学位論文要旨



No 124856
著者(漢字) 西,裕志
著者(英字)
著者(カナ) ニシ,ヒロシ
標題(和) 腎に発現するグロビン蛋白の抗酸化作用
標題(洋) Anti-oxidant effect of globin proteins expressed by the kidney
報告番号 124856
報告番号 甲24856
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3276号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 准教授 久米,春喜
 東京大学 講師 藤乗,嗣泰
 東京大学 講師 下澤,達雄
 東京大学 講師 花房,規男
内容要旨 要旨を表示する

【要旨】

腎不全は血液・腹膜透析療法ならびに腎移植の技術の進歩により,切迫した死こそ回避しうる現況に至っているが,依然,腎不全患者の生命予後は健常者のそれに比べ圧倒的に劣る.さらにこうした腎代替療法は高コストで医療経済を実質的に圧迫していることも無視できない.しかしながら,各種腎疾患の大多数が不可逆的な進行をきたしており,これを阻止,退行しうる画期的な治療法が見いだせていないことは,医学研究者が真摯に受け止めるべき課題である.腎障害が一定の段階まで進行するとこの不可逆的な進行性障害が生じることから,さまざまな腎障害の病変進展における共通した最終経路が想定されている.とくに病理学的解析によれば腎臓の大半を占める尿細管間質の障害度が予後と深く関係することから,「最終共通経路」の主座は糸球体よりもむしろ尿細管間質にあると考えられている.1998年イギリスLeon Fineらは腎組織における低酸素状態遷延が尿細管間質障害の進行に重要である,という慢性低酸素理論を発表した.これを裏付けるように,ドイツKai-Uwe Eckardtや筆者が大学院博士課程で所属した研究室の南学正臣らは,腎障害のかなり早い段階から,レニン・アンジオテンシン系の亢進による尿細管周囲毛細血管の血流低下と酸化ストレス亢進に伴う腎臓の酸素利用効率の低下などが腎臓の低酸素化を引き起こし,ひいては腎障害進行の主因たることを示す複数の知見を発表してきた.

筆者は,まず大学院博士課程の前半で,腎臓の慢性低酸素状態に伴う病態をさらに解明すべく,片側の腎動脈を7日間にわたって部分狭窄させるという腎臓低酸素モデルラットを確立し,組織学的な腎障害が顕在化する以前から腎組織内の低酸素状態を惹起,遷延させた.次に本モデルを利用して低酸素腎組織のマイクロアレイ・プロテオミクス解析を施行し,この結果の一部からヘモグロビンのサブユニットの遺伝子・蛋白の発現が本モデルにおいて系時的に増強していることを発見した.しかしながら,そもそもヘモグロビンは赤血球に限局して発現・分布する蛋白として認知されているので,これが腎由来のヘモグロビンであるのか厳密な検証が必要である.そこで筆者は,ラット腎臓を十分量の生理食塩水で灌流した後,古典的sieving法,manual microdissection, laser-captured microdissectionという異なる3つの方法で独立に糸球体を含むネフロンの各分画を単離しreverse transcriptase PCR,ウェスタンブロッティングを行い,糸球体にヘモグロビンαおよびβサブユニットがそれぞれ発現していることを確認した.さらに,組織学的にもin situ hybridization, 蛍光免疫染色の各手法を用いて,糸球体内でもとくにメサンギウム領域にヘモグロビンが発現していることを観察した.さらに,糸球体を構成する足細胞,血管内皮細胞,メサンギウム細胞それぞれの培養細胞系においても同様の検討を行い,これらのうち初代培養メサンギウム細胞でのみヘモグロビンサブユニットが発現していることを確認した.

次に筆者は,腎メサンギウム細胞におけるヘモグロビンの生理作用を検討した.ヘモグロビンについてよく知られる酸素運搬という生理作用はあくまでも流血中の赤血球における発現を前提とした知見であり,必ずしも腎局所に発現するヘモグロビンにあてはまるとは考えられない.そこで筆者は,近年,ヘモグロビンやミオグロビンに酸化ストレス負荷によって生体内に産生されるラジカル除去作用が指摘され始めていることに着目し,腎臓独自にヘモグロビンが発現している生物学的意義としてこうした抗酸化作用があるのではないかと考えた.これを実証するために,リボゾーム内部侵入部位internal ribosome entry site (IRES) 配列を含むプラスミドベクターを用いて,その前後に直列にヘモグロビンαおよびβサブユニットcDNAを挿入したコンストラクトを作成し,強制発現実験を培養細胞系で行った.本ベクターは1つのプロモーターを使用し,IRESを含むバイシストロニックなmRNAの翻訳誘導が可能である.こうしてヘモグロビンのサブユニット両者を同時に発現させた腎メサンギウム細胞では,培地添加された過酸化水素誘導性の細胞内ラジカル産生が抑制されており,さらにこの強制発現は酸化ストレス負荷時の細胞生存細胞数を増加させた.

