学位論文要旨



No 124961
著者(漢字) 伊藤,元貢
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,モトツグ
標題(和) 経口抗influenza薬oseltamivir及びその活性型分子Ro64-0802の体内動態を制御する分子機構の解明
標題(洋)
報告番号 124961
報告番号 甲24961
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1314号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 准教授 楠原,洋之
 東京大学 准教授 池谷,裕二
 東京大学 准教授 樋坂,章博
内容要旨 要旨を表示する

Oseltamivir(Tamiflu(R))は、世界初の経口抗インフルエンザ剤であり、A型及びB型インフルエンザウイルスのneuraminidaseを選択的に阻害するRo64-0802のプロドラッグ体として開発された。インフルエンザの治療および予防効果への期待から、我が国では2001年2月の発売から全世界の75.8%に相当する3640万件の処方が行われた。発売以後、必ずしも因果関係は立証されてはいないものの、oseltamivirの服用との因果関係が疑われる有害作用が報告され、精神神経異常の有害事象が3051件(2466人)、うち2218件(1808人)が16歳以下である。こうした背景の下、我が国においては2007年3月、厚生労働省が十代の未成年患者の使用制限を発表した。異常行動の報告以降、oseltamivirの中枢作用に広く関心が持たれ、種々の解析が実験動物を用いて行われた。その中にはラット培養海馬スライスにおいて、oseltamivir、Ro64-0802暴露により神経の異常発火を誘起するなど、oseltamivirあるいはRo64-0802の中枢性作用が疑われる結果も報告されている。薬物動態学的には、oseltamivirは血液脳関門を透過するものの、血液脳関門のトランスポーター(P-糖蛋白)で能動的なくみ出しを受けるため、その移行は制限されている。またRo64-0802の血液脳関門透過性は非常に低いことが報告されている。両化合物の血中動態の支配要因としては、oseltamivirから活性体(Ro64-0802)への変換に関わる肝carboxylesterase(CES)1A1、Ro64-0802の主排泄経路となる腎尿細管分泌機構が挙げられる。本研究では、これら諸要因の遺伝的要因による個体間変動が複数組み合わされることで、脳内のoseltamivirあるいはRo64-0802暴露が異常に高くなり、その結果として異常行動等の中枢作用が誘起される可能性を考え、体内動態を支配するトランスポーター分子の解析を行った。さらに、個体間変動要因と中枢作用との関連性を明らかにすべくコンピューターシミュレーションにより検討した。

1.Oseltamivir及びRo64-0802のを制御するトランスポーター及び代謝酵素の解明

1-1.OseltamivirはOAT3,OCT1,0CT2及びOATP1B3の、Ro64-0802はOAT1,OAT2,OAT3,OCT2及びMRP4の基質となる。

両薬物の膜透過過程・並びにoseltamivirの代謝過程に関与する体内動態制御因子の機能解析を行った。取り込みトランスポーターに関して、mock細胞と各種トランスポーター過剰発現HEK293細胞への細胞内蓄積量を比較した結果、oseltamivirは有機アニオントランスポーターOATPIB3、OAT3、有機カチオントランスポーターOCT1、OCT2の、Ro64-0802はOAT1,0AT2,0AT3及びOCT1,0CT2の安定発現HEK293細胞において、それらの取り込みがcontrol細胞と比較して有意に増加することを明らかとした。一方で、排泄トランスポーターについては、CESIA1並びにmulti-drug resistance associated protein (MRP)4 の共発現MDCKll細胞を構築し、oseltamivir暴露後一定時間後のRo64-0802の細胞外への排出を測定した。integration plotの傾きから算出した、CESIA/MRP4発現細胞におけるRo64-0802の排泄クリアランスは対照群であるCESIA/GFP細胞に比べ有意に増加し、かつMRP4阻害剤であるindomethacin添加により有意にその排出が阻害された(図1)。

