学位論文要旨



No 124935
著者(漢字) 臼井,伸也
著者(英字)
著者(カナ) ウスイ,シンヤ
標題(和) 医薬化学を志向した新規銅錯体試薬の開発とthalidomide誘導体への応用
標題(洋)
報告番号 124935
報告番号 甲24935
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1288号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 准教授 金井,求
内容要旨 要旨を表示する

【第1章 研究背景】

Multi-template創薬手法とは、ヒト生体内に約5~7万種類ものタンパク質が存在する一方で、それらの化学的性質を無視した3次元的立体形状(フォールド構造)の数は約1000種類と数に限りがあることに着目した概念である。この考えに基づけば、適切な母核を有する小分子化合物(multi-template)に対して、適切な誘導化を行えば、様々な生理活性を有する化合物群が共通の母核から創製できるはずである。Multi-templateの分子骨格に着目する際、芳香環は重要かつ欠かせない部分構造であるが、芳香環上への位置および化学選択的な置換基導入は未だ合成化学上の課題である。

近年、thalidomideの4位にアミノ基が導入されたIMiDsが注目されている1。IMiDsはthalidomideの副作用を軽減し、求める薬理作用を増強した化合物であり、中でもCC-5013(Revlimid(TM))は強力なTNF-α(tumor necrosis factor-α)産生阻害作用を有し、多発性骨髄腫治療薬の承認を受けている(Figure 1)。当研究室における過去のthalidomideの構造展開研究においても4位への置換基導入がその活性や選択性に大きく影響することが示されている。

そこで芳香環の新たな修飾反応を開発し、multi-template手法に基づき4位に置換基を導入したthalidomide誘導体を創製し、質の高いchemical libraryを作成すべく研究を行うこととした。これによりmulti-template手法に反応化学を取り入れた新たな創薬手法を提案することとした。

【第2章 Directed ortho cupration (DoC)反応の開発2】

Directed ortho metalation(DoM)反応は、芳香環上に位置選択的に置換基を導入できる数少ない反応のひとつであり、配位性官能基directed ortho metalation group (DMG)のortho位水素が強塩基により脱プロトン化され、金属が直接芳香環と結合を形成する反応である(Figure 2)。これまでに、Uchiyamaらによりalkyl lithium、lithium amidoに代わるAl、Znを中心金属とする典型金属アート型塩基試薬が開発され、cyano基、amide基など、DMGとして利用できる官能基の幅が広げられてきた3。しかしながら、これらの錯体で調製した中間体は求電子剤との反応性、多様性に乏しいという問題点が存在した。今回筆者は、新たな芳香族金属アート錯体の創製と芳香環への置換基導入反応のさらなる多様化を目指し、新しい金属アート塩基の開発に取り組んだ。

有機銅錯体は求電子剤との高い反応性に加え、銅特有の反応性が数多く報告されている。また、銅を中心金属とする酵素tyrosinase4やlaccaseの機能にも着目し、遷移金属であるCu(I)を中心金属とする遷移金属アート型塩基試薬の開発に着手した。容易に酸化できることが知られるCu(I)アート錯体は、典型金属アート錯体では困難な置換基の導入戦略が期待できる。

嵩高いアミンを有する銅アート錯体を設計し、directed ortho cupration (DoC)反応を種々検討した(Table 1)。その結果、Gilman型のアート錯体(1a,b)に比べ、CuCNより調製したLipshutz (higher order)型の錯体(1c-l)に高い活性が見られた。銅アート錯体では、配位子としてMe,nBu,tBu,Ph基等の様々なalkyl配位子が選択可能であり、錯体に構造多様(柔軟)性を持たせることができた。

銅アート錯体1fをモデル錯体として、本反応の適応範囲にについて調べた(Table 2)。CN基、OMe基等の様々な官能基を有する芳香族化合物(2b-e)、芳香環上にI、Brが存在する化合物(2f-h)、ヘテロ環化合物(2i-k)に対して位置および化学選択的にDoc反応が進行することを明らかとした。

さらに、合成した芳香族銅アート錯体はaryl anion等価体として反応することが明らかとなった(Figure 3)。他のメタル化試薬を用いた際、触媒添加が必要であったSN2反応やacyl化反応に関しても、中間体3eは、新たに触媒添加を必要とすることなく、高収率かつ位置選択的にMe化、allyl化、benzoy1化、silyl化反応が進行した。

