学位論文要旨



No 124896
著者(漢字) 倉林,理恵
著者(英字)
著者(カナ) クラバヤシ,リエ
標題(和) 乳腺腫瘍におけるテロメア長の検討
標題(洋)
報告番号 124896
報告番号 甲24896
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3316号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 准教授 朝蔭,孝宏
 東京大学 准教授 矢野,哲
 東京大学 准教授 三村,芳和
 東京大学 講師 金内,一
内容要旨 要旨を表示する

[背景および目的] テロメアは染色体末端に存在する特殊な構造体であり、TTAGGGの繰り返し塩基配列からなるテロメアDNAと関連タンパク質から構成されている。テロメアは染色体の癒合やDNAの損傷、変性をおこすような染色体末端の露出を防ぎ、染色体の安定化に寄与している。テロメアDNAの長さをテロメア長と呼ぶ。テロメア長は末端複製問題により細胞分裂ごとに短縮することが知られている。テロメア長がある一定以上短縮すると、細胞は老化を迎えて増殖を停止する。生殖細胞・幹細胞・多くの癌細胞などの不死化細胞では、テロメア長は逆転写酵素テロメレースにより伸長することが知られているが、多くの体細胞ではテロメレース活性は認められない。p53, Rbの異常などが起こると、この分裂寿命を超えて細胞は増殖を続け、テロメア長はさらに短縮しクライシスに至りやがて細胞は死ぬ。テロメア長が一定の値よりも短くなるとテロメアは機能不全を起こし、染色体は癒合を起こしやすくなり、breakage-fusion-bridge cycleを介し、癌化促進要因のひとつである染色体不安定性を増すのである。多くの癌や前癌病変でテロメア長の短縮・染色体の不安定性が報告されている。

テロメア長は、従来Southern blot法によるterminal restriction fragment (TRF) として測定されてきたが、TRFにはサブテロメアの長さも含むこと、組織を一塊としてDNAを抽出し測定するために細胞の種類ごとに計測することが不可能であるという欠点があった。2002年MeekerらとO'Sullivanらがquantitative fluorescence in situ hybridization (Q-FISH)法によるテロメア長測定を組織切片へ応用し、組織Q-FISH法を確立し、細胞種類別のテロメア長測定が可能となった。

乳癌は我が国においても女性のがん罹患率1位となり、罹患数が増加している。針生検などの限られた組織量での診断が難しい症例があること、標準的治療法は確立しつつあるも個別化が必要であることより、新しいバイオマーカーや治療法が求められている。

本研究の目的は、テロメア長を乳腺の構成細胞群別に解析し、増加の一途をたどる乳癌の診断、治療法の向上のための有用な情報を得ることである。テロメア長は細胞種類別に異なることが予測され、乳癌組織に特徴的なテロメア長パターンや他の細胞を含まない乳癌細胞のみのテロメア長と臨床病理学的因子との関係が明らかになることが期待される。

[対象と方法] 対象は乳癌と診断され、乳房切除術・乳房扇状部分切除術を施行された年齢が34歳から91歳まで(平均年齢58.4歳)の30例である。手術摘出検体から、癌部組織および非癌部組織を採取した。乳癌は組織型により生物学的特性が異なるため、最も頻度が高い「通常型」の乳癌(WHO分類のinvasive ductal carcinoma, otherwise specified)と術後診断で確定した症例のみを対象とした。

Estrogen receptor (ER)、progesterone receptor (PR)、Ki-67、smooth muscle actin、human epidermal growth factor receptor type 2 (HER2) に対する免疫染色とCy3で標識したテロメアpeptide nucleic acid (PNA)プローブ (Fasmac, Atsugi City, Kanagawa, Japan)とfluorescein isothiocyanate (FITC)で標識したセントロメアPNAプローブ (Fasmac)を用いて組織Q-FISH法を行った。核染色は4',6-diamidino-2-phenylindole (DAPI)で行った。

核内のCy3 (テロメア)蛍光光度とFITC (セントロメア)蛍光光度を自動的に測定し、その比であるTelomere - Centromere Ratio (TCR)を細胞ごとに算出した。

乳腺組織の主要構成細胞である以下の5細胞のテロメア長をTCR値として得て、解析した。癌部組織の癌細胞、癌近傍線維芽細胞、非癌部組織terminal duct lobular unit (TDLU)の筋上皮細胞と腺上皮細胞および非癌部間質の線維芽細胞である。

[乳癌細胞テロメア長と臨床病理学的因子との関係] 乳癌細胞のテロメア長と組織学的グレード・Nottingham Prognostic Index・年齢・腫瘍径・リンパ節転移の有無・Ki-67 labeling index・ER・PR・HER2の各臨床病理学的因子との間に有意な相関は認められなかった。

乳管内成分が同一プレパラート上に認められた5例について、乳管内の癌細胞と浸潤部の癌細胞のテロメア長の比較を行った。両者の間に有意差は認められず、乳癌の乳管外への浸潤とテロメア長とは関係がないことが示唆された。

[非癌部組織構成細胞におけるテロメア長] 非癌部構成細胞のテロメア長は筋上皮細胞>線維芽細胞>腺上皮細胞の順であることを初めて証明した。この3細胞は正常な体細胞であることから、この結果は細胞回転の違いを反映していると考えられる。腺上皮細胞はホルモンの影響を受けて、月経周期ごとに細胞増殖するが、成熟した筋上皮細胞はほとんど増殖しない。また、線維芽細胞の加齢によるテロメア長短縮は緩やかであるとされ、O'Sullivanらが組織Q-FISH法による上皮細胞のテロメア長測定時に間質細胞をコントロールとして利用している根拠となっている。テロメア長からは筋上皮細胞は線維芽細胞よりもさらに細胞分裂が少ないと考えられる。また、筋上皮細胞は非常に染色体の安定性が高い細胞であり、筋上皮細胞由来の腫瘍がきわめて稀であることとも関係があるかもしれない。

