学位論文要旨



No 124968
著者(漢字) 青山,千顕
著者(英字)
著者(カナ) アオヤマ,チアキ
標題(和) 蛍光検出法を用いた液体クロマトグラフィーの高性能化に関する研究
標題(洋)
報告番号 124968
報告番号 甲24968
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1321号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 准教授 浦野,泰照
 東京大学 准教授 三田,智文
内容要旨 要旨を表示する

序諭

生命現象の詳細な解析を行うためには、その構成成分の存在量を定量し、量的変動を追跡する必要がある。近年、様々な研究により、生命活動において重要な役割を担う構成成分の一部は、生体内において微量にのみ存在することが明らかにされてきた。そのため、より微量にしか存在しない成分を分離し定量するための方法が必要とされている。

液体クロマトグラフィー(LC)は、多様な固定相が使用でき再現性が高いため、幅広い分野で用いられている分離分析法である。LCを用いて、生体内における微量物質の定量を行うためには、高感度な検出法及び高性能な分離カラムを用いる必要がある。

本研究において私は、第一に、NBD-F(4-fluoro-7-nitro-2,1,3-benzoxadiazole)を蛍光誘導体化試薬として用い、HPLC-蛍光検出法によりセレノメチオニン(Se-Met)を定量するための方法を確立した。NBD-FとSe-Metの反応生成物は弱蛍光性であったが、酸化反応を施すことにより蛍光強度が増大することを見出し、この性質を利用して高感度な定量法とすることを目的とした。

第二に、粒子充填型カラムよりも高性能な分離が期待されるピラー構造を用いたLCチップの開発を行った。ピラー構造を用いたLCでは非常に規則性が高いピラー構造の表面において相互作用が行われるため、汎用されている粒子充填型カラムよりも優れた分離性能が得られると考えた。

1.オンライン酸化を用いたHPLC-蛍光検出法によるセレノメチオニンの高感度定量法の開発

【背景・目的】

セレン(Se)は人体に必須な元素であることが明らかにされて以来、様々な報告により生体内における重要性が示唆されている。多くのセレン含有化合物の中でSe-Metは、Seによる抗がん作用において中心的な役割を担うと考えられている。そのためSe-Metの高感度な定量法は、生体内でのモニタンリングを可能にするだけでなく、セレンによる抗がん効果の作用機序の解明にも貢献することが期待できる。

Se-Metの定量法の多くは、HPLCとICP-MS(inductively coupled plasma massspectrometry)を組み合わせた分析系によるものであるが、これらには定量精度に欠けるという短所があった。そこで、Se-Metの高感度かつ高精度な定量を行うために、HPLC-蛍光検出系を用いた分析法を確立することにした。

本研究では、NBD-Fを蛍光誘導体化試薬として用いることにした。私は、NBD-Fにより蛍光誘導体化されたSe-Metは酸化反応を施すことで蛍光強度が増大することを見出し、この性質を利用することで定量法をより高感度化できると考えた。

【方法】

蛍光誘導体化は、Se-Met溶液にホウ酸緩衝液(pH8.5)を加え、60℃において3分間NBD-Fと反応させることで行った。分離カラムからの溶出液をクーロメトリック型電気化学検出器のフローセルにより酸化し、その後、蛍光検出(Ex.:470nm,Em.:540nm)することにより、ポストカラム酸化反応装置を組み込んだ分析系とした。

【結果・考察】

作用電極にかける電位を最適化し、0.6V(Pdreference)とした。これにより、酸化を行わない場合と比較して、NBD-Se-Metのピーク高さとして約10倍の蛍光強度の増大が達成された(図1)。検出限界はインジェクト量あたり50fmol(S/N=3)であり、既存のICP-MSを用いた報告とほぼ同等の感度を有していることが示された。

【まとめ】

本研究で確立したSe-Met定量法は、簡便かつ高感度であるため、少量の生体試料中のSe-Metを定量するための有用な方法となることが期待できる。

2.ピラー構造を利用した液体クロマトグラフィーチップの開発

【背景・目的】

1998年にRegnierらにより、半導体加工技術を用いてチップ流路中にピラー状の構造体を規則的に並べ、そのピラー表面を相互作用表面として利用した電気クロマトグラフィーが報告された。その高い分離性能は圧力により移動相を流す通常のLCにおいても同様に得られることが、理論計算により予想されている。そこで本研究において私は、ピラー構造を用いたLCチップを開発することを目的とした。

