学位論文要旨



No 124897
著者(漢字) 黒崎,剛之
著者(英字)
著者(カナ) クロサキ,タカユキ
標題(和) CYP2B6遺伝子Lys262Arg多型と前立腺癌発症に関する検討
標題(洋)
報告番号 124897
報告番号 甲24897
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3317号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 准教授 朝陰,孝宏
 東京大学 講師 福原,浩
 東京大学 講師 原,一雄
 東京大学 講師 花房,規男
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

我が国において前立腺癌罹病率及び死亡率は年々上昇しており、わが国における公衆衛生という面からも大きな問題となりつつある。前立腺癌のほとんどはアンドロゲン依存性であり、診断時に遠隔転移を伴う症例であっても抗アンドロゲン療法を行うことで著明な転移巣の縮小化と生存期間の延長が期待できる。しかし、抗アンドロゲン療法の効果は永続的なものとは言えず、高い割合でその効果は減弱して前立腺癌は再燃し、アンドロゲン非依存性となり、治療に苦慮する。アンドロゲンはステロイドホルモンの一つであり、男性の生殖器の分化と成熟及び第二次性徴に関与している。アンドロゲンのうちテストステロンとジヒドロテストステロンは成人男性において特に重要である。テストステロンは精巣で合成され、副腎性アンドロゲンの生成経路と同様にコレステロールやプレグネノロンからつくられる。ジヒドロテストステロンは生物学的活性が最も高いアンドロゲンで約25%が精巣で分泌されるが、多くは5α-リダクターゼによってテストステロンから変化する。

テストステロンは肝臓及び前立腺で不活性化されるが、両組織においてチトクロームP450 (CYP)が作用している。CYPには多数の分子種があり、外来性化学物質の代謝にかかわるヒトの分子種だけでも20種類近くが知られている。このうちのCYP2B6は肝臓においてテストステロンを水酸化し、不活性化する。ラットによる実験では前立腺内のジヒドロテストステロンの不活化にもCYP2B6が関わっていると報告されている。

CYP2B6遺伝子は19番染色体長腕に存在し、データベース上では36か所のcoding single nucleotide polymorphism (SNP)が存在する。これらのSNPが薬剤やステロイドホルモンの代謝に具体的にどのような役割を負っているかは未だ不明な部分が多い。しかし、いくつかのSNPは肝臓におけるCYP2B6タンパクの発現量を減少させることが報告されている。仮に、これらの遺伝子多型がタンパクの発現量を減少させることによってテストステロンの代謝活性が低下するのであれば、この多型が前立腺癌の進行に影響を与えている可能性が考えられる。よって本研究ではCYP2B6遺伝子多型と前立腺癌の発症に関して検討することとした。

また、近年前立腺癌治療前血中テストステロン値が前立腺癌のグリソンスコアやクリニカルTステージと関連するという報告が散見される。よって本研究では治療前血中テストステロン値と遺伝子型、グリソンスコア、クリニカルTステージとの関係についても検討を行った。

2.目的

テストステロンの代謝に関わるCYP2B6をコードする既知のSNPであるLys262Arg遺伝子多型と前立腺癌発症リスク、グリソンスコアとクリニカルTステージ及び治療前血中テストステロン値との相関を検討した。

また、ラテント癌と遺伝子多型の関係についても検討した。

3.対象と方法

3.1 患者背景

病理組織学的に前立腺癌と診断された350症例を対象 (患者群)とした。この際、家族性および遺伝性と考えられる前立腺癌患者は除外した。治療前血中テストステロンは患者群のうちの104人から採取可能であった。

コントロール群には東京都老人医療センターの剖検症例のうち、前立腺癌を含むいずれの悪性腫瘍にも罹患していない男性非担癌患者の集団から、年齢と居住地域を調整した328例を選出した。さらに、ラテント群として同じく東京都老人医療センターの剖検症例のうち、前立腺ラテント癌と診断された114例を選出した。各群の比較を表1に示す。

3.2 Lys262Arg CYP2B6遺伝子多型の判定方法

DNAは患者の末梢血白血球 (コントロール群においては腎臓)から抽出したゲノムDNAを使用し、DNA濃度は100 ng/μLに調整した。遺伝子タイピング方法にはTaqMan法を用いた。さらにTaqMan法によるタイピングの結果をDirect sequence法によって確認した。両者の結果は100%一致した。

