学位論文要旨



No 124869
著者(漢字) 入山,高行
著者(英字)
著者(カナ) イリヤマ,タカユキ
標題(和) ASKファミリーキナーゼによる腫瘍形成過程におけるアポトーシスと炎症の制御
標題(洋)
報告番号 124869
報告番号 甲24869
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3289号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 准教授 北山,丈二
 東京大学 講師 井田,孔明
 東京大学 講師 江頭,正人
内容要旨 要旨を表示する

本文

多段階腫瘍形成過程において、アポトーシスはイニシエーション時のバリア機構として働き、炎症反応はプロモーション時において腫瘍形成を促進することは広く知られている。腫瘍形成過程におけるこの両現象は、活性酸素種 (Reactive Oxygen Species:以下 ROSと略す)を含む外界の多様なストレス刺激により引き起こされるが、その細胞内ストレスシグナル伝達機構に関してはほとんど解明されていない。

c-jun N-terminal kinase (JNK)およびp38に集約されるストレス応答性MAPK (Mitogen-activated protein kinase)経路は、多様なストレス刺激に応答して、アポトーシス誘導および炎症反応を含む細胞応答を調節する重要なシグナル伝達カスケードである。最近になってJNK、p38の腫瘍形成過程への寄与に関しては解明が進んできてはいるものの、JNK、p38がどのように上流からのシグナルを受け腫瘍形成を制御しているのかなど、その機構はほとんど分かっていない。

ASK1(Apoptosis Signal-regulating Kinase 1)は、JNK、p38の上流に位置するストレス応答性MAPK kinase kinase (MAP3K)であり、その活性制御機構を含めて最も解明の進んでいるMAP3Kの一つである。ASK1は、ROSを介した細胞応答の制御、特にアポトーシスおよび炎症反応誘導に深く関与する分子であることが分かっている。ASK2は、ASK1の結合分子として同定された、ASK1と非常に高い相同性を有するMAP3Kであり、ASK1と共に哺乳類においてASKファミリーを構成している。ASK2は、ASK1と同様、JNKおよびp38の上流に位置するストレス応答性MAP3Kであるが、ASK1とのヘテロ複合体を形成してはじめて安定化され、活性が保持されることで機能する分子であることが分かっている。またASK2は、このASK1との複合体形成時においてROSにより活性化し、ROSによるJNKの活性化に関与することが示されているものの、その生理機能に関してはほとんど未解明であった。

本研究において私は、ストレス応答性MAP3Kレベルからの腫瘍形成の制御という新たな機構の存在を検討するべく、ASK1欠損マウスおよび新たに作製したASK2欠損マウスを用いた腫瘍形成実験を行い、その結果を元にASKファミリーキナーゼによる腫瘍形成過程の制御機構を明らかとしたので報告する。

ASK1は全身の臓器で一様に発現しているものの、ASK2は皮膚や消化管、肺などの外界に接する上皮を有する臓器に多く発現しているというストレス応答性分子として興味深い発現分布を示した。私は皮膚におけるASK2に注目し解析を進めたが、ASK2は皮膚の表皮層、特にケラチノサイトに多く発現していた。そこで、7,12-Dimethylbenz(a)-anthracene (DMBA)をイニシエーター、12-O-tetradecanoylphorbol-13-acetate (TPA)をプロモーターとして投与する二段階皮膚腫瘍形成実験を、ASK2欠損マウスを用いて施行した。その結果、ASK2欠損マウスは、野生型 (WT)マウスと比較して顕著に皮膚腫瘍形成数が亢進していた。ASK2はDMBA刺激により活性化され、ASK2欠損マウス由来のケラチノサイトにおいてDMBA誘導性のJNK、p38経路の活性化の減弱および表皮層におけるDMBA誘導性のアポトーシスの抑制がみられた。そして、このケラチノサイトにおけるDMBA誘導性のASK2-JNK/p38経路の活性化およびアポトーシスには、DMBA暴露により細胞内で産生されるROSが深く関与していた。またASK2は、環境中の代表的な発癌刺激である紫外線に対しても、紫外線照射により発生するROSを感知してアポトーシス誘導に関与していることが明らかとなった。つまり、イニシエーション時においてASK2は、DMBAや紫外線などの発癌刺激によるROSを感知してケラチノサイトのアポトーシスを誘導することで腫瘍形成を抑制していることが明らかとなった。

さらにASK2は、種々のヒト癌細胞株、特に消化管由来の癌細胞株での発現が顕著に低下しており、組織レベルにおいても食道扁平上皮癌組織での発現の低下がみられた。このことは、ASK2がヒトにおいても癌抑制遺伝子として機能している可能性を示唆している。