また配位性官能基がO-carbamate基である場合において、芳香族銅アート錯体中間体の安定性を調べた(Figure 4)。低温下で銅アート錯体を反応させた際、求核置換体が選択的に得られたことに対し(Entry 1)、比較的温和な条件にて加熱したところ選択的にanionic Fries転移体が得られた(Entdes 5-7)。温度を制御する事により、転移を制御できる結果が得られた。

【第3章 理論的解析】

開発したDoC反応をligand-coupling等の酸化反応に応用すべく、錯体の構造ならびに反応機構に関する解析を行った(Figure 5)。B3LYP法により(TMP)2Cu(CN)Li2 1eの構造はLipshutz型である事が示唆され、この結果はX線結晶構造解析の結果とも一致した。反応機構に関しては、錯体のどの部分が脱プロトン化に関与するのか、また、生成物である芳香族銅アート錯体中間体はその後配位子変換反応が進行するかいなかで、主に三つの反応経路が推定される。DFT計算を行った結果、銅アート錯体のLi原子が芳香環上の官能基に配位した後、TMP部分が芳香環上官能基に隣接する水素を選択的に引き抜き、芳香族銅アート錯体化する機構が推定された。また、その後の配位子変換反応は進行しない速度論的な反応経路を有する事が示唆された(Figure 6)。

【第4章 酸化反応】

Cu(I)中間体3eを種々の条件で酸化した(Figure 4)。1f,1g, 1iを用いて調製した中間体を温和な酸化剤として知られるPhNO2を用いて酸化を行うと、選択的にligand-coupling反応が進行し、sp3,sp2炭素が導入された4e(Me),4e(Bu),4e(Ph)が得られた。またアルキルユニット(銅-炭素結合)を持たない、1eを用いて同様に酸化したところ、選択的にhomo-coupling体5eが得られた。さらに錯体1lを用い、C6Cl4O2にて酸化したところ、NH2基が導入された6eが得られた。さらに、芳香環化学において、困難な課題として知られる位置・化学選択的なOH化反応を試みた(Figure 5)。アルキルユニットを持たない銅アート錯体1eを用い、分子状酸素、tBuOOLiを用いた酸化を行うことでOH基導入を試みた。その結果、分子状酸素を用いた際、多くの二量体が生成した事に対し、tBuOOLiで酸化したところ、二量体の生成は抑えられ、OMe基を有する化合物、benzonitrileに対して効率よくヒドロキシル化反応が進行した。

【第5章 thalidomide誘導体の創製・活性評価】

当研究室でこれまでに創製されたthalidomideのglutarimide骨格を芳香環に変換した化合物PP33に対し、開発したDoC反応を用いて、4位に置換基を導入した化合物群を創製した(Figure 6)。これらの化合物群に対し、抗がん活性に深く関与しているとされる、APN (aminopeptidase N)ならびにPSA(puromycin-sensitive aminopeptidase)に対する阻害活性評価、ヒト白血病細胞HL-60に対する細胞分化誘導試験、さらにTNF-α産生調節活性を調べた。

4位へのNH2基、I基の導入が、APNならびにPSAに対する阻害活性に大きな影響を与え、置換基導入により酵素選択性を引き出せることを示した(Table 3)。また、単独でHL-60細胞の分化を誘導する4-hydroxy, amino, cyano誘導体を見出したことに加え(Figure 7)、ヒト白血病細胞THP-1のTPA刺激によるTNF-α産生を強力に阻害する化合物の創製にも成功した(Figure 8)。

【第6章 総括】

本研究において、医薬化学を志向しDoC反応を開発するとともに、同反応をthalidomideをmulti-templateとした誘導体合成に応用することで、新たにAPN阻害剤、PSA阻害剤、HL-60細胞分化誘導剤、TNF-α産生調節剤を見出した。本研究において、multi-template手法に反応化学を取り入れたことにより新たな創薬手法を提案ならびに例示することができたと考えている。

