学位論文要旨



No 124904
著者(漢字) 鍾,山
著者(英字) Zhong,Shan
著者(カナ) ショウ,サン
標題(和) BKポリオーマウイルスの分子疫学的な研究
標題(洋)
報告番号 124904
報告番号 甲24904
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3324号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 准教授 菅原,寧彦
 東京大学 特任准教授 石川,晃
 東京大学 准教授 久米,春喜
 東京大学 講師 佐伯,秀久
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

1971年にSV40によく似た新しいウイルスが腎移植患者の尿から分離された。このウイルスは患者のイニシャルをとってBKウイルス(BKV)と命名された。現在BKVは、同じく1971年にPML患者の脳から発見されたJCウイルス(JCV)と共にポリオーマウイルス科、ポリオーマウイルス属に分類されている。赤血球凝集阻止反応を用いて、BKVに対する血中抗体の有無と年齢との関連が各国で調べられた。その結果、どの国でもほとんどのヒトが10歳までに抗体陽性になること、すなわち、BKVの初感染は子供の時におきることが明らかにされた。一般に、BKVの初感染に伴って目立った症状はあらわれない。腎に至る経路は不明であるが、BKVは腎の尿細管上皮細胞に生涯寄生する。免疫が正常である限り、腎内BKVは何ら病気を起こさないが、免疫抑制剤が投与される腎移植患者において、過剰な免疫抑制状況下に間質性腎炎(BKV腎症)を起し、移植腎の機能喪失をもたらす。BKVゲノムは約5100塩基対の環状2本鎖DNAである。最近BKVゲノムの塩基配列を用いた系統地理学が展開された。BKVの4つのサブタイプのうち、I型は世界的に広く蔓延し、IV型は東アジアとヨーロッパの一部で蔓延し、II型とIII型はどの地域でも稀にしか検出されない。I型とIV型はいくつかの地域特異的なサブグループに分かれる。

BKVはほとんど全てのヒトの集団で蔓延し、通常、宿主のヒトに対して病気を起こさない。このようにBKVは太古からヒトと共生してきたウイルスである。宿主と共生しているウイルス(共生ウイルス)を扱うウイルス学には、基本分野として「共生ウイルスの基本的な性質を解明する」分野あり、それを土台として「共生ウイルスの病原性発現機構の解明」や「共生ウイルスを指標としたヒト集団の移動と起源の解明」などの応用分野が展開される(余郷、2008)。本研究では先ず、BKVの生態を理解するため、非免疫抑制者におけるBKVの尿中排泄と年齢との関連を検討した。次に、BKVがヒト集団の指標になる可能性を検討するため、BKVとヒト集団の関連を解析した。

2.非免疫抑制者におけるBKVの尿中排泄と年齢との関連

Kitamuraらによって、JCVの尿中排泄と年齢との関連は既に解明されているが、BKVの尿中排泄と年齢との関連を体系的に調べた研究は報告されていなかった。これを解明するため、様々な年齢のボランティア(健常人または免疫正常な一般患者)から尿を収集した。尿(約35 ml)を分画遠心し、遊離ウイルス分画からDNAを抽出し、PCRに用いた。BKV DNA またはJCV DNAの検出をHotStar Taq DNA polymerase (Qiagen社)を用いたPCRによって行った。増幅断片の特異性をシークエンシングまたは制限酵素断片長多型解析によって確認した。検出感度は1-2コピーであった。

検出率と年齢との関連: (1) BKV DNAの検出率は0-9歳で比較的高かったが(24%)、10-19歳と20-29歳では低下した。それより高い年齢群では徐々に増加し、80-89歳では44%に達した。高年齢群における検出率は低年齢群における検出率よりも有意に高かった。(2) JCV DNAの検出率は0-9歳で最も低く、その後は加齢に伴って増加し、70-79歳、80-89歳で最高値(70-72%)に達した。高年齢群における検出率は低年齢群における検出率よりも有意に高いことが確認された。(3) 検出されたBKV株をサブタイプに分類し、サブタイプ別に尿中排泄率と年齢との関連を比較した。その結果、世界的に蔓延しているサブタイプIも、東アジアとヨーロッパの一部で蔓延しているサブタイプIVも、高年齢において高い率で検出された。

本研究により、非免疫抑制者におけるBKVの尿中排出の全貌が初めて解明された。「腎などに潜伏しているBKVが、免疫が抑制されると再活性化される」と一般に考えられている。しかし、本研究結果は、「多くの非免疫抑制者においてBKVは潜伏状態にあるのではなく、活発に増殖している」ことを示唆している。非免疫抑制者の尿はBKVの分子疫学的な研究のための格好の材料となることがわかった。