一方で、ASK1欠損マウスにおいては、ASK2タンパク質の発現がその不安定性のために著明に減少しており、DMBA誘導性のケラチノサイトのアポトーシスもASK2欠損マウスと同程度に抑制されているにもかかわらず、DMBA/TPA投与による皮膚腫瘍形成の亢進が観察されなかった。ASK1およびASK2の両者を欠損した二重欠損マウスにおいても皮膚腫瘍形成の亢進が観察されなかったことより、ASK2欠損による腫瘍形成の亢進の表現型にはASK1が必要であり、ASK1はプロモーション時において腫瘍形成促進に寄与している可能性が示唆された。

TPAは強い炎症反応の誘導により細胞の増殖を惹起しプロモーターとして作用する薬剤であるが、ASK1欠損マウスにおいてTPAの皮膚への投与による炎症反応の誘導、ケラチノサイトの増殖が顕著に抑制されていた。それに対してASK2欠損マウスは、皮膚でのTPAへの反応性に関してWTマウスとの間に差を認めなかった。また、TPA塗布による皮膚でのTNF-αやIL-6といった腫瘍形成を促進する炎症性サイトカインの産生も、ASK2欠損マウスとWTマウスとの間に差はないものの、ASK1欠損マウスにおいてはその産生が抑制されていた。

碑細胞やマクロファージなどの炎症細胞において、ROSを介したASK1の活性化は自然免疫応答に非常に重要な役割を担うことが知られている。マクロファージのような炎症細胞は、ASK2の発現量がケラチノサイトなどと比較して非常に低く、ASK1がASK2に比して優位に発現している細胞である。そのため、マクロファージにおけるROS応答 (ROSによるシグナル伝達)に際して、ASK1は必須であるが、ASK2はほとんど寄与していなかった。皮膚でのTPA投与による炎症反応の誘導にもROSが深く関与していることは知られており、プロモーション時においてマクロファージなどの炎症細胞におけるASK1は、おそらくROSを介した機序により細胞増殖性のサイトカインの産生に寄与し、腫瘍形成過程でのプロモーションを促進していることが示唆された。

以上の結果をまとめると、多段階腫瘍形成過程において、イニシエーション時に上皮細胞 (ケラチノサイト) におけるASK2はASK1と協調し、DMBAなどのROS産生性の発癌刺激を感知してアポトーシスを誘導することで腫瘍形成を抑制している。一方、プロモーション時においては、炎症細胞に多く発現したASK1が腫瘍増殖性のサイトカインの産生などを介して腫瘍形成を促進する。ASK2はヒトの癌での発現の低下をみとめ、新規の癌抑制遺伝子である可能性も示唆された。本研究において得られた知見は、腫瘍形成過程でのアポトーシスと炎症反応の制御の重要性、ひいてはストレスシグナル伝達系としてのMAPK経路の重要性を認識させるだけでなく、ストレス応答性MAP3Kレベルからの腫瘍形成制御という全く新しい機構の存在を示すものである。ASK2に関してはヒトの発癌過程への関与も推察され、ASKファミリーキナーゼを中心としたシグナル伝達機構のさらなる解明が、ヒトの癌に対する予防、治療へとつながる可能性も期待できると思われた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文において私は、ストレス応答性MAP3Kレベルからの腫瘍形成の制御という新たな機構の存在を検討するべく、ASK1欠損マウスおよび新たに作製したASK2欠損マウスを用いた腫瘍形成実験を行い、その結果を元にASKファミリーキナーゼによる腫瘍形成過程の制御機構を明らかとした。以下に得られた結果を要約する。

・多段階腫瘍形成過程において、上皮細胞 (2段階皮膚腫瘍形成モデルにおけるケラチノサイト)におけるASK2は、ASK1と協調的に機能し、イニシエーション時に発生する活性酸素種(ROS)依存的に活性化されてアポトーシスを誘導することで腫瘍形成を抑制的に制御している。

・ASK1は、イニシエーション時においてはASK2と協調して上皮細胞にアポトーシスを誘導することで腫瘍形成の抑制に寄与するが、プロモーション時においては、細胞増殖性のサイトカインの産生を介して炎症反応を誘導することで腫瘍形成を促進する。

・イニシエーション、プロモーション両過程において発生するROSが、腫瘍形成過程におけるASK1およびASK2の機能制御に重要な役割を果たしている。

・ASK2は、様々な消化器系臓器由来の癌細胞および癌組織(食道扁平上皮癌)において発現が低下しており、新規の癌抑制遺伝子である可能性が示唆された。

以上、本論文において得られた知見は、腫瘍形成過程でのアポトーシスと炎症反応の制御の重要性、ひいてはストレスシグナル伝達系としてのMAPK経路の重要性を認識させるだけでなく、ストレス応答性MAP3Kレベルからの腫瘍形成制御という全く新しい機構の存在を示すものである。本研究を礎とした、腫瘍形成過程におけるストレスシグナル伝達機構のさらなる解明は、癌の予防、治療といった可能性につながるものであり、本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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