学位論文要旨



No 124887
著者(漢字) 石沢,武彰
著者(英字)
著者(カナ) イシザワ,タケアキ
標題(和) Indocyanine green 蛍光法を用いた肝癌手術診断法の開発
標題(洋)
報告番号 124887
報告番号 甲24887
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3307号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,泰之
 東京大学 准教授 百瀬,敏光
 東京大学 准教授 野村,幸世
 東京大学 准教授 菅原,寧彦
 東京大学 講師 今井,陽一
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

肝切除は肝癌(本論文では肝細胞癌と大腸癌肝転移)に対する最も有効な治療法の一つとして普及している。しかし、肝臓は実質臓器であるため手術中に腫瘍の位置を同定することが困難な場合がある。特に早期肝細胞癌は腫瘍の境界が不明瞭であり、切除標本の割面を観察しても肉眼的には腫瘍を同定できないことがある。手術診断によって腫瘍が同定できなければ、対象病変が正しく切除されたことを手術中に確認できない。さらに、顕微鏡下の観察は肉眼的に病変が指摘された領域を中心に行われるので、肉眼診断されなかった腫瘍は病理組織診断でも見逃される可能性がある。したがって、肝切除と病理組織診断の精度を向上させるために、肝癌をリアルタイムに手術診断することができる簡便な画像診断法の開発が待たれている。

近年、手術中のリアルタイム画像診断法としてindocyanine green(ICG)蛍光法が開発され、冠動脈バイパス手術における吻合部の血流評価などに臨床応用されている。ICG蛍光法は、血液中の蛋白と結合したICGに近赤外光を照射すると波長 830nm 前後の蛍光を呈する性質を利用している。我々はICGが胆汁排泄性であることに注目し、肝癌組織あるいは腫瘍により圧排された周囲肝実質に存在する胆汁排泄障害をICG蛍光法を用いて画像化することにより、肝癌の手術診断が可能であると推察した。本研究の目的は、1) 赤外観察カメラシステムを用いて肝切除標本割面を観察し、ICG蛍光法の肝癌診断能および蛍光パターンと病理組織学的所見との関連について基礎的な検討を行うこと、2) 切除前の肝表面を赤外観察カメラシステムで観察しICG蛍光法の肝癌描出能を評価することである。

[方法]

対象は肝細胞癌(37症例)または大腸癌肝転移(12症例)に対して肝切除を施行した計49症例。手術1-14日前に肝機能検査のために0.5 mg/kgのICG(ジアグノグリーン、第一三共)を静注し、手術時に肝内に残存しているICGを蛍光物質として利用した。

1) 切除標本割面に対するICG蛍光法による肝癌診断

肝切除後直ちに切除標本を腫瘍の最大割面を含むように10 mm厚で横切開し、肉眼診断の後に赤外観察カメラシステム(PDE、浜松ホトニクス)を用いて各標本切片の割面を撮影した。腫瘍の蛍光パターンを記録するとともに、肉眼診断の有無にかかわらず径5 mm以上の蛍光領域をマーキングし病理組織学的診断に提出した。また蛍光像における癌部および非癌部肝実質の信号強度を計算し、癌部-非癌部コントラストを求めた:(癌部-非癌部コントラスト)=(癌部の信号強度)-(非癌部の信号強度)。さらに、ホルマリン固定組織から作成したプレパラートを蛍光顕微鏡で観察し、蛍光の発生部位を検索した。

2) 切除前肝表面に対するICG蛍光法による肝癌診断

上記49症例のうち研究期間の後半に肝切除を施行した26症例(肝細胞癌20例と大腸癌肝転移6例)を対象とした。肝授動後に赤外観察カメラシステムで肝表面を撮影し、腫瘍描出の有無を記録した。

[結果]

ICG蛍光法により、病理組織学的に診断された肝細胞癌(n = 63)と大腸癌肝転移(n = 28)の全てが切除標本割面上に描出された。大腸癌肝転移28結節は全て肉眼的にも同定可能であった。一方、肝細胞癌63結節のうち 8 結節(13%)は切除標本割面の肉眼診断では指摘されず、ICG蛍光法によって初めて同定された。この8結節の内訳は、早期肝細胞癌(n = 5, 本研究に含まれる早期肝細胞癌11結節の45%)、高分化肝細胞癌(n = 2)、および中分化肝細胞癌(n = 1)であった。ICG蛍光法により、肉眼的には病変を同定できない蛍光領域が上記の肝細胞癌8結節に加えて5つ描出されたが、これら5病変の病理組織学的診断は大再生結節(n = 4)と胆管増生(n = 1)であった。

