学位論文要旨



No 124916
著者(漢字) 松﨑,政代
著者(英字)
著者(カナ) マツザキ,マサヨ
標題(和) 妊娠期における酸化ストレスの経時的変化と生活要因の関連
標題(洋)
報告番号 124916
報告番号 甲24916
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3336号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 真田,弘美
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 上妻,志郎
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 講師 佐々木,美奈子
内容要旨 要旨を表示する

背景

酸化ストレスとは、生体内においてフリーラジカルや活性酸素種による負荷が、抗酸化酵素や抗酸化剤による防御能を上回った状態を指し、生活要因などの外因性の活性酸素種の増加により惹起され、細胞膜や生体膜の脂質や蛋白を酸化し、酵素作用や受容体機能に大きな障害を起こすことが知られている。この酸化的傷害は、生活要因に起因する糖尿病、高血圧、妊娠中では妊娠高血圧症候群 (PIH) や切迫早産の病因の一つとして報告されている。そのため、一般成人では、酸化ストレスのマーカーを、疾病予防のための生活要因のモニタリングや生活指導の指標として活用する試みがされている。妊娠期においても酸化ストレスを軽減することや、酸化ストレスマーカーを用いた生活要因のモニタリングは、正常の妊娠の過程を支援する上で重要であることが考えられる。しかしながら、妊娠期においては、PIHや切迫早産に対する抗酸化物質の投与による効果検証は行われているものの、生活要因の指標として酸化ストレスマーカーの利用は検討されておらず、妊娠期の酸化ストレスに影響する生活要因は明らかになっていない。

目的

正常の妊娠の過程を支援するための生活指導の新たなエビデンスを確立するために、酸化ストレスマーカーにより妊娠期における酸化ストレスの推移と、それに関連する生活要因を明らかにすることである。

方法

1) 調査期間および調査対象

調査は、2004年7月から2005年3月まで、埼玉県のA産婦人科クリニックで実施した。対象者は、午前中の妊婦健康診査 (妊婦健診) を受診している妊娠経過が正常な単胎の妊婦とした。リクルート期間中に妊娠12-13週の妊婦健診のために来院した妊婦100人のうち流産、里帰り・転院、妊婦健診時間を変更した妊婦の計25人を除外した75人を対象に、妊娠初期 (12週) ・中期 (22週) ・末期 (32週) ・産後1か月の4時点を通して縦断観察研究を行ない、初期のデーター欠損のない54人を分析対象とした。

2) 調査項目

酸化ストレスマーカーとして尿中Biopyrrin値と総血清CoenzymeQ10 (CoQ10) 値を測定した。妊娠期の生活要因として、質問紙より生活習慣、General Health Questionnaire (GHQ) より精神的健康度、簡易型自記式食事歴法質問票より食習慣、血液より脂質代謝マーカー値の情報を縦断的に得た。

3) 測定方法

尿中Biopyrrin値は、Bilirubinモノクロナール抗体 (ALP標識24G7) を用いた非競合法 のBiopyrrin EIA kit (シノテスト (株) 開発、同仁会) にて測定し、Creatinine補正し、尿中Biopyrrin値 (μmol/g Cre) とした。

血清CoQ(10)値 (ng/ml) は、電気化学検出系 (electric chemical detector: ECD) による高速液体クロマトグラフィー (High Performance Liquid Chromatography: HPLC) にて測定した。

4)倫理的配慮

本研究は、東京大学医学部研究倫理委員会の承認を得て実施した (H15.11.5, No.687)。

5)統計解析

尿中Biopyrrin値と血清CoQ(10)値の関連: 尿中Biopyrrin値の曲線下面積 (area under the curve: AUC) を従属変数とし、血清CoQ(10)値のAUCを独立変数とし、年齢と血清直接Bilirubin値のAUCで調整した重回帰分析により検定した。

妊娠初期から産後1か月までの尿中Biopyrrin値と血清CoQ(10)値の推移と生活要因の変化: 連続データーは、一般線形混合モデルを使用し、固定効果に測定時期4時点、または妊娠期の3時点と、変量効果に個人を投入し検定した。また、カテゴリカルデータは、χ2検定を行った。

妊娠末期の尿中Biopyrrin値に影響する生活要因: 妊娠末期の尿中Biopyrrin値を従属変数とし、単変量解析で尿中Biopyrrin値との相関係数がrs = 0.2以上で活性酸素の増加と関連がある変数を独立変数 [夜間の平均睡眠時間 (時間)、妊娠中の飲酒習慣 (0:無、1:有)、妊娠中の喫煙習慣 (0:無、1:有)、妊娠中の運動頻度 (回数/週)、Vitamin Cの摂取量 (mg/1000 kcal/day)、GHQ得点 (0-12点) ] とし、血清直接Bilirubin値で調整した妊娠期ごとの重回帰分析により検定した。解析には、SPSS Version 16.0 for windows (SPSS Japan Inc) を用い、有意水準を5%未満、傾向ありを10%未満とし両側検定を行なった。

