学位論文要旨



No 124862
著者(漢字) 増田,亜希子
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,アキコ
標題(和) 生理活性脂質リゾホスファチジン酸産生酵素としてのオートタキシン : 臨床検査への応用に向けて
標題(洋)
報告番号 124862
報告番号 甲24862
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3282号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 准教授 石井,聡
 東京大学 特任准教授 小川,誠司
 東京大学 准教授 北山,丈二
 東京大学 講師 井田,孔明
内容要旨 要旨を表示する

【目的】 リゾホスファチジン酸(LPA)は、細胞増殖・運動促進作用、血小板凝集作用、平滑筋細胞収縮作用など、多彩な生理活性を示す代表的なリゾリン脂質性メディエーターである。LPAは、卵巣癌、前立腺癌、大腸癌など、様々な腫瘍の進展に関与することが示されている。加えて、LPAは、脳の形態形成、生殖などの病態生理機能にも関与することが明らかになっている。LPAは血清・血漿などに存在し、細胞表面の特異的受容体(LPA1, LPA2, LPA3, LPA4, LPA5)を介して作用すると考えられている。

オートタキシン(ATX)は細胞運動促進因子としてメラノーマ細胞の培養上清から単離された蛋白質であり、リゾホスファチジルコリン(LPC)からLPAの産生を触媒するリゾホスホリパーゼD(lysoPLD)活性を有する。ATXは、膠芽細胞腫、前立腺癌、乳癌、ホジキンリンパ腫(HL)など、様々な腫瘍組織で高発現しており、LPA産生を介して、腫瘍の進展に関与すると考えられている。HLの細胞株では、Epstein Barr ウイルス(EBV)によりATXの発現が誘導され、腫瘍細胞の増殖や生存が促進されることが示された。また、LPAがBリンパ芽球の増殖を促進し、Bリンパ球の細胞株や慢性リンパ性白血病の細胞で抗アポトーシス作用を示すことも報告されており、ATXとLPAは造血器腫瘍の病態形成に関与すると考えられている。一方で、LPAは着床・妊娠など、生殖でも重要な役割を果たすことが示唆されている。LPA3が受精卵の着床に促進的な役割をもつこと、正常妊婦の血清ATX活性は非妊娠女性に比べて有意に高値であることが示されている。

以上のように、ATXとLPAは、悪性腫瘍の病態や、生殖などの生理機能との関連が示唆されている。ATXとLPAは血中に存在し、その定量測定の臨床検査への応用に向けて、基礎的検討が進められてきた。ATXは血中LPA濃度を決定する重要な因子であり、その抗原量は各種病態を反映していると想定される。そこで、今回、私は、最近開発されたATXの免疫学的測定法の臨床検査への応用を目的とし、その測定法の臨床的有用性について評価を行った。第一章では、血清ATX抗原量測定の腫瘍マーカーとしての有用性を評価するため、造血器腫瘍患者を対象に測定を行った。第二章では、血清ATX抗原量測定が、妊娠経過の血清マーカーになりうるか評価するため、正常妊婦、妊娠高血圧症候群(PIH)などの合併症妊婦を対象に、血清ATX抗原量を測定した。

第一章 造血器腫瘍患者の血清オートタキシン抗原量測定: 濾胞性リンパ腫における臨床的有用性

〈方法〉 2005~2007年に東大病院血液・腫瘍内科、都立府中病院輸血科で治療を受け、同意の得られた造血器腫瘍患者161名を対象とした。同意の得られた健常者120名の血清検体をコントロールとして用いた。バキュロウイルス発現系にて作成したATX抗原を免疫して得たモノクローナル抗体により、エンザイムイムノアッセイ(EIA)法を開発し、全自動EIA装置AIA-600II(東ソー)を用いて血清ATX抗原量を測定した。血漿LPA濃度は酵素サイクリング法で、血漿LPC濃度は酵素法で測定した。フローサイトメトリーを用いて細胞表面のATX発現を測定した。統計解析にはJMP6を用いた。

