学位論文要旨



No 124956
著者(漢字) 野本,直子
著者(英字)
著者(カナ) ノモト,ナオコ
標題(和) フェレドキシンと光合成膜タンパク質の電子伝達機構の構造生物学的解明
標題(洋)
報告番号 124956
報告番号 甲24956
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1309号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 准教授 浦野,泰照
 東京大学 准教授 楠原,洋之
内容要旨 要旨を表示する

【序】

光合成明反応は、光エネルギーを利用して、葉緑体チラコイド膜上のタンパク質問の電子伝達を駆動することにより、生命維持に必須な化学エネルギーであるATPと、NADPHを産生する反応である。光合成型フェレドキシン(Fd)は、光化学系I(PS I)より電子を受け取り、フェレドキシン:NADP+還元酵素(FNR)や、シトクロムb6f(cyt b6f)に電子を渡す(Fig.1)。

FdおよびFNRは、葉緑体ストロマに存在する可溶性タンパク質である。PS Iおよびcytb6fは、ともに、複数のサブユニットおよび補酵素を有するチラコイド膜貫通タンパク質複合体である。Fd、FNR、PSIならびにcyt b6fの単独状態における立体構造、およびFd/FNR複合体の立体構造が報告されている。

in vivoにおける電子伝達速度解析より、Fd-FNRおよびFd-cyt b6f間電子伝達が互いに競合することにより、ATPとNADPHの産生量の調節が可能となることが示唆されている。また、PSI-Fd-FNR間電子伝達速度解析に基づいて、FdがPS IおよびFNRと三者複合体を形成することにより、PSIからNADP+までの電子伝達が効率よく進行するという仮説が提唱されている。

Fdと、光合成膜タンパク質であるPS Iおよびcyt b6fとの相互作用様式は、これらの電子伝達機構を解明する上で重要である。しかしながら、PS Iおよびcyt b6fが複数のサブユニットからなる、分子量数十万の巨大な膜タンパク質であることに加えて、電子伝達複合体の寿命が短いことから、従来の構造生物学的手法による解析は困難であった。そこで本研究においては、上記のような複合体にも適用できる溶液NMR手法である、転移交差飽和(TCS)法を用いて、Fd、FNR、PS Iおよびcyt b6fの結合様式を明らかとすることにより、光合成電子伝達機構を解明することを目的とした。

【方法】

光合成膜タンパク質の単離・精製

ホウレンソウの葉よりチラコイド膜を調製し、n-dodecy1-β-D-maltosideで可溶化した後、DE52陰イオン交換クロマトグラフィーおよび密度勾配超遠心で精製することにより、PSIミセルを調製した。また、ホウレンソウの葉よりチラコイド膜を調製し、コール酸およびn-octy1-β-D-glucosideで可溶化した後、硫安沈殿、Macroprep Methy1疎水性クロマトグラフィーおよび密度勾配超遠心で精製することにより、cyt b6fミセルを調製した。

調製したPS Iミセルおよびcyt b6fミセルの純度およびサブユニット構成は、SDS-PAGE解析により確認した。電子伝達活性は、PS Iの活性中心P700の還元に伴う吸光変化、シトクロムf、b6還元反応により確認した。

Fdの発現・精製・ガリウム置換

安定同位体標識を施したAnabaena(vegetative form)由来Fd Iは、大腸菌BL21(DE3)/pLysSを用いて大量発現させ、超音波破砕後可溶性画分よりQ-sepharose FF、Hiload Superdex 75、MonoQ5/50GLカラムを用いて精製した。Fdの[2Fe-2S]クラスターに含まれる不対電子の影響を排除するために、鉄を、非磁性金属であるガリウム(Ga)に置換したFd(GaFd)を、先行論文の方法に従って調製した。Ga置換前後のFdの立体構造が保持されていることを、NMRスペクトルにより確認した。

以上のようにして調製したPSI、cyt b6fおよびGaFdを用いてNMR実験を行った。

【結果】

Fd-PS I間相互作用

まず、PS IとGaFdの相互作用のタイムスケールを見積もるために、GaFdに対してPS Iミセルを添加するNMR滴定実験を行った。均一[(15)N]標識GaFd70μMに対し、PS Iミセルを終濃度10μMとなるように添加した時の1H-(15)NHSQCスペクトルでは、ほぼ全てのシグナルの強度が、PS Iミセル非添加時の2分の1程度に減少した。このことより、PS IはGaFdと、NMRのタイムスケールに比較して速い交換速度で相互作用していることが明らかとなった。次に、GaFdが、native Fdと同様の結合様式にて、PSIと相互作用しているか調べるため、native Fdによる競合実験を試みた。上記の均一[(15)N]標識GaFdとPSIミセルの混合サンプルに対し、終濃度100μM非標識native Fdを添加した時、多くのシグナルで、シグナル強度が有意に増加した。以上の結果から、GaFdが、native Fdと同様の結合様式にて、PS Iと結合することが判明した。