以上より,元来赤血球特異的な蛋白として考えられていたヘモグロビンは腎局所でもメサンギウム細胞に発現しており,その生理作用として酸化ストレス抵抗作用が想定されることを示した.

さらに,筆者は大学院博士課程の後半で,酸素やラジカルと直接的に相互作用するヘモグロビン以外のグロビン蛋白の,腎疾患における低酸素障害への関与を疑った.これについて,哺乳類のグロビン蛋白は,ヘモグロビン,ミオグロビンという古典的に長年研究対象とされてきた2つに加え,2000年以降になってサイトグロビンとニューログロビンという2つの新規グロビンがクローニングされている.ニューログロビンが中枢神経特異的に発現するのに対して,2001年大阪市立大学の河田則文らがクローニングしたサイトグロビンは腎を含む全身臓器の細胞に発現することが確認されているものの,機能が十分に解明されていない.サイトグロビンをコードする190塩基配列は,ヘモグロビンサブユニットをコードする140-150塩基の両端に新規配列が添加されたものであるが,立体構造上,鉄原子の6配位がポルフィリンとグロビンに占有されているため酸素などの分子が結合できないなど特徴が構造化学的には指摘されている.

筆者はラットサイトグロビンのアミノ酸配列のうち,異なる2ヵ所の合成ペプチドを標的としたウサギ由来のポリクローナル抗体を作成した.この2種類の抗体を用いたラット腎に対する免疫組織化学染色で,いずれも,正常ラット腎の間質に分布する線維芽細胞にサイトグロビンが分布していることを確認された.次に,サイトグロビンの生理作用,とくに腎疾患における意義を解析することとした.すでにヘモグロビンが腎局所に発現し抗酸化作用を示す実験結果が得られていたので,サイトグロビンにも同様の抗酸化ストレス効果があるのではないかと仮説を立てた.そこでまず,生体腎組織内の酸化ストレス負荷モデルとして最も代表的な腎虚血再灌流モデルをラットに導入したところ,障害により腎間質におけるサイトグロビン陽性細胞数が系時的に増加することを,上記2種類の抗体を用いた免疫組織染色で独立に確認した.さらに腎皮質における同分子の発現が亢進することを定量reverse transcriptase PCR,Western blotでも確認した.しかしながら,これだけでは,サイトグロビンが低酸素障害に対して生体内で保護的あるいは傷害性に発現しているか明らかではない.また,本来,サイトグロビンのような生理作用が未知な蛋白の機能解析には,遺伝子改変動物を用いた生体内での評価が不可欠であるが,サイトグロビン遺伝子改変動物を用いた研究報告は皆無であったため,筆者はサイトグロビン高発現ラットを確立することとした.すなわち,pCAGGSベクターにラットサイトグロビンcDNAを挿入したコンストラクトを作成し,受精卵に導入,最終的にサイトグロビン高発現ラットを2ライン確立することに成功した.サイトグロビン高発現ラットは,外見,成長,各臓器組織学的所見において野生型と差異を認めず,また,血圧,腎機能を含む主たる血液・尿検査結果についても同様の結果であった.しかしながら,虚血再灌流によってラットの腎臓に強烈な低酸素・酸化ストレス刺激を与えた場合,サイトグロビン高発現ラットでは野生型ラットに比して,腎臓の組織障害は軽度で,血清学的にも腎障害マーカーが低値であることが確認された.

さらに,培養ラット腎線維芽細胞を用いた培養細胞系でサイトグロビン発現抑制実験を行った.すなわち,合成2本鎖siRNAによりサイトグロビン遺伝子発現を抑制した線維芽細胞では,培地添加された過酸化水素誘導性の細胞内酸化ストレスが上昇し,その後の生存細胞数が有意に減少した.

