学位論文要旨



No 124958
著者(漢字) 山田,知広
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,トモヒロ
標題(和) 炎症収束期に現れる抗炎症性脂質メディエーター産生細胞の同定および性状解析
標題(洋)
報告番号 124958
報告番号 甲24958
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1311号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 准教授 東,伸昭
 東京大学 講師 倉永,英里奈
内容要旨 要旨を表示する

【序】

急性炎症反応は、外傷や感染症に対する重要な防御機構であり、好中球の流入により生体内の異物を排除する「初期過程」と、それに続いてアポトーシスした好中球や組織片を除去し、組織を修復へと導く「収束過程」からなる。初期過程においては炎症局所で血管内皮細胞の活性化と血管透過性亢進、それに続く好中球の浸潤と活性化が起き、異物の迅速な除去が行われる。この過程についてはこれまでに多くの研究がなされており、サイトカイン、ケモカイン、プロスタグランジン、ロイコトリエンなどの起炎性メディエーターの関与が示されている。一方、収束過程においては好中球が減少する一方でマクロファージ(Mφ)の流入が増大し、損傷した組織片やアポトーシスした好中球のクリアランスが起こることが知られているが、この過程に関わる分子機構に関してはいまだ不明な点が多い。多くの慢性炎症状態において、炎症の収束機構の機能不全が指摘されており、従って炎症の収束についての理解は医学、薬学領域の重要課題である。

本研究において、私は炎症の収束期に増加する特定の細胞群を見いだし、depletion実験によりこの細胞が炎症の収束に寄与することを明らかにした。さらにこの細胞は炎症収束期において抗炎症性脂質メディエーター(リポキシン A4、プロテクチンD1)を産生し、積極的に炎症収束に寄与している可能性が示唆された。

【方法と結果】

1.急性炎症の収束期に現れる細胞群の特定

酵母の細胞壁成分であるzymosanをマウス腹腔内に投与し、急性腹膜炎を誘導した。zymosan投与後の腹腔内細胞を経時的に採取し、表面抗原に対する蛍光抗体で標識し、フローサイトメトリーにより細胞種の経時変化を測定した。その結果、炎症の初期過程(~4h)において好中球(F4/80-,Gr-1+)の浸潤が認められ、続いて収束期(24~48h)では好中球の減少とF4/80陽性細胞(主にMφ)の増加が認められた(図1A,B)。さらに収束期に増加するF4/80陽性細胞群は、ミトコンドリアに特異的に取り込まれる蛍光色素Rhodamine 123(R123)によって主に2つの群に分離された(図1C)。これらの細胞集団をフローサイトメーター(FACS Aria)を用いて精製したところ、R123で強く染まる細胞はMφに特徴的な形状および遺伝子発現を示し、一方のR123で弱く染まる細胞は形状、遺伝子発現ともにMφと異なる細胞であった。以下この細胞をF4/80(mid) R123(lo)細胞と呼ぶ。

2.F4/80(mid) R123(lo)細胞は炎症収束を促進する

次に、特異的な抗体を投与することでF4/80(mid) R123(lo)細胞を約80% depletionできる系を確立し(図2A)、この細胞の炎症収束への寄与を調べた。炎症の収束は(1)腹腔内に残存する好中球数、(2)zymosanを取り込んだ細胞のリンパ組織(胸腺リンパ節、脾臓)への移行、の2点で評価した。その結果、炎症収束期すなわちzymosan投与後24hの時点において、F4/80(mid) R123(lo)細胞をdepletionしたマウスはコントロールマウスに比べて腹腔内に残存する好中球数が有意に多く、炎症の収束が遅延していることが示唆された(図2B)。炎症局所で異物を貧食した好中球やMφなどの細胞は、その後収束過程においてリンパ組織へと移行することが知られている。そこでzymosanを取り込んだ細胞のリンパ組織への移行を定量する目的で、FITC-zymosanを腹腔内に投与して24h後の胸腺リンパ節および脾臓から細胞を調製し、フローサイトメーターを用いてそれらの臓器中のFITC-zymosanを取り込んだ細胞数を測定した。その結果、F4/80(mid) R123(lo)細胞をdepletionしたマウスはコントロールマウスに比べて有意にFITC-zymosanを取り込んだ細胞数が少なく、特に胸腺リンパ節でその差が顕著であることが明らかになった(図2C)。以上の結果から、炎症収束期に現れるF4/80(mid) R123(lo)細胞は炎症の収束に促進的に働く細胞であることが示された。