1 Bartlett, J. B.; Dredge, K.; Dalgleish, A. G, Nat. Rev. Cancer, 2004, 4, 314-322.2 Usui, S.; Hashimoto, Y.; Morey, J. V.; Wheatley, A. E.; Uchiyama, M.; J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 15102-151033 (1) Mulvey, R. E.; Mongin, F.; Uchiyama, M.; Kondo, Y. Angew. Chem., Int. Ed., 2007, 46, 802-24. (2) Uchiyama, M.;Matsumoto, Y.; Usui, S.; Hashimoto, Y.; Morokuma, K. Angew. Chem. Int. Ed. 2007, 46, 926-929.4 (1) Itoh, S.; Kumei, H.; Taki, M.; Nagatomo, S.; Kitagawa, T.; Fukuzumi, S. J Am. Chem. Soc. 2001, 123, 6708-6709. (2) Naka, H.; Kondo, Y.; Usui, S.; Hashimoto, Y.; Uchiyama, M. Adv. Synth. Catal. 2007, 349, 595-600.

Figure 1. Structures of thalidomide and IMiDs.

Table 1. Screening for cuprates.

Figure 2. Directed ortho metalation (DoM).

Figure 3. Electrophilic trappjng.

Table 2. DoC for various kinds of substrates.

Figure 4. Anionic Fries rearrangement.

Figure 5. The Structure of 1e. (1): X ray structure (R(int)=0.0328).(2): Calculated structure. DFT (B3LYP/6-31+G*& SVP for Cu).

Figure 6. Plausible reaction mechanism.

Figure 4. Oxidation of the aromatic Cu-ate complexes.

Figure 5. Oxidation of the aromatic Cu-ate complexes.

Table 3. APN/PSA inhibitory activities.

Figure 6. Synthesis of 4-substituted derivatives of PP33.

Figure 7. HL-60 cell differentiation activity.

Figure 8. TNF-α production regulation activity..

審査要旨 要旨を表示する

Multi-template創薬手法とは、ヒト生体内に約5~7万種類ものタンパク質が存在する一方で、それらの化学的性質を無視した3次元的立体形状(フォールド構造)の数は約1000種類と数に限りがあることに着目し弘概念である。この考えに基づけば、適切な母核を有する小分子化合物(multi-template)に対して、適切な誘導化を行えば、様々な生理活性を有する化合物群が共通の母核から創製できるはずである。今後、膨大な化合物のバリエーションがある中で、生物にとって有用なchemical libraryを選択的に作成していくためにはmulti-template創薬手法が重要な手段となる。

臼井伸也はmulti-template構造としてthalidomide、IMiDsに着目し、(1)最適な芳香環修飾反応directed ortho cupration (DoC)反応の開発ならびに酸化反応への応用、(2)銅錯体の錯体構造、反応機構解析、(3)DoC反応によるthalidomide誘導体の創製、活性評価を行った。以上より、multi-template創薬手法に反応化学を取り入れた事により、これまでにはなかった創薬手法を提案した。本研究による創薬手法は従来の手法と相補するものであると考えられる。

DoC (Directed ortho cupration)反応の開発、応用

Directed ortho metalation (DoM)反応は、芳香環上に位置選択的に置換基を導入できる数少ない反応のひとつであり、配位性官能基directed ortho metalation group (DMG)のortho位水素が強塩基により脱プロトン化され、金属が直接芳香環と結合を形成する反応である(Figure 2)。これまでに開発された典型金属アート塩基錯体を用いて調製した中間体は求電子剤との反応性、多様性に乏しいという問題点が存在した。これに対し、ハロゲン-銅交換反応により調製された芳香族有機銅錯体は求電子剤との高い反応性に加え、銅特有の反応性が数多く報告されていた。臼井は銅を中心金属とする酵素tyrosinase, laccaseの機能にも着目し、遷移金属であるCu(I)を中心金属とする遷移金属アート型塩基試薬の開発に着手した。

臼井は嵩高いアミンを有する銅アート錯体を設計し、directed ortho cupration (DoC)反応を種々検討した(Table 1)。その結果、Gilman型のアート錯体(1a,b)に比べ、CuCNより調製したLipshutz型の錯体(1c-1)に高い活性が見られた認められた。銅アート錯体では、配位子としてMe,nBu,tBu,Ph基等の様々なalkyl配位子が選択可能であり、錯体に構造多様(柔軟)性が存在する事を明らかとした。