つづいて、Fd上のPS I結合界面を明らかとするために、GaFdとPS Iミセルを用いて、TCS実験を行った。その結果、ラジオ波照射に伴うシグナル強度減少が大きな残基は、金属クラスター結合ループ(L37-S47)およびβ1'-α2ループ(Q60-F65)に集中して存在し、Fd分子表面に連続した界面を形成した(Fig.2B)。PSI結合界面は、疎水性残基と中性残基で構成されるFdの金属クラスター近傍とその縁に存在するE31およびD62近傍の酸性領域から構成されていた(Fig.2E)。

F4ーcyt b6f間相互作用

Fd上のcyt b6f結合界面を明らかとするために、GaFdとcyt b6fミセルを用いて、TCS実験を行った。その結果、ラジオ波照射に伴うシグナル強度減少が大きな残基は、α1-ヘリックス(Y25-Q33)、金属クラスター結合ループ(F39-S47)およびα2-ヘリックス(F65-Q70)に集中して存在し、Fd分子表面に連続した界面を形成した(Fig。3A)。cyt b6f結合界面は、金属クラスター近傍の疎水性領域と、その縁に存在するE31、D68およびE95近傍の酸性領域から構成されていた。

cyt b6fに対する基質アナログであるアンチマイシンA(AA)は、cyt b6fに対する他の阻害剤と異なり、Fdからの電子伝達のみを選択的に阻害する。したがって、AAによるFd-cyt b6f間電子伝達の阻害様式の解明は、Fd-cyt b6f間相互作用様式の解明に有用な知見を与えると考えた。そこで、AA存在下および非存在下におけるFd-cyt b6f間相互作用および電子伝達様式を比較することとした。

まず、Fdに対してcyt b6fミセルおよびAAを添加するNMR滴定実験を行った。均一[(15)N]標識Fd 100μMに、cyt b6fミセルを終濃度10μMとなるように添加したときの1H-(15)NHSQCスペクトルでは、ほぼ全てのシグナルの強度が、cyt b6fミセル非添加時の2分の1程度に減少した。このサンプルに対し、AAを終濃度100μMとなるように添加したときの1H-(15)N HSQCスペクトルでは、AA添加前と比較して、ほぼ全てのシグナルの強度が増加した。このことは、AAが、Fdとcyt b6fの複合体形成を阻害することを示している。

つづいて、TCS実験により、AA非存在下と存在下におけるFd-cyt b6f相互作用様式の比較を行った(Fig.4)。ラジオ波照射に伴い15%以上シグナル強度減少した残基は、AA非存在下では48残基、AA存在下では37残基であったことより、AA添加に伴って、全体的なシグナル強度減少が減弱することが明らかとなった。この結果は、AAがFdとcyt b6fの複合体形成を阻害することを支持している。19%以上シグナル強度減少した残基は、AAの有無に関わらず、α1-ヘリックス(Y25-E31)、金属クラスター結合ループ(F39-S47)およびα2-ヘリックス(F65-Q70)に集中して存在していたが、金属クラスター近傍に連続した界面を形成するS47、Q63、F65およびD67(Fig.4赤)、ならびにC41、Y25およびS40(Fig.4水色)において、AA添加に伴うシグナル強度減少の減弱が観測された。この結果は、Fd-cyt b6f相互作用におけるこれらの残基の重要性を示している。

さらに、AAによるFd-cyt b6f間電子伝達の阻害様式を調べるために、in vitroにおけるFd-cyt b6f間電子伝達活性を測定した。AA非存在下および存在下において、観測された最大吸光度は同等であった一方、ヘムb6還元に伴う吸光変化が飽和に達するまでの時間は、それぞれFd添加後約10および20分であった(Fig.5)。この結果は、AAが、Fdからcyt b6fへの電子伝達を比較的弱く阻害することを示している。

