学位論文要旨



No 124954
著者(漢字) 幸福,裕
著者(英字)
著者(カナ) コウフク,ユタカ
標題(和) 転移交差飽和法を用いたケモカインSDF-1とその受容体CXCR4との相互作用解析
標題(洋)
報告番号 124954
報告番号 甲24954
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1307号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序】

ケモカインの1つであるSDF-1とその受容体CXCR4は、白血球の動態制御、造血、器官形成などの生理機能を有しており、また、ガンの転移やHIV-1の感染など、多くの病態にも関係している。CXCR4とSDF-1との相互作用を特異的に阻害する薬剤を合理的に設計するには、両者の認識機構に関する原子レベルでの知見が必要となる。

SDF-1のCXCR4結合様式に関しては、主に変異体を用いた生化学的な解析がおこなわれており、SDF-1のN末端がシグナル伝達活性に必須である一方、受容体の親和性にはSDF-1のN末端を除くコア領域が重要であることがわかっている。また、CXCR4については、N末端がリガンドとの親和性に重要である一方、膜貫通(TM)領域がシグナル伝達に関与すると考えられている。このことから、CXCR4とSDF-1の間には、結合のみを担う相互作用(SDF-1コア領域-CXCR4N末端)と、シグナル伝達を担う相互作用(SDF-1N末端-CXCR4TM領域)の、2つの独立した相互作用が存在するという、2段階仮説が提唱されている。しかし、この2種類の結合状態を示した知見はなく、これらの相互作用に関する原子レベルでの情報も得られていない。さらに、CXCR4のN末端相当するペプチドとSDF-1との相互作用解析はなされているものの、CXCR4全長を用いた構造生核学的知見は皆無である。これは、CXCR4が7回膜貫通構造をもつGタンパク質共役型受容体(GPCRの1つであり、リコンビナント発現系や精製法の確立および結晶化がいずれもきわめて困難であることによる。

そこで、本研究では、SDF-1上のCXCR4相互作用部位の同定を行い、さらに、SDF-1とCXCR4との相互作用における2つの独立した相互作用が存在するかを、構造生物学的に解明することを目的とした。

【方法および結果】

1.CXCR4の発現・精製と性状解析

CXCR4はバキュロウイルス-昆虫細胞発現系により発現し、ドデシルマルトシド(DDM)による可溶化後、C末端に付加したエピトープタグを利用した抗体アフィニティー精製により精製した。SDS-PAGE解析から、得られたCXCR4の純度は80%以上であると見積もった。表面プラズモン共鳴(SPR)法により、CXCR4に対する構造認識抗体12G5との結合活性を解析し、得られたCXCR4のうち約50%が正しくフォールドしていることを明らかとした。CXCR4に対する12G5の結合量から、正しくフォールドしたCXCR4量を見積もったところ、1.5L培養あたり約100μgであった。得られたCXCR4がSDF-1結合活性を有していることは、プルダウンアッセイにより確認した。さらに、SPR法における12G5結合活性の解析から、低温に保持し、かつglycerolを添加することがCXCR4の安定性に必須であることが判明した。

2. 転移交差飽和法を用いたSDF-1のCXCR4相互作用部位同定

SDF-1のCXCR4相互作用部位を同定するため、安定同位体標識SDF-1(100μM)に対し、非標識CXCR.4(10μM)を添加した条件で、転移交差飽和(TCS)法による解析をおこなった。低濃度の試料、低温、glycerol存在下での解析を可能とするため、高感度検出に適したイソロイシン・ロイシン・バリンのメチル基を選択的に1H,13C標識してプローブとする、methyl-TCS法を採用した。結合・解離の交換を促進し、解離状態のSDF-1へ飽和を効率よく伝播させるため、シグナル伝達活性を保持している一方、野生型よりもCXCR4に対する親和性が低いSDF-lR8AIR.12A変異体を利用した。さらに、コントロール実験として、活性のあるCXCR4とほぼ等量の均-2H標識野生型SDF-1を加え、特異的な相互作用のみを阻害した条件でTCSをおこなった。得られた結果をもとに、変性したCXCR4・DDMミセル・不純物に由来する非特異的相互作用の影響を見積もつた。

TCS実験の結果、非特異的相互作用の影響を除いたシグナル強度減少幅(Δ(reduction ratio))が大きかった残基をSDF-1構造上にマッピングした(Fig.1A)。シグナル強度減少幅が大きかった残基は、SDF-1のN末端(V3,L5)に加えて、コア領域の半周にもおよぶ帯状の広い範囲(V18,V23,L26,I28,L29,V39,V49,L55)に分布していた。したがつて、この領域がSDF-1のCXCR4相互作用部位であると結論した。

3.SDF-1の変異体解析

上述のTCS解析結果は、先行研究における変異体解析から推測された領域に加え、コア領域のL55を含むより広い範囲が、CXCR4結合部位を形成することを示している。そこで、あらたに同定された結合部位の1つであるL55の近傍に変異導入し、THP-1細胞を用いたケモタキシスアソセイにより評価した。その結果、L55の近傍に位置するD52への変異体(D52A,D52S)は、受容体に対する親和性が低下していることが示された。