【方法】

使用したLCチップは、一辺20mmのSi基板を原料とし、フォトリソグラフィーとドライエッチングにより流路パターンを形成した(図2)。ピラー構造を有する分離流路と共に試料注入用流路も作製し、この2つの流路が交差する部分を分離流路への試料注入部として用いた。流路パターンを形成したSi基板は、その表面に酸化膜を形成させた後、ガラス基板と陽極接合により貼り合わせることでLCチップとした。ピラーは一辺が3Fmの正方形、ピラー間の幅は2μmとなるように設計した。分離部のピラー部分を含めた流路幅はそれぞれ400μm、流路深さは25μmとした。このLCチップ表面にoctadecylsilyl基を化学的に結合させることで、ピラー構造の表面を逆相分離の相互作用の場とした。

【結果・考察】

はじめに、ピラー構造を用いたLCの分離性能を、直線の分離流路を用いて評価を行うことにした。長さ6.7mmの直線の分離流路を有するLCチップを用いて2種類のクマリン色素(C525,C545)を分離し、そのクロマトグラムから理論段数を算出した。この時の各ピークの理論段数は800程度であり、長さあたりの分離性能が市販の粒子充填型カラムよりも高いことが明らかになった。これにより、理論的に予想されていたピラー構造によるLCの高い分離性能を、実験的に示すことができた。

チップ内において得られる直線流路の長さは限られる。そのため、より長い分離流路をチップ上に作製するには曲線流路を伴う必要がある。そこで近年Griffithsらが流体力学解析により提案した低拡散曲線構造をLCチップに適用することにした。これは曲線部分に起因する拡散を最大限に抑制することを目的とした曲線構造であり、その特長は曲線部分の内側と外側を流れる液体がそれぞれ通過する距離がほぼ等しくなるように設計されている点にある。

はじめに低拡散曲線流路が、内部にピラー構造がある流路において理論結果と同様に機能するかを確認した。表面修飾を行う前の円弧型曲線流路もしくは低拡散型曲線流路を有するLCチップを用い、バンド状のC525溶液がそれぞれの曲線部分を流れる様子を蛍光顕微鏡を用いて観察した(図3)。その結果、円弧型曲線流路(A)ではターンの内側と外側とで距離差が存在するために蛍光バンドの形状が大きく変化するのに対し、低拡散型曲線流路(B)ではターン前後でほとんどバンドの形状に変化が見られなかった。この結果から、流路内部にピラー構造を有する場合において、低拡散型曲線は有用であることが明らかとなった。

次に、逆相分離条件下において、円弧型曲線流路もしくは低拡散型曲線流路を有するLCチップを用いてC525とC545を分離し、そのクロマトグラムから理論段数を算出した。その結果、両者において分離流路が長くなるほど理論段数が向上したが、低拡散型曲線流路を有するLCチップの方が高い値が得られた。

また低拡散型曲線流路を有するLCチップにおいて、移動相の流速を変化させた時の理論段高さからvan Deemter's plotを作成した(図4)。市販の粒子充填型カラムを用いた実験により得られたグラフと比較すると、それぞれの最適流速における理論段高さは、低拡散型曲線を有するピラーLCチップの方が小さな値を示していた。また、移動相の流速が最適条件よりも大きな場合、低拡散型曲線を有するLCチップは粒子充填型カラムと比べて高い分離性能を維持していた。以上より、低拡散型曲線を有するLCチップが、円弧型曲線を有するLCチップよりも分離性能が高いこと、粒子充填型カラムよりも優れた性質を持つことが示された。

この低拡散型曲線流路を有するLCチップを用いて、あらかじめ蛍光誘導体化したアミノ酸類を分離した時に得られたクロマトグラムが図5である。最初のターンに入るまでの短い直線の分離流路のみでは、7種類の蛍光物質は4本のピークにしか分離されない(A)。しかし、分離流路が一往復分長くなることでより分離され(B)、さらに一往復することで7本のピークとして検出されるようになった(C)。この結果は、低拡散曲線流路を用いて長い分離流路を設計することで、短い直線流路だけでは分離できない成分の分離が可能になることを示すものである。

【まとめ】

本研究において私は、従来のカラムよりも分離性能の高いピラー構造を用いたLCチップを開発した。低拡散曲線流路を適用した長い流路を作製することで、より多くの成分の分離が可能となることを示した。本研究で示された知見はマイクロ化学チップを用いて高性能な分離を行うための重要なものであり、今後、他の様々な分析手法と組み合わせた応用が期待される。