以上の結果より,サイトグロビンは腎間質の線維芽細胞に元来発現しているが,腎組織内の虚血・酸化ストレス環境で発現がさらに亢進し,これによって組織保護的な抗酸化作用を発揮していることが示唆された.

これら一連の研究によって,筆者は,古典的なグロビンとしてよく知られるヘモグロビンが腎糸球体のメサンギウム細胞に発現すること,および,近年クローニングされた新規グロビン分子であるサイトグロビンが腎間質の線維芽細胞に発現することをまず確認した.さらに,前者は培養細胞系の強制発現実験にて,後者は遺伝子改変動物を用いた生体系の強制発現実験および培養細胞系の発現抑制実験にて,これら古典的・新規グロビン分子が腎局所において果たす重要な生理作用の一つとして抗酸化ストレス作用が有力であることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は進行性腎障害における慢性低酸素仮説に基づいて,低酸素腎において病的意義をもつ可能性のある分子を同定するために網羅的発現検索を行い,グロビン分子について腎における発現・分布,生理機能の解析を試みたものであり,下記の結果を得ている.

1.片側の腎動脈を7日間部分狭窄させるという腎臓低酸素モデルラットを確立,利用して低酸素腎組織のマイクロアレイ・プロテオミクス解析を施行し,ヘモグロビンのサブユニットの遺伝子・蛋白の発現が本モデルにおいて増強していた.

2.十分量の生理食塩水で灌流後にラット腎糸球体を単離しreverse transcriptase PCR,ウェスタンブロッティングでは,糸球体にヘモグロビンαおよびβサブユニットがそれぞれ発現していた.In situ hybridization, 蛍光免疫染色でも糸球体メサンギウム領域にヘモグロビンが発現・分布していた.さらに,初代培養メサンギウム細胞でもヘモグロビンサブユニットが発現していた.

3.リボゾーム内部侵入部位internal ribosome entry site (IRES) 配列を含むプラスミドベクターを用いて,ヘモグロビンαおよびβサブユニット両者を同時に発現させた腎メサンギウム細胞では,培地添加された過酸化水素誘導性の細胞内ラジカル産生が抑制されており,さらにこの強制発現は酸化ストレス負荷時の細胞生存細胞数を増加させた.

4.新規グロビンとして注目されるサイトグロビンについて,ラットサイトグロビンのポリクローナル抗体を複数作成,この2種類の抗体を用いたラット腎に対する免疫組織化学染色では,正常ラット腎の間質細胞にサイトグロビンが分布していた.

5.腎虚血再灌流障害によりラット腎間質におけるサイトグロビン陽性細胞数が系時的に増加し,定量reverse transcriptase PCR,Western blotでは腎皮質における同分子の発現が亢進していた

6.CAGベクターにラットサイトグロビンcDNAを挿入したコンストラクトを作成,受精卵導入し,サイトグロビン高発現ラットを確立した.サイトグロビン高発現ラットは,外見,成長,各臓器組織学的所見において野生型と差異を認めず,また,血圧,腎機能を含む主たる血液・尿検査結果についても同様の結果であった.

7.虚血再灌流によってラットの腎臓に強烈な低酸素・酸化ストレス刺激を与えた場合,サイトグロビン高発現ラットでは野生型ラットに比して,腎臓の組織障害は軽度で,血清学的にも腎障害マーカーが低値だった.

8.合成2本鎖siRNAによりサイトグロビン遺伝子発現を抑制した培養ラット腎線維芽細胞株では,培地添加された過酸化水素誘導性の細胞内酸化ストレスが上昇し,その後の生存細胞数が有意に減少した.

以上,本論文は,古典的なグロビン分子であるヘモグロビンが腎糸球体のメサンギウム細胞に発現すること,および,新規グロビン分子であるサイトグロビンが腎間質の線維芽細胞に発現することをまず確認した.さらに,前者は培養細胞系の強制発現実験にて,後者は遺伝子改変動物を用いた生体系の強制発現実験および培養細胞系の発現抑制実験にて,グロビン分子が腎局所において果たす重要な生理作用の一つとして抗酸化ストレス作用が有力であることを示した.本研究はこれまで未知に等しかった腎におけるグロビン蛋白の発現・機能解析を系統的に行っており,腎臓病学およびグロビン生物学の進展に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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