3.F4/80(mid) R123(lo)細胞は抗炎症性脂質メディエーター産生細胞である

炎症の進行にはサイトカインなどのペプチド性メディエーターに加え、脂質メディエーターが重要な役割を果たしていることが知られている。例えば、アラキドン酸代謝物であるプロスタグランジンE2(PGE2)は血管透過性の亢進を引き起こし、またロイコトリエンB4(LTB4)は強力な好中球の誘因物質として炎症の初期過程に関わることが知られている。一方、リポキシンA4(LXA4)やプロテクチンD1(PD1)などの抗炎症性脂質メディエーターは炎症収束期に発現し、好中球の浸潤および炎症性サイトカインの産生を抑制、さらにMφの異物のクリアランス能を高めることで、炎症の収束過程に関わっていると考えられている。しかし、これら抗炎症性メディエーターの主たる産生細胞は特定されていなかった。

炎症収束期すなわちzymosan投与後24hの時点において、F4/80(mid) R123(lo)細胞をdepletionしたマウスの腹腔浸出液中の抗炎症性脂質メディエーター量をELISA及びLC-MS/MSを用いて測定したところ、コントロールマウスに比べてLXA4やPD1のレベルが著しく低いことが明らかになった(図3)。さらに腹腔内から回収された細胞をin vitroで刺激したところ、F4/80(mid) R123(lo)細胞をdepletionした状態では明らかにLXA4やPD1の産生能が低下していた。また、F4/80(mid) R123(lo)細胞ではLXA4やPD1の産生酵素である12/15-リポキシゲナーゼの発現量が著しく高いことも確認された。以上の結果より、F4/80(mid) R123(lo)細胞は炎症収束期においてLXA4やPD1を産生する細胞であることが明らかになった。さらに、F4/80(mid) R123(lo)細胞depletionマウスで認められる、腹腔内に残存する好中球数の増加は、炎症局所にLXA4もしくはPD1を添加することで正常な数まで低下した(図4A)。またzymosanを取り込んだ細胞の胸腺リンパ節への移行の減少もLXA4もしくはPD1を添加することでレスキューされた(図4B)。従って、これらの脂質メディエーターはそれぞれ単独で、F4/80(mid) R123(lo)細胞depletionによる収束の遅延をレスキューできることが分かった。

【まとめと考察】

本研究において私は、炎症収束期に現れる細胞として「F4/80(mid) R123(lo)細胞」を見いだし、この細胞が炎症の収束に促進的に働く細胞であることをdepletion実験から明らかにした。またこの細胞はLXA4やPD1といった抗炎症性脂質メディエーターの産生細胞であることを明らかにした。LXA4やPD1には、好中球の浸潤および炎症性サイトカインの産生を抑制、さらにMφの異物のクリアランス能を高める活性などが報告されている。実際にF4/80(mid) R123(lo)細胞depletionマウスで認められる炎症収束の遅延が、炎症局所にLXA4を添加することでほぼ完全にレスキューされたことからも、炎症の収束における脂質メディエーターの重要性が支持された。以上の結果から、炎症収束期に現れるF4/80(mid) R123(lo)細胞は、抗炎症性メディエーターの産生を介して周囲の細胞に作用し、炎症が速やかに収束する環境を整えるような役割を果たしている可能性が考えられた。炎症の収束はこれまで単に起炎反応の拡散あるいは減弱化として捉えられてきたため、分子レベルでの解析がほとんどなされていなかった。本研究で明らかになった「F4/80(mid) R123(lo)細胞」を起点として、今後炎症収束のメカニズムがさらに解明されていくことが期待される。