4.AMD3100のSDF-1-CXCR4相互作用に与える影響

さらに、SDF-1とCXCR4との相互作用様式を明らかにするため、CXCR4の特異的なアンタゴニストであるAMD3100を用いた解析をおこなった。AMD3100はCXCR4のTM領域に結合することが示されており、そのSDF-1-CXCR4相互作用に与える影響を解析することで、CXCR4TM領域をブロックした状態でもSDF-1が結合しうるかを解析することができる。

まず、AMD3100存在下にて上述と同様のTCS解析をおこなった(FiglB)。その結果、SDF-1のコア領域ではAMD3100添加前と同等のシグナル強度減少が観測されたものの、N末端(L3,V5)のシグナル強度減少はほとんど観測されなくなった。このことは、AMD3100存在下ではSDF-1 N末端はCXCR4から解離しているものの、SDF-1コア領域は依然としてCXCR4に結合しうることを意味する。

さらに、過剰量のCXCR4存在下でSDF-1のNMR測定をおこない、AMD3100の影響を解析した。ロイシン・バリンのみを選択的に1H,(13)C標識した遊離のSDF-1の1H-(13)CHMQCスペクトル上では、13個のロイシン・バリン残基に由来する26個のシグナルが観測された(Fig.2A)。これに過剰量のCXCR4を添加したところ、すべてのシグナルが著しく強度減少した(Fig.2B)。このスペクトル変化は、SDF-1がCXCR4との複合体形成にともない、高分子量化したことを示している。さらにAMD3100を添加したところ、N末端(V3,L5)に由来するシグナルのみ強度が回復して観測された(Fig.2C)。このことは、AMD3100の添加にともない、SDF-1のN末端がCXCR4から解離し運動性が上昇したことを示している。一方で、SDF-1のN末端を除くコア領域のシグナルは十分な強度で観測されず、実際にAMD3100添加後もSDF-1のコア領域はCXCR4と相互作用していることが明らかとなった。

【考察】

1.SDF-1上のCXCR4相互作用部位

TCS解析の結果から、SDF-1のCXCR4相互作用部位として、コア領域の広い範囲が寄与していることが明らかとなった。これらの領域には、塩基性残基(R12,R47など)、酸性残基(E15,D52など)、疎水性残基(L29,V39,V49,L55など)が分子表面に側鎖を向ける形で存在している。SDF-1は他の多くのケモカインと異なり、受容体選択性が高いことが知られている。CXCR4は、これら異なる性質をもつ多くの残基を組み合わせて認識することで高い特異性を発揮していると考えた。

2.2段階結合モデル

今回のNMR解析からは、AMD3100は、SDF-1のN末端をCXCR4から解離させるものの、SDF-1コア領域のCXCR4への結合への影響は小さいことが示された。AMD3100がCXCR4のTM領域に結合することを考慮すると、SDF-1のN末端がCXCR4のTM領域に、SDF-1のコア領域がCXCR4の細胞外領域に、それぞれ独立に結合すると考えることが妥当である。この結果は、先行研究にて推測された2段階の相互作用が実際に存在していることを、明確に示す知見といえる。

近年、複数のGPCRのX線結晶構造が報告されており、低分子リガンドは、GPCRのTM領域に存在する入り口の制限されたcavityに結合することが示されている。同様のcavity構造は、CXCR4においても存在することが推測できるが、このような構造はケモカインのようなペプチド性リガンドの結合には不利である。上述の2段階の相互作用は、このような性質をもつケモカインーケモカイン受容体の相互作用に適しているといえる(Fig3)。SDF-1コア領域のみの独立した相互作用は、CXCR4細胞外領域への迅速な結合とともに、効率よくSDF-1をCXCR4上につなぎとめておくことを可能とする。SDF-1のN末端は、この状態においても運動性が高く、効率よく結合空間を探索し、比較的狭いTM領域のcavityへの結合を促進する。

Fig.1 Tcs解析の結果

(A)SDF-1のCXCR4結合部位同定を目的としておこなったTCS解析の結果。SDF-1の構造をCPK表示し、シグナル強度減少幅(Δ(reduction ratio))が大きいものを濃い赤~薄い赤、小さいものを青にて、残基ごとに色付けした。いずれもN末端を上側に向け、コア領域のβ-sheetを手前に向けたものを正面側、それとは逆のC末端α-helixを手間に向けたものを背面側とした。正面側から、左右に90度ずつ回転したものをそれぞれ、右面側および左面側とした。

(B)1mMAMD3100存在下でのTCS解析の結果。(A)と同様に、SDF-1の構造上に色付けして表示した。

Fig.2 過剰量CXCR4存在下でのSDF-1のNMR解析

単独(A)、過剰量CXCR4(20μM)存在下(B)、過剰量CXCR4および1mMAMD3100存在下(C)のロイシン・バリン選択的1H,(13)C標識SDF-1(10μM)の1H-(13)CHMQCスペクトル。スペクトルの上部には、それぞれのスペクトルの青線にて示した1次元の切り出しを示す。