肝細胞癌63結節の蛍光パターンは、1) 全体型(腫瘍全体が均一な蛍光を呈す、n = 33; 図1A)、2) 部分型(腫瘍内部が部分的に蛍光を呈す、n = 26; 図1B)、および3) リング型(腫瘍自体は蛍光を呈さないが周囲肝実質がリング状に蛍光を呈す、n = 4; 図1C)の3型に分類可能であった。一方、大腸癌肝転移28結節は全てリング型の蛍光を呈した(図1D)。

肝細胞癌の中で全体型と部分型の蛍光パターンを呈す腫瘍の間で腫瘍因子を比較すると、全体型の蛍光を呈す肝細胞癌は部分型に比べて腫瘍径が小さく(12 [2 - 40] mm vs. 30 [7 - 150] mm; P = .001)、病理組織学的には高分化癌の割合が高く(58% vs. 0%; P < .001)、偽腺管形成が高率(85% vs. 50%; P = .005)であった。リング型の蛍光を呈す肝細胞癌は全て低分化であった。

癌部-非癌部コントラストは高分化肝細胞癌の方が中・低分化肝細胞癌よりも高値であった(163 [71 - 218] /pixel vs. 68 [-6 - 211] /pixel, P < .001)。非癌部肝実質の信号強度は、患者のICG15分停滞率が20%以上であった切片の方がそれ以外の切片よりも高く(75 [46 - 107] /pixel vs. 41 [12 - 91] /pixel, P < .001)、また手術前日にICGが投与された切片の方が手術2 - 14日前に投与された切片よりも高値であった(73 [56 - 105] /pixel vs. 42 [12 - 107] /pixel, P < .001)。

蛍光顕微鏡を用いた観察によって、全体型・部分型の蛍光を呈す肝細胞癌では癌組織の細胞質および偽腺管内にICGの蛍光が確認された。一方、リング型の蛍光を呈す肝細胞癌と肝転移では、腫瘍による圧排のために細胞密度が上昇した非癌部肝実質内にICGの蛍光が確認された。

切除前肝表面の赤外観察カメラシステムによる観察では、対象となった肝細胞癌41結節のうち21結節(51%)と大腸癌肝転移(16結節)の全てが肝表面に描出された。蛍光法で肝表面に描出されなかった肝癌(n = 20)は蛍光を呈した肝癌(n = 37)よりも腫瘍径が小さく(11 [2 - 40] mm vs. 18 [3 - 130] mm, P = .019)、肝表面から腫瘍までの距離が深かった(10 [3 - 35] mm vs. 2 [0 - 8] mm, P < .001)。術中超音波検査では対象である肝細胞癌41結節のうち33結節(80%)と大腸癌肝転移16結節の全てが同定された。術中超音波検査で同定できなかった肝細胞癌8結節のうち3結節(肝表面から1 - 3 mmに存在)はICG蛍光法で肝表に描出されたが、それ以外の5結節はICG蛍光法でも同定不能であった。

[考察]

ICG蛍光法により、病理組織学的に診断された全ての肝細胞癌と大腸癌肝転移が切除標本割面上に同定された。高分化肝細胞癌は腫瘍自体が均一で強い蛍光を呈し、低分化肝細胞癌と大腸癌肝転移は腫瘍の蛍光は弱いが周囲肝実質がリング状の蛍光を呈した。蛍光顕微鏡を用いた観察により、高・中分化肝細胞癌では癌組織の細胞質と偽腺管内に、低分化肝細胞癌と大腸癌肝転移では腫瘍により圧排された非癌部肝実質内にICGの蛍光が確認された。以上から、分化度の高い肝細胞癌はICGを取り込むが発癌に伴う胆汁排泄障害があるために癌組織にICGが滞留し、一方低分化肝細胞癌と大腸癌肝転移では腫瘍により圧排された非癌部肝実質で胆汁排泄が遷延するためICGが滞留し、いずれの腫瘍も蛍光法によって描出することが可能であったと推察される。