結果

1) 妊娠期の酸化ストレスマーカーとしての尿中Biopyrrin

(1) 尿中Biopyrrin値 (μmol/g Cre) の推移

妊娠中期の平均尿中Biopyrrin値 (6.27) は、初期の平均値 (2.90) よりも約1.5-2.0倍増加し (p < 0.001)、末期の平均値 (4.95) は、中期よりも約1.3倍増加し (p = 0.004)、妊娠経過に伴い有意に漸増した。また、末期の値は、初期よりも約3倍の増加を示した (p < 0.001)。産後1か月の平均尿中Biopyrrin値 (3.52) は、末期より約1/2有意に減少した (p < 0.001)。

(2) 血清CoQ(10)値 (ng/ml) の推移

妊娠中期の平均血清CoQ(10)値 (1080.1) は、初期 (631.3) よりも1.7倍増加し (p < 0.001)、末期の平均値 (1639.1) は、中期よりも1.5倍増加し (p < 0.001)、妊娠経過に伴い有意に漸増した。産後1か月の平均値 (919.2) は、末期より有意に減少した (p < 0.001)。

(3) 尿中Biopyrrin値と血清CoQ(10)値の関連

初期から産後1か月までの縦断調査によって得られた尿中Biopyrrin値のAUCは、血清CoQ(10) 値のAUCと有意に負の関連を示した (標準偏回帰係数 -0.313, p = 0.01; 調整済みR2 = 0.319, p < 0.001)。

2) 妊娠末期の酸化ストレスと生活要因の関連

妊娠末期の尿中Biopyrrin値の増加に関連する生活要因として、初期の飲酒習慣 (p < 0.001)、食事からのVitamin Cの摂取が少ないこと (p < 0.01)、喫煙習慣 (p < 0.1) と、中期の飲酒習慣 (p < 0.001)、運動頻度が少ないこと (p < 0.01)、末期の飲酒習慣 (p < 0.001)、喫煙習慣 (p < 0.1) が明らかになった。

考察

正常の妊娠の過程を支援するために、酸化ストレスマーカーの検討および、酸化ストレスに影響する生活要因を検討した調査はない。今回の調査は、尿中Biopyrrinを指標とした妊娠期の酸化ストレスの推移とそれに影響する生活要因を示したものである。

今回の結果である尿中Biopyrrin値と血清CoQ(10)値が有意に負の関連を示すことが明らかになり、尿中Biopyrrinが、CoQ(10)と同様に、生体内の信頼性のある酸化ストレスマーカーとして利用できる可能性が示された。

本研究により妊娠経過に伴う尿中Biopyrrin値の有意な増加が示された。これは、胎児成長のための母体の代謝の亢進と、酸素要求量と胎盤組織の増大といった、内因性の活性酸素種生成の要因によるものと考えられ、尿中バイオピリンは妊娠期の活性酸素の増加を反映することが示された。また、一般成人では、尿中Biopyrrin値は生理的な変動で2倍を超えることはないことが報告されているが、妊娠期間中には2倍以上の生理的変動が起きていることが明らかとなった。さらに、妊娠末期の値は、先行研究による24時間ウルトラマラソン後の平均尿中Biopyrrin値 (4.05 μmol/g Cre) や、うつ患者の平均尿中Biopyrrin値 (4.7 μmol/g Cre) の値を遙かに超える値であり、妊娠末期が酸化ストレスに極めて脆弱な状況であることが示唆された。

この妊娠末期の酸化ストレスに影響する生活要因として、初期から末期に共通して飲酒習慣が影響していた。加えて、初期のVitamin Cの摂取が少ないことと喫煙習慣、中期の運動頻度が少ないこと、末期の喫煙習慣が明らかになった。この結果から、妊娠末期の酸化ストレスを抑制するための生活指導の介入時期とその内容として、(1) 妊娠前若しくは、妊娠の初期から、喫煙習慣、飲酒習慣を改善するための継続的な生活指導を行う、(2) 妊娠初期に、栄養摂取のアセスメントを行い、十分なVitamin Cの摂取を促す、(3) 妊娠中期から中等度の運動を勧めること、が示唆された。

以上より、妊娠期の正常の妊娠過程を支援するための指標として、はじめて尿中バイオピリンの利用価値が明らかにされ、妊娠末期の酸化ストレスに影響する生活要因が示された。これらの結果は、正常の妊娠の過程を支援する生活指導の新たなエビデンスの確立に寄与するものと考える。

