学位論文要旨



No 124876
著者(漢字) 柗本,順子
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ジュンコ
標題(和) ヒト胎盤におけるMHC様免疫誘導分子CD1dの発現様式に関する研究
標題(洋)
報告番号 124876
報告番号 甲24876
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3296号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋,孝喜
 東京大学 講師 百枝,幹雄
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 講師 高見澤,勝
 東京大学 講師 久具,宏司
内容要旨 要旨を表示する

産科領域において、習慣流産・子宮内胎児発育不全・妊娠高血圧症候群などが大きな問題となっている。それらの原因として、胎盤を構成しているtrohpblastのうちEVT(extravillous trophoblast)の母体脱落膜内血管への浸潤不良がある。特に近年trohpblast上のMHC classI様分子であるCD1d分子の関与が注目されている。今回私は、primary trophoblastの分化培養法を用いて、これらの病態とtrophoblastに発現しているCD1dとの関係について研究した。

ヒト胎盤は胎児からつらなる臍帯を幹として絨毛が樹状に分枝し母体に付着したものである。絨毛樹と子宮壁の間の空間は絨毛間腔と呼ばれ、子宮壁から常に母体血が流れ込み母体血がプールされている。絨毛樹表面のST(syncytialtrophoblast)は物質・ガス交換を担っている。子宮脱落膜内から筋層血管内へ浸潤する一群の絨毛細胞はEVTと呼ばれている。胎児由来の絨毛と母体脱落膜組織の接している母体胎児境界面における胎盤の基本構造を図1に示す。胎児からつらなる未分化なtrophoblastであるcytotrophoblast (CT)は付着絨毛の先端で増殖してcell columnとよばれる細胞塊を形成しつつEVTへと分化して子宮壁内へと浸潤してゆく。EVTの浸潤は子宮筋層内の血管壁まで達し、母体の血管内皮細胞をEVTが置換することで、子宮壁の血管構造が再構築される。このEVTの働きにより子宮壁内のらせん動脈は細径で抵抗の高い構造から太径で抵抗の低い構造へと変化し、それに伴って絨毛間腔へと流入する母体血液量が飛躍的に増大する。以上より、EVTの働きは胎盤形成の大きな原動力となっている。そこでEVT浸潤の調節に関わる機構に注目した。

ヒト正常妊娠維持機構について、母体胎児境界面における免疫調節がかつてより注目されてきた。とくにEVTの母体脱落膜内血管への浸潤の不良について研究が行われてきた。これまで、母体側のEVT浸潤調節因子としては、hypoxia、TGF-βfamily、GM-CSFなどが、胎児側因子として、integrin、activin、MMP、HLA-Gなどの関与が報告されている。このうち免疫誘導分子であるmajor histocompatibility complex (MHC) class Iのうち、human leukocyte antigen(HLA)-Gは、多型性の乏しいHLA-classI分子のひとつで、主に脱落膜内に多く存在する子宮NK細胞からの攻撃を免れるために発現していると考えられている。 HLA-Gは、EVTが胎児側から母体側へと浸潤するにつれて発現が増加し、そのことが胎盤の正常な発育と関係していることが報告されており、注目されている。それに関連して、MHC class Iと構造が類似したCD1dも、近年母体胎児境界面に位置する絨毛細胞で発現していることが報告された。CD1dはinvariant Natural Killer T 細胞(iNKT)というnatural killer (NK) ReceptorとT Cell Receptorを併せ持つ特殊なリンパ球と特異的に反応する。最近母体胎児境界面においてiNKTの存在が報告された。

CD1dはチロシンキナーゼを含む短い細胞内ドメインを有している。CD1dとiNKTの結合あるいは、近接するCD1d分子どうしの架橋反応により、CD1dのチロシンキナーゼが相互にリン酸化され、CD1d陽性細胞の細胞内シグナルが活性化される。これによりCD1d陽性細胞からはinterleukin (IL)-12, IL-15, IL-4,IL-10などのサイトカインが分泌される。CD1dとiNKTの結合は、同時にiNKTも活性化し、iNKTからIFN-yやIL-4が急速に分泌され、獲得免疫系を誘導するに至る。そのためiNKTの働きは、初期免疫と獲得免疫の橋渡しであると考えられている。

胎盤においては胎児側のCD1d陽性絨毛細胞と母体(子宮)側のiNKTが相互作用し、適度な炎症反応を起こすことで胎盤形成に重要な役割を担っている可能性が考えられる。絨毛細胞が母体にとってはallograftであるのに拒絶されず、どのようにして「適度な」浸潤が保たれるのかは、現在のところまだ明らかとされていない。HLA-G、HLA-CなどのMHC class I分子の関与の可能性は知られており、また、ヒト胎盤の母体胎児境界面においてCD1dの存在も報告されていた。しかし絨毛細胞がCD1dを発現することが実際に臨床的にどのような意味を持つのかについては不明である。例えば、胎盤異常に起因すると考えられる疾患として習慣流産があるが、抗リン脂質抗体症候群のような自己免疫性疾患患者が習慣流産を発症しやすいことと、これらの疾患の自己抗体の対象となる自己由来抗原として知られるphosphatidylethanolamine(PE)やphosphatidylinositol(PI)などのリン脂質が、CD1dに提示されることとが、実際にどのような機序で結びついているのかは解明の期待されるところである。しかし、in vitroにおけるprimaryのEVT培養がST分化傾向が強く困難であったため、胎盤におけるCD1dの存在部位と機能について、組織学的・経時的に研究することはこれまで困難であった。

今回、以前我々のグループにおいて確立されたヒト胎盤由来の絨毛細胞のEVT分化誘導初代培養系を用いることにより安定したEVT培養が可能となった。本研究では、(1)EVTへの分化に伴うCD1d発現の減少(2)CD1d発現TGF-β1、IFN-yにより調節されていること(3)複数のCD1d分子間の架橋反応により、絨毛細胞からのIL-12分泌が誘導されることを明らかにした。