4.結果

4.1 Lys262Arg CYP2B6遺伝子多型タイピングの結果

各群におけるLys262Arg遺伝子多型の遺伝子型を表2に示した。年齢を調整した各群における比較にてArg/Arg遺伝子型を持っている患者群はコントロール群に比べて有意に前立腺癌の有病率が高かった。また、少なくとも一つのArgアレルを持つ患者群はコントロール群に比べて有意に前立腺癌の有病率が高かった。アレル頻度においても、Argアレルを持つ患者群はコントロール群に比べて有意に前立腺癌の有病率が高かった。また、患者群とラテント群との比較において、Arg/Arg遺伝子型を持っている患者群はラテント群に比べて有意に臨床癌の有病率が高かった。また、少なくとも一つのArgアレルを持つ患者群はラテント群に比べて有意に臨床癌の有病率が高かった。アレル頻度においても、Argアレルを持つ患者群はラテント群に比べて有意に前立腺癌の有病率が高かった。これに対しコントロール群とラテント群の比較においてはいずれも有意な差を認めなかった。

4.2 患者の背景因子の比較

患者群350症例について遺伝子型とグリソンスコア、クリニカルTステージ、治療前血清テストステロン値をそれぞれ比較検討した。ただし、治療前血清テストステロン値については測定し得た104例を対象とした。グリソンスコアについては2から7A (グリソンスコア 3+4)までをlow群、7B (グリソンスコア 4+3)から10までをhigh群とし、クリニカルTステージについてはT1-T2をlow-stage群、T3-T4をhigh-stage群とし、二群に分けて検討した。治療前血清テストステロン値については平均値を比較した。

クリニカルTステージとの比較において、low-stage群とhigh-stage群との間に有意差を認めなかった (表3)。グリソンスコアについては少なくとも一つのArgアレルを持つ患者群はグリソンスコアが有意に低かった。アレル頻度においても、Argアレルを持つ患者群はグリソンスコアが有意に低かった (表4)。各グループにおける治療前血清テストステロン値は、グリソンスコアに関しては low群が有意に高値を示し、クリニカルTステージ に関してはlow-stage群の方が有意に高値を示した。治療前血清テストステロン値とLys262Arg遺伝子多型の遺伝子型との間には有意な相関は認めなかった (図1)。

5.考察

CYP2B6は前立腺癌の進行に深くかかわっているテストステロンの代謝に関与しているが、CYP2B6遺伝子多型と前立腺癌の関係についての報告は、現在のところPubMed上で検索し得なかった。本研究においては、Lys262Arg遺伝子多型と前立腺癌の発症およびグリソンスコア、 クリニカルTステージ、治療前血清テストステロン値を検討した。このうち、前立腺癌の有病率とグリソンスコアにおいてLys262Arg遺伝子多型との有意な相関が認められた。すなわち、Argアレルを持つ患者群の方が前立腺癌の有病率が高く、かつ患者群のグリソンスコアは低い、という結果を得た。これにより、Lys262Arg遺伝子多型が前立腺癌発症に関する遺伝子マーカーとなり得る可能性が示唆され、またグリソンスコアとの関連から予後を推測する因子の一つにもなり得る可能性が示唆された。

CYP2B6遺伝子多型がテストステロンの代謝に影響を与えている可能性については前述したが、実際にこれが前立腺癌の病理にどのように関わっているのかは不明である。本研究において、治療前血中テストステロン値はグリソンスコア及びクリニカルTステージとの間には有意な差を認めたが、Lys262Arg遺伝子多型の遺伝子型との間には有意な相関は認められなかった。この理由についてはいくつかの仮説が考えられるが本研究では明らかにすることはできず、今後の検討課題となった。