図1.炎症の進行とF4/80(mid) R123(lo)細胞

図2.F4/80(mid) R123(lo)細胞のdepletionと収束への影響

図3.F4/80(mid) R123(lo)細胞depletionによる抗炎症性脂質メディエーター産生への影響

図4.LXA4とPD1による収束遅延のレスキュー

審査要旨 要旨を表示する

急性炎症反応は、外傷や感染症に対する重要な防御機構であり、好中球の流入により生体内の異物を排除する「初期過程」と、それに続いてアポトーシスした好中球や組織片を除去し、組織を修復へと導く「収束過程」からなる。初期過程においては炎症局所で血管内皮細胞の活性化と血管透過性亢進、それに続く好中球の浸潤と活性化が起き、異物の迅速な除去が行われる。この過程についてはこれまでに多くの研究がなされており、サイトカイン、ケモカイン、プロスタグランジン、ロイコトリエンなどの起炎性メディエーターの関与が示されている。一方、収束過程においては好中球が減少する一方でマクロファージ(Mφ)の流入が増大し、損傷した組織片やアポトーシスした好中球のクリアランスが起こることが知られているが、この過程に関わる分子機構に関してはいまだ不明な点が多い。多くの慢性炎症状態において、炎症の収束機構の機能不全が指摘されており、従って炎症の収束についての理解は医学、薬学領域の重要課題である。

本研究において、山田は炎症の収束期に増加する特定の細胞群を見いだし、depletion実験によりこの細胞が炎症の収束に寄与することを明らかにした。さらにこの細胞は炎症収束期において抗炎症性脂質メディエーター(リポキシンA4、プロテクチンD1)を産生し、積極的に炎症収束に寄与している可能性を示した。

急性炎症の収束期に現れる細胞群の特定

山田はまず酵母の細胞壁成分であるzymosanをマウス腹腔内に投与し、急性腹膜炎を誘導した。zymosan投与後の腹腔内細胞を経時的に採取し、表面抗原に対する蛍光抗体で標識し、フローサイトメトリーにより細胞種の経時変化を測定した結果、炎症の初期過程(~4h)において好中球(F4/80-,Gr-1+)の浸潤を認め、続いて収束期(24~48h)では好中球の減少とF4/80陽性細胞(主にMφ)の増加を確認した。さらに収束期に増加するF4/80陽性細胞群について、ミトコンドリアに特異的に取り込まれる蛍光色素Rhodamine 123(R123)を用いることで2つの群に分離することに成功した。これらの細胞集団をフローサイトメーター(FACS Aria)を用いて精製し、R123で強く染まる細胞はMφに特徴的な形状および遺伝子発現を示し、一方のR123で弱く染まる細胞は形状、遺伝子発現ともにMφと異なる細胞であることを明らかにした。山田はこの細胞をF4/80(mid) R123(lo)細胞と名付けており、以下の文中でも使用している。

F4/80(mid) R123(lo)細胞は炎症収束を促進する

次に、山田は特異的な抗体を投与することでF4/80(mid) R123(lo)細胞を約80% depletionできる系を確立し、この細胞の炎症収束への寄与を調べた。炎症の収束は(1)腹腔内に残存する好中球数、(2)zymosanを取り込んだ細胞のリンパ組織(胸腺リンパ節、脾臓)への移行、の2点で評価している。その結果、炎症収束期すなわちzymosan投与後24hの時点において、F4/80(mid) R123(lo)細胞をdepletionしたマウスはコントロールマウスに比べて腹腔内に残存する好中球数が有意に多く、炎症の収束が遅延していることを明らかにした。炎症局所で異物を貪食した好中球やMφなどの細胞は、その後収束過程においてリンパ組織へと移行することが知られていたため、そこで山田は、zymosanを取り込んだ細胞のリンパ組織への移行を定量する目的で、FITC-zymosanを腹腔内に投与して24h後の胸腺リンパ節および脾臓から細胞を調製し、フローサイトメーターを用いてそれらの臓器中のFITC-zymosanを取り込んだ細胞数を測定した。その結果、F4/80(mid) R123(lo)細胞をdepletionしたマウスはコントロールマウスに比べて有意にFITC-zymosanを取り込んだ細胞数が少なく、特に胸腺リンパ節でその差が顕著であることを明らかにした。以上の結果から、炎症収束期に現れるF4/80(mid) R123(lo)細胞は炎症の収束に促進的に働く細胞であることを示した。