ICG蛍光法に期待される役割は、肉眼診断が困難な小肝癌、特に早期肝細胞癌を手術中に同定することである。本研究では肝細胞癌63結節のうち8結節(13%)が切除標本割面の肉眼診断では指摘されず、ICG蛍光法を用いて初めて同定された。早期肝細胞癌については、全11結節のうち5結節(45%)が肉眼診断不能であったが、ICG蛍光法では全ての病変が同定可能であった。本法は標本摘出後直ちに手術室で施行可能であるため、手術対象病変が切除されたことを閉腹前に確認するために有効であり、小肝癌(特に早期肝細胞癌)に対する病理組織診断の精度向上にも寄与すると考えられる。

ICG蛍光法による切除前肝表面の診断では、約半数の肝細胞癌と全ての大腸癌肝転移が肝表に描出された。近赤外光の生体透過距離が5 - 10 mmであることを考慮すると、癌腫の違いよりもむしろ腫瘍の深さが診断率に影響したと考えられる。術中超音波は探触子に近接する病変の描出が不良であるので、ICG蛍光法を術中超音波と併用することにより、特に肝表直下にある小肝癌に対する切除前の診断率が向上すると期待される。

本研究の問題点は、第一にICGの投与時期が一定でないことである。今回の検討では、手術前日にICGが投与された症例と術前のICG15分停滞率が不良(20%以上)であった症例で非癌部肝実質の信号強度が高かった。十分な癌部-非癌部コントラストを得るためには、肝機能不良例ほどICG投与から手術までの間隔を長くするべきであることが示唆されたが、追加試験によってICG投与の時期を最適化する必要がある。第二に、今回の研究は肝切除症例を対象としているため非切除肝の病理組織学的な検索が不可能であり、肝癌診断能の評価に限界がある。ICG蛍光法の感度・特異度を正確に評価するためには、肝移植症例を対象とし全肝摘出標本に対して詳細な病理組織学的検討を加えることが望ましいと考えられる。

[結論]

ICG蛍光法による肝癌の手術診断は簡便であり、肝切除の正確性と病理組織診断の精度向上に寄与する。

図1 肝細胞癌と大腸癌肝転移の蛍光パターン(左)と肉眼所見(右)

(A) 全体型; 径7 mmの高分化肝細胞癌。(B) 部分型; 径 36 mm の中分化肝細胞癌。内部に高分化な成分と出血壊死を伴う。(C) リング型; 径30 mmの低分化肝細胞癌。 (D) リング型; 径130 mm の大腸癌肝転移。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はindocyanine green(ICG)蛍光法により肝切除における肝癌(肝細胞癌と大腸癌肝転移)の手術診断を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.ICG蛍光法により、病理組織学的に診断された全ての肝細胞癌と大腸癌肝転移が切除標本割面上に描出された。腫瘍の蛍光パターンは癌種および分化度と関連しており、高分化肝細胞癌は腫瘍自体が均一で強い蛍光を呈し、低分化肝細胞癌と大腸癌肝転移では周囲肝実質がリング状の蛍光を呈した。

2.蛍光顕微鏡を用いた観察により、肝細胞癌では癌組織の細胞質と偽腺管内に、低分化肝細胞癌と大腸癌肝転移では腫瘍により圧排された非癌部肝実質内にICGの蛍光が確認された。分化度の高い肝細胞癌はICGを取り込むが胆汁排泄障害があり、また低分化肝細胞癌と大腸癌肝転移では周囲肝実質にICGの排泄障害があるため、いずれも蛍光法により描出されると推察された。

3.切除標本割面において、肝細胞癌63結節のうち8結節(13%)は肉眼的には指摘されずICG蛍光法で初めて同定された。さらに早期肝細胞癌全11結節のうち5結節(45%)が肉眼診断不能であり、ICG蛍光法で手術診断された。ICG蛍光法は対象病変が切除されたことを手術中に確認するために有効であり、早期肝細胞癌の診断率向上にも寄与すると考えられた。

4.ICG蛍光法による切除前肝表面の観察では、約半数の肝細胞癌と全ての大腸癌肝転移が肝表に描出された。近赤外光の生体透過距離は5 - 10 mmまでであるため、ICG蛍光法は深部にある腫瘍の描出に限界があるが、肝表に近い腫瘍の位置を肝切除前に確認するために有効であると考えられた。

以上、本論文はICG蛍光法によって肝細胞癌と大腸癌肝転移が肝切除手術中にリアルタイムに診断可能であることを世界に先駆けて明らかにした。本研究は肝癌に対する肝切除および病理組織学的診断の正確性向上に大きく寄与するものと期待され、学位の授与に値すると考えられる。

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