学位論文要旨



No 124948
著者(漢字) 若林,賢一
著者(英字)
著者(カナ) ワカバヤシ,ケンイチ
標題(和) 脂肪細胞分化におけるPPARγ標的遺伝子の網羅的同定とヒストン修飾の解析
標題(洋)
報告番号 124948
報告番号 甲24948
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1301号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 准教授 浦野,泰照
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序】

これまで遺伝子の発現制御は、転写因子によるDNA配列の読み取りと結合に基づく機構が詳細に解明されてきた。近年ではこのような機構に加えて、DNAのメチル化やヒストンの修飾などに代表されるエピジェネティックな制御機構の重要性が明らかになってきた。DNAの一次配列によらないエピジェネティックな転写制御は発生や分化だけでなく、その異常が癌などの疾患にも関与しており、創薬における新たな標的経路としても期待がもたれる。これまでの研究から、核内受容体Peroxisome prolifbrator-activated receptorγ(PPARγ)は間葉系幹細胞を起源とする前駆脂肪細胞から、脂肪細胞への分化を誘導するマスターレギュレーターとして働くことが知られている。脂肪細胞への分化におけるPPARγの標的遺伝子としては脂肪酸やグルコースの代謝関連因子、種々のアディポカインや転写因子をコードする遺伝子が同定されている。しかし、脂肪細胞への分化やPPARγアゴニスト添加による遺伝子の発現プロファイリングを考慮すると、多くのPPARγ標的遺伝子が未同定なままと考えられる。PPARγは脂肪細胞への分化のマスターレギュレーターであることから、未同定のPPARγ標的遺伝子の中には、エピジェネティックな変化を制御する因子の存在が予想される。そこで本研究では、PPARγはエピジェネティックな変化も制御し、脂肪細胞への分化を誘導しているとの仮説を立て、マウス前駆脂肪細胞株3T3-L1細胞の脂肪細胞への分化系を用いて、1)クロマチン免疫沈降法(ChIP)とゲノムタイリングアレイ(chip)を組み合わせたChIP-chip解析によるPPARγ標的遺伝子の網羅的同定、2)PPARγ標的遺伝子として同定したヒストンメチル化酵素による脂肪細胞への分化の制御、の2点について解析した(図1)。

【方法と結果】

1.ChlP-chip解析と遺伝子発現解析による標的遺伝子の網羅的同定

(1)ChlP-chip解析による標的遺伝子の同定

3T3-L1細胞はデキサメタゾン(DEX)/3-isobutyl-1-methyl-xantine(IBMX)/インスリン(Ins)を併用した分化誘導により、PPARγの発現上昇を伴って脂肪細胞へ分化する。これまでの過剰発現系を用いた機能解析から、PPARγは核内受容体RXRαと二量体(PPARγ/RXRα)を形成して標的遺伝子の転写を制御すると考えられている。そこで、PPARγまたはRXRαを特異的に認識する抗体を用いたChIPを行い、回収したDNA断片をMouse Promoter 1.0 Array(Affymetrix)により検出した。本系においても既知のPPARγ標的遺伝子であるFabp4、Cd36、Adipoqなどのプロモーター領域にPPARγとRXRαの結合が検出された。分化誘導後8日目では、PPARγとRXRαの多くは共通のDNA上に結合していることが分かった。共通な結合領域の中で、シグナルの強い上位500箇所の配列についてinsilicoで解析を行ったところ、PPAR応答配列であるDRI(5'-AGGTCA-N-AGGTCA-3')配列が抽出された(図2)。これらのことから、PPARγとRXRαは生理的条件においても二量体を形成し、DRI配列に結合していると考えられる。転写開始点上流5Kbから下流1Kb、あるいは第1イントロンの間に結合がある遺伝子を標的遺伝子と定義したところ、1764個の遺伝子がPPARγ標的遺伝子として同定された(図3)。PPARγ標的遺伝子を機能別に分類したところ、その大部分は代謝関連遺伝子であったが、加えて新たに10個のSETタンパク質(ヒストンメチル化酵素)が同定された。

(2)標的遺伝子の発現解析

ChIP-chip解析により同定した標的遺伝子について、Mouse Genome 430 2.0 Array(Affymetrix)を用いて分化に伴う発現変化を解析した。分化誘導後8日目におけるPPARγ/RXRα標的遺伝子の39%は分化前に比較して発現が2倍以上に上昇していた。この中には、Pparg自身も含まれていることが分かった。また、PPARγ標的遺伝子として同定した10個のSETタンパク質うち、8個が発現していることが分かった。

