No | 124894 | |
著者(漢字) | 菊田,周 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | キクタ,シュウ | |
標題(和) | 前交連を介した左右嗅皮質間の相互作用 | |
標題(洋) | Interactions between right and left olfactory cortices via the anterior commissure | |
報告番号 | 124894 | |
報告番号 | 甲24894 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(医学) | |
学位記番号 | 博医第3314号 | |
研究科 | 医学系研究科 | |
専攻 | 外科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 哺乳類は2つある眼や耳を通して、左右からの感覚情報を脳内で統合することによって、外界の位置、空間情報を得る。嗅覚系も左右の感覚経路を持つが、2つある嗅覚情報処理経路は、どのような機能的意義を持つのだろうか。 匂い情報は左右鼻腔に入ると、左右独立した神経経路を経由し、嗅上皮にある嗅神経から嗅球に運ばれ、嗅皮質へと伝達される。嗅皮質の最も吻側部にある前嗅核は、前交連を介して、対側の嗅皮質から多くの投射を受けることが解剖学的に知られている (図1)。しかし、左右嗅覚情報が中枢でどのように統合、処理され、どのような相互作用をするかについてはこれまで不明であった。 本研究において筆者は、ラット左右嗅皮質間の相互作用を明らかにするために、in vivo電気生理学的手法を用いて、嗅皮質の1つである前嗅核ニューロンから細胞外単一細胞記録を行い、左右分離匂い刺激に対する応答特性や鼻閉じ後の対側匂い刺激応答の変化の解明を試みた。 1. 前嗅核ニューロンの応答特性とその局在 前嗅核に存在するニューロン群の匂い応答を体系的に明らかにするために、前嗅核にガラス電極を刺入し、単一細胞記録を行い、異なる匂い分子から構成される10種類の匂いカテゴリーを用いて、左右嗅上皮分離刺激に対する応答を調べた。 前嗅核にはその応答特性から、少なくとも5種類の細胞群が観察された (図2)。 1). 少なくとも1つの匂いカテゴリーに対して、同側嗅上皮刺激、対側嗅上皮刺激共に興奮性応答を示す両側性E-E(同側-興奮性、対側-興奮性) ニューロン(31細胞) 2). 少なくとも1つの匂いカテゴリーに対して、同側匂い刺激には興奮性応答、対側匂い刺激には抑制性応答を示す同側性E-I(同側-興奮性、対側-抑制性) ニューロン(3細胞) 3). 応答する全ての匂いカテゴリーに対して、同側匂い刺激に興奮性応答を示すが、対側匂い刺激には応答を示さない同側性E-0 (同側-興奮性、対側-なし) ニューロン(18細胞) 4). 少なくとも1つの匂いカテゴリーに対して、同側嗅上皮刺激、対側嗅上皮刺激のどちらに対しても抑制性応答を示すI-I(同側-抑制性、対側-抑制性) ニューロン(3細胞) 5). 応答する全ての匂いカテゴリーに対して、同側匂い刺激に抑制性応答を示し、対側匂い刺激には応答を示さないI-0 (同側-抑制性、対側-なし) ニューロン (1細胞) 次に、左右の嗅上皮から入力を受けていると想定される両側性E-Eニューロンに注目し、その応答特性について詳細に検討した。 同側匂い刺激に対するスパイク応答のピークは吸気相から呼気相の移行部に位置したが、対側匂い刺激に対するスパイク応答のピークは、呼気相の始めに位置していた。すなわち、対側匂い刺激に対するスパイク応答のピークは、同側匂い刺激のそれに比べて、遅れていた。この応答の遅れは対側経路が同側経路と比較して、より多段階のシナプス伝達を経るためだと予想される。 次に、両側性E-Eニューロンについて、左右匂い刺激に対する応答選択性を詳細に検討した。両側性ニューロンは1つの匂いカテゴリー、もしくはある特定の匂いカテゴリーの組み合わせに選択的に応答し、その匂い応答選択性は同側と対側でほぼ一致していることが明らかになった(図3)。対側嗅上皮からの匂い入力の収束が、前交連を介した神経経路によることを確認するために、前交連を切断したラットを用いて、左右分離匂い刺激を行った。