〈結果〉 健常者120名の血清ATX抗原量平均値は0.731 ± 0.176 mg/L(平均±標準偏差)、95%信頼区間(95%CI)は0.468 - 1.134 mg/Lであった。健常者女性 (0.852 ± 0.184 mg/L, 95%CI: 0.625 - 1.323 mg/L) では、男性 (0.656 ± 0.121 mg/L, 95%CI: 0.438 - 0.914 mg/L) に比べて、有意に高値であった(P < 0.001)。濾胞性リンパ腫 (FL)患者の血清ATX抗原量(1.471 ± 0.693 mg/L)は、健常者に比べて有意に高値であった(P < 0.001)。男女合わせて比較できるようにするため、当該患者の血清ATX抗原量を当該患者と同性の血清ATX抗原量平均値で割った値を「ATX ratio」と定義し、各疾患で比較すると、血清ATX抗原量実測値で比較した場合と同様の結果が得られた。FL患者25名を病期や予後因子などで2群に分類し、血清ATX抗原量を比較すると、LDH高値、β2-マイクログロブリン>3mg/L、最大腫瘍径>7cmの群では、そうでない群に比べて有意に高値であった。FL患者の血清ATX抗原量は、可溶性IL-2レセプター、β2-マイクログロブリン、LDHと有意に相関していたが、炎症マーカーであるCRPとの相関はみられなかった。FLの診断における血清ATX抗原量の感度・特異度を評価するため、ROC曲線を作成したところ、カットオフ値を0.839 mg/Lとしたとき、感度は0.84、特異度は0.80であった。多くのFL患者で、臨床経過と血清ATX抗原量の推移が一致していた。FL患者の血漿LPA濃度は、血清ATX抗原量と相関していた。フローサイトメトリーでは、FL患者の腫瘍細胞のATX発現が確認された。

第二章 妊婦の血清オートタキシン抗原量測定

〈方法〉 2006~2007年に東大病院女性診療科・産科を受診し、同意の得られた36名の正常妊婦、15名のPIH患者、7名の早産妊婦を対象とした。第一章と同じ非妊娠健常女性46名のデータをコントロールとして用いた。血清ATX抗原量の測定は第一章と同様の方法で行った。PIH患者で上昇すると報告されているsoluble fms-like tyrosine kinase 1 (sFlt-1)も併せてELISA法にて測定した。統計解析は第一章と同様の方法で行った。

〈結果〉 正常妊婦の血清ATX抗原量は、妊娠週数と有意に正の相関を示した(r = 0.809, P < 0.001)。1st trimesterの正常妊婦の血清ATX抗原量(1.961 ± 0.450 mg/L)は、非妊娠女性(0.852 ± 0.184 mg/L)に比べて有意に高値であった(P < 0.001)。分娩後の正常妊婦の血清ATX抗原量は、非妊娠に近いレベルまで低下した。3rd trimesterのPIH患者の血清ATX抗原量は、正常妊婦に比べて有意に低値であった(P = 0.04)。1st trimesterのPIH患者の血清ATX抗原量は、正常妊婦に比べて、有意ではないが低い傾向がみられた(P = 0.06)。異なる妊娠週数の妊婦のデータをより正確に比較するため、血清ATX抗原量実測値を測定時の妊娠週数で割った値を「ATX pregnancy index」と定義したところ、1st trimester, 3rd trimester のいずれも、PIH患者では健常者に比べて有意に低値であった。PIH患者では、血清ATX抗原量と血清sFlt-1の間に、有意な相関はみられなかった。3rd trimesterの正常妊婦と早産妊婦で血清ATX抗原量を比較したとき、有意差はみられなかった。

【考察】

我々は、血清ATX測定の臨床検査への応用を目的とし、基礎的検討を進めてきた。

第一章では、FL患者の血清ATX抗原量が、健常者に比べて有意に高値であることが示された。ATXはもともと腫瘍細胞運動促進因子として同定されたが、悪性腫瘍患者で血清ATX活性が上昇することは報告されておらず、本研究は悪性腫瘍患者で血清ATX抗原量が高値となることを示した最初の報告である。一方で、FL患者の血清ATX抗原量の分布は、不均一かつ分散が大きい。血清ATX抗原量は、単独で即診断可能となるような血清マーカーではないが、炎症など他の要因の影響を受けにくいこと、病勢をよく反映していることから、有用なマーカーとなりうると考えられる。