免疫染色により、母体脱落膜内へ浸潤が進むほどEVTのCD1d発現が減少していくことが明らかとなった。CD1dはSTにおいては、発現が認められなかった。母体由来のiNKTは、母体脱落膜内と、STによって完全に覆われた絨毛が母体血に浸っている部分に存在する。STにおいてCD1dが発現していない理由として、妊娠初期の胎盤を母体由来のiNKTとの接触による激しい炎症反応から防御するためである可能性が考えられた。一方、EVTではCD1dが提示されており、cell column内の近位EVTではその発現が最も強い。この理由として、胎盤形成の際に母体脱落膜内へEVTが適切に浸潤するためには、局所的な炎症反応が必要と考えられており、CD1d-iNKT間の相互作用と、それにより起こる急速なサイトカインの産生と分泌が、このような炎症性の微小環境をつくるのに重要な役割を演じている可能性が考えられた。しかしその一方で、iNKTの過剰な活性化は流産を引き起こすことが知られており、脱落膜内iNKT細胞の活性度は厳密に制御される必要があると考えられた。

iNKT活性の制御はCD1d発現の濃度で制御されていると報告されている。そこで胎盤におけるCD1d発現制御因子を検討した。今回は胎盤に存在するTGF-β1とIFN-yに注目した。In vivoにおいてTGF-β 1は、EVTや脱落膜NK細胞からの分泌により母体胎児境界面に蓄積していると考えられる。TGF-β 1はEVTにおけるCD1d発現を転写レベルから抑制していることがわかった。脱落膜細胞はIFN-yも発現していることが報告されているが、培養EVTをIFN-yに暴露すると、CD1d発現は濃度依存的に増加した。以上の検討から、絨毛細胞表面のCD1d発現は脱落膜リンパ球や絨毛細胞自身より分泌されるサイトカインの相対的なバランスにより、autocrine/paracrine的に調節されていると考えられた。

流産や子宮内胎児発育不全の原因となる抗リン脂質抗体症候群において、抗リン脂質抗体がCD1dに提示されているPE,PIなどの自己リン脂質と結合することによりCD1d分子間の架橋反応が起こると考えられた。In vitroにおいてCD1d分子間の架橋反応を起こすことによりIL-12発現が誘導されたことから、胎盤局所における過剰な炎症反応が誘起されることが、抗リン脂質抗体症候群などにおける胎盤異常の原因となっている可能性が示唆された。

以上の結果を踏まえ、今後の展望としては、まず実際の習慣流産患者の血清を用いてCD1d発現ヒト絨毛細胞株でIL-12などの炎症性サイトカインの発現が促進されるかどうかを確認すべきであると考えている。また、iNKTに認識されることが報告されている自己リン脂質であるPEなどの抗原が本当にCD1d上に提示されているのかについて、CD1dとPEの位置関係について、confocal 蛍光免疫染色などによって確認をすることが必要である。また、現在、習慣流産の治療としては、胎盤局所での炎症反応の緩和を目的とした抗炎症薬投与や、凝固抑制を目的としたヘパリン投与が行われているが、将来的には本研究の成果を応用して、CD1dあるいは抗リン脂質を介する炎症反応の抑制を目的とした治療法の開発が期待される。このような治療法は、習慣流産にとどまらず、子宮内胎児発育不全や妊娠高血圧症候群などの他のEVT浸潤不良に基づく胎盤異常疾患の治療にも貢献できると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、産科領域における習慣流産・妊娠性高血圧症候群などの病態において重要な役割を演じていると考えられるMHCclass1様免疫誘導分子CD1dの、ヒト妊娠初期胎盤における役割を明らかにするため、ヒト妊娠初期絨毛細胞をextravillous trophoblast分化誘導培養系を用いてCD1d発現の変化をみたものであり、下記の結果を得ている。

1.免疫染色により、母体脱落膜内へ浸潤が進むほどextravillous trophoblastのCD1d発現が減少していくことが明らかとなった。CD1dはsyncytialtrophoblastにおいては、発現が認められず、extravillous trophoblastではCD1dが提示されており、cell column内の近位extravillous trophoblastではその発現が最も強いことが示された。

2.絨毛細胞がextravillous trophoblastに分化するin vitroのprimary絨毛細胞培養系を用いてヒト絨毛細胞を培養し、細胞表面のCD1d発現がextravillous trophoblastへ分化するに従い減少することがフローサイトメトリーによって示された。

3. ヒト絨毛細胞の培養液中にTGF-β1、IFN-yを添加し、絨毛細胞のCD1d発現の変化を定量的PCR、ELISAにより、調べたところ、TGF-β1がCD1d発現を転写レベルから抑制し、IFN-yは促進していることが示された。

4. 流産や妊娠性高血圧症候群と関連のある抗リン脂質抗体症候群において、抗リン脂質抗体によるCD1d分子間の架橋反応が起きていると考えられる。ヒトCD1dに結合する抗ヒトCD1d抗体を用いたCD1d分子間の架橋反応により、同様のCD1d分子の架橋反応がおき、絨毛細胞からのIL-12分泌が誘導されることがELISA、realtime -PCRにより確認された。

以上、本論文は、ヒト絨毛細胞において、CD1d発現がextravillous trophoblastへと分化するに従い減少することとその機序を明らかにし、架橋反応を介した胎盤異常との関連のあるIL-12の誘導も明らかにした。本研究はこれまで未知であった、CD1dを介した抗リン脂質抗体症候群などの病態と流産や妊娠性高血圧症候群などの胎盤異常との関係の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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