1-2.Ro64-0802の腎取り込みはOAT3でほぼ説明可能である。

ヒト腎側底膜側トランスポーターとしてOAT1,2,3及びOCT2がRo64-0802を基質にすることが明らかとなったので、Ro64-0802の血液側からの腎取り込み過程における個々の相対的寄与率をヒト腎スライス法により検討した。Ro64-0802の腎スライスへの取り込みは、過剰量の有機アニオントランスポーター阻害剤であるρ-アミノ馬尿酸,ベンジルペニシリン,プロベネシドによって阻害された。一方で、有機カチオントランスポーター阻害剤であるテトラエチルアンモニウムでは阻害されず、OCT2の寄与は小さいものと判断した。また、臨床薬物間相互作用試験においてプロベネシドの併用によりRo64-0802の尿細管分泌はほぼ完全に阻害されていることから、OAT1及びOAT3が主に関与している可能性が示唆された。そこでrelative activity factor(RAF)法を用いて、OAT1及びOAT3の寄与率を検討したところ、OAT1を介した取り込みクリアランスはOAT3に比べ著しく小さいことが明らかとなった。実際に、ヒト腎スライスで観察されたプロベネシド感受性の取り込みクリアランスの絶対値はRAF法で見積もられたOAT3依存的な取り込みクリアランス値とほぼ一致した(表1)。プロベネシドによるRo64-0802の取り込みに対する阻害効果は、それぞれOAT3過剰発現HEK293細胞並びにヒト腎スライスでほぼ一致しており、その臨床非結合型血漿中濃度から、プロベネシドは臨床投与量でOAT3を介した腎取り込みを十分に阻害することが明らかとなった。さらに、日本人において発見された遺伝子変異の中からnon-synonymous変異体(I175V及びA389V)に関して、それぞれ安定発現系を構築し、これらアミノ酸置換がOAT3輸送活性に与える影響を評価した。細胞膜上のOAT3発現量を測定し、単位OAT3蛋白あたりのRo64-0802の輸送活性を野生型と比較したところ、野生型に比べ有意に低下する(I175V;13.8、A389V;9.62%of control)ことを明らかとした。

1-3.Oat3及びMrp4はRo64-0802の脳脊髄液並びに腎臓中濃度を制御する因子である。

浸透圧ポンプを用いて野生型マウス、Oat3(-/-)マウス及びMrp4(-/-)マウスにRo64-0802を定速皮下投与し、投与開始22時間後のRo64-0802の血漿、腎臓、脳脊髄液中濃度を測定した。その結果、Oat3(-/-)マウスにおいてRo64-0802の腎臓-血漿中濃度比は野生型マウスに比べ有意に低下し、脳脊髄液-血漿中濃度比は、野生型マウスに比べ上昇した。一方で、Mrp4(-/-)マウスでは腎臓血漿中濃度比及び脳脊髄液-血漿中濃度比はともに有意に増加することを明らかとし、Oat3及びMrp4が腎臓、脳脈絡叢においてRo64-0802の方向性輸送に関与していることを明らかにした(図2)。

2.Oseltamivir及びRo64-0802の末梢並びに中枢暴露の個人間変動に関する解析

これまで得られた知見に基づいて、oseltamivirの体内動態を制御する因子(P-糖蛋白並びにCES1A1)、Ro64-0802の体内動態を制御する因子(CES1A1、OAT3、MRP4)について、それぞれの遺伝子変異頻度並びに輸送活性/発現量の変化から推測される両化合物の体内動態の個人間変動をモンテカルロシュミレーションにより検討した。種々条件下でのシミュレーションを行ったところ、oseltamivirの脳内暴露のばらつきが最大となる条件は、脳におけるoseltamivirの代謝クリアランスと脳から血液側への排泄クリアランスが同程度と仮定した場合であり、50,000人に6人程度の割合で、平均値から最大約5倍程度oseltamivirの脳内暴露が増加する患者がいることが推測された(図3)。一方で、Ro64-0802の脳内暴露に関しては、ヒト脳内におけるoseltamivirの代謝の影響を無視できると仮定した場合に最大の個体間変動が観察され、50,000人に1人の割合で平均値に対して10倍程度に脳内暴露が高まると推定された(図4)。

