学位論文要旨



No 124952
著者(漢字) 荻野,新治
著者(英字)
著者(カナ) オギノ,シンジ
標題(和) 哺乳細胞内におけるタンパク質間相互作用を観測するための新規In-cell NMR測定法の開発
標題(洋)
報告番号 124952
報告番号 甲24952
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1305号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序】

細胞内では、膜タンパク質や、細胞骨格、細胞小器官などの構造体が、様々なタンパク質や補因子を保持しており、機能的な複合体としてその役割を担っている。そのため、生命現象の発動をタンパク質間相互作用の観点で解析する場合、機能を発揮する環境にある、よりインタクトに近い状態を構造生物学的対象とすることが望まれる。しかし、一般的な構造生物学的な解析では、高い純度のサンプルが解析対象となり、精製過程を必要とするため、構造体やタンパク質複合体を維持したまま調製することは困難である。また、膜タンパク質は、界面活性剤中では安定性が著しく低下するため試料調製が問題となるケースが多い。その一方でNMR法は、生体試料に対し非侵襲測定が可能であり、また、安定同位体標識により解析対象のみを選択的に観測可能であるという他の構造生物学的解析法には無い特長を持っている。そのため、細胞をそのまま用いて、細胞内におけるタンパク質の立体構造・相互作用解析への適用が可能である。特に、動物細胞内における高次生命現象を、インタクトに近い状態にて構造的に解析することができれば、創薬へと応用する道も開かれる。そこで、本研究では、哺乳細胞を用いて、細胞内におけるタンパク質-タンパク質間の相互作用を検出するためのNMR測定法の開発を目的とした。

【方法】

細胞調製方法の戦略とモデル相互作用系

細胞内にてアミノ酸残基毎のNMRシグナルを観測するためには、安定同位体標識を施した観測対象タンパク質を数10μM程度細胞内に存在させる必要がある。これまでに、大腸菌内に過剰発現させた場合、およびXenopus Iaevis oocyte内にmicroinjectionした場合において、細胞内NMRシグナルの観測が報告されているが、いずれの方法も哺乳細胞に対する適用は困難であるため、新たな手法が必要となる。そこで特別な装置を必要とせず、様々な種類の哺乳細胞に対して汎用性の高い手法として、セミインタクト細胞の調製に用いられるstreptolysin O (SLO)に注目した。SLOは、コレステロールと結合して形質膜上にボアを形成し、細胞骨格や細胞内構造を保持した状態で、細胞質成分を自由に交換することを可能とする。SLOが形成するボアの直径は約30nmであり、抗体(150kDa)の導入が確認されているため、通常、NMR観測対象となる30kDa以下のタンパク質の導入は可能と判断した。また、SLOにより形成した形質膜上のボアは、細胞外にCa(2+)を添加することにより、再び塞がれる(reseal)ことが報告されている。そこで、SLO処理とresealを組み合わせることにより、細胞内部のみのタンパク質に由来するNMRシグナルを選択的に観測するための細胞調製方法の確立を目指した(Fig.1)。

細胞内にてNMR観測および相互作用解析を行うためのモデル系として、G-actinと相互作用するThymosinβ4(Tβ4)を用いた。Tβ4は、43アミノ酸残基から成る、分子量約5kDaのタンパク質であり、細胞内に導入した場合に内在性G-actinとの相互作用が観測されることを期待した。Tβ4は、大腸菌により発現・精製したものを用いた。細胞は、浮遊培養に適応させた293F細胞を用いた。

【結果および考察】

細胞内NMR観測のための細胞試料の調製方法の確立

まず、107個程度の大量の細胞をSLO処理し、NMR観測可能な分子数のTβ4を導入するための細胞の調製条件を、Fluorescein isothiocyanate(FITC)にて蛍光標識したTβ4の導入を指標として検討した。Resealingの成否は、細胞調製後に、細胞膜非透過性の核染色試薬であるPropidium iodide(PI)を添加して、染色されるか否かにて判断した。フローサイトメトリーにてFITC-positive/PI-negativeの細胞集団が最も多く得られる条件を決定した(Fig.2a)。また、導入したFITC標識Tβ4を共焦点蛍光顕微鏡にて観測した結果、細胞内に分布していたことから、細胞内アクチンと相互作用可能な状態にて存在することが示された(Fig2b)。次に、細胞内丁β4導入量の見積もりを行った。SLO非添加時と添加時のFITCの蛍光強度(蛍光波長518nm)の差よりFITC-Tβ4導入量を算出した結果、平均の細胞内濃度のは50μM程度であったことから、NMR測定に適用可能な量のTβ4が細胞内に導入されたと判断した(Fig.2c)。