前交連切断ラットでは、記録した27細胞全てにおいて、同側匂い刺激のみに応答し、対側匂い刺激には応答を示さなかった。 この結果より、対側嗅上皮からの匂い入力は、前交連を介して同側前嗅核で収束することを確認した。以上から、左右独立して処理された嗅覚情報は、前交連を介して初めて前嗅核で収束し、その収束は、左右嗅皮質間の緻密な線維連絡によって成し遂げられていると考えられる。 次に、左右嗅上皮同時刺激に対する前嗅核での応答特性を調べるために、同じ匂いカテゴリーを用い、同側匂い刺激、対側匂い刺激、左右同時匂い刺激を各々行い、その応答について比較検討した。 2細胞(40%、2/5細胞)では、両側同時匂い刺激の応答強度は、同側匂い刺激と対側匂い刺激の応答強度の合計に比べて、2倍近く大きい応答を示した。別の匂いカテゴリーについても、同時刺激を行うと、同側匂い刺激と対側匂い刺激の応答強度の合計より、大きい傾向を示した。 しかし、残りの3細胞については、両側同時匂い刺激に対する応答が、同側匂い刺激と対側匂い刺激の応答強度の合計より、大きくなることは観察されなかった。以上の結果より、特定の前嗅核ニューロンにおいて、左右同時匂い刺激に対する応答増強(両側性促通)が起こることが示された。 次に、応答特性の異なるニューロン群が、前嗅核内で空間的にどのように局在しているのかを検討した。前嗅核は、表面から深部に向かい、I層、II層(細胞層)、III層と層状構造をしている。同側嗅上皮から興奮性入力を受ける前嗅核ニューロンの多くは(36/43cell、84%)、II層に位置していた。さらに、これらII層から記録したニューロン群を浅層(IIa)と深層(IIb)に分けて解析すると、同側性ニューロン群は主として浅層に局在する傾向し、両側性ニューロン群は主として深層に局在する傾向があった。以上の結果は、匂い情報処理における、前嗅核ニューロンのII層内亜層特異的な機能分化の可能性を示唆する。 2.同側鼻閉じ後の前嗅核ニューロンの応答特性の変化 同側鼻入口部をキチン膜で閉鎖し、同側嗅上皮入力を遮断すると、前嗅核ニューロンの呼吸と同期した自発発火が一旦消失する。ところが、その数分後に(138±25秒、n=17)、鼻閉じ前に位置したスパイク応答のピークとは少し遅れた相で、27%のニューロン(17/63細胞)が呼吸と同期したスパイク発射を示す。前述のように、対側匂い刺激に対する呼吸サイクルでのスパイク応答のピークは、同側匂い刺激に対するそれに比べて遅れる。このことから、同側前嗅核ニューロンは、同側鼻閉時には、対側嗅上皮から対側嗅球、対側嗅皮質を通り、前交連を介した対側経路入力によって、呼吸と同期したスパイク応答が再誘発されるようになったと考えられる。 匂いカテゴリー刺激に対する応答でも同様に、同側鼻閉じを行うと、約27~33%の前嗅核ニューロンにおいて、数分後に対側匂い刺激に対する応答が可逆的に増強するのが観察された (図4)。 以上より、同側鼻閉じを行うと、特定の同側前嗅核ニューロンで対側匂い刺激に対する応答の増強が起こることが示された。 本論文において筆者は、前嗅核ニューロンにおける左右両側嗅上皮からの匂い入力の機能的解析を、世界に先駆けて行った。聴覚系での、左右からの興奮性応答と抑制性応答の強度差をcueに音圧差をコードする、上オリーブ核のニューロンのように、前嗅核のE-I(同側-興奮性、対側-抑制性)ニューロンは、左右嗅覚信号の強度差を比較し、左右匂い方向性の感知機能に寄与している可能性がある。また、前嗅核ニューロンにおける両側性嗅上皮入力の収束の機能的意義として、外界の匂い情報に対する感度上昇、出力の相乗効果や、嗅皮質が片鼻の通気状態に関わらず、閉塞時には非閉塞側の嗅覚経路を通して、安定して外界をモニターできる左右代用機能が考えられる。 これまで嗅覚系以外の感覚系では、感覚入力遮断後の代償的な対側入力の増強は日単位の時間差で起こることが報告されている。嗅覚系では、数分単位で迅速に生じることは他の感覚系との大きな相違点であり、左右感覚器から同種の入力を受けるニューロンにおける、左右入力の競合の結果もたらされた代償的可塑性変化と考えられる。 本研究はこれまで知られていなかった、左右嗅皮質間の相互作用を明らかにし、嗅覚情報処理における機能ロジックの解明、ならびに嗅覚系における感覚入力遮断後の、非常に早い代償的可塑性変化のシナプス機構の解明に、重要な貢献をなすと考えられる。 