Fig.3 SDF-1とcxcR4の2段階相互作用

2段階相互作用モデルにおいては、まずSDF-1のコア領域がCXCR4の細胞外領域に結合する(1段階目)。この後、運動性の高いSDF-1のN末端が、CXCR4TM領域に存在するcavityへ結合する(2段階目)。さらに、TM領域に構造変化が起こり、細胞内のGタンパク質へとシグナルが伝達される。

審査要旨 要旨を表示する

転移交差飽和法を用いたケモカインSDF-1とその受容体CXCR4との相互作用解析と題する本論文は、NMR法の1つである転移交差飽和(TCS)法を主に用い、SDF-1とそのGタンパク質共役型受容体であるCXCR4の相互作用を解析した成果を述べたものである。本論文は4つの章からなり、第1章において序論を、第2章においては実験の材料および方法を記述している。第3章においては各実験の結果をまとめ、第4章において実験結果をもとにした考察を加えている。

第3章においては、SDF-1とCXCR4との相互作用を解析した研究成果を述べている。まず、解析に用いる試料、特に膜タンパク質であるCXCR4の調製と性状解析について、詳細な記述がなされている。CXCR4の試料調製には、昆虫細胞による発現系が用いられ、発現条件、可溶化剤の選択、精製方法について検討が加えられていた。調製したCXCR4の性状解析では、SDS-PAGEで十分な精製度となっていること、構造認識抗体12G5結合活性を指標としたSPR解析から、50%程度が正しくフォールドしていること、正しくフォールドしたCXCR4の収量が1.5L培養あたり約100μgであることが述べられている。CXCR4がSDF-1結合活性を持っていることも、プルダウンアッセイにより確認している。さらに、CXCR4の経時的安定性についても解析がおこなわれ、低温に保持し、glycerolを添加することで、安定性が向上し、48時間以内のNMR解析が可能となると結論している。

つづいて、SDF-1とCXCR4との相互作用解析においては、まず、TCS法を用いたSDF-1のCXCR4結合部位同定がおこなわれている。低温、glycerol存在下において、低濃度での解析に対応するため、SDF-1のイソロイシン・ロイシン・バリンの側鎖メチル基をプローブとして用いた、methyl-TCS法の適用が重要であったことが述べられている。また、SDF-1のCXCR4からの解離速度を上昇させ、TCS法による原子レベルでの解析を可能とするために、受容体親和性の低いR8AIR12A変異体を用いたことが述べられている。実際の解析においては、変成したCXCR4などに由来する非特異的相互作用の影響を排除するため、重水素標識した野生型SDF-1を加え、特異的相互作用のみを阻害した条件でのコントロール実験もおこなわれている。TCS法による解析の結果では、SDF-1のN末端とコア領域のβシート側を中心とした広い範囲にてシグナル強度減少が認められ、この領域がCXCR4結合部位を形成すると結論している。このことを支持する知見として、結合部位に含まれるD52への変異が、SDF-1のCXCR4に対する親和性を下げることを示している。

さらに、SDF-1とCXCR4との相互作用様式を調べるため、CXCR4の膜貫通領域を阻害剤AMD3100によりブロックした状態での相互作用解析をおこなっている。AMD3100存在下でのTCS法による解析では、SDF-1N末端がCXCR4と相互作用しなくなったこと、その一方で、SDF-1コア領域のCXCR4との相互作用様式は変わらないことを示している。また、過剰量のCXCR4およびAMD3100存在下の、SDF-1のNMR測定から、SDF-1のコア領域のみがCXCR4に結合し、SDF-1のN末端が高い運動性をもった状態が実際に存在することを示している。

第4章においては、NMR解析の結果をもとにして、SDF-1とCXCR4との相互作用様式に関する考察をおこなっている。まず、TCS解析により求められたSDF-1のCXCR4結合部位に関して、従来の生化学的知見との比較をおこない、結果の妥当性を示すとともに、TCS解析の結果から、SDF-1のより広い範囲がCXCR4結合部位を形成することを新たな知見として示している。

また、AMD3100存在下でのNMR解析の結果から、SDF-1のコア領域はCXCR4の細胞外領域と、SDF-1のN末端はCXCR4の膜貫通領域と、それぞれ独立に相互作用することを結論している。CXCR4の構造においては、膜貫通領域に入口が制限されたcavity構造をとると推測しており、このような構造は、ケモカインのような分子量の大きいペプチドリガンドには不利であると述べている。以上のことから、2つの独立した相互作用の生物学的意義として、SDF-1のコア領域は、CXCR4の細胞外領域に効率よくつなぎとめておくために重要であること、運動性の高いSDF-1のN末端により効率のよいリガンド結合空間の探索が可能となり、比較的狭いcavityへの結合が促進されることを推測している。

以上、本研究の成果は、創薬の重要なターゲットであるものの未解明な部分が多いケモカイン受容体に関して、構造および機能の解明に大きく貢献するものであり、これを行った学位申請者は博士(薬学)の称号を得るにふさわしいと判断した。

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