最適化した条件を用いて[ul-(15)N]Tβ4を導入した細胞の1H-(15)NHSQCスペクトルを測定した結果、10時間の測定にて十分なS/N比のスペクトルが観測された(Fig.3)。測定後の細胞をスピンダウンした後の上清成分のNMRスペクトルを測定した結果、細胞を用いた測定時と比較してシグナル面積が、1/10程度であったことから、細胞を用いた場合に観測されたスペクトルは、細胞内に存在するTβ4に由来すると考えた。

細胞内に導入したThymosinβ4のN末端アセチル化修飾

細胞内に導入したTβ4と内在性G-actinとの間の相互作用の検出を行うため、細胞内にて測定した場合とバッファー中にて測定した場合の1H-(15)N HSQCスペクトルを比較した。両者の間に、多くのシグナルに線幅未満のわずかな化学シフト差が観測される一方で、N末端に近いK3,D5では線幅以上の大きな変化が観測された(Fig.4(a))。細胞内にて測定したTβ4のスペクトルには、バッファー中では観測されない特徴的な化学シフトに3個のシグナルが観測された(Fig.4(a)拡大図)。K3,D5の明らかに大きな化学シフト変化を説明する上で、G-actinとの相互作用以外の寄与を考慮に入れる必要があると考えた。

生体内に発現したTβ4は、翻訳開始メチオニンが切断され、N末端となったセリン残基がアセチル化修飾を受ける。そのため、K3,D5などN末端にのみ観測されている顕著な化学シフト差が、細胞内に導入したTβ4のN末端アセチル化修飾を反映している可能性を検証した。化学合成したN末端アセチル化Tβ4の天然存在比の(15)Nを用いて1H-(15)N HSQCスペクトルを測定した。その結果、細胞内にて特徴的な化学シフトに観測されたシグナルは、アセチル化Tβ4のスペクトル上においても観測された(Fig.4(b))。このことから、細胞内に導入されたTβ4が、生体内に発現したTβ4と同様に、N末端アセチル化の翻訳後修飾を受けたことが明らかとなった。

細胞内に導入したThymosinβ4と内在性G-actinとの間の相互作用の険出

細胞内にて測定した場合に、Tβ4のN末端アセチル化以外に、内在性G-actinとの相互作用が検出されるか否かを調べるため、各アミノ酸残基について、細胞内にて測定した場合とバッファー中にて測定した場合の化学シフト変化量を算出した(Fig.5(a))。N末端のアセチル化に伴う化学シフト変化も同様に示すと、E10よりN末端側の領域にて比較的大きな化学シフト変化が集中した(Fig.5(b))。細胞内測定時に観測される化学シフト変化についても、N末端側の同領域には、N末端アセチル化の影響を少なくとも反映しているため、その他の領域に観測される化学シフト変化から、内在性G-actinとの相互作用の検出が可能と考えた。その内、T22,Q23,N26にて比較的大きな化学シフト変化が観測された。次に、観測された化学シフト変化が、内在性G-actinとの相互作用に由来するか否かを調べるため、バッファー中のTβ4に対して、G-actinを添加した場合と細胞内にて測定した場合に観測された化学シフト変化のパターンを比較した。

生体内のG-actinにはATP結合型(GT)とADP結合型(GD)が存在しているため、それぞれを均一(15)N標識Tβ4に対して滴定した。50μMのTβ4に対して、10μMのGTあるいはGDを滴定した結果、GTの結合に伴うスペクトルの変化は、NMRのタイムスケールと比較して遅く、観測される化学シフト差は、シグナルの線幅以上の大きな変化であった。一方、GDの結合に伴うスペクトルの変化は、NMRタイムスケールと比較して速い交換であり、細胞内導入時に観測される化学シフト差を説明可能な変化であった。細胞内測定時に比較的大きな変化が観測されたT22,Q23,およびN26のシグナルについて、細胞内測定時に観測された変化と、GD添加に伴うシグナルの変化を比較した結果、化学シフト変化のパターンは、両者の間にて良く似ていた(Fig.6)。このことは、細胞内におけるこれらの残基の化学シフト変化が、GDとの相互作用を反映していることを示す。