本研究では、FL患者の血漿LPA濃度は、血清ATX抗原量と相関して上昇していた。血漿LPA濃度は、産生と分解のバランスにより調節されると考えられているが、過去の報告および本研究の結果を併せて考えると、LPA濃度を決定する因子としては、ATXを介する産生経路の方がより重要であると考えられる。フローサイトメトリーでFLの腫瘍細胞のATX発現が確認されていることから、FL患者では、腫瘍細胞によるATX産生亢進によって血清ATX抗原量が上昇している可能性がある。これは、ATX代謝阻害によると思われる慢性肝疾患での血清ATX上昇と対照的である。FLでは、ATXがLPA産生を介して、腫瘍の進展に寄与している可能性があり、今後の解明が期待される。

第二章では、妊婦の血清ATX抗原量が高値であることが示され、これは血清ATX活性が高値であるとする徳村らの報告に合致する所見であった。血清ATX抗原量は分娩直後に非妊娠女性に近いレベルまで低下しており、ATXは胎盤で産生されている可能性がある。ATXは血管形成に必須であることがin vivoで示されており、ATXは胎盤形成過程、さらにはPIHの病態にも関与している可能性がある。また、PIH患者の血清ATX抗原量は、妊娠初期から低い傾向がみられるため、PIHの早期発見のマーカーとなる可能性がある。

血清ATX抗原量はFLの有用なマーカーとなりうることが示された。また、妊婦における血清ATX抗原量測定も、PIHの早期診断のマーカーとなる可能性がある。以上のことから、血清ATX抗原量測定は、臨床検査医学的応用が十分可能であると考えられた。また、FLの進展に、LPAやATXが関与している可能性も示唆された。リゾリン脂質と造血器腫瘍の関連については不明な点が多いが、今後さらなる研究が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、血清ATX抗原量測定の臨床検査への応用を目的とし、造血器腫瘍患者および妊婦を対象に測定を行い、以下の結果を得ている。

1.造血器腫瘍患者を対象に血清ATX抗原量を測定したところ、FL患者の血清ATX抗原量は、健常者に比べて有意に高値であった。また、FL患者の血清ATX抗原量は、腫瘍量や臨床経過と関連していることが示された。FL患者の血清ATX抗原量は、既存の悪性リンパ腫マーカー(血清sIL-2R、血清β2-マイクログロブリン)と有意に相関していたが、炎症マーカーであるCRPとの相関はみられなかった。ROC曲線による解析から、血清ATX抗原量は血清LDHに比べて、FLの診断における予測能が高いことが示された。フローサイトメトリーでは、FLの腫瘍細胞がATXを発現していることが示された。FL患者の血漿LPA濃度は、LPA産生酵素である血清ATX抗原量と相関していた。

2.正常妊婦、妊娠高血圧症候群(PIH)患者、早産妊婦を対象に血清ATX抗原量を測定した。正常妊婦の血清ATX抗原量は、非妊娠健常女性に比べて有意に高値であった。加えて、正常妊婦の血清ATX抗原量は妊娠の進行とともに増加し、分娩後は非妊娠健常女性に近いレベルまで低下することが示された。PIH患者の血清ATX抗原量は、正常妊婦に比べて有意に低値であった。PIH患者の血清ATX抗原量と血清sFlt-1濃度の間には、有意な相関はみられなかった。正常妊婦と早産妊婦の血清ATX抗原量の間には、有意差はみられなかった。

以上、本論文は、血清ATX抗原量測定がFLの有用なマーカーとなりうること、妊婦においてPIHの早期診断のマーカーとなりうることを示した。ATXはもともと腫瘍細胞運動促進因子として同定されたが、悪性腫瘍患者で血清ATX活性が上昇することは報告されておらず、本研究は悪性腫瘍患者で血清ATX抗原量が高値となることを示した最初の報告である。本研究は、血清ATX抗原量測定の臨床検査医学的応用が十分可能であることを示しており、学位の授与に値すると考えられる。

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