学位論文要旨



No 124855
著者(漢字) 中原,史雄
著者(英字)
著者(カナ) ナカハラ,フミオ
標題(和) hairy enhancer of split-1(Hes-1)による造血前駆細胞の不死化と、未分化性維持による白血病発症への関与の可能性
標題(洋)
報告番号 124855
報告番号 甲24855
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3275号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中内,啓光
 東京大学 准教授 辻,浩一郎
 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 准教授 田中,廣壽
 東京大学 准教授 高橋,聡
内容要旨 要旨を表示する

1.研究背景と目的

Notchシグナルは個体発生から成体まで、さまざまな細胞の生存、増殖、分化などを決定するシステムとして、ショウジョウバエからヒトに至るまで高度に保存されている。ヒトにおいては、4つのNotch受容体(Notch1, 2, 3, 4)と5つのNotchリガンド(Delta1, 3, 4およびJagged1, 2)がこれまで報告されており、中でもNotch1は成体の骨髄造血を維持する二次造血に必須である。

近年までヒトで検出されたNotch変異はそれほど高い頻度ではなかったが、2004年になりヒトT-ALLにおいて50%以上という非常に高い頻度でNotch1シグナル活性化型変異が検出されたという報告がなされ、白血病などの悪性腫瘍発症の原因としてNotchシグナルの制御異常がにわかに注目されるようになった。

Notchシグナルの転写標的として同定されているhairy enhancer of split-1(Hes-1)はbasic helix-loop-helix(bHLH)型の転写抑制因子であり、他の活性型転写因子のプロモーターに結合することでその転写を抑制し、種々の系統の細胞で分化抑制的に働く。

2003年には、骨髄由来の造血幹細胞にレトロウイルスでHes-1を導入し強制発現させた細胞をマウスに移植すると、末梢血において半年以上に渡りHes-1陽性細胞が高い割合で認められ、Hes-1は造血幹細胞維持に何らかの寄与をする可能性があることをKunisato等は報告している。

またNotch1の活性化型変異による造血幹細胞の不死化は報告されたものの、造血幹細胞よりも分化した造血前駆細胞でも同様の現象が生じることは示されておらず、Hes-1等の野生型転写因子の発現制御異常により同様の不死化が起こり得るという報告もこれまでなされていない。

本研究ではまずヒト慢性骨髄性白血病(CML)の骨髄サンプルを用いてHes-1の発現を調べ、CMLの急性転化にHes-1が何らかの関係をしているかを調べた。続けて、Hes-1を造血前駆細胞に導入し、in vitroにおいてHes-1導入細胞が不死化しうるか、またどのような形態学的変化等が認められるかを調べた。さらにHes-1単独や、Hes-1とCMLの原因遺伝子bcr-ablの組み合わせを造血前駆細胞に導入、移植することにより、白血病化が起こるかをマウス移植実験系で検証した。

2.結果

1. ヒト慢性骨髄性白血病の急性転化症例ではHes-1の発現量が高い症例を約3割において認める

今回、ヒト慢性骨髄性白血病の骨髄または末梢血サンプルを用いて、方法に記載したようにmRNA抽出後、cDNAを作成し、human Hes-1の発現量をreal-time PCRにより測定した。その結果を示す。(Fig.1)

以上のように、ヒト慢性骨髄性白血病サンプル計29サンプルのうち、急性転化症例10サンプルと、未治療慢性期症例が19サンプルのHes-1発現量を比較すると、急性転化10症例のうち3症例にてHes-1の上昇(正常骨髄の4倍以上のHes-1発現)を認めた。Hes-1が慢性骨髄性白血病の急性転化に何らかの影響を与えており、いわゆる2nd hitとして関与している可能性が示唆された。

2. Hes-1導入により造血前駆細胞は不死化する

FACSAriaでマウス骨髄からソートしてきた造血幹細胞(KSL)、共通骨髄系前駆細胞(CMP)、顆粒球マクロファージ前駆細胞(GMP)にHes-1をレトロウイルスで感染導入し、メチルセルロースにて培養を開始したところ、SCF 50 ng/mL、IL-3 20 ng/mL、TPO 20 ng/mL、IL-6 20 ng/mLを加えた条件下では直ちに継代が可能となり、単一な細胞から成るコロニー形成を認めた。(Fig.2左)またサイトスピン像では、一部細胞質に空胞や顆粒を認めるものの、核・胞体比 (N/C比)が比較的大きく、芽球様に見える細胞が多数を占めることが分かった。(Fig.2右)

メチルセルロースによるコロニーアッセイでは、Hes-1を導入した細胞は4回以上の継代が可能であったが、mockベクターを導入した細胞では2回目の継代時にはコロニーが死滅しており継代が不可能であった。(Fig.3)