3.Oseltamivir投与後の体温低下メカニズムに関する解析

2007年日本厚生労働省はoseltamivir服用後の体温低下を44件報告し、米国食品医薬品局(FDA)もoseltamivir服用後に体温が34℃まで低下した事例を2件報告し、体温低下はoseltamivir服用後の重篤な副作用の一つであると考えられる。私はヒト及びマウスで共通して観察される数少ないin vivo毒性マーカーであることに注目し、oseltamivir服用後の体温低下作用機構に関して更なる検討を加えた。過去の報告通りddyマウスにoseltamivirを単回腹腔内投与すると、oseltamivir投与時では投与量依存的な一過性の体温低下が観察された。しかし、同用量のRo64-0802投与時には、有意な体温低下が観察されなかった(図5)。上記試験における血漿、脳、脳脊髄液中の薬物濃度を測定したところ、有意な体温低下が観察されたoseltamivir投与後、Ro64-0802の脳内濃度は毛細血管内の残存で説明できる程度であり、Ro64-0802投与後の血漿中Ro64-0802濃度は、oseltamivir投与後の血漿中Ro64-0802濃度より高かった。以上の知見から、oseltamivir投与後の体温低下はoseltamivirに起因していることが明らかとなった。

[結論]

本研究において私は、oseltamivir及びその活性型分子Ro64-0802の体内動態制御因子の機能解析を通じて、特に服用者の遺伝的背景によって生じる両化合物の末梢・中枢暴露がどの程度変動するかに関して検討を行った。

Ro64-0802の主要な排泄経路である腎排泄過程における分子機構を解明するとともに、oseltamivirの脳内暴露はCES1AやMDR1の遺伝子変異の影響によって平均値から4-6倍に増加しうるが、その増加頻度は比較的高い可能性(50000人中数百~千人規模)が示され、Ro64-0802の脳内暴露は主にOAT3、MRP4の遺伝子変異によって平均値から大きく増加し、その頻度はoseltamivirの場合に比べ低いものである(50000人中数人規模)可能性が示された。さらに、臨床上軽視できない副作用の一つである体温低下について、薬物動態学的視点からRo64-0802ではなくoseltamivir自身の副作用であることを解明した。

図1.CES1A1/MRP4共発現MDCKll細胞におけるRo64-0802の排泄に関するintegration plot

表1.Ro64-0802の腎取り込みにおけるOAr1及びOAT3の寄与率

図2.Ro64-0802連続皮下投与22時間後の、Oat3(-/-)、Mrp4(-/-)及び野生型マウスにおけるRo64-0802の腎臓-血漿中濃度比及び脳脊髄液-血漿中濃度比(#;p<0.05,##;p<0.01,###;p<0.001vs wild type)

図3.Oseltamivir単回経口投与後のoseltamivirの脳内暴露に関する個人間変動(図には脳内におけるoseitamivirの代謝の影響と排泄クリアランスの影響を同程度と仮定した際のヒストグラムを示す。)

図4.Oseltamivir単回経口投与後のRo64-0802の脳内暴露に関する個人間変動(図には脳内におけるoseltamivirの代謝の影響を無視した場合のヒストグラムを示す。)

図5.Oseltamivir(上)、Ro64-0802(下)単回腹腔内投与(300mg/kg)後のマウス直腸体温の低下

審査要旨 要旨を表示する

経口抗インフルエンザ薬であるoseltamivirは、服用後の異常行動との因果関係の有無について特に我が国において最も注目されている薬物の一つである。これまで数多くの臨床及び基礎研究が報告されているものの、疫学調査からは未だ異常行動と服用との関連性について明確な結論は得られていない。また、動物モデルを用いた薬理試験においても異常行動と関連する有害事象は確認されていないのが現状である。Oseltamivir服用後の有害異常がoseltamivirないしその活性型分子であるRo64-0802の中枢作用と仮定した場合、その作用標的分子の探索もさることながら、両化合物の末梢滞留性並びに中枢移行性を制御する分子機構の解明も極めて重要であると言える。しかしながら、oseltamivirの中枢移行性を担うP-糖タンパク(P-gp)やoseltamivirの代謝を担うcarboxylesterase(CES)1A1については過去に明らかとされてきたが、Ro64-0802の体内動態を制御するトランスポーターに関する理解は十分ではなかった。

申請者の伊藤は、oseltamivir服用後の有害事象が極めて低頻度(<0.01%)である点及び若年性のインフルエンザ罹患者に特に多く報告事例があることに注目し、両化合物の体内動態制御因子の機能変動が複数組み合わさることで、極めて限られた服用者集団においてのみ薬剤の末梢滞留性及び中枢移行性が亢進するのではないかと仮説を立てた。そして、in vitro/in vivoの種々の検討を行い両化合物の体内動態制御因子の同定を行った。さらに遺伝子変異を伴う機能変化に着目してコンピューターシミュレーションを行い、oseltamivtr及びRo64-0802の中枢暴露の個体間変動に関する解析を行った。