図1. 同側(記録側)嗅上皮から前嗅核へ至る同側経路(赤)と対側(非記録側)嗅上皮からの対側経路(青) 匂い情報は鼻腔に入ると、嗅上皮から嗅球、嗅皮質へと運ばれる(赤;同側経路、青;対側経路)。同側前嗅核は同側嗅上皮からの情報のみならず、前交連を介して、対側の嗅上皮からも匂い情報を受け取る。図には左右前嗅核間の単シナプス性の線維連絡のみを表示しているが、多シナプス性の連絡も存在する。 図2. 異なる応答特性を示す5種類の前嗅核ニューロン群 1)両側性E-Eニューロン。phenol匂いカテゴリーに対して、同側、対側刺激共に興奮性応答を示している。赤のヒストグラムは同側匂い刺激に対する発火頻度を表し、その上はrasterを表す。同様に、青のヒストグラムは対側匂い刺激に対する発火頻度を表す。 2)同側性E-Iニューロン。ether匂いカテゴリーに対して、同側刺激には興奮性応答を示し、対側刺激には抑制性応答を示している。 3)同側性E-0ニューロン。sulfide匂いカテゴリーに対して、同側刺激のみに興奮性応答を示している。 4)I-Iニューロン。ether匂いカテゴリーに対して、同側、対側刺激共に抑制性応答を示している。 5)I-0ニューロン。ester匂いカテゴリーに対して、同側刺激のみに抑制性応答を示している。 下のbarは刺激時間(3秒)を表す 図3. 匂い応答選択性は左右嗅上皮入力でほぼ一致する。 縦軸には細胞の番号が示され、横軸には刺激に用いた10種類の匂いカテゴリーが示されている。 上半円の塗りつぶしは同側匂い刺激に対する興奮性応答を示し、塗りつぶしのない上半円は応答なしを表す。下半円は対側匂い刺激に対する応答の有無を表す。 #1細胞はaldehydeカテゴリーに対して、同側、対側刺激共に興奮性応答を示している。 前嗅核ニューロンは、1つの匂いカテゴリーもしくはある特定の匂いカテゴリーの組み合わせに選択的に応答し、その匂い応答選択性は同側入力と対側入力でほぼ一致している。 また、対側匂い刺激に応答する匂いカテゴリーの組み合わせは、同側匂い刺激に応答する匂いカテゴリーの組 図4. 同側鼻閉じ後数分で、可逆的に対側匂い刺激に対する応答が増強する。 同側匂い刺激(赤)と対側匂い刺激(青)に対する応答強度の時間経過(上段)を示す。このニューロンは鼻閉じ前は、同側刺激のみに強く応答したが (a,b)、鼻閉じ後、約200秒経過したところで、対側匂い刺激に対する応答が増強した(c)。鼻閉じを解除すると、対側刺激には応答しなくなるが、再度鼻閉じをすると、その約160秒後に再度対側刺激に対する応答が増強した(d)。下段はスパイク応答、中段はその発火頻度を表す。 | |
審査要旨 | 本研究はラット左右嗅皮質間の相互作用を明らかにするために、In vivo電気生理学的手法を用いて、嗅皮質の1つである前嗅核ニューロンの左右分離匂い刺激に対する応答特性や鼻閉じ後の対側匂い刺激応答の変化の解明を試みたもので、以下の主要な結果を得た。 1. 左右独立して入った嗅上皮からの匂い入力は前交連を介して前嗅核で収束した。その収束の約60%は、同側、対側嗅上皮刺激共に興奮性応答を示す両側性ニューロンであった。 2. 両側性ニューロンは1つの匂いカテゴリーもしくはある特定の匂いカテゴリーの組み合わせに選択的に応答し、その匂い応答選択性は同側と対側でほぼ一致していた。また、対側刺激に応答する匂いカテゴリーの組み合わせは同側刺激に応答する匂いカテゴリーの組み合わせに含まれていた。 3. 同側鼻閉じを行うと、約27~33%の前嗅核ニューロンが、数分で対側嗅上皮匂い刺激に対する応答が可逆的に増強した。 以上、本論文はラット嗅皮質における、左右嗅上皮刺激に対する応答特性の体系的な解析や同側鼻閉じ実験の解析から、嗅皮質が片鼻の通気状態に関わらず、閉塞時には非閉塞側の嗅覚経路を通して、安定して外界をモニターできるシステムの存在を明らかにした。本研究はこれまで知られていなかった、嗅覚系における感覚入力遮断後の非常に早い代償的可塑性変化のシナプス機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位授与に値するものと考えられる。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/24380 |