また継代は1年間以上継続できることを確認し、Hes-1導入により造血前駆細胞は不死化することが明らかとなった。

3. Hes-1導入造血前駆細胞の移植では急性白血病は発症しない

Hes-1を導入した造血前駆細胞を移植した場合に白血病を発症するか否かについての報告は未だ成されていない。今回、我々は造血前駆細胞がHes-1によって不死化することを認めたことから、Hes-1導入CMPおよびHes-1導入GMPを移植することで白血病が発症するかどうかを検証した。

FACSAriaにてマウス骨髄からソートしてきたCMP、GMPにそれぞれpMYs-IRES/GFP Hes-1もしくはGCDNsam-IRES/NGFR Hes-1ベクターをレトロウイルスで感染導入し3日が経過した後の細胞を、5.25Gyの非致死量放射線照射後のマウスに移植を行い、白血病が発症するかを検証した。

合計11回以上の移植実験を行ったが、1-2ヶ月ごとの定期的採血においてもGFPもしくはNGFR陽性細胞を認めず、移植後1年以上が経過してもHes-1導入細胞の骨髄や末梢血での増加は認められず、Hes-1導入細胞の移植による白血病発症は認められなかった。

以上より、Hes-1を導入した造血前駆細胞の移植では、白血病は発症しないことが分かった。

4. 造血前駆細胞にHes-1とbcr-ablの両遺伝子を導入後移植するとCMLの急性転化を急速に発症する

先に示したようにヒトCMLの急性転化症例では3/10の割合でHes-1上昇を認めたことから、Hes-1とbcr-ablを組み合わせて造血前駆細胞に導入しマウスに移植することで、同様のCML急性転化を認めることが出来るかを確認することとした。

これまでbcr-ablによるin vivo移植モデルとしては、造血幹細胞にbcr-ablを感染導入しその細胞を移植した場合にはCMLを発症し移植後30日程度で死亡するが、CMPやGMPといった造血前駆細胞にbcr-ablを導入後移植してもCMLは発症しないことが報告されている。

マウス骨髄からFACSAriaにてKSL、CMP、GMPをソートし、Hes-1とbcr-abl両遺伝子を感染導入し、感染3日目に5.25Gy放射線照射後マウスに移植する実験を行った。ポジティブコントロールとしてKSLも導入対象とした。

Hes-1およびbcr-abl導入細胞の移植後、30日以内にどの群でも白血病を発症し死亡するマウスが出現することが判明した。(Fig.4)発症の早いマウスでは移植後わずか18日で致死的な白血病を発症した。

以上より、Hes-1とbcr-abl両遺伝子を導入した造血前駆細胞の移植により、CMPやGMPといったbcr-abl単独では白血病を起こさない分画においても、非常に早期にCMLの急性転化を発症することが判明し、ヒトCMLサンプルで得られた結果を動物移植モデルで実証することが出来た。

3.考察

以上のように今回私はHes-1とbcr-abl遺伝子を組み合わせることで、CMLの急性転化発症マウスモデルを作成することが出来た。本研究でのノベルティとしては大きく4つの点を挙げることができる。1つ目としては、ヒトのCMLにおける急性転化のメカニズムとしてこれまで報告されていなかったHes-1の発現上昇が関与しているという可能性をヒトCMLサンプルで示した。2つ目としては、Hes-1が造血幹細胞や造血前駆細胞の分化を強く抑制し不死化させることを示した。3つ目としては、Hes-1とbcr-abl両遺伝子を組み合わせると、CMP、GMPといった自己複製能を持たない造血前駆細胞に導入した場合でもCMLの急性転化を発症させ、ヒトCML急性転化病態に極めて近いマウスモデルを作成することができるという知見が得られた。4つ目としては、これまでbcr-ablによるCML発症マウスモデルではそのほとんどがリンパ系腫瘍細胞であるが、本研究のCML急性転化発症マウスモデルでは腫瘍細胞は骨髄系細胞であり「Hes-1にはリンパ系細胞への分化抑制効果がある」可能性が示された点などが挙げられる。

本研究で得られた結果は、CMLの急性転化にHes-1上昇が関与している可能性を示唆するものとして重要な発見であると考えられる。今後、Hes-1がCMLの急性転化をはじめとした「ヒト疾患の発症や増悪」にどのような機構で関与しているかをさらに詳細に追求していくことで、新たな治療法開発に大きく寄与する可能性があると期待される。

Fig.1 ヒト慢性骨髄性白血病サンプルでのhuman Hes-1発現量

正常骨髄サンプル10症例、Clontech製 正常骨髄サンプル1つ、ヒトCMLサンプル19症例、ヒトCML急性転化10症例のhuman Hes-1発現量をreal-time PCRにより測定した結果を示している。(CP:chronic phase, BC:blastic crisis)正常骨髄サンプル10症例のHes-1/GAPDHの平均値が1となるように補正している。急性転化10症例のうち3症例にて、正常骨髄サンプル平均値の4倍以上のHes-1発現上昇を認めた。