非癌部組織構成3細胞のテロメア長同士を検討すると、筋上皮細胞と腺上皮細胞、筋上皮細胞と線維芽細胞、腺上皮細胞と線維芽細胞と3細胞間すべてに有意な相関が認められた。1臓器でテロメア長が長い人は他の臓器でもテロメア長が長いという報告があり、乳腺という1臓器内の異なる細胞間でも同様のことがあてはまると考えられる。つまり1種類の細胞でテロメア長が長い人は、別の種類の細胞でもテロメア長が長いといえる。

正常組織では加齢とともにテロメア長の短縮が多く報告されている。しかし今回の結果では非癌部構成細胞と年齢との間に相関はみられなかった。この理由としては、テロメア長の個人差が大きいことと、症例数が少ないことが考えられる。また、幼少時にテロメア長短縮が加速しているという報告があり、今回の対象が34歳以上の癌患者のみであることも理由のひとつと考えられる。

乳癌細胞のテロメア長が筋上皮細胞、線維芽細胞(非癌部・癌近傍)より有意に短いことが初めて明らかになった。TDLUの腺上皮細胞は、大部分の乳癌の発生母地と考えられている。今回初めて、TDLUの腺上皮細胞と癌細胞のテロメア長の直接比較を行い、両者に有意差がないことがわかった。発生母地である腺上皮細胞においてすでにテロメア長は短縮しており、染色体不安定な状況が作り出されていると考えられる。

[線維芽細胞のテロメア長] 非癌部線維芽細胞と癌近傍線維芽細胞のテロメア長の比較では、癌近傍の線維芽細胞のテロメア長が癌から離れた非癌部間質の線維芽細胞よりも有意に長いことを初めて証明した。線維芽細胞は癌周囲では密度が増し、癌の発生と進展に重要な役割を果たしていると考えられており、癌近傍の線維芽細胞にはcarcinoma-associated fibroblastが含まれていると考えられる。テロメア長が長い理由としては、テロメレースの発現や長いテロメアをもつ前駆細胞が誘導され線維芽細胞に分化したということが考えられる。テロメア長測定は、carcinoma-associated fibroblastの新たな研究手法となりうるかもしれない。またSouthern blot法やSlot blot法による癌組織のテロメア長測定では、この癌近傍線維芽細胞のテロメア長が結果に影響している可能性があるため、特に間質の多い癌組織の解析には十分な注意が必要である。

[結語] 組織切片上で細胞種類別のテロメア長が測定可能になり、新しいテロメア研究の時代が開けてきた。今回、組織Q-FISH法を用いて乳腺組織における詳細なテロメア長測定に初めて成功し、乳癌周囲細胞群のテロメア長の差異を明らかにし、非癌部腺上皮細胞のテロメア長が癌細胞のテロメア長と同様に短いことを証明した。また乳癌細胞テロメア長と組織学的グレード・予後との間には有意な相関は認められなかった。

今後、乳癌の発生や進展におけるテロメア長の役割を明らかにするとともに、組織切片を用いたテロメレース活性の評価法を確立したい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は乳腺構成細胞群別のテロメア長の差異を明らかにするため、乳癌手術検体を用いて新たな手法である組織quantitative fluorescence in situ hybridization (Q-FISH)法による細胞群別の詳細なテロメア長解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.浸潤性乳管癌症例において、乳癌細胞のテロメア長と臨床病理学的因子との関係を解析し、両者の間に有意な相関がないことが確認された。特にKi-67 labeling indexと癌細胞テロメア長に相関がないことより、癌細胞におけるテロメア長は細胞回転のみを反映しているわけではないと考えられた。

乳管内成分の検討を行った症例では、癌細胞のテロメア長は乳管内と浸潤部で有意差は認められず、テロメア長と乳癌の乳管外への浸潤とは関係がないことが示唆された。

2.Terminal duct lobular unit (TDLU)の腺上皮細胞は大部分の浸潤性乳管癌の発生母地と考えられている。TDLUの腺上皮細胞を含む非癌部構成3細胞におけるテロメア長を解析し、テロメア長は長い順に筋上皮細胞>線維芽細胞>腺上皮細胞であることが示された。これらは正常な体細胞であることからテロメア長の違いは細胞回転の違いによるものと考えられた。

さらに、同一症例での3細胞のテロメア長を検討すると、3細胞間すべてに有意な相関が認められ、1種類の細胞でテロメア長が長い人は、別の種類の細胞でもテロメア長が長いことが示された。

癌細胞と非癌部構成細胞との比較では、癌細胞のテロメア長は非癌部の筋上皮細胞、線維芽細胞より有意に短かったが、腺上皮細胞とは有意差が認められなかった。癌の発生母地である腺上皮細胞においてすでにテロメア長は短縮しており、染色体不安定な状況が作り出されていると考えられた。

3.非癌部線維芽細胞と癌近傍線維芽細胞のテロメア長を検討し、癌近傍線維芽細胞のテロメア長が癌から離れた非癌部間質の線維芽細胞のテロメア長よりも有意に長いことが示された。

以上、本論文は乳癌組織および乳癌発生母地における構成細胞群別のテロメア長の差異を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった組織切片上での細胞種類別のテロメア長測定を可能とし、乳癌周囲細胞群のテロメア長の解明に重要な貢献をなると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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