学位論文要旨



No 124872
著者(漢字) 高梨,さやか
著者(英字) Takanashi, Sayaka
著者(カナ) タカナシ,サヤカ
標題(和) 小児におけるノロウイルス感染症 : 迅速診断法の開発と分子疫学的特徴に関する研究
標題(洋) Norovirus Infection in Children : Studies on Rapid Detection Method and Molecular Epidemiological Characters
報告番号 124872
報告番号 甲24872
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3292号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩中,督
 東京大学 准教授 藤井,知行
 東京大学 講師 渡辺,博
 東京大学 准教授 黒岩,宙司
 東京大学 准教授 田中,輝幸
内容要旨 要旨を表示する

ノロウイルスは小児における非細菌性胃腸炎の主要な原因として全世界で報告されている。発展途上にある国においては毎年約20万人の子供の死亡を、先進国においては約6万4千件の入院を要する胃腸炎を引き起こしているとされる。ノロウイルス胃腸炎はこのように日常的にみられる感染症で、その発見から30年以上経過しているにもかかわらず、臨床現場におけるこのウイルス感染症の診断は困難なままである。これは、ノロウイルスを培養可能な細胞系が存在せず、免疫学的な検査法の開発が遅滞していた事によるところが大きい。結果として、ノロウイルス感染症の自然経過や病原性について依然として明らかにされていないところが多い。

この博士論文は4つの章から構成されている。第1章では、簡便で迅速なノロウイルス感染症の診断法として、イムノクロマトグラフィー(IC)の開発・評価について述べた。全世界的な流行株であるGII/3とGII/4のウイルス様中空粒子に対するウサギポリクローナル抗体を作成し、ICに組み込んだ。ウイルス様中空粒子と胃腸炎の患児より採取した便検体を用いて、Reverse transcription- polymerase chain reaction (RT-PCR)の結果をもとにこのICの性能を評価した。結果は、一致率84.1%、感度69.8%、特異度93.7%であった。RT-PCRでノロウイルス陽性となった検体を遺伝子解析すると、GII/3、GII/4以外の遺伝子型もICで検出できていた一方で、この2遺伝子型に属するノロウイルスも偽陰性となっていた検体があり、これが感度低下の要因となったと考えられた。ノロウイルス以外の下痢原性ウイルス(A群ロタウイルス、アデノウイルス、サポウイルス、アストロウイルス)との交差反応性は認めなかった。検出限界が10(6-7) copies per gram of stoolと十分低いことも考慮すると、開発されたICは実験室的なサポートのない環境におけるノロウイルス感染症のスクリーニングに有用と考えられた。

第2章では、ノロウイルス感染症の腸管外への影響を明らかにするため、ノロウイルス胃腸炎の患児から採取した便以外の検体から、ノロウイルスRNA検出を試みた検討について記述した。39人のノロウイルス胃腸炎のうち6人(15.4%)の血清からseminested RT-PCRでノロウイルスRNAが陽性となった。痙攣症状を呈した患児より採取された脳脊髄液は2検体ともに陰性であった。血清が陽性となった患児は陰性であった患児に比較して痙攣、小脳失調などの神経学的合併症を伴うことが多かった(p=0.028)。血清陽性患児の便検体中ノロウイルス量の中央値は、血清陰性患児のものより高かったが統計的有意差はなく(9.8×109 copies per gram of stool versus 1.1×109 copies per gram of stool(p=0.117))、血清陽性患児の血清中と便中のノロウイルス量には相関関係はなかった。しかしながら、同じ患児より採取された便と血清検体中のノロウイルスの遺伝子型は全て一致し(GII/3:1、GII/4: 5)、それぞれ高い相同性を示した(99.2% ~100%)。これらの事から、血清中に検出されたノロウイルスRNAは腸管由来のものと推察された。