【考察】

本研究においては、TCS実験により、Fd上のPS Iおよびcyt b6f結合界面を同定した。Fd上のPS I結合界面は、金属クラスター結合ループ(L37-S47)およびβ1'-α2ループ(Q60-F65)であった。一方、Fd上のcyt b6f結合界面は、α1-ヘリックス(Y25-E31)、金属クラスター結合ループ(F39-S47)およびα2-ヘリックス(F65-Q70)であることが明らかとなった。PS I結合界面およびcyt b6f結合界面は、いずれも金属クラスター近傍の疎水性領域およびその縁に存在する酸性残基を含んでおり、Fd分子表面に連続した界面を形成していた。金属クラスター近傍の疎水性領域は、疎水性相互作用によるFdとPS Iまたはcyt b6fとの複合体の安定化に加えて、電子移動経路としても重要であると考える。一方、この領域を取り囲む複数の酸性残基のうち、特にD62近傍およびD68近傍の酸性クラスターが、それぞれPS Iおよびcyt b6fとの特異的相互作用残基であることが示唆された。これらの酸性残基は、静電相互作用により、PS I-FdおよびFd-cyt b6f複合体形成ならびに配向決定に寄与すると考える。

本研究において同定したFd上のPS Iおよびcyt b6f結合界面、ならびにX線結晶構造中におけるFNR結合界面(Fig.2D)は、金属クラスター近傍の疎水性領域を含め、比較的多くの残基が共通している。このことは、チラコイド膜中において、Fdを含むtightな超分子電子伝達複合体が存在しないことを示唆し、Fdはストロマ中を拡散することにより、PS IからFNRおよびcyt b6fへの電子伝達を触媒すると考えられる。一方、Fd-PS IおよびFd-FNR間相互作用が静電相互作用に強く依存することが報告されている。これらの知見に基づき、PSI-Fd-FNR間高効率電子伝達を可能とする、PS I/Fd/FNR三者複合体モデルとして、静電相互作用により、PS I近傍におけるFdとFNRの局所濃度が高まる結果、FdとFNRの会合速度が上昇する機構を提唱する。

これまでに、AAが、Fdから葉緑体中のcyt b6fへの電子伝達を阻害することが報告されている一方、単離されたcyt b6fとの相互作用ならびに電子伝達へのAAの作用に関する知見は報告されていなかった。そこで本研究においては、Fd-cyt b6f間相互作用ならびに電子伝達に対するAA競合実験より、AAがFdとcyt b6fの電子伝達複合体の形成を阻害することにより、Fdからcyt b6fへの電子伝達を阻害することを明らかとした。一方、cyt b6fに対するAAの結合は比較的弱いことが示唆された。この結果は、先行報告による葉緑体中のcyt b6fに対するAAの作用と合致することより、本研究において明らかとなったFd-cyt b6f間相互作用様式およびAAによる阻害様式は、生理的条件下におけるFd-cyt b6f間電子伝達にも関与していると考える。

Fig.1光合成明反応における電子移動経路の模式図。フェレドキシン(Fd)は、電子を光化学系I(PS I)から受け取り、Fd:NADP+還元酵素(FNR)に渡す(実線矢印)。シトクロムb6f(cyt b6f)は、Fdから直接または間接的に電子を受容する(点線矢印)。

Fig.2Tcs実験により同定した、Fd上のPS I結合部位。(A)Fdのx線結晶構造(PDB:1FXA)。主鎖をリボン構造にて示している。(B)PSIミセルを用いたTCS実験の結果のFd表面構造((A)と同じ向き)へのマッピング。マゼンタ:30%以上、ライトマゼンタ:25-30%のシグナル強度減少を示した残基。(C)(B)を180°回転した図。(D)トウモロコシ由来Fd/FNR複合体のX線結晶構造(PDB:1GAQ)中における、FNR結合界面残基のFd表面構造上へのマッピング。(E)Fd分子表面のアミノ酸の性質。酸性、塩基性および疎水性残基をそれぞれ赤、青および緑にて着色した。また、金属に配位しているシステイン残基を水色にて示した。

Fig.3 TCS実験により同定した、Fd上のcyt b6f結合部位。(A)cyt b6fミセルを用いたTCS実験の結果のFd表面構造上へのマッピング。マゼンタ:25%以上、ライトマゼンタ:20-25%のシグナル強度減少を示した残基。(B)(A)を180°回転した図。

Fig.4TCS実験による、AA非存在下または存在下におけるFd-cyt b6f相互作用様式の比較。(A)AA非存在下、(B)AA存在下におけるTCS実験において、顕著なシグナル強度減少を示した残基の、Fd表面構造へのマッピング。マゼンタ:23%以上、ライトマゼンタ:23-19%のシグナル強度減少を示した残基。AA添加に伴い、シグナル強度減少率が減弱した領域を赤および水色の楕円にて示している。

Fig.5 in vitro Fd-cyt b6f間電子伝達反応。ヘムb6の還元に伴う563nmの吸光度の経時変化を観測した。AA非存在下および存在下の結果を、それぞれ黒の実線および赤の破線にて示している。

