学位論文要旨



No 124953
著者(漢字) 奥平,真一
著者(英字)
著者(カナ) オクダイラ,シンイチ
標題(和) 炎症におけるリゾホスファチジン酸およびその産生酵素オートタキシンの機能解析
標題(洋)
報告番号 124953
報告番号 甲24953
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1306号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 准教授 有田,誠
内容要旨 要旨を表示する

【序】

炎症は生体組織に何らかの障害をもたらす侵襲が加わったときに、生体が障害因子の除去、障害組織の再生や修復などの防御反応をもって応答する過程と定義される。組織に創傷が加わると血管障害とそれに続く血小板活性化、血管透過性の亢進、炎症性サイトカインの産生、白血球の浸潤等の一連の反応が連続的に起こり、これらの過程が正常に起きることがその後の組織修復において重要である。しかし、一方で過度の炎症が起きると組織破壊や線維化などによる機能障害を生じ、逆に生体にとって有害となる場合もある。

リゾホスファチジン酸(lysophosphatidic acid,LPA)は、細胞の増殖促進、運動性の促進、アポトーシスの抑制などの多彩な機能を有する生理活性脂質である。その機能は細胞膜上のGタンパク質共役型受容体を介することが知られ、これまでに6つのLPAに対する受容体が同定されている。一方、私の在籍する研究室ではLPAの産生機構の解析が行われ、血液中においてリゾホスファチジルコリンからLPAを産生するリゾホスホリパーゼD(lysoPLD)を精製同定し、本酵素が癌細胞運動促進因子であるオートタキシン(autotaxin、ATX)と同一であることを見いだした。

LPAは血管内皮細胞やマクロファージを活性化し、IL-8、TNF-αなどの炎症性メディエーターの産生を充進させることが報告されている。またLPAは皮膚の創傷モデルにおいて創傷治癒を促進するという報告もある。一方でATXは活性した血小板より産生されるリゾリン脂質をよい基質としてLPAを産生する。このような結果からLPAやATXが炎症に関わることが示唆されてきたが、LPAが個体レベルで炎症に寄与しているかどうかはこれまで全く明らかにされてこなかった。そこで本研究は生体におけるLPAおよびATXの炎症における機能を明らかにすることを目的とした。

【方法と結果】

1.空気嚢モデルによるLPAの起炎物質としての評価

空気嚢型炎症モデルを用いLPAおよびATXの炎症反応惹起効果を検討した。まず、血管透過性の亢進を検討したところ、LPAは投与後30分後に血管透過性を充進させ(Fig.1A)、このときの慘出液中のヒスタミン量が有意に増加していた。またLPA投与後8時間後の空気嚢中では顕著な白血球(主に好中球)の浸潤数の増加が認められた(Fig.1B)。また浸潤細胞数の増加と相関して慘出液中のTNF-αが増加していた。よって、LPAは炎症の初期反応である血管透過性亢進と白血球浸潤促進作用を持つことが明らかとなった。

2.皮内投与によるLPAの血管透過性亢進作用の解析

LPAが血管透過性を亢進するメカニズムをさらに調べる目的で、次にLPAの皮内投与を行った。LPAをマウス背部に皮内投与したところ投与量依存的な血管透過性元亢作用が認められた(Fig.2A)。この血管透過性亢進作用はLPA1 antagonist Ki16425の同時投与により抑制された。次にマスト細胞欠損W/WvマウスにLPAを投与したところLPAの血管透過性亢進作用は著しく減弱した(Fig.2B)。またヒスタミン産生酵素histidine decarboxylase KOマウスではLPAによる血管透過性亢進作用が見られなかった。これらのことからLPAがLPA1受容体を介してマスト細胞の脱顆粒を促進して血管透過性を亢進させることが示唆された。

3.ATXにより産生されるLPAの炎症に対する効果

血漿を加温すると時間依存的にLPAの産生が認められるがATXを除去した血漿ではLPAは産生されない(Fig.3A)。そこでATXを除去した血漿を空気嚢および皮内に投与しATXにより産生されるLPAの炎症反応における寄与を検討した。空気嚢型炎症モデルにおいて、加温血漿の投与ではLPAの投与で見られた血管透過性、ヒスタミン産生、白血球の浸潤およびTNF-α産生の増加が観察されたが、これらの効果はATX除去血漿では見られなかった(Fig.3B)。また、皮内投与においてもATX除去血漿は血管透過性の亢進作用が減弱することがわかった(Fig.3C)。以上のことよりATXにより産生されるLPAが血管透過性の亢進、血球浸潤等の炎症初期反応に関与していることが示唆された。