結論: 尿中Biopyrrinは、妊娠期において、活性酸素種の増加による酸化ストレスを反映し、妊娠経過に伴い漸増し、妊娠末期でピークを示し、産後1か月で低下するという推移が示され、正常妊娠経過における酸化ストレスの推移が明らかになった。

尿中Biopyrrinと生活要因の検討から、妊娠末期の酸化ストレスに影響する生活要因として、妊娠初期の飲酒習慣と喫煙習慣、Vitamin Cの摂取量が少ないこと、中期の飲酒習慣と1週間の運動頻度が少ないこと、末期の飲酒習慣と喫煙習慣が明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、正常な妊娠の過程を支援するための生活指導の新たなエビデンスを確立するために、酸化ストレスの概念に基づき、正常な妊娠期の酸化ストレスと生活要因について検討した。酸化ストレスとは、生体内においてフリーラジカルや活性酸素種による負荷が、抗酸化酵素や抗酸化剤による防御、消去、修復の防御能を上回った状態を指し、日常生活要因による外因性の活性酸素種の増加は、細胞膜や生体膜の脂質や蛋白を酸化し、酵素作用や受容体機能に大きな障害を引き起こすことが知られている。この酸化的傷害は、生活要因に起因するがん、糖尿病、高血圧や、妊娠中では妊娠高血圧症候群 (PIH) や切迫早産の病因の一つとされており、出生体重減少や胎児発育遅延にも関与していることが報告されている。そのため、疾病予防の観点から、生活要因をモニタリングする指標としての酸化ストレスマーカーの有用性が報告されつつある。しかし、妊娠期における利用は未だ検討されていない。そこで、本研究の目的は、妊娠期における酸化ストレスの推移と、それに関連する生活要因を検討することであり、下記の結果を得ている。

1.臨床応用可能な酸化ストレスマーカーとして、簡便性と非侵襲性から尿中Biopyrrinが選定された。尿中Biopyrrinは、一般成人の健康をモニタリングするために、簡便に測定できるチェッカーの開発が進んでおり、サンプルが尿であるため、尿検査のある妊婦健診時に使用することに適しているマーカーである。

2.正常妊婦の妊娠初期(12週)、中期(22週)、末期(32週)、産後1か月の縦断調査による尿中Biopyrrin値と、生体内の抗酸化能の減少による酸化ストレスを反映する血清Coenzyme Q(10) (CoQ(10)) 値の関連をAUC (are under the curve) 用いて検討し、尿中Biopyrrin値と血清CoQ(10)値が有意に負の関連を示すことが明らかになった (尿中Biopyrrin値を従属変数にし、年齢と血清Bilirubin を調整した重回帰分析: 標準偏回帰係数 -0.313, p = 0.01; 調整済みR2 = 0.319, p < 0.001)。以上より、尿中Biopyrrinが、妊娠期の酸化ストレスを反映することが明らかにされた。

3.尿中Biopyrrin値は、妊娠経過で有意に漸増し、産後1か月で低下するといった推移を示し、正常妊婦の酸化ストレスが妊娠経過で漸増し、妊娠末期でピークを示し、妊娠が終了した産後1か月で低下するといった推移が明らかになり、正常妊婦の妊娠経過に伴う酸化ストレスの推移が明らかになった。また、妊娠末期が、酸化ストレスに極めて脆弱な状況であることも示された。

4.妊娠末期の酸化ストレスに影響する生活要因は、妊娠初期の飲酒習慣と喫煙習慣、Vitamin Cの摂取量が少ないこと、妊娠中期の飲酒習慣と1週間の運動頻度が少ないこと、妊娠末期の飲酒習慣と喫煙習慣であることが明らかになった。

この結果から、妊娠末期の酸化ストレスを抑制するための生活指導の介入時期とその内容として、(1) 妊娠前若しくは、妊娠の初期から、喫煙習慣、飲酒習慣を改善するための継続的な生活指導を行うこと、(2) 妊娠初期に、栄養摂取のアセスメントを行い、十分なVitamin Cの摂取を促すこと、(3) 妊娠中期から中等度の運動を勧めることが示された。

以上、本論文は、正常妊婦の正常な妊娠の過程を支援するために酸化ストレスの概念を用い、酸化ストレスマーカーである尿中Biopyrrinの利用可能性を追求し、妊娠期の酸化ストレスの推移と、妊娠末期の酸化ストレスに影響する生活要因を、縦断的調査によって明らかにした点で独創的である。これらの結果は、正常な妊娠の過程を支援する生活指導の新たなエビデンスの確立に寄与したと考えられる。さらに今後は、この指標を用いてPIHや切迫早産予防のための生活要因の解明に貢献できると考えられ、学位の授与に値するものと判断した。

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