【総括】

本研究において、哺乳細胞内にタンパク質を導入し、細胞内にてNMR解析するための細胞試料の調製方法を確立した。細胞内に導入したTβ4に由来するNMRシグナルの観測に成功し、Tβ4が内在性のADP型G-actinと相互作用していることも示した。さらに、細胞内に導入したTβ4が細胞内でN末端のアセチル化修飾を受けることも判明した。以上の結果は、導入したTβ4のNMRシグナルがインタクトに近い環境にて観測されていることを示す。したがって本手法を適用することにより、生体内の状態を保ったまま、膜タンパク質やタンパク質複合体とリガンドとの間の相互作用解析が可能と考える。また、今回観測されたアセチル化のみならず、リン酸化など翻訳後修飾をアミノ酸残基レベルにて経時的・定量的な解析を行う上でも有用な手法であると考える。

Fig.1細胞調製方法の概略

細胞膜に対するSLOの結合、NMR観測対象タンパク質(あるいは、FITC標識タンパク質)の導入、Ca(2+)添加による細胞膜の再生(reseaiing)、のステップから成る。

Fig.2(a)細胞調製時のフローサイトメトリーのプロファイル。SLO非添加時(上)、SLO添加時(下)。破線枠内の領域の細胞が、Tβ4が導入された細胞集団を示す。(b)細胞内に導入したTβ4の蛍光顕微鏡像。右上の細胞にFiTC-Tβ4が導入されている。(c)細胞内Tβ4導入量の見積もり。横軸は、導入時に細胞外に添加したTβ4濃度を示す。SLO非添加時と添加時の蛍光強度の差から、細胞内Tβ4導入量を算出した。

Fig.3細胞内Tβ4の1H-(15)N HSQCスペクトル。

図中、破線にて囲んだシグナルは、緩衝液中にて観測されるシグナルと、顕著に異なる化学シフトを与えている。その他のシグナルについては、同程度の化学シフトであったため、帰属を入れている。

Fig,4細胞内導入時とバッファー中測定時のTβ4とN末端アセチル化Tβ4の1H-15N HSQCスペクトル

a)細胞内にて測定したTβ4の1H-(15)N HSQCスペクトルを赤にて示し、HBSSバッファー中にて測定したスペクトルを黒にて示した。右に一部の拡大図を示した。K3,D5は、線幅以上の化学シフト差が観測された。緑枠にて囲んだシグナルは、紬胞内測定時において、バッファー中には観測されない特徴的な化学シフトを有する未帰属のシグナルを示す。

(b)化学合成品のN末端アセチル化Tβ4の天然存在比1H-(15)N HSQCスペクトル。細胞内測定時と同様に特徴的な化学シフトに3個のシグナルが観測された(緑枠内)。

Fig.5(a)細胞内導入に伴って観測された化学シフト差、(b)N末端アセチル化による化学シフト差

(a)細胞内にて測定した場合とHBSSバッファー中にて測定した場合の化学シフト差を算出して、各アミノ酸残基について棒グラフにて示した。赤にて囲んだ領域は、N末端のアセチル化による化学環境の変化の影響を受けていないと考えられる領域。その中で、T22,Q23,N26は比較的大きな化学シフト差を示した。

(b)化学合成品のN末端アセチル化Tβ4の天然存在比1H-(15)N HSQCスペクトルに観測されたシグナルと大腸菌にて発現精製したTβ4をHBSSバッファー中にて測定した場合の化学シフト差を算出して、各アミノ酸残基について棒グラフにて示した。比較的大きな化学シフト差が観測されているN末端領域を黄色の網掛けにて示した。(a)についても同様に着色した。

Fig.6細胞内測定時とADP型G-actin滴定時に観測されたシグナルの変化の比較

細胞内導入時に比較的大きな化学シフト変化を示したT22,Q23,N26についての比較。細胞内測定時(左)、ADP型G-actin滴定時(右)のシグナルを赤にて示し、観測された変化の方向を赤矢印にて示した。