4.急性肝炎、間質性肺炎におけるATXの発現上昇

ATXの炎症反応への関与をさらに検討している過程で四塩化炭素誘導肝炎モデル、bleomycin誘導型間質性肺炎モデルにおいて血中ATXのレベルが上昇することに気付いた(Fig.4A、B)。ATXの上昇は、誘発剤投与後1~3日と比較的早い時期に観察された。このATX上昇は慢性肝炎患者、間質性肺炎患者においても観察された(Fig.4C)。また、Western blottingによりATXのタンパク質レベルでの発現上昇であることがわかった。これらのことからATXが慢性肝炎や間質性肺炎において機能していることが予想された。

5.抗ATXモノクローナル抗体によるATX機能抑制系の確立

ATXの炎症における機能を解析する上でATXのノックアウト(KO)マウスは有用であると考えられた。しかしATX KOマウスは血管形成異常のため胎生致死であることがわかり、ATX KOマウスを炎症における機能解析には使用できなかった。そこでこれまで確立した抗マウスATXモノクローナル抗体をマウス個体に投与し血中ATX活性を検討した結果、ATX機能を個体レベルで阻害する系を確立することができた(Fig.5A)。また、ATX機能を阻害すると、通常100nM程度あるマウス血中LPAをほぼ0に抑制することができた(Fig.5B)。

【まとめと考察】

本研究で、LPAが炎症反応の初期過程で見られる血管透過性、炎症性細胞浸潤を亢進する作用を持つことを示した。また、血管透過性の亢進にはマスト細胞の活性化とそれに伴うヒスタミンの放出が関与することを明らかにした。

一方、マウスモデルを用いATXが肝炎、肺炎モデル等の急性炎症期に発現上昇してくること、ヒト病態でも実際同様のATXの上昇が観察されることを示した。肝炎や肺炎は慢性化すると、肝硬変、肺線維症等の重篤な疾患へと進行する。最近、LPA1KOマウスをもちいた研究によりLPAがLPA1を介して肺の線維化に関与することが示された。ATXがLPAの産生を介して肺線維化に関与していることが予想される。現在、肺線維化モデルにおけるATX機能阻害抗体の効果を検討している。

Fig.1空気嚢モデルにおけるLPAによる血管透過性の亢進(A)および細胞浸潤の増加(B)

Fig.2LPAによって血管透過性が亢進するがマスト細胞欠損マウスではその作用は見られない(A)。またLPA1 antagonistで作用は減弱する(B)。

Fig.3ATX除去加温血漿ではLPAが産生されない(A)。その血漿では血球の浸潤(A:空気嚢型モデル)および血管透過性の亢進が抑制される(B:皮内投与)。

Fig.4四塩化炭素誘導型肝炎モデル(A)およびbleomycin誘導型肺炎モデル(B)において血中lysoPLD活性が上昇する。また、慢性肝疾患患者(CLD)や特発性間質性肺炎患者(IPF)において血中lysoPLD活性の上昇が見られる。

Fig.5抗ATX抗体の投与により血中lysoPLD活性は抑制され(A)、このときの血中LPA濃度はOになる(B)。

審査要旨 要旨を表示する

炎症は、生体組織に障害をもたらす侵襲が加わったときに、生体が障害因子の除去、障害組織の再生や修復などの防御反応をもって応答する過程と定義される。組織に創傷が加わると、血管障害とそれに続く血小板活性化、血管透過性の亢進、炎症性サイトカインの産生、白血球の浸潤等の一連の反応が連続的に起こり、これらの過程が正常に起きることがその後の組織修復において重要である。しかし、過度の炎症が起きると組織破壊や線維化などによる機能障害を生じ、逆に生体にとって有害となる。

リゾホスファチジン酸(lysophosphatidic acid,LPA)は、細胞の増殖促進、運動性の促進、アポトーシスの抑制などの多彩な機能を有する生理活性脂質である。その機能は細胞膜上のGタンパク質共役型受容体を介し、これまでに6つのLPAに対する受容体が同定されている。一方、当研究室ではLPAの産生機構の解析が行われ、血液中においてリゾホスファチジルコリンからLPAを産生するリゾホスホリパーゼD(lysoPLD)を精製同定し、本酵素が癌細胞運動促進因子であるオートタキシン(autotaxin、ATX)と同一であることを見いだした。