2.脂肪細胞分化におけるピストン修飾酵素の機能

PPARγの活性依存的に発現が変化する遺伝子を選び出す為に、siRNAによるPPARγの発現抑制とPPARγアンタゴニスト(T0070907)を添加した際の遺伝子の発現変化を調べた。その結果、PPARγ標的遺伝子として同定され3T3-L1で発現していた8個のSETタンパク質のうち、SETD8、SETDB1、SETD5の3つがPPARγの活性依存的に発現パターンが変化していた。このうち、SETD8(ヒストンH4K20のモノメチル化酵素)とSETDB1(H3K9のトリメチル化酵素)について脂肪細胞への分化に与える影響を検討した。

(1)siRNAを用いたSETタンパク質の発現抑制による脂肪滴蓄積への影響

SETタンパク質の発現抑制による脂肪細胞への分化の変化を、オイルレッドOを用いた脂肪滴の染色により観察した。分化に伴い発現が上昇するSETD8については、siRNAを用いた発現抑制により脂肪滴の蓄積が阻害された(図4)。一方、SETDB1はDEX/IBMX/Insによる分化誘導に伴い発現が減少する。そこでsiRNAによりSETDB1の発現を抑制したところ、DEX単独による弱い分化誘導条件においても脂肪滴の蓄積が促進した(図5)。同様の結果は、マウス胎仔由来間葉系幹細胞株C3H10T1/2細胞の脂肪細胞への分化系においても確認できた。これらのことから、脂肪細胞への分化にはSETタンパク質によるヒストンのメチル化状態の変化が関与すると考えられた。

(2)SETD8依存的な遺伝子発現の変化

SETD8の発現抑制による脂肪細胞への分化阻害のメカニズムを明らかにするために、Mouse Genome 430 2.0 Arrayを用いて遺伝子の発現変化を解析した。3T3-L1細胞においてPPARγの発現を誘導する分化促進因子のC/EBPβやC/EBPδ、KLF5、あるいは分化抑制因子であるCOUP-TFIIの発現は、コントロールと比較して変化は見られなかった。一方、PPARγや同じく分化促進因子のCIEBPαの発現は顕著に抑制され、PPARγ標的遺伝子のFABP4やCD36などの発現も抑制されていた(図6)。これよりSETD8はPPARγやその標的遺伝子の発現を誘導して脂肪細胞への分化を制御していると考えられる。

(3)脂肪細胞への分化におけるモノメチル化H4K20(H4K20me1)の変化

SETD8はH4K20のモノメチル化酵素であることから、分化前後でPpargや標的遺伝子の領域でH4K20me1が変化すると考えた。そこで、H4K20me1に対する抗体を用いたChIPを行った。定量的PCRによりその変化を解析し、分化誘導後8日目ではPpargや標的遺伝子の領域でH4K20me1が誘導されることを確認した(図7)。また、SETD8の発現を抑制した際には、H4K20me1が誘導されなかった。これまでに、H4K20me1は遺伝子の転写抑制と促進に働くという両方の報告がある。また、H4K20me1は遺伝子の発現誘導に比べ後期に誘導されていた。SETD8はH4K20me1を誘導することでクロマチンの構造を固定し、脂肪細胞への分化を維持しているのではないかと考えられる。

【まとめ】

本研究では、ChIP-chip解析を用いて3T3-L1細胞の脂肪細胞への分化系におけるPPARγとRXRαの標的遺伝子を網羅的に同定した。PPARγとRXRαに共通の結合領域にはDR1配列が濃縮されていたことから、内因性のPPARγとRXRαが二量体を形成しDNAに結合していることが示唆された。さらに、PPARγの標的遺伝子として同定されたSETタンパク質が、H4K20me1の修飾を介して、脂肪細胞への分化を制御していることを明らかにした。従来PPARγは、代謝関連遺伝子の転写因子として理解されていたが、本研究によりエピジェネティックな変化をも制御し、脂肪細胞分化を促進していることが明らかとなった(図8)。本研究の成果は、脂肪細胞分化の基礎生物学のみならず、エピジェネティックな経路を標的とした創薬を推進する上で新たな指針を与えるものと考える。

図1.研究の概略図(chlP-chip解析を用いたPPARγ標的遺伝子同定とエピジェネティックな修飾による脂肪細胞分化の制御)

図2.PPARγとRXRαに共通の結合領域でのDR1配列の抽出

図3.分化誘導後36時間と8日でのPPARγの標的遺伝子数

図4.si-Setd8による脂肪滴蓄積の阻害(上段:全体写真、下段:拡大写真)