1.Ro64-0802の腎及び血液脳脊髄液関門における排泄過程に関与する分子機構の解明

Ro64-0802はプロドラッグであるoseltamivirから体内で合成された後、更なる代謝を受けることなくそのほとんどが尿中へと排泄される。Oseltamivir経口投与後のRo64-0802の血漿中濃度はprobenecidの併用によって有意に増加するが、これはRo64-0802の尿細管分泌過程を担うトランスポーターの機能阻害であると解釈できる。実際に、Ro64-0802の腎取り込みに関与する分子としてOrganic anion transporter(OAT)1の関与が過去の報告から示唆されていた。しかし、申請者はRo64-0802がOAT1の基質とはなるものの、他のOAT1基質に比べて良好な基質ではない点に注目し、他のトランスポーターがRo64-0802の腎取り込みに関与しているのではないかと仮説を立て、詳細な解析を行った。申請者はまず、in vitro/in vivoの様々な手法を用いて、網羅的に両化合物の代謝及び膜透過過程に関与する代謝酵素・トランスポーターのスクリーニングを行った。その結果、Ro64-0802を基質とするトランスポーターとしてOAT3をはじめとする複数のトランスポーターを明らかとした。その中で特にOAT3は、probenecidに対する親和性が高いトランスポーターである.実際にOAT3は臨床投与量下のprobenecidの併用下においてfexofenadineの腎クリアランスの低下に関与している分子として過去に報告がなされている。申請者は、Ro64-0802の腎取り込みに関与するトランスポーターとして既知であるOAT1とOAT3の相対的寄与率を算出し、Ro64-0802の腎取り込みはほぼOAT3によって行われている(>97%)ことを明らかとした。実際に発現系におけるOAT3を介したRo64-0802の取り込みに対するprobenecidの照値はprobenecidの臨床投与量下における最大非結合型血漿中濃度(12-52μM)を下回る5.1±1.2μMであり、ヒト腎スライスにおける飽和性コンポーネントのIC(50)値と比較してもほぼ一致した。申請者はさらに、排泄トランスポーターであるMultidrug resistance associated protein(MRP)4と代謝酵素CES1A1の共発現系を構築し、MRP4がRo64-0802を基質とすることを明らかとした。また、OAT3、MRP4の発現臓器である腎臓近位尿細管上皮細胞及び脈絡層上皮細胞において、Ro64-0802のベクトル輸送に両トランスポーターが関与していることをそれぞれの遺伝子欠損マウスを用いて明らかとした。マウスにおいてはprobenecidの併用下において、Ro64-0802の腎クリアランスは低下しなかったが、このことはヒトと異なりマウスではRo64-0802の尿細管分泌が占める腎クリアランスへの寄与が小さいためであると考えられる。過去の報告によれば、マウスにはヒトと異なり血漿中にて顕著なoseltamivirの加水分解酵素活性が検出されている。申請者は、oseltamivirの代謝過程のみならずRo64-0802の尿細管分泌過程においても、ヒトとマウスで種差があることを明らかとした。

2.Oseltamivir及びRo64-0802の体内動態制御因子の遺伝子変異に伴う機能変化が及ぼす、両化合物の末梢並びに中枢暴露分布に関する検討

これまでの論文報告及び申請者の解析結果に基づくと、oseltamivirの主要な代謝臓器である肝代謝にはヒトCES1A1、Ro64-0802のヒト腎取り込みにはOAT3が関与していること、P-gpがoseltamivirの、Oat3,Mrp4がRo64-0802の脳移行性を制限していると言える。そこで申請者は上記4種類の因子に関して遺伝子変異を伴う機能変化を考慮し、oseltamivir及びRo64-0802の末梢並びに中枢暴露の個体間変動がどのような分布を示すかについてコンピューターシミュレーションによる解析を行った。