F4/80(mid) R123(lo)細胞は抗炎症性脂質メディエーター産生細胞である

炎症の進行にはサイトカインなどのペプチド性メディエーターに加え、脂質メディエーターが重要な役割を果たしていることが知られている。例えば、アラキドン酸代謝物であるプロスタグランジンE2(PGE2)は血管透過性の亢進を引き起こし、またロイコトリエンB4(LTB4)は強力な好中球の誘因物質として炎症の初期過程に関わることが知られている。一方、リポキシンA4(LXA4)やプロテクチンD1(PD1)などの抗炎症性脂質メディエーターは炎症収束期に発現し、好中球の浸潤および炎症性サイトカインの産生を抑制、さらにMφの異物のクリアランス能を高めることで、炎症の収束過程に関わっていると考えられている。しかし、これら抗炎症性メディエーターの主たる産生細胞は特定されていなかった。

山田は、炎症収束期すなわちzymosan投与後24hの時点において、F4/80(mid) R123(lo)細胞をdepletionしたマウスの腹腔浸出液中の抗炎症性脂質メディエーター量をELISA及びLC-MS/MSを用いて測定し、コントロールマウスに比べてLXA4やPD1のレベルが著しく低いことを示した。さらに腹腔内から回収された細胞をin vitroで刺激したところ、F4/80(mid) R123(lo)細胞をdepletionした状態では明らかにLXA4やPD1の産生能が低下していることを示した。また、F4/80(mid) R123(lo)細胞ではLXA4やPD1の産生酵素である12/15-リポキシゲナーゼの発現量が著しく高いことも確認した。以上の結果より、F4/80(mid) R123(lo)細胞は炎症収束期においてLXA4やPD1を産生する細胞であることが明らかにした。さらに、F4/80(mid) R123(lo)細胞depletionマウスで認められる、腹腔内に残存する好中球数の増加は、炎症局所にLXA4もしくはPD1を添加することで正常な数まで低下することを示した。またzymosanを取り込んだ細胞の胸腺リンパ節への移行の減少もLXA4もしくはPD1を添加することでレスキューすることを示した。従って、山田は、これらの脂質メディエーターはそれぞれ単独で、F4/80(mid) R123(lo)細胞depletbnによる収束の遅延をレスキューできることを明らかにした。

以上のように、本研究において山田は、炎症収束期に現れる細胞として「F4/80(mid) R123(lo)細胞」を見いだし、この細胞が炎症の収束に促進的に働く細胞であることをdepletion実験から明らかにした。またこの細胞はLXA4やPD1といった抗炎症性脂質メディエーターの産生細胞であることを明らかにした。LXA4やPD1には、好中球の浸潤および炎症性サイトカインの産生を抑制、さらにMφの異物のクリアランス能を高める活性などが報告されている。実際にF4/80(mid) R123(lo)細胞depletionマウスで認められる炎症収束の遅延が、炎症局所にLXA4を添加することでほぼ完全にレスキューされたことからも、炎症の収束における脂質メディエーターの重要性が支持された。以上の結果から、山田は、炎症収束期に現れるF4/80(mid) R123(lo)細胞が抗炎症性メディエーターの産生を介して周囲の細胞に作用し、炎症が速やかに収束する環境を整えるような役割を果たしているという可能性を示唆した。

以上本研究は、炎症の収束期に増加する細胞として初めてF4/80(mid) R123(lo)細胞を特定し、さらにこの細胞は抗炎症性脂質メディエーターを産生することで炎症の収束に積極的に寄与するという非常に新しい概念を提供したことから、博士(薬学)に充分値するものと判断した。

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