトアミノフェン肝障害への関与が示唆された。

ASK1はアセトアミノフェン投与3-6時間後に活性化しており、同時にASK1とTrxの解離を認めた。また、ASK1(-/-)マウスではアセトアミノフェン投与6時間後のMKK4とJNKの活性化が減弱していた。さらにJNK活性化の時間推移は、1.5時間ではWTマウスとASK1(-/-)マウスで同程度であるのに対し、3-6時間ではASK1-/-で有意に減弱していたことから、ASK1はJNKの持続的活性化に関与すると考えられた。また、ASK1(-/-)マウスの肝臓ではp38の持続的活性化も減弱していたが、p38ヘテロ欠損マウスおよびp38阻害薬投与マウスを用いた検討では対象群と肝障害に差はなく、p38の肝障害への関与は否定的であった。

初代培養肝細胞においても、ASK1(-/-)マウス由来肝細胞ではアセトアミノフェンによるMAPK活性化が減弱しており、細胞障害も軽度であった。また、in vivoの結果と同様に、JNK阻害薬はアセトアミノフェンによる細胞死を抑制したが、p38阻害薬は有意な効果を示さなかった。

アセトアミノフェンによる炎症性サイトカインの誘導は、ASK1(-/-)マウスにおいて有意に低下していた。しかし脾細胞を用いたin vitroの検討では、壊死肝細胞によるMAPK活性化およびサイトカイン分泌量いずれもWTとASK1-/-脾細胞で同程度であり、in vivoでの炎症の違いは直接的細胞障害の違いに起因するものと考えられた。

四塩化炭素肝障害モデルでは、JNK1(-/-)マウスは肝障害が抑制されたが、ASK1(-/-)マウスではWTマウスと差がみられなかった。JNK活性化に関しても、ASK1(-/-)マウスとWTマウスは同程度であった。

〈考察〉

ASK1は近年、神経変性疾患や虚血性心疾患などいくつかのヒト疾患モデルにおける関与が報告されてきたが、肝疾患における報告はほとんどなかった。今回の検討からASK1はアセトアミノフェン肝障害において、JNK活性化を通じて肝細胞死に重要な役割を果たしていることが示唆された。

細胞や刺激の種類によって異なるが、ASK1はMAPKの持続的な活性化を通じて細胞死を誘導することが報告されている。今回の検討でも、ASK1(-/-)マウスの肝臓においてJNKの持続的活性化が低下していたことから、ASK1はJNK活性化を持続させることによって肝障害を誘導しているものと推察された。一方、ASK1(-/-)マウスはp38の持続的活性化も低下していたが、p38の肝障害への関与は否定的であった。

ASK1の活性制御には抗酸化物質であるTrxが重要な役割を果たしていると考えられているが、今回の検討でも、ASK1活性化と一致してASK1とTrxの解離が認められた。このことは、酸化ストレスがASK1とTrxの解離を介してASK1-JNK経路を活性化し、肝細胞死へと導いていることを示唆している。

アセトアミノフェン肝障害は直接的な肝細胞死と引き続き起こる二次的炎症反応から成るが、近年ASK1が炎症反応にも関わっていることが報告されている。しかし本研究の結果からは、アセトアミノフェンによる炎症反応にASK1の関与は否定的であった。しかしながら、今回の検討だけでASK1の炎症への関与を完全には否定できず、骨髄移植モデルや臓器特異的ノックアウトマウスなどを用いたさらなる検討が必要である。

四塩化炭素肝障害モデルでは、ASK1-JNK経路の関与は否定的であった。肝障害における同経路の関与が、アセトアミノフェン肝障害においてのみ認められる特別な現象なのか、他の肝障害でも共通する経路なのか、特に慢性C型肝炎や非アルコール性脂肪性肝炎など、その他の酸化ストレスを介した肝障害におけるASK1-MAPK経路の関与について今後研究をすすめていきたい。

〈結語〉

本研究ではASK1ノックアウトマウスを用いたアセトアミノフェン肝障害モデルによる検討から、ASK1はTrxの解離を介して活性化し、JNKの持続的活性化を通じて肝障害に関与していることを明らかにした。また初代培養肝細胞を用いた検討から、ASK1はアセトアミノフェンによる直接的な肝細胞死に寄与していることが示された。これらの結果から、ASK1がアセトアミノフェン肝障害の治療標的となる可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は様々な肝疾患の進展に寄与している酸化ストレスがMAPK経路を活性化するメカニズムを明らかにするため、MAPKKKの一つであるApoptosis regulating-kinase 1 (ASK1)のノックアウトマウスを用いたアセトアミノフェン肝障害モデルによって解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ASK1(-/-)マウスにおけるアセトアミノフェン投与6時間後、24時間後の血清ALT値は、WTマウスに比べて有意に低く、組織学的にも中心静脈周囲壊死が軽度であり、アポトーシスも著明に抑制されていた。またJNK阻害薬はほぼ完全に障害を抑制しており、JNK1(-/-)、JNK2-/-でも障害が軽減されていた。マイクロアレイを用いた検討では、JNK依存性遺伝子でアセトアミノフェン肝障害との関連が報告されているjunとfosの誘導が、ASK1(-/-)マウスにおいて有意に抑制されていた。これらよりASK1-JNK経路のアセトアミノフェン肝障害への関与が示唆された。

2.ASK1はアセトアミノフェン投与3-6時間後に活性化しており、同時にASK1とThioredoxinの解離を認めた。また、ASK1(-/-)マウスではアセトアミノフェン投与6時間後のMKK4とJNKの活性化が減弱していた。さらにJNK活性化の時間推移は、1.5時間ではWTマウスとASK1(-/-)マウスで同程度であるのに対し、3-6時間ではASK1(-/-)で有意に減弱していたことから、ASK1はJNKの持続的活性化に関与すると考えられた。一方、ASK1(-/-)マウスの肝臓ではp38の持続的活性化も減弱していたが、p38ヘテロ欠損マウスおよびp38阻害薬投与マウスを用いた検討では対象群と肝障害に差はなく、p38の肝障害への関与は否定的であった。

3.初代培養肝細胞においても、ASK1-/-マウス由来肝細胞ではアセトアミノフェンによるMAPK活性化が減弱しており、細胞障害も軽度であった。また、in vivoの結果と同様に、JNK阻害薬はアセトアミノフェンによる細胞死を抑制したが、p38阻害薬は有意な効果を示さなかった。これらの結果からASK1-JNK経路がアセトアミノフェンによる直接的肝細胞障害に関与していることが示唆された。

4.アセトアミノフェンによる炎症性サイトカインの誘導は、ASK1(-/-)マウスにおいて有意に低下していた。しかし脾細胞を用いたin vitroの検討では、壊死肝細胞によるMAPK活性化およびサイトカイン分泌量いずれもWTとASK1(-/-)脾細胞で同程度であり、in vivoでの炎症の違いは直接的細胞障害の違いに起因するものと考えられた。

以上、本研究ではASK1ノックアウトマウスを用いたアセトアミノフェン肝障害モデルによる検討から、ASK1はThioredoxinの解離を介して活性化し、JNKの持続的活性化を通じて肝細胞障害に関与していることを明らかにした。本研究は様々な肝障害に関与すると考えられている酸化ストレスがMAPK経路を活性化させる一つのメカニズムを解明し、肝疾患の病態把握や今後の治療ターゲットの探索において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/26691