審査要旨 要旨を表示する

フェレドキシンと光合成膜タンパク質の電子伝達機構の構造生物学的解明と題する本論文は、NMR実験および光化学実験を用いて、光合成型フェレドキシン(Fd)と、光合成膜タンパク質である光化学系I(PS I)またはシトクロムb6f(cyt b6f)の相互作用を解析した研究成果を述べたものである。本論文は5つの章からなり、第1章において序論を述べ、第2章において実験結果をまとめ、第3章において実験結果に対する考察に加えて、光合成明反応機構に関する考察を述べ、第4章において総括している。第5章において実験材料および方法について記述している。

第2章においては、FdとPS Iおよびcyt b6fの相互作用に関する解析結果を述べている。まず、ホウレンソウの葉より、PS Iおよびcyt b6fを単離・精製している。性状解析により、適切なサブユニット構成を有するPS Iミセルおよびcyt b6fミセルをNMR解析に十分な純度で調製できたことを確認している。次に、高等植物由来Fdとラン藻由来Fdを異種発現・精製し、Fdの活性中心である鉄を、NMRに適した金属に置換している。調製したFdの性状解析を行い、NMR解析に最適な試料としてラン藻由来ガリウム置換Fd(GaFd)を決定している。Fd上のPS Iおよびcyt b6f結合界面を同定するNMR実験を行い、GaFdについて帰属した主鎖NMRシグナルに基づき結果を解析している。

Fdの[2Fe-2S]クラスター近傍のアミノ酸残基に由来するNMRシグナルは、鉄に含まれる不対電子の影響により通常のNMR測定においては観測されない。この領域を解析対象とするため、鉄を非磁性金属であるガリウムに置換したFdを調製している、ガリウム置換によるFdの立体構造への影響を考慮し、1H、(15)Nおよび(13)C核に由来するNMR.シグナルの化学シフト値に基づき、調製したGaFdの立体構造を評価している。ガリウム置換前後の化学シフトがよく一致したことより、立体構造は保持されていると結論している。さらに、GaFdの主鎖アミドプロトンの縦緩和速度を測定した結果に基づき、以降のNMR実験に影響しない程度に鉄が除去されたことを確認している。以上のようにして調製した、GaFdとPS Iミセルおよびcyt b6fミセルを用いて、以降の相互作用解析を行っている。

まず、NMR滴定実験によるGaFdとPS Iの相互作用解析を行った結果、解離定数を1μM程度と算出している。また、native Fdによる競合実験より、ガリウム置換がPS I結合様式に有意な影響を及ぼさないことを確認している。つづいて、転移交差飽和(TCS)実験より、金属クラスター近傍の疎水性領域とその縁に存在するD62を含む酸性領域を、PS I結合界面として同定している。

Fdとcyt b6fの相互作用に関しても、NMR滴定実験およびTCS実験より、金属クラスター近傍の疎水性領域とその縁に存在するD68を含む酸性領域を、cyt b6f結合界面として同定している。さらに、cyt b6fの基質アナログであるアンチマイシンA(AA)による競合実験を行った結果、cyt b6fのストロマ界面に存在するヘム近傍を、Fd結合部位として同定している。また、AAの阻害定数を数μMと見積もっている。

第3章においては、TCS実験の結果に基づき、FdとPS Iおよびcyt b6fとの電子伝達機構を考察している。まず、PS Iおよびcyt b6f結合界面において共通する疎水性領域は電子伝達経路として機能し、異なる酸性残基は分子認識に重要な特異的相互作用残基であると結論している。Fd上の特異的相互作用残基の同定は、変異導入による電子伝達反応の制御を可能とすることが期待される。したがって、光合成電子伝達の研究分野に対し有意義と考えている。次に、Fdとcyt b6fが互いの酸化還元中心同士を近接させる配向にて複合体を形成することより、Fdとcyt b6f間の直接の電子伝達が可能であると結論している。これまでにin vitroにおけるFdとcyt b6fの相互作用解析の報告例はなく、Fdから未知の分子を介してcyt b6fへ電子が渡される可能陸も考えられてきた。本研究ではFdとcyt b6fが電子伝達複合体を形成するという結果に基づき、cyt b6fがFdから直接電子を受容する機構を提唱している。さらに、AA競合実験の結果より、AAの阻害機構として、Fd-cyt b6f間複合体形成抑制による電子伝達阻害機構を提唱している。

以上、本研究の成果は光合成電子伝達機構の解明に大きく貢献し、かつ膜タンパク質を含む相互作用系に対する構造生物学的研究に有用な知見を与えるものであり、これを行った学位申請者は、博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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