Fig.2 Hes-1導入細胞のコロニー像とサイトスピン像

CMPへのHes-1導入により、巨大なコロニー形成と、芽球様の細胞像を認めた。KSL、GMPでもほぼ同様の結果を認めた。それに対して、CMPへのmock導入細胞では1週間後にはほとんどの細胞は死んでおり、わずかに生存した細胞はマクロファージ様であった。

Fig.3 Hes-1導入細胞のコロニーアッセイ

Hes-1またはmockをKSL、CMP、GMPにそれぞれ感染導入し、メチルセルロースにて継代が可能かどうかをみた。Hes-1導入細胞は4回以上の継代が可能であったが、mock導入細胞では2回目の継代時にはコロニーが死滅しており、継代が不可能であった。

Fig.4 Hes-1+bcr-abl両遺伝子導入細胞の移植における生存曲線

Hes-1およびbcr-ablをC57BL/6-Ly5.1由来のKSL、CMP、GMPに導入後、5.25Gy放射線照射後C57BL/6マウスに移植した。移植後30日以内にどの群でも白血病を発症し死亡するマウスが出現することが判明した。発症の早いマウスでは移植後わずか18日で致死的な白血病を発症した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はNotchシグナルの下流にあるbHLH型の転写抑制因子Hes-1 (hairy enhancer of split-1)の造血前駆細胞に対する分化抑制作用や、急性白血病発症および慢性骨髄性白血病(CML)の急性転化への関与を明らかにするため、Hes-1とCML原因遺伝子である活性化型チロシンキナーゼキメラ遺伝子bcr-ablをCMP(common myeloid progenitor)、GMP(granulocyte macrophage progenitor)といった造血前駆細胞に導入しin vitroでの培養やin vivoでの移植実験系を利用したものであり、下記の結果を得ている。

1. ヒトCML骨髄サンプルをreal-time PCRで解析し、急性転化症例でのみ3/10の確率でHes-1の発現量が上昇していることを見出した。これまでヒトT細胞性急性リンパ性白血病(T-ALL)でのNotch遺伝子の活性化型変異は報告されているが、CMLといった骨髄系造血腫瘍におけるHes-1上昇は報告が無く、ヒトCMLの急性転化のメカニズムとしてHes-1の発現上昇が関与している可能性が示された。

2. Hes-1が造血幹細胞や造血前駆細胞にどのような影響を与えるのか、FACSAriaでソートしてきた造血幹細胞(KSL)や自己複製能を持たない造血前駆細胞(CMP、GMP)にHes-1をレトロウイルスで導入した。するとHes-1導入細胞は非常に長期間に渡ってメチルセルロースや液体培地での培養が可能になり不死化することが判明した。ただしHes-1単独の場合には細胞はIL-3依存性であり、増殖シグナルが別に必要であることが示された。

3. Hes-1とbcr-abl両遺伝子を組み合わせて、CMPやGMPに導入し培養した場合、IL-3非依存性の細胞株となることが分かった。これによりHes-1はbcr-ablなどの増殖シグナルと組み合わさることで、本来は自己複製能を失っている造血前駆細胞をサイトカイン非依存性に不死化させることが示された。

4. Hes-1とbcr-abl両遺伝子を組み合わせてCMPやGMPに導入した細胞を、非致死量放射線照射後マウスに移植するとCMLの急性転化に極めて類似した病態を移植後3週間程度と非常に早期に発症させることが示された。つまり、「ヒトCMLの急性転化ではHes-1が上昇している」という知見がマウス移植モデルにより実験的に実証された。

5. これまで報告されているbcr-ablによるCML発症マウスモデルではそのほとんどがリンパ系腫瘍細胞であるが、本研究のCML急性転化発症マウスモデルでは腫瘍細胞は骨髄系細胞であり「Hes-1にはリンパ系細胞への分化を抑制する効果がある」可能性が示された。

以上、本論文はヒトCMLサンプルから得られた「ヒトCMLの急性転化症例ではHes-1が上昇している」という知見をもとに、Hes-1と活性化型チロシンキナーゼキメラ遺伝子bcr-ablをCMP・GMP分画といった造血前駆細胞に導入しin vitroでの培養やin vivoでの移植実験を行い、Hes-1が造血前駆細胞を不死化させ、さらにはいずれの遺伝子も単独では起こし得ない造血前駆細胞由来の慢性骨髄性白血病の急性転化を誘導するモデルマウスを作成することに成功したものである。本研究は、CMLの急性転化にHes-1上昇が関与していることをマウスモデルを利用して明確に実証したものであり、今後のヒトCML治療に新しい知見を与え、極めて重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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