総括

本研究は、LCの高性能化を目的として行った。Se-Metの定量法の確立により得られた知見は、HPLCにおける高感度な検出法である蛍光検出法を、より多くの分子へ適用するための一助となると考えられる。また、ピラー構造を用いたLCチップにおいて高い分離性能が示され、従来のLCでは分離が困難であった微量物質の定量を可能にするものと期待される。

図1酸化電位を印加しない条件(A)及び最適な酸化電位を印加した条件(B)においてアミノ酸標準溶液を分離した時に得られたクロマトグラム。

1.NBD-Met,2.NBD-Val,3.NBD-Se-Met,4,NBD-cystine,5,NBD-ornithine.

図2低拡散曲線を有するLCチップの全景(A)及びその分離流路断面のSEM像(B)。

図3保持が起こらない条件において、バンド状のC525溶液が円弧型流路(A)および低拡散型曲線流路(B)を通過した様子の0.5秒ごとの静止画像。一番左の図は、流路全体に色素溶液を満たした時のもの。

図4低拡散型曲線を有するLCチップ及び粒子充填カラムによるvan Deemter's plot。

図5低拡散型曲線流路を有するLCチップによりアミノ酸標準溶液を分離した時に得られたクロマトグラム。検出はそれぞれ、試料注入部から数えて(A)1つ目のターンが始まる直前、(B)3つ目のターンが始まる直前、(C)5つ目のターンが始まる直前にて行った。

1,NBD-OH;2,NBD-Pro;3,NBD-Val;4,NBD-ε-amino-η-caproic acid;5,NBD-lle;6,NBD-Leu:7.NBD-Phe.

審査要旨 要旨を表示する

生命現象の詳細な解析を行うためには、その構成成分の存在量を定量し、量的変動を追跡する必要がある。近年、様々な研究により、生命活動において重要な役割を担う構成成分の一部は、生体内において微量にのみ存在することが明らかにされてきた。そのため、より微量にしか存在しない成分を分離し定量するための方法が必要とされている。液体クロマトグラフィー(LC)は、多様な固定相が使用でき再現性が高いため、幅広い分野で用いられている分離分析法である。LCを用いて、生体内における微量物質の定量を行うためには、高感度な検出法及び高性能な分離カラムを用いる必要がある。学位申請者は、第一に、NBD-F(4-fluoro.7-nitro-2,1,3-benzoxadiazole)を蛍光誘導体化試薬として用い、HPLC一蛍光検出法によりセレノメチオニン(Se-Met)を定量するための方法を確立した。NBD-FとSe-Metの反応生成物は弱蛍光性であったが、酸化反応を施すことにより蛍光強度が増大することを見出し、この性質を利用して高感度な定量を実現した。学位申請者は、第二に、粒子充填型カラムよりも高性能な分離が期待されるピラー構造を用いたLCチップの開発を行った。ピラー構造を用いたLCでは非常に規則性が高いピラー構造の表面において相互作用が行われるため、汎用されている粒子充填型カラムよりも高速で優れた分離性能を得ることに成功した。

まず、第1章では、本研究の背景、本研究の目的、および本研究の概要が述べられている。

第2章では、本研究で使用した試薬、装置および実験方法が述べられている。

第3章では、オンライン酸化を用いたHPLC-蛍光検出法によるセレノメチオニンの高感度定量法の開発が述べられている。セレンメ(Se)は人体に必須な元素であることが明らかにされて以来、様々な報告により生体内における重要性が示唆されている。多くのセレン含有化合物の中でSe-Metは、Seによる抗がん作用において中心的な役割を担うと考えられている。そのためSe-Metの高感度な定量法は、生体内でのモニタンリングを可能にするだけでなく、セレンによる抗がん効果の作用機序の解明にも貢献することが期待できる。Se-Metの定量法の多くは、HPLCとICP-MS(inductively coupledplasma mass spectrometry)を組み合わせた分析系によるものであるが、これらには定量精度に欠けるという短所があった。そこで、学位申請者は、Se-Metの高感度かつ高精度な定量を行うために、HPLC-蛍光検出系を用いた分析法を確立した。まず、Se-Met溶液にホウ酸緩衝液(pH8.5)を加え、60℃において3分間NBD-Fと反応させることにより蛍光誘導体化した。次に、分離カラムからの溶出液をクーロメトリック型電気化学検出器のフローセルにより酸化し、その後、蛍光検出(Ex.:470nm,Em.:540nm)することにより、ポストカラム酸化反応装置を組み込んだ分析系とした。作用電極にかける電位を最適化し、0.6V(Pdreference)とした。これにより、酸化を行わない場合と比較して、NBD-Se-Metのピーク高さとして約10倍の蛍光強度の増大が達成された。検出限界はインジェクト量あたり50fmol(S/N=3)であり、既存のICP-MSを用いた報告とほぼ同等の感度を有していることが示された。本研究で確立したSe-Met定量法は、簡便かつ高感度であるため、少量の生体試料中のSe-Metを定量するための有用な方法となることが期待できる。