3.BKVとヒト集団との共移動

BKVに関する系統地理学的な知見から、「I型BKVはアフリカに起源があり、ヒト集団の拡散に伴って地球上に広がった」と推定されている(Zhengら、2007)。また、IV型とヒト集団の関連については、「IV型BKVはアジアに起源があり、アジアにおけるヒト集団の拡散に伴って広がったが、主としてヨーロッパに分布するサブグループ(IV/c2)はヒトの移動によってアジアからヨーロッパへ持ち込まれた」と推定されている(Nishimotoら、2007)。これらの推定は「BKVがヒト集団と共に移動した」という仮説(共移動仮説)を前提としているので、この仮説を検証するために本研究を行った。

この研究のために用いた集団は全部で6集団であった。その内訳は、アメリカ東北部と南カリフォルニアの集団(両集団とも主としてヨーロッパ系移民の子孫からなる)、イギリスとアイルランドの集団、フィンランドの集団、日本(複数地域)の集団と中国、福州の集団であった。これらの集団の構成員から尿を採取し、前述した方法で尿中BKVのサブタイプとサブグループを決定した。

I型サブグループの分布:どの集団でもI型が最も多く検出された(64-90%)。IV型の検出率は地域間で変化した(3-36%)。全てのヨーロッパとアメリカの集団でI/b2サブグループが主として検出され(71-79%)、アジアの2集団ではI/cサブグループが主として検出された(61-85%)。ヨーロッパ/アメリカ集団とアジア集団の間で観察されたサブグループ分布の違いは統計学的に有意であった(P<0.01)。

IV型サブグループの解析:アメリカ集団とヨーロッパ集団から得られた5個のBKV全長ゲノム配列は全てIV/c2に分類され、アジア集団から得られたBKV全長ゲノム配列はIV/c2以外のサブグループに分類された。

以上の結果は「ヨーロッパ系移民がBKVのI/b2サブグループを持ってアメリカに渡り、その後I/b2は代々子孫に受け継がれた」ことを示唆している。このように、BKVはヒト集団と共に移動するという仮説を支持した。JCVを用いた解析により地球上の人類移動が明らかにされてきたが、全ての人類移動が解明されたわけではない。人類移動に関して残された問題が、BKVを用いた解析によって解明されることを期待する。

4.日本列島におけるBKVサブタイプとサブグループの分布

BKVとヒト集団との関係を解明するため、起源が異なる二つの集団(先住の縄文人と大陸からの渡来人)を祖先とする現代日本人が保有するBKVサブタイプ、サブグループを調べた。日本列島の6地域(東北地方の日本海側と内陸部、流山市、奈良市、福岡市、沖縄本島)で、免疫が正常な一般患者から尿を採取した。PCRでウイルスゲノムのVP1遺伝子の部分配列を増幅し、増幅された断片をシーケンシングした、得られた塩基配列を用いて、近隣結合法による分子系統解析と単一ヌクレオチド多型(SNP)解析を行い、尿中BKVをサブタイプ、サブグループに分類した。また、部分配列に基づく解析結果を確認するために、一部の検体から全長ウイルスゲノムを増幅し、その全塩基配列を決定し、分子系統解析も行った。

サブタイプ分布:どの地域でも、I型が最も多く検出され(67-75%)、IV型が2番目に多く検出された(19-31%)。III型は東北内陸と流山を除く地域でわずかに検出された(2-7%)。II型はどの地域でも検出されなかった。地域間で観察されたサブタイプ分布の違いは統計学的に有意ではなかった(P>0.05)。このように、日本列島の各地におけるサブタイプ分布のパターンは互いによく似ていることが明らかになった。

サブグループ分布: I型サブグループのうちI/cがすべて地域で最も高率に検出された(80-100%)。I/b1とI/b2は複数の地域でわずかに検出されたが(2.5-12.5%)、I/aはどの地域でも検出されなかった。地域間で観察されたサブグループ分布の違いは統計学的に有意な差ではなかった(P>0.05)。IV型サブグループのうちIV/b1とIV/b2(両者とも主として日本に分布)がほとんどの地域で検出された。IV/b1とIV/b2の比率に地域差を認めたが、検出数が少ないので、さらなる検討を行う必要がある。沖縄でIV/a2(東南アジアと中国南部に分布するサブグループ)が検出された(6%)。

以上によって、BKVサブタイプとI型サブグループは日本列島において均一に分布することが明らかになった。この知見は、JCVの二つの系統(MYとCY)が日本列島において地域特異的な分布パターンを示すというKitamuraら(1998)の報告と対比される。この違いを説明するために、「古代において、ヒト集団はしばしば固有のBKVを消失したか、元々持っていなかった」という仮説をたてた。今回明らかになった日本列島におけるサブタイプ、サブグループ分布は、BKV腎症のモニタリングのためのPCRプライマーを設計する際に有用な情報となる。

5.まとめ

BKVの尿中排出は全ての年齢群で認められ、特に成人における尿中排出率は加齢と共に上昇することが明らかになった。アメリカ、ヨーロッパ、アジアの諸集団におけるサブタイプとサブグループの分布パターンは「BKVはヒト集団と共に移動した」という仮説を支持した。縄文人と渡来人を祖先とする現代日本人において、単一のBKVサブタイプと単一のI型サブグループが分布した。この知見を説明するために、「古代において、ヒト集団はしばしば固有のBKVを消失したか、元々持っていなかった」と言う仮説を提唱した。日本列島におけるサブタイプ、サブグループ分布は、BKV腎症のモニタリングのために有用な情報となる。本研究で決定された多くのBKVゲノムの全長塩基配列はBKVの分子疫学的な研究のための貴重な材料となる。

審査要旨 要旨を表示する

BKポリオーマウイルス(BKV)はヒト集団に常在するウイルスの一つである。幼少時の無症候性感染の後、腎組織に生涯、潜伏または持続感染する。最近BKVは、強力な免疫療法に関連した移植腎不全の原因ウイルスとして移植領域で注目されている。また、JCポリオーマウイルス(JCV)と同様に、ヒト集団の指標として人類学的な研究に役立つことも期待されている。本研究は、BKVの臨床的な研究と人類学的な研究の基礎となるBKVの生態をヒトとの関連において解析し、以下の結果を得ている。

1.尿1ml当たり2コピーのBKVまたはJCV DNAを検出できる高感度検出系を樹立した。この検出系を用いて、非免疫抑制者におけるBKVの尿中排泄と年齢との関連を調べた。その結果、(1) BKVの尿中排出は全ての年齢群で認められること、(2) 成人においてBKVの尿中排出率は年齢と共に上昇すること、(3) I型BKVの尿中排出もIV型BKVの尿中排出も高年齢群で高い率で起きること、(4) 成人におけるBKVの尿中排出率はJCVの尿中排出率の約半分であることが示された。

2.BKVはヒト集団と共に移動したという仮説(共移動仮説)を検証するために、BKVのサブタイプ分布とサブグループ分布を6つのヒト集団(二つのヨーロッパ系アメリカ人集団、二つのヨーロッパ人集団、二つの東北アジア人集団)の間で比較した。どの集団においてもI型が主として検出されたが、I型サブグループの分布は集団により異なった。すなわち、I/b2は全てのアメリカ人集団とヨーロッパ人集団において主として検出されたが、東北アジア人集団では稀にしか検出されなかった。I/cは東北アジア人集団において主として検出されたが、アメリカ人集団とヨーロッパ人集団では稀にしか検出されなかった。このような、集団間におけるサブグループ分布の違いは統計学的に有意であった。上記の結果から、BKVがヨーロッパ系移民と共にUSAに渡ったことが示唆され、共移動仮説が支持された。

3.現代日本人は起源が異なる二つの集団(1-2万年前に渡来した先住の縄文人と約2千年前に渡来した弥生渡来人)によって構成されたと考えられている。実際、二つの祖先集団に対応して、地理的分布が異なる二つのJCVゲノム型が日本列島で検出されている。本研究では、太古におけるBKVとヒト集団の関連を解明するため、東北地方の複数地域、流山市、奈良市、福岡市、沖縄本島におけるBKVサブタイプとサブグループの分布を調べた。その結果、日本列島のどの地域でもI型が主として分布すること、I型サブグループのうち、特定のサブグループ(I/c)が日本列島全域に蔓延していることが示された。この知見を基に、「一部の古代ヒト集団は固有のBKVを持っていなかった(または失った)」という仮説が提唱された。

以上、本研究によって、非免疫抑制者におけるBKVの尿中排出が初めて解明され、さらに、近世および太古におけるBKVとヒト集団との関連について有用な知見がもたらされた。今後、病原性に関わるBKVの変化を解明する場合、非免疫抑制者の尿中BKVが比較対照として役立つ。また、BKVをヒト集団の指標として使う場合、その適用範囲が限定されるが、特定の人類移動にはBKVがJCVに対して補完的役割を果たすことが期待される。以上のごとく、本研究はBKVの臨床的な問題と人類学的な問題の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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