第3章では、東京都内の保育園通園児におけるRT-PCRを用いた胃腸炎サーベイランス(2005年7月~2006年6月)の結果を記述した。6年前に同保育園で同様の手法を用いて行ったサーベイランスと比較して、全体の胃腸炎ウイルス検出率は低下したにもかかわらず(p<0.001)、検出された胃腸炎ウイルスにおけるノロウイルスの割合は増加した(p<0.01)。1年間の研究期間中に、20人の対象園児のうち18人がノロウイルス感染症を経験したが、この中には複数の遺伝子型に感染した児や、同じ遺伝子型に複数回感染した児も含まれていた。胃腸炎症状(1日3回以上の軟便と定義)を有した児と無症状の児(1回/週、定期採便)から採取された便中のノロウイルス量中央値に有意差は認めなかった(1.5×106 copies per gram of stool versus 2.6×104 copies per gram of stool(p=0.6))。研究期間中にノロウイルスGII/6による発症率27.5%のアウトブレイクが発生したが、発端となったのは、アウトブレイク2日前に無症状で通園してノロウイルスGII/6が検出された便を排出し、翌日より胃腸炎症状で休園した2歳女児と考えられた。この児の検体は4.7×104 copies per gram of stoolとウイルス量は低値であったが、園ではそれまでノロウイルスGII/3とGII/4のみ侵淫していたこともあり、アウトブレイクを引き起こしたと考察された。

最終章では、スリランカ・キャンディ市の小児胃腸炎入院例(2005年9月~2006年8月)におけるノロウイルスの分子疫学的特徴について記述した。5歳以下の患児362名より1検体ずつ便を採取し、RT-multiplex PCRにて8種の下痢原性ウイルス(A、B、C群ロタウイルス、アデノウイルス、ノロウイルスGI、ノロウイルスGII、サポウイルス、アストロウイルス)の検出を試みた。このうち5種類のウイルスが検出され、ノロウイルスGIIは全体の10.5%の検体(38件体)で陽性となり、A群ロタウイルスに次いで2番目に頻度高く検出された。ノロウイルスGIは検出されなかった。スリランカの小児由来のノロウイルス報告例は現在まで無く、この塩基配列は初めてGenBankに登録された。他の下痢原性ウイルスと混合感染をしていない33例のノロウイルス感染児の主な臨床症状は、下痢(100%)、嘔吐(72.7%)、37.5℃以上の発熱(51.5%)であった。ノロウイルスは、A群ロタウイルスや2種類のウイルスの重複感染例と同等の胃腸炎重症度スコアを示した(平均値±SD: 12.1±3.0、10.9±3.0、10.6±3.0、p =0.156)。各ウイルス群において、嘔吐回数・期間、下痢回数・期間、発熱頻度などの臨床症状及び、性別、年齢などの項目に有意な差異はみられなかった。10月を除いて毎月ノロウイルスGIIの検出がみられたが、北東モンスーンと南西モンスーン間の乾燥時期であり年間最低気温が記録される1月に、検出数のピークが認められた。38個の全てのノロウイルス陽性検体に対し遺伝子解析を行い、全世界的に検出頻度が低いとされるGII/9やGII/16を含む5種類の遺伝子型が認められた。その中でGII/3が22検体(57.9%)と最多であり、日本を含むアジア各国からGenBankに登録されている株の塩基配列と98%以上の高い相同性を示した。

この研究で簡便迅速に施行できるIC法の開発に成功したことにより、臨床現場においてノロウイルス感染症がさらに正しく認識されることが期待される。新たな病原論の展開としては、腸管から血流へノロウイルスが侵入し、腸管外症状を引き起こしている可能性が示唆された。無症状の小児がノロウイルスのアウトブレイクの発端となり得たことから、標準予防策の重要性が再認識された。スリランカの小児におけるノロウイルス感染症の実態が、本研究によって初めて明らかにされた。近年、ノロウイルス研究が増加する傾向にあるが、継続的なモニタリングと詳細な遺伝子解析が、このウイルスの進化の方向性を見極めるうえで重要と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、小児の下痢原性ウイルスとして重要な位置を占めるノロウイルスの診断法を開発し、病態生理、疾病負担を明らかにするために、簡便迅速に施行可能なイムノクロマトグラフィー法を確立し、小児の各種検体からノロウイルス遺伝子の検出・配列解析・定量化を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.ノロウイルスの流行株であるGII/3とGII/4のウイルス中空粒子を抗原としてウサギポリクローナル抗体を作成し、イムノクロマトグラフィー試験紙に組み込んだ。RT-PCRを標準法とした臨床検体による評価は、一致率84.1%、感度69.8%、特異度93.7%であった。ノロウイルス以外の下痢原性ウイルスとの交差反応性を認めず、検出限界が106-7 copies per gram of stoolと十分低いことも考慮すると、開発されたICは実験室的なサポートのない環境におけるノロウイルス感染症のスクリーニングに有用と考えられた。