LPAは血管内皮細胞やマクロファージを活性化し、IL-8、TNF-αなどの炎症性メディエーターの産生を元進させることが報告されている。またLPAは皮膚の創傷モデルにおいて創傷治癒を促進するという報告もある。一方でATXは活性した血小板より産生されるリゾリン脂質をよい基質としてLPAを産生する。このような結果からLPAやATXが炎症に関わることが示唆されてきたが、LPAが個体レベルで炎症に寄与しているかどうかはこれまで全く明らかにされてこなかった。そこで、奥平は生体におけるLPAおよびATXの炎症における機能を明らかにすることを目的として研究を行った。

1.空気嚢モデルによるLPAの起炎物質としての評価

空気嚢型炎症モデルを用いLPAおよびATXの炎症反応惹起効果を検討した。まず、血管透過性の亢進を検討したところ、LPAは投与後30分後に血管透過性を亢進させ、このときの慘出液中のヒスタミン量が有意に増加することを見出した。またLPA投与後8時間後の空気嚢中では顕著な白血球(主に好中球)の浸潤数の増加も確認した。また浸潤細胞数の増加と相関して慘出液中のTNF-αが増加していた。以上の結果から奥平は、LPAが炎症の初期反応である血管透過性亢進と白血球浸潤促進作用を持つことを明らかにした。

2.皮内投与によるLPAの血管透過性亢進作用の解析

LPAが血管透過性を亢進するメカニズムをさらに調べる目的で、次に奥平は、LPAの皮内投与を行った。その結果、LPAをマウス背部に皮内投与したところ投与量依存的な血管透過性亢進作用を認めた。この血管透過性亢進作用はLPA1 antagonist Ki16425の同時投与により抑制された。次にマスト細胞欠損W/WvマウスにLPAを投与したところLPAの血管透過性亢進作用は著しく減弱した。またヒスタミン産生酵素histidine decarboxylase KOマウスではLPAによる血管透過性亢進作用が見られなかった。これらのことから、奥平はLPAがLPA1受容体を介してマスト細胞の脱顆粒を促進して血管透過性を亢進させることを示唆した。

3.ATXにより産生されるLPAの炎症に対する効果

血漿を加温すると時間依存的にLPAの産生が認められるがATXを除去した血漿ではLPAは産生されない。そこで奥平は、ATXを除去した血漿を空気嚢および皮内に投与しATXにより産生されるLPAの炎症反応における寄与を検討した。空気嚢型炎症モデルにおいて、加温血漿の投与ではLPAの投与で見られた血管透過性、ヒスタミン産生、白血球の浸潤およびTNF-α産生の増加が観察されたが、これらの効果はATX除去血漿では見られなかった。また、皮内投与においてもATX除去血漿は血管透過性の亢進作用が減弱することがわかった。以上のことより、奥平は、ATXにより産生されるLPAが血管透過性の亢進、血球浸潤等の炎症初期反応に関与していることを示唆した。

4.急性肝炎、間質性肺炎におけるATXの発現上昇

ATXの炎症反応への関与をさらに検討している過程で四塩化炭素誘導肝炎モデル、bleomycin誘導型間質性肺炎モデルにおいて血中ATXのレベルが上昇することに気付いた。ATXの上昇は、誘発剤投与後1~3日と比較的早い時期に観察された。このATX上昇は慢性肝炎患者、間質性肺炎患者においても観察された。また、Western blottingによりATXのタンパク質レベルでの発現上昇であることがわかった。これらのことから奥平は、ATXが慢性肝炎や間質性肺炎において機能していることを予想した。

5.抗ATXモノクローナル抗体によるATX機能抑制系の確立

ATXの炎症における機能を解析する上でATXのノックアウト(KO)マウスは有用である。しかしATX KOマウスは血管形成異常のため胎生致死であることがわかり、ATX KOマウスを炎症における機能解析には使用できなかった。そこで奥平は、これまで確立した抗マウスATXモノクローナル抗体をマウス個体に投与し血中ATX活性を検討した。その結果、ATX機能を個体レベルで阻害する系を確立することができた。

本研究で、奥平は、LPAが炎症反応の初期過程で見られる血管透過性、炎症性細胞浸潤を亢進する作用を持つことを示した。また、血管透過性の亢進にはマスト細胞の活性化とそれに伴うヒスタミンの放出が関与することを明らかにした。一方、マウスモデルを用いて、ATXが肝炎、肺炎モデル等の急性炎症期に発現上昇してくること、ヒト病態でも実際同様のATXの上昇が観察されることを示した。以上本研究は、LPAおよびその産生酵素の生理機能および病態への関与を明らかにし、博士(薬学)に充分値するものと判断した。

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