審査要旨 要旨を表示する

哺乳細胞内におけるタンパク質間相互作用を観測するための新規In-cell NMR測定法の開発と題する本論文は、哺乳動物細胞内におけるタンパク質間相互作用をNMRにて観測するための新規手法の確立に関する研究成果を述べたものである。本論文は、全4章から構成されており、第1章に序論、第2章に実験材料および実験方法が記されている。第3章においては、実験結果および結果に対する考察を記述している。第4章では、総括と今後の展望について述べている。

第3章においては、まず、哺乳動物細胞内にてタンパク質のNMRシグナルを観測するための細胞調製方法の確立を行っている。次に、細胞内に導入したThylmosinβ4(Tβ4)のNMRシグナルの観測を行い、細胞内におけるTβ4の翻訳後修飾および、内在性G-actinとの相互作用について解析している。

In-cell NMR法の確立のためには、高濃度のタンパク質を細胞内に導入する必要があるため、まず、Streptolysin O (SLO)による形質膜上のボア形成とCa(2+)刺激による膜の再生を応用して、293細胞に対してTβ4を効率よく導入するための調製条件を探索し、また、FITCにより蛍光標識したTβ4を細胞内に導入して、細胞内Tβ4濃度の見積もりを行っている。その結果、導入したTβ4は、細胞内濃度として約50μMと見積もられ、この細胞の懸濁液をNMR測定に用いた場合、シグナルの取得が可能な濃度域と判断している。さらに、細胞内に導入したTβ4が、細胞質中に分布していることを共焦点顕微鏡により観測し、また、Tβ4が分解されていないことをSDS-PAGEによる解析から明らかとしている。次に、均一(15)N標識Tβ4を導入した細胞を調製し、細胞内のTβ4のNMRシグナルの観測を試みている。調製した細胞は、密度勾配媒体であるRedigradを含む培地に懸濁することにより、経時的な細胞の沈降を抑制する工夫を行っている。これにより、細胞死の低減に加え、測定中の細胞の沈降による静磁場の不均一化の抑制が期待できる。1H-(15)N HSQCスペクトルの測定の結果、10時間の測定にて十分な感度にてTβ4に由来するシグナルの検出に成功している。測定後に、細胞を除いた細胞外液を同様の条件にて測定した結果、シグナルをほとんど与えなかったことから、観測されたシグナルは、細胞内のTβ4に由来すると判断し、哺乳動物細胞を用いたin-cell NMR法の確立に成功したと結論している。

さらに、細胞内測定時とバッファー中の測定時の1H-(15)N HSQCスペクトルを比較することにより、細胞内に導入したTβ4に関する解析を進めている。まず、細胞内測定時に、Tβ4のN末端領域のアミノ酸残基のみにおいて観測された特徴的な化学シフトの要因について解析している。生体内に発現するTβ4は、翻訳開始メチオニンの切断後、新しくN末端となったセリン残基に対してアセチル化を受けることが報告されている。細胞内にて観測されたTβ4のN末端領域の化学シフトが、N末端アセチル化Tβ4を測定した場合と同一であったことから、Tβ4が細胞内にてアセチル化修飾を受けたことを示している。次に、細胞内導入時にTβ4の各アミノ酸残基に観測された化学シフト変化と、バッファー中にてTβ4に対してATP型あるいはADP型G-actinを添加した場合の化学シフト変化の比較から、細胞内に導入したTβ4と内在性ADP型G-actinとの相互作用が検出されていることを示している。最後に、細胞内にてTβ4とADP型G-actinとの相互作用が観測された理由および、相互作用が検出されたアミノ酸残基の妥当性について考察している。

本研究にて確立した手法の適用により、これまでに試料調製が困難であった生体分子をターゲットとして、生体内の状態を保持した膜タンパク質やタンパク質複合体とリガンドとの間の相互作用解析に加え、アセチル化のみならず、リン酸化などの翻訳後修飾の経時的・定量的な解析に対する貢献が期待できる。

以上、本研究の成果は、構造生物学的な解析方法の発展に大きく貢献するものであり、これを行った学位申請者は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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