また、本DoC反応の適応範囲、ならびに各種求電子剤との反応性にについて調べている(Figure 3)。CN基、OMe基等の様々な官能基を有する芳香族化合物、芳香環上にI、Brが存在する化合物、ヘテロ環化合物に対して位置および化学選択的にDoC反応が進行することを明らかとした。

さらに、合成した芳香族銅アート錯体はaryl anion等価体として反応することを示している。他のメタル化試薬を用いた際、触媒添加が必要であったSN2反応やacyl化反応に関しても、中間体3eは、新たに触媒添加を必要とすることなく、高収率かつ位置選択的にMe化、allyl化、benzoyl化、silyl化反応が進行した。

また、臼井はCu(I)中間体3eを種々の条件で酸化した(Figure 4)。1f,1g,1iを用いて調製した中間体を温和な酸化剤として知られるPhNO2を用いて酸化することで、選択的にligand-coupling反応が進行させ、sp3,sp2炭素が導入された4e(Me),4e(Bu),4e(Ph)を得ている。また炭素ユニット(銅-炭素結合)を持たない、1eを用いて同様に酸化することで、選択的にhomo-coupling体5eを得ている。さらに中間体3e(TMp)をtBuOOLiで酸化することで、芳香環化学・医薬化学において重要と考えられるOH化反応の開発を行っている。また、錯体1lを用い、C6Cl4O2にて酸化することでNH2基導入反応を報告している。

錯体構造と反応機構解析

次に臼井は新たに開発した銅アート錯体の構造、DoC反応機構に関して、密度汎関数法を用い、錯体の構造と反応機構の解析を行った(Figure 5)。B3LYP法により(TMP)2Cu(CN)Li2 1eの構造はLipshutz型である事が示唆され、この結果はX線結晶構造解析の結果とも一致した。反応機構に関しては、銅アート錯体のLi原子が芳香環上の官能基に配位した後、TMP部分が芳香環上官能基に隣接する水素を選択的に引き抜き、芳香族銅アート錯体化する機構が推定された。

以上より、臼井伸也は新たな芳香環修飾反応DoCを開発したとともに、遷移金属である銅特有の反応性を生かす事により、新たにC-C bond,C-N bond, C-O bondの形成に成功した(Figure 6)。

DoC反応を用いたthalidomide誘導体の創製・活性評価

次に臼井は所属研究室でこれまでに創製されたthalidomideのglutarimide骨格を芳香環に変換した化合物PP33に対し、開発したDoC反応を用いて4位に置換基を導入した化合物群を創製した(Figure 7)。

これらの化合物群に対し、抗がん活性に深く関与しているとされる、APN(aminopeptidase N)ならびにPSA (puromycin-sensitive aminopeptidase)に対する阻害活性評価、ヒト白血病細胞HL-60に対する細胞分化誘導試験、さらにTNF-α産生調節活性を調べた。

その結果、4位へのNH2基、I基の導入という僅かな構造修飾が、APNならびにPSAに対する阻害活性に大きな影響を与え、酵素選択性を引き出せることを示した(Table 3)。また、単独でHL-60細胞の分化を誘導する4-hydroxy, amino,cyano誘導体を見出したことに加え(Figure 8)、ヒト白血病細胞THP-1のTPA刺激によるTNF-α産生を強力に阻害する化合物の創製にも成功した。

以上、臼井伸也はthalidomideをmulti-templateに選定し、その構造修飾に最適なDoC反応を開発し、適用した。創製した化合物群は、抗がん活性に深く関与する種々の生理活性を示した。本研究により、multi-template手法に反応化学を取り入れた新たな創薬手法がchemical libraryならびにリード化合物創製に有効である事が示された。これらの業績は医薬化学ならびに芳香環修飾反応に対し大きく貢献するものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値すると判断した。

Figure 1. Structures of thalidomide and IMiDs.

Figure 2. Directed ortho metalation (DoM).

Table 1. Screening for cuprates.

Figure 3. various kinds of substrates and electrophilic trapping..

Figure 4. Oxidation of the aromatic Cu-ate complexes.

Figure 5. X ray structure of 1e, (R(int)=0.0328).

Figure 6. Development of DoC.

Figure 7. Synthesis of 4-substituted derivatives of PP33.

Table 3. APN/PSA inhibitory activities.

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