本研究では臨床癌に加えラテント癌に関しても検討した。臨床的に前立腺癌の徴候が認められず、死後剖検によりはじめて前立腺癌の存在を確認した症例をラテント癌と呼ぶ。前立腺癌の確定診断に必須な生検方法は近年著しい進歩をとげており前立腺癌の早期癌発見率は高まっているが、この中には小病巣のまま進行せず臨床的な意義の低い癌 (Indolent cancer)が10%の割合で存在するといわれている。前立腺癌の根治的な治療に伴う有害事象は無視できないものであり、過剰治療の懸念がつきまとう。よってIndolent cancerをいかにして同定するかが現在の前立腺癌治療の課題となっているが、現在までの検討では既存の生検所見の病理学的診断やPSAの値だけでは治療の必要性の有無を十分には判断できないことが示唆されており、新たな予測マーカーの必要性が改めて示されている。それには臨床癌とラテント癌の遺伝学的・病理学的差異を決定することが必要と思われる。本研究の結果からは、ラテント群は患者群と異なる特徴を持つ可能性が示唆され、臨床癌とラテント癌に差異があるという仮説が支持された。しかし、この結果は現在までの諸家の報告とは異なるものであり、ラテント癌の遺伝学的・病理学的特徴をさらに明らかにしていくことが今後の研究課題となった。

6. まとめ

Lys262Arg遺伝子多型は日本人において前立腺癌の有病率及びグリソンスコアと関連することが明らかにされた。Lys262Arg遺伝子多型が前立腺癌における発症リスク及び予後の予測に有用である可能性が示唆された。また、ラテント癌が遺伝学的に臨床癌と異なる性質をもつ可能性が示唆された。

図1 治療前血中テストステロン値とグリソンスコア(a)、クリニカルTステージ(b)、Lys262Arg遺伝子多型の遺伝子型(c)との比較

表1 各群の比較

表2 各群におけるCYP2B6遺伝子Lys262Arg多型の遺伝子型

表3 CYP2B6遺伝子Lys262Arg多型とクリニカルTステージの関係

表4 CYP2B6遺伝子Lys262Arg多型とグリソンスコアの関係

審査要旨 要旨を表示する

我が国において前立腺癌罹病率及び死亡率は年々上昇しており、わが国における公衆衛生という面からも大きな問題となりつつある。前立腺癌のほとんどはアンドロゲン依存性である。主要なアンドロゲンの一つであるテストステロンは肝臓及び前立腺で不活性化されるが、両組織においてチトクロームP450 (CYP)が作用している。CYP2B6遺伝子の一塩基多型 (SNP)が薬剤やステロイドホルモンの代謝に具体的にどのような役割を負っているかは未だ不明な部分が多い。しかし、いくつかのSNPは肝臓におけるCYP2B6タンパクの発現量を減少させることが報告されている。仮に、これらの遺伝子多型がタンパクの発現量を減少させることによってテストステロンの代謝活性が低下するのであれば、この多型が前立腺癌の進行に影響を与えている可能性が考えられる。よって本研究では、CYP2B6をコードする既知のSNPであるLys262Arg遺伝子多型と前立腺癌発症リスク、グリソンスコアとクリニカルTステージ及び治療前血中テストステロン値との相関について検討したものである。また、前立腺ラテント癌と遺伝子多型の関係についても併せて検討しており、下記の結果を得ている。

1.CYP2B6遺伝子Lys262Arg多型において、Argアレルを持つ群は前立腺癌の有病率が有意に高かった(オッズ比1.485、95%信頼区間1.136-1.946、P = 0.004)。

2.CYP2B6遺伝子Lys262Arg多型において、Argアレルを持つ群は前立腺癌のグリソンスコアが有意に低かった(オッズ比0.701、95%信頼区間0.507-0.968、P = 0.038)。

3.CYP2B6遺伝子Lys262Arg多型において、クリニカルTステージに関しては、low-stage群とhigh-stage群との間に有意差を認めなかった。

4.治療前血清テストステロン値は、グリソンスコアに関して low群が有意に高値を示した(P = 0.049)。

5.治療前血清テストステロン値は、クリニカルTステージに関してlow-stage群が有意に高値を示した(P = 0.014)。

6.治療前血清テストステロン値とCYP2B6遺伝子Lys262Arg多型との間には有意な相関は認めなかった(P = 0.755)。

7.CYP2B6遺伝子Lys262Arg多型において、患者群とコントロール群との比較では有意な差が認められたのに対し、ラテント群とコントロール群との間では有意な差が認められなかった。

以上より、本論文はCYP2B6遺伝子Lys262Arg多型が日本人において前立腺癌の有病率及びグリソンスコアと関連することを明らかにし、CYP2B6遺伝子Lys262Arg多型が前立腺癌における発症リスク及び予後の予測に有用である可能性を示唆した。本研究は現在までは未知であったCYP2B6遺伝子多型と前立腺癌の関係の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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