2. 39人のノロウイルス胃腸炎のうち6人(15.4%)の血清からseminested RT-PCRでノロウイルスRNAが陽性となった。痙攣症状を呈した患児より採取された脳脊髄液は2検体ともに陰性であった。血清が陽性となった患児は陰性であった患児に比較して痙攣、小脳失調などの神経学的合併症を伴うことが多かった(p=0.028)。同じ患児より採取された便と血清検体中のノロウイルスの遺伝子型は全て一致し(GII/3:1、GII/4: 5)、それぞれ高い相同性を示した(99.2% ~100%)。これらの事から、血清中に検出されたノロウイルスRNAは腸管由来のものと推察された。

3.東京都内の保育園通園児におけるRT-PCRを用いた胃腸炎サーベイランス(2005年7月~2006年6月)の結果は、6年前に同保育園で同様の手法を用いて行ったサーベイランスと比較して、全体の胃腸炎ウイルス検出率は低下したにもかかわらず(p<0.001)、検出された胃腸炎ウイルスにおけるノロウイルスの割合は増加した(p<0.01)。1年間の研究期間中に、20人の対象園児のうち18人がノロウイルス感染症を経験したが、この中には複数の遺伝子型に感染した児や、同じ遺伝子型に複数回感染した児も含まれていた。研究期間中にノロウイルスGII/6による発症率27.5%のアウトブレイクが発生したが、発端となったのは、アウトブレイク2日前に無症状で通園してノロウイルスGII/6が検出された便を排出し、翌日より胃腸炎症状で休園した2歳女児と考えられた。この児の検体は4.7×104 copies per gram of stoolとウイルス量は低値であったが、園ではそれまでノロウイルスGII/3とGII/4のみ侵淫していたこともあり、アウトブレイクを引き起こしたと考察された。健康園児から収集した全検体の17.5%から何らかの下痢原性ウイルスが検出されたことも併せて考慮すると、標準予防策の重要性が強く示唆された。

4.スリランカ・キャンディ市の小児胃腸炎入院例(2005年9月~2006年8月)において、ノロウイルスGIIは全体の10.5%の検体(38件体)で陽性となり、A群ロタウイルスに次いで2番目に頻度高く検出された。スリランカの小児由来のノロウイルス報告例は現在まで無く、この塩基配列は初めてGenBankに登録された。他の下痢原性ウイルスと混合感染をしていない33例のノロウイルス感染児の主な臨床症状は、下痢(100%)、嘔吐(72.7%)、37.5℃以上の発熱(51.5%)であった。ノロウイルスは、A群ロタウイルスや2種類のウイルスの重複感染例と同等の胃腸炎重症度スコアを示した(平均値±SD: 12.1±3.0、10.9±3.0、10.6±3.0、p =0.156)。10月を除いて毎月ノロウイルスGIIの検出がみられたが、北東モンスーンと南西モンスーン間の乾燥時期であり年間最低気温が記録される1月に、検出数のピークが認められた。38個の全てのノロウイルス陽性検体に対し遺伝子解析を行い、全世界的に検出頻度が低いとされるGII/9やGII/16を含む5種類の遺伝子型が認められた。その中でGII/3が22検体(57.9%)と最多であり、日本を含むアジア各国からGenBankに登録されている株の塩基配列と98%以上の高い相同性を示した。

以上、本論文は簡便迅速に施行可能なイムノクロマトグラフィー法の開発に成功し、多数の臨床検体の検討からノロウイルスの新たな病原性への関与、社会全体へ及ぼす影響の大きさを明らかにした。本研究は小児におけるノロウイルス胃腸炎の全体像の解明、及び全世界的にノロウイルスを制御するためのサーベイランスに重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/24383