申請者は、OAT3の変異体1175V並びにA389Vでは細胞膜上に発現する機能タンパクあたりの輸送活性が野生型に比べ約90%低下することを、過剰発現系を用いたin vitro実験より明らかにした。また、CES依存的なoseltamivirの加水分解酵素活性がマウス脳からは検出されない一方で霊長類であるカニクイザル脳S9から認められることを明らかとした。そこで、CES1A1依存的なoseltamivirの加水分解がヒト脳内においても生じていると仮定し、遺伝子変異に伴う機能変化を遺伝子頻度に従って組み込み、かつ血流速度や血中でのタンパク結合率といった種々のヒトPKパラメータに一定のCV値に準じたばらつきを加味しながら、モンテカルロシミュレーションにより50,000件の異なるPKパラメータ群を算出し、仮想的な服用者集団を作りだした。そして、両化合物の末梢及び中枢暴露を示す数学モデルに代入することで50,000人規模の臨床試験に相当する計算を行った。その結果、本検討においてoseltamivirの脳内暴露はCES1A1やP-gpの単独ないし両方の遺伝子変異の影響によって平均値から4~6倍に増加しうるが、その増加頻度は比較的高い可能性(50,000人中数百~千人規模)が示された。一方で、Ro64-0802の脳内暴露は主にOAT3、MRP4の遺伝子変異によって平均値から10倍程度に増加し、その頻度はoseltamivirの場合に比べ低いものである(50,000人中数人規模)可能性が示された。臨床投与量の2倍に相当する150mgのoseltamivir単回経口投与後のoseltamivir及びRo64-0802の最大脳脊髄液中濃度はそれぞれ7.7nM、67nMであると報告されている。これに対し、oseltamivir及びRo64-0802のラット海馬スライスの異常発火を惹起するEC(50)はそれぞれ20μM、0.6μM程度であると報告されている。薬物の脳脊髄液中濃度が脳実質内濃度の指標になると仮定した場合、特にRo64-0802については脳内濃度が10倍高い服用者集団ではラット海馬スライスにおいて異常発火を惹起した濃度になると考えられる。申請者の解析によって初めて、遺伝子変異による機能変化が複数組み合わさることによってきわめて低頻度であるが臨床投与量であっても中枢作用が生じる可能性が示唆された。

3.Oseltamivir及びRo64-0802の中枢作用に関する検討

申請者は、oseltamivir及びRo64-0802投与後の中枢作用に関して種々の解析を行った。マウス海馬脳波や両化合物の作用発現における神経ネットワークの有無の必要十分性、またサル大脳及び小脳凍結切片を用いた結合実験などを介してin vivo及びin vitro両方の観点から薬効ないし標的因子の探索を試みたが明確な作用は認められなかった。しかしながら、ヒトにおいても重篤であると考えられている副作用の一つであり、oseltamivir投与後に観察される唯一のin vivo毒性マーカーとして報告された体温低下作用について申請者は更なる検討を加えた。過去の報告によると、oseltamivir投与後の体温低下はoseltamivirではなくRo64-0802の作用であると推測されていた。しかし申請者は薬物動態学の視点から、体温低下作用の発現時における血漿及び脳・脳脊髄液中の薬物濃度を測定することを通じて、少なくともげっ歯類においてはRo64-0802ではなくoseltamivirが体温低下作用を有することを明らかとした。

このように本研究は、我が国において最も注目を集めている薬の一つであるoseltamivirについて、単に薬物動態を制御するトランスポーターの同定のみに留まるものではない。Oat3やMrp4が過去に報告のある血液脳関門に加え、腎臓や血液脳脊髄液関門といった複数の臓器において発現し、効率的なベクトル輸送を行うことでRo64-0802を中枢及び血液コンパートメントから排泄しているという発見は、薬物動態学的に新しい知見であると言える。また、Ro64-0802の腎取り込み機構や体温低下作用の解析のように、申請者は過去の報告と異なる結果が得られた場合において独自のアプローチを通じて極めて論理的な説明をしている。さらに本研究は、遺伝子変異の組み合わせによって両化合物の中枢暴露の個体間変動の大きさを初めて定量的に解析した点で示唆に富んでいると言える。すなわち申請者は、oseltamivir及びRo64-0802の体内動態を支配するトランスポーター群を明らかにすることで、遺伝子変異が複数重なることによって両化合物の血中及び脳内暴露が平均値から大きく外れる個体が存在することを示した。これまで個体間変動が議論される場合には平均値で議論されることがほとんどであるが、こうしたリスク評価では、ばらつきを含めて考慮することが必要である。このような研究手法は、将来の新薬の開発過程においてもヒトにおける安全性予測をする上で十分に活用しうる知見を含んでいると言える。

よって、申請者は博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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