図5.si-Setdb1による脂肪滴蓄積の促進(上段:全体写真、下段:拡大写真)

図6.si-Setd8によるPPARγ、C/EiBPα、PPARγ標的遺伝子の発現抑制

図7.分化によるH4K20me1の誘導

図8.本研究で提示したPPARγによるピストン修飾を介した脂肪細胞への分化促進のモデル(黒実線:新規PPARγ標的遺伝子、灰実線:H4K20me1の誘導、破線:既知PPARγ標的遺伝子)

審査要旨 要旨を表示する

脂肪組織は、エネルギーの貯蔵庫の役割を担う器官であるとともに、アディポカインと呼ばれる様々な生理活性物質を分泌する内分泌器官である。脂肪組織は生体の恒常性維持に重要な役割を担っているが、飽食と車社会の現代では、脂肪組織が過剰な状態である肥満がメタボリックシンドロームの危険因子として深刻な問題となっている。肥満における脂肪組織の過剰状態は、脂肪細胞の肥大化と数の増加に起因することから、これらの機構を解明することは、メタボリックシンドロームの克服のために重要な課題である。

脂肪細胞の数の増加は、間葉系幹細胞から分化した前駆脂肪細胞が脂肪細胞へと分化することに依存する。脂肪細胞への分化は、核内受容体peroxisome prohferator activated receptor gamma(PPARγ)に代表される転写因子による制御機構が知られている。抗糖尿病薬のチアゾリジン系薬剤は脂肪細胞におけるPPARγを主たる標的としており、脂肪細胞への分化におけるPPARγの役割を解明することは、メタボリックシンドロームの克服を目指した創薬研究での重要な課題である。さらに、細胞め分化という観点から、脂肪細胞への分化においてもエピジェネティクスによる制御が重要であると予想される。脂肪細胞への分化におけるエピジェネティクス機構を解明することは、新たな経路を標的とした創薬への展開が期待される。

若林賢一の研究は、マウス前駆脂肪細胞株3T3-L1細胞の脂肪細胞への分化系を用いて、(1)クロマチン免疫沈降法(ChIP)とゲノムタイリングアレイ(chip)を組み合わせたchIP-chip解析によるPPARγ標的遺伝子の網羅的同定、(2)PPAkγ標的遺伝子とエピジェネティクス機構の解明、という2点について解析したものである。(図1)

1.ChIP-chip解析と遺伝子発現解析による標的遺伝子の網羅的同定

(1)ChlP-chip解析による標的遺伝子の同定

3T3-L1細胞はデキサメタゾン(DEX)/3-isobutyl-1-methyl-xantine(IBMX)/インスリン(Ins)を併用した分化誘導により、PPARγの発現上昇を伴って脂肪細胞へと分化する。これまでの既報では過剰発現系を用いた機能解析により、PPARγが核内受容体RXRαと二量体(PPARγ/RXRα)を形成して標的遺伝子の転写を制御することを示している。若林は、PPARγまたはRXRαを特異的に認識する抗体を用いたChIPを行い、回収したDNA断片をMouse Promoter 1.0 Array(Affymetrix)により検出した。本系においても既知のPPARγ標的遺伝子であるFabp4、Cd36、Adipoqなどのプロモーター領域にPPARγとRXRαの結合を検出し、分化誘導後8日目では、PPARγとRXRαの多くは共通のDNA上に結合していることを示した5共通な結合領域の中で、シグナルの強い上位500箇所の配列についてin silicoで解析を行ったところ、PPAR応答配列であるDRI(5'-AGGTCA-N-AGGTCA-3')配列が抽出された。これらのことから、PPARγとRXRαは生理的条件においても二量体を形成し、DR1配列に結合していると考えた。転写開始点上流5Kbから下流1Kb、あるいは第1イントロンの間に結合がある遺伝子を標的遺伝子と定義したところ、1764個の遺伝子がPPARγ標的遺伝子として同定された。PPARγ標的遺伝子を機能別に分類したところ、約半数は代謝関連遺伝子であったが、加えて新たに10個のSETドメインタンパク質(ヒストンメチル化酵素)を同定した。

(2)標的遺伝子の発現解析

さらに若林は、chIP-chip解析により同定したPPARγ/RXRα標的遺伝子について、3T3-L1細胞の脂肪細胞への分化に伴う発現変化をMouse Genome430 2.0 Array (Affymetrix)を用いて解析した。分化誘導後8日目におけるPPARγ/RXRα標的遺伝子の39%は分化前に比較して発現が2倍以上に上昇し、この中には、Pparg自身も含まれていること、また、PPARγ標的遺伝子として同定したSETドメインタンパク質をコードする10個の遺伝子の中で、8個の発現が分化に伴い変動していることを明らかにした。

2.脂肪細胞分化におけるピストン修飾酵素の機能

PPARγの転写活性に依存して発現が変化するSETドメインタンパク質を選び出す為に、siRNAによるPPARγの発現抑制とPPARγアンタゴニストを添加した際の遺伝子の発現変化を調べた。PPARγ標的遺伝子として同定され3T3-L1で'発現していた8個のSETドメインタンパク質のうち、SETD8、SETDB1、SETD5の3つがPPARγの活性依存的に発現パターンが変化していたため、このうち、SETD8(ピストンH4K20のモノメチル化酵素)とSETDB1(H3K9のトリメチル化酵素)について脂肪細胞への分化に与える影響を検討した。

(1)siRNAを用いたSETドメインタンパク質の発現抑制による脂肪滴蓄積への影響

SETタンパク質の発現抑制による脂肪細胞への分化の変化を、オイルレッドOを用いた脂肪滴の染色により観察した。分化に伴い発現が上昇するSETD8については、siRNAを用いた発現抑制により脂肪滴の蓄積が阻害されることを示した。一方、SETDB1はDEX/BMX/Insによる分化誘導に伴い発現が減少する。そこでsiRNAによりSETDB1の発現を抑制したところ、DEX単独による弱い分化誘導条件においても脂肪滴の蓄積が促進した。同様の結果は、マウス胎仔由来間葉系幹細胞株C3H10T1/2細胞の脂肪細胞への分化系においても観察された。よって、脂肪細胞への分化にはSETタンパク質によるヒストンのメチル化状態の変化が関与すると考えた。

(2)SETD8依存的な遺伝子発現の変化

SETD8の発現抑制による脂肪細胞への分化阻害のメカニズムを明らかにするために、Mouse Genome 4302.0 Arrayを用いて遺伝子の発現変化を解析した。3T3-L1細胞においてPPARγの発現を誘導する分化促進因子のC/EBPβやC/EBPδ、KLF5、あるいは分化抑制因子であるCOUP-TFIIの発現は、SETD8の発現を抑制した場合もコントロールと比較して変化はなく、一方、PPARγや同じく分化促進因子のC/EBPαの発現は顕著に抑制され、PPARγ標的遺伝子のFABP4やCD36などの発現も抑制されていることを示した。これよりSETD8はPPARγやその標的遺伝子の発現を誘導して脂肪細胞への分化を制御していると考えた。

(3)脂肪細胞への分化におけるテノメチル化H4K20(H4K20me1)の変化

SETD8はH4k20のモノメチル化酵素であることから、分化前後でPpargや標的遺伝子の領域でH4K20me1が変化することを予想した。そこで、H4K20me1に対する抗体を用いたChIPを行い、定量的PCRによりその変化を解析した。分化誘導後8日目ではPpargや標的遺伝子の領域でH4K20me1が誘導されることを確認した。また、SETD8の発現を抑制した際には、H4K20me1が誘導されなかった。H4K20me1は遺伝子の転写抑制と促進に働くという両方の報告があり、遺伝子発現とH4K20me1の関係は明らかにはなっていない。H4K20me1は遺伝子の発現誘導に比べ後期に誘導されていたことなどから、SETD8はH4K20me1を誘導することでクロマチンの構造を固定し、脂肪細胞への分化を維持しているのではないかと考察している。

若林の研究では、まず、転写因子や代謝に関連する因子の発現を制御し、脂肪細胞への分化を促進するマスターレギュレーターであると理解されてきたPPARγの役割を、その標的遺伝子を網羅的に同定することで証明した。さらに、PPARγがヒストンメチル化酵素を介したエピジェネティックな変化をも制御し、脂肪細胞への分化を促進していることを明らかにした(図2)。

以上、若林賢一の研究業績は、脂肪細胞分化の基礎生物学のみならず、エピジェネティックな経路を標的とした創薬を推進する上で新たな指針を与えるものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値すると判断した。

図1.研究の概略図。(1)ChlP-chip解析を用いたPPARγ標的遺伝子の同定、(2)エピジェネティックな修飾による脂肪細胞への分化の制御機構の解明。

図2,PPARγは転写による経路とエピジェネテッィクな経路を介して、3T3-L1細胞の脂肪細胞への分化を促進している。黒色線はPPARγがプロモーターに結合し転写を活性化する経路(転写による経路)、灰色線はSETD8がH4K20のモノメチル化を介して発現を調節する経路(エピジェネティックな経路)を示している。

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