第4章では、ピラー構造を利用した液体クロマトグラフィーチップの開発について述べられている。液体クロマトグラフィー(LC)は、多様な固定相が使用でき再現性が高いため、現在最も使われている分離分析法である。近年、分離性能の向上が期待できることから、マイクロ化学チップを用いた分離分析法の開発が多く行われている。しかし、その報告の多くは電気泳動によるものであり、マイクロ化学チップにおけるLCの報告は非常に少ない。その原因として、チップの接続部における高い耐圧性や長い分離流路を確保することが困難な点が挙げられる。学位申請者は、これらの困難を克服することによりオンチップLCを実現した。まず、一辺20mmのSi基板を原料とし、フォトリソグラフィーとドライエッチングにより流路パターンを形成した。ピラー構造を有する分離流路と共に試料注入用流路も作製し、この2つの流路が交差する部分を分離流路への試料注入部として用いた。流路パターンを形成したSi基板は、その表面に酸化膜を形成させた後、ガラス基板と陽極接合により貼り合わせることでLCチップとした。ピラーは一辺が3Fmの正方形、ピラー間の幅は2μmとなるように設計した。分離部のピラー部分を含めた流路幅はそれぞれ400μm、流路深さは25μmとした。このLCチップ表面にoctadecylsilyl基を化学的に結合させることで、ピラー構造の表面を逆相分離の相互作用の場とした。長さ6.7mmの直線の分離流路を有するLCチップを用いて2種類のクマリン色素(C525,C545)を分離し、そのクロマトグラムから理論段数を算出した。この時の各ピークの理論段数は800程度であり、長さあたりの分離性能が市販の粒子充填型カラムよりも高いことが明らかになった。これにより、理論的に予想されていたピラー構造によるLCの高い分離性能を、実験的に示すことができた。

第5章では、低拡散型曲線を有する液体クロマトグラフィーチップの開発が述べられている。チップ内において得られる直線流路の長さは限られる。そのため、より長い分離流路をチップ上に作製するには曲線流路を伴う必要がある。曲線部分に起因する拡散を最大限に抑制することを目的とした曲線構造を作製し、通常の円弧型曲線流路を有するLCチップよりも性能が優れていることを示した。また低拡散型曲線流路を有するLCチップにおいて、移動相の流速を変化させた時の理論段高さからvan Deemter's plotを作成した。市販の粒子充填型カラムを用いた実験により得られたグラフと比較すると、それぞれの最適流速における理論段高さは、低拡散型曲線を有するピラーLCチップの方が小さな値を示していた。また、移動相の流速が最適条件よりも大きな場合、低拡散型曲線を有するLCチップは粒子充填型カラムと比べて高い分離性能を維持していた。さらに、このLCチップを用いて蛍光誘導体化した7種類のアミノ酸を150秒で分離することに成功した。

第6章では、本研究の総括が述べられている。

以上のように、学位申請者はNBD-Fを蛍光誘導体化試薬として用いたHPLCー蛍光検出法によるセレノメチオニン(Se-Met)の定量法を確立した。また、ピラー構造を用いた、LCを作製し、従来の粒子充填型カラムによるLCよりも優れた分離性能を有することを実験的に示した。さらに、低拡散型曲線構造を適用することにより、長さあたりの分離性能に優れているのみならず、十分な長さの分離流路が作製可能であることも明らかにした。このLCチップは、マイクロ化学チップの限定された領域において高い分離性能が得られるという点においてインパクトがある。今後、イオン交換クロマトグラフィーによる一次分離流路や誘導体化反応用流路などもLCチップ内に作製された形となり、生体成分の分離分析を行うために必要な操作の全てが行えるチップとして応用されることが期待される。学位申請者の開発した技術は生体微小成分の高感度定量を実現するものであり、分析化学、医学、薬学研究に大きく貢献すると期待される。よって、本研究を行った青山千顕は博士(薬学)の学位をうけるにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク