学位論文要旨



No 124871
著者(漢字) 清水,信隆
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ノブタカ
標題(和) 胚性幹細胞の血管細胞分化におけるメカニカルストレスの効果
標題(洋)
報告番号 124871
報告番号 甲24871
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3291号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 准教授 阿部,裕輔
 東京大学 准教授 岡,明
 東京大学 講師 大須賀,穣
内容要旨 要旨を表示する

〈本研究の背景と目的〉

胚性幹細胞(Embryonic Stem Cell:ES細胞)は3つの胚葉に分化する能力を有し、実質上すべての種類の体細胞に分化することが出来る。近年、培養した細胞や組織、バイオデバイスにより、機能不全に陥った臓器や組織を再生・回復させる医療である「再生医療」が注目されている。すべての細胞に分化しうる能力をもつES細胞は組織再生工学における細胞ソースとして非常に期待される細胞であり、ES細胞を様々な特定の細胞へ分化させる方法を開発するため多くの努力がなされてきた。血管細胞への分化については、マウスES細胞で血管内皮増殖因子(VEGF)の受容体であるFlk-1を発現した細胞(Flk-1+ES細胞)がいわば「血管前駆細胞」の役割を担っており、増殖因子の選択によりVEGFを加えると血管内皮細胞へ、血小板由来増殖因子(PDGF-BB)を加えると血管平滑筋細胞やペリサイトを含む壁細胞に特異的に分化することが明らかとされた。

一方、血管壁は心拍動に伴い、血流や血圧に起因する流れずり応力(Shear stress)や周期的な伸展張力(Cyclic strain)といったメカニカルストレスに常時さらされている。こうしたメカニカルストレスに対する血管内皮細胞や平滑筋細胞の反応は、血管の循環系の恒常性を維持することや、血管形成、リモデリング、動脈硬化といった血流に依存する現象に重要な役割をしていると考えられている。ES細胞は胚の成長の過程において心拍動が始まると、血液や組織液の流れにより生じるShear stressやCyclic strainといったメカニカルストレスにさらされる。最近、このようなメカニカルストレスが細胞の分化にも影響を及ぼすことが分かってきた。Yamamotoらは、Shear stressがマウスFlk-1+ES細胞を血管内皮細胞へ分化誘導することを明らかにしている。

そこで本研究では、Cyclic strainがマウスFlk-1+ES細胞の分化に影響を及ぼすかどうか、及ぼすとしたらどのような細胞へ分化を誘導するかについて検討した。伸縮性のシリコン製膜に培養したマウスFlk-1+ES細胞にCyclic strain(2~12%、1Hz)を負荷し、種々の細胞マーカーの発現変化を測定した。またCyclic strainによるFlk-1+ES細胞の分化誘導作用の分子メカニズムを理解するため、PDGF受容体のリン酸化の面からも検討を加えた。

〈結果〉

1.Cyclic strainはFlk-1+ES細胞の増殖を促進する

マウスFlk-1+ES細胞にCyclic strain(4~12%、1Hz)を24時間負荷すると、静的条件で培養した細胞より細胞数の増大が見られた。4%、8%と伸展強度に応じて増加する傾向が見られたが、8%でピークに達し、12%では8%と変わらなかった。8%、12%での細胞数の増加は、増殖因子であるPDGF-BBを最も有効な濃度で負荷した場合とほぼ同等であった。

以上より、Cyclic strainはFlk-1+ES細胞の増殖を促進することが明らかとなった。

2.Cyclic strainはFlk-1+ES細胞を血管平滑筋細胞へ分化誘導する

Cyclic strainによる細胞分化への影響を検討するため、Cyclic strainを負荷したFlk-1+ES細胞における各細胞マーカーの蛋白・遺伝子発現を定量し、静的条件で培養した細胞と比較した。

ウエスタンブロットにより蛋白発現を定量すると、Cyclic strain(1Hz,24h)により血管平滑筋細胞のマーカーであるSM α-actinおよび SM-MHCの発現はその強度に依存して著明に増加し、8%でPDGF-BBを添加した場合とほぼ同等の発現レベルとなった。一方、血管平滑筋細胞以外の各種細胞マーカーについて、その蛋白発現をフローサイトメトリーで定量すると、Cyclic strain負荷(8%、1Hz、24h)により血管内皮細胞のマーカーであるFlk-1については発現が有意に低下し、他の内皮細胞マーカーであるFlt-1、VE-cadherin、PECAM-1、さらに血球細胞のマーカーであるCD3、上皮細胞のマーカーであるKeratinは発現に変化を認めなかった。

遺伝子発現についてはリアルタイムPCRで定量した。血管平滑筋細胞マーカーのうち、より分化した血管平滑筋細胞を示すSMα-actin、SM-MHC、SM22α、desminについては、Cyclic strain(1Hz、24h)によりその発現が有意に増大し、特にSMα-actin、SM-MHC、SM22αについては強度に依存して増大する傾向が見られた。一方、未分化型のマーカーであるSM-embはCyclic strainによる影響は認めなかった。これに対し、血管内皮細胞のマーカーであるFlk-1の遺伝子発現はCyclic strainに反応して減少し、他のFlt-1、VE-cadherin、PECAM-1は変化しなかった。

以上より、Cyclic strainはFlk-1+ES細胞を血管内皮細胞、血球細胞、上皮細胞ではなく、血管平滑筋細胞に選択的に分化を誘導することが示された。

3.Cyclic strainの分化誘導効果にPDGF受容体の活性化が関わっている

Cyclic strainによる細胞増殖の促進や血管平滑筋細胞への選択的な分化誘導は、PDGF受容体のリン酸化阻害剤であるAG1296を加えると抑制された。このことからPDGF受容体の活性化がFlk-1+ES細胞のCyclic strainによる細胞増殖や血管平滑筋細胞への分化誘導に重要な役割をしていることが示唆された。

4.Cyclic strainはPDGF受容体をリガンド非依存的にリン酸化する

Cyclic strainを負荷すると、10分以内にPDGFβ受容体のリン酸化が生じたが、AG1296を負荷するとほぼ完全に阻害された。またCyclic strainによるPDGFβ受容体のリン酸化は、Cyclic strainの強度に依存していた。このCyclic strainによるPDGFβ受容体のリン酸化はPDGF-BBの中和抗体では阻害されなかった。またCyclic strainを10分間負荷した細胞の培養液をConditioned mediumとしてFlk-1+ES細胞に加えたが、PDGFβ受容体のリン酸化は生じなかった。このことから、Cyclic strainによるPDGFβ受容体のリン酸化は、リガンドに依存しない反応であると考えられた。さらに細胞外ATPスカベンジャーであるapyrase、G蛋白結合受容体の阻害剤であるpertussis toxinを添加、あるいは細胞外液をCa2+ freeの状態にしても、Cyclic strainによるPDGFβ受容体のリン酸化は抑制されなかった。このことから、Cyclic strainによるPDGFβ受容体のリン酸化は、少なくともATP受容体、G蛋白結合受容体、Ca(2+)流入を介した情報伝達経路からのクロストークによる活性化ではないと考えられた。

〈結論〉

Cyclic strainは、PDGFβ受容体のリガンド非依存的なリン酸化を介してマウスFlk-1+ES細胞の増殖を促進し、選択的に血管平滑筋細胞へ分化を誘導することが示された。Shear stressがFlk-1+ES細胞を血管内皮細胞に分化誘導する事実と考え合わせると、胚における血管形成にメカニカルストレスが重要な調節因子として働いている可能性がある。また、メカニカルストレスは細胞の分化を直接制御する技術として再生医療に応用できると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は哺乳類の初期器官発生が行われる胚性期においてメカニカルストレスが胚性幹細胞の血管細胞への分化に及ぼす効果を明らかにするため、マウス胚性幹細胞(MGZ-5)から得た血管内皮増殖因子受容体(Flk-1)陽性細胞において、メカニカルストレス、特にCyclic strainを負荷した場合の細胞増殖、細胞分化の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.マウスFlk-1+ES細胞にCyclic strainを24時間負荷すると、静的条件と比較して伸展強度に応じて有意に細胞数が増大し、Cyclic strainが細胞増殖を促進することが示された。

2.マウスFlk-1+ES細胞にCyclic strainを24時間負荷した際の細胞マーカーのタンパク発現をウエスタンブロット並びにフローサイトメトリー、遺伝子発現をリアルタイムPCRにより定量すると、血管平滑筋細胞マーカーであるSMα-actin、SM-MHC、SM22αの発現は伸展強度に依存して増大したが、内皮細胞マーカーのFlk-1は低下、Flt-1、PECAM-1、VE-cadherinは変化なく、血球細胞マーカーCD3、上皮細胞マーカーKeratinの発現にも影響がなかった。以上より、Cyclic strainはFlk-1+ES細胞を血管内皮細胞、血球細胞、上皮細胞ではなく、血管平滑筋細胞に選択的に分化を誘導することが示された。

3.Cyclic strainによる細胞増殖の促進や血管平滑筋細胞への選択的な分化誘導は、PDGF受容体のリン酸化阻害剤であるAG1296を加えると抑制された。このことからPDGF受容体の活性化がFlk-1+ES細胞のCyclic strainによる細胞増殖や血管平滑筋細胞への分化誘導に重要な役割をしていることが示された。

4.Cyclic strainはPDGFβ受容体をリン酸化し、そのリン酸化はCyclic strainの強度に依存していた。このCyclic strainによるPDGFβ受容体のリン酸化はリガンドであるPDGF-BBの中和抗体では阻害されなかった。またCyclic strainを10分間負荷した細胞の培養液をConditioned mediumとして別のFlk-1+ES細胞に加えたが、PDGFβ受容体のリン酸化は生じなかった。このことから、Cyclic strainによるPDGFβ受容体のリン酸化は、リガンドに依存しない反応であると考えられた。

以上、本論文はマウス胚性幹細胞MGZ-5からFlk-1を発現したFlk-1+ES細胞において、Cyclic strainがPDGFβ受容体のリガンド非依存的リン酸化を介して細胞増殖を促進し、血管平滑筋細胞の方向へ選択的に分化を誘導することを明らかにした。本研究は増殖因子などの化学的物質でなく、Cyclic strainという物理的刺激が胚性幹細胞の分化に影響を与えるという新しい知見を明らかとし、未知の部分の多い胚性幹細胞の分化のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられるだけでなく、メカニカルストレスを細胞の分化を制御する技術として利用するという再生医療への応用の可能性を示したものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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