学位論文要旨



No 124990
著者(漢字) 猪野又,葵
著者(英字)
著者(カナ) イノマタ,アオイ
標題(和) 固体ポリロタキサンの構造とダイナミクス
標題(洋)
報告番号 124990
報告番号 甲24990
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第408号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 教授 大谷,義近
 東京大学 准教授 横山,英明
 東京大学 准教授 野口,博司
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、ポリロタキサン構造を有する環動高分子材料について、その固体状態での基礎物性を評価し、固体材料としての応用につながる知見を得ることを目的とした。

ポリロタキサン(polyrotaxane, PR)は、複数の環状分子が線状高分子を包接し、その線状分子の両末端が嵩高い置換基でキャッピングされた構造を持つ、超分子の一種である。ポリロタキサンの中でも特に、グルコース6単位からなる環状オリゴ糖alpha-シクロデキストリン (alpha-cyclodextrin,alpha-CD) と線状高分子ポリエチレングリコール(polyethylene glycol, PEG) からなるものは、その合成の容易性や生体親和性などが注目されており研究例が多い。最近では、PRのalpha-CDに化学修飾を施した多様なPR誘導体が合成されており、溶媒への溶解性などが化学修飾により大きく変化することが見出されている。また、ポリロタキサンの幾何学的特徴などを利用したマテリアルへの応用も盛んに行われている。溶液系や溶媒を含むゲルを対象とした、これまでの代表的な研究例に加え、最近ではキャストフィルムや繊維など、溶媒を含まない固体系にも注目が集まり、その幾何学的な特徴を生かした特異な力学特性などが期待されている。その一方で、溶液中におけるポリロタキサンの構造やダイナミクスについての研究がこれまでにも多くなされてきたのに対し、固体状態での研究は例がない。本研究では、様々な種類のポリロタキサンについて、固体状態での構造及びダイナミクスを初めて明らかにした。

本研究ではまず、alpha-CD 及びPEG からなるPR と、その数種類の誘導体について、固体状態での基本的な物性、すなわち構造及び熱物性・ダイナミクスを研究し、比較・検討を行った。実験には未修飾PR、ヒドロキシプロピル化PR (HyPR)、メチル化PR (MePR)、アセチル化PR (AcPR)、及びアセチル化HyPR (AcHyPR) の計5 種類の試料を用いた。

X 線構造解析の結果、PR では、CD が水素結合によりパッキングし主鎖に沿って並ぶことで、結晶性の筒型構造を形成することが分かった。PR 誘導体では、CD のパッキングによる結晶性が、PR と比較して大きく低下したが、置換基の種類や密度により、パッキングの程度に差異が見られた。一例として、サイズの小さいメチル基がCD 上に対称に付加した MePR は比較的結晶性が高いのに対し、ある程度のサイズを持つヒドロキシプロピル基によって、全水酸基の1/3 程度が置換されたHyPR は、非晶性であるという違いが見出された。HyPR では、化学修飾により水酸基が減少することで、CD 間の相互作用が弱まり、かつ置換基が立体障害となってCD の密な配置が困難になっていると考えられる。また、PEG 単独の場合の結晶構造に由来する散乱は、PR 及びPR誘導体のいずれの試料においても見られなかった。CD に包接されていない部分のPEG はアモルファス状態をとっていると考えられる。CD の筒型構造の結晶性の程度は、PR 及びPR 誘導体の熱物性に大きく影響しているということも明らかとなった。結晶性の高いPR は熱的転移を示さず、CD の分解温度以下の温度ではCD のパッキングによる結晶状態が保たれていることがDSC測定から見出された。一方で、PR 誘導体は高い割合で非晶部分を有しており、そのガラス転移様の挙動が、全ての誘導体試料に共通して50 ℃付近に観測された。

また、粘弾性測定及び誘電緩和測定を用いて、広い周波数域・温度域におけるPR及びPR誘導体のダイナミクスを評価することに成功した。 粘弾性測定は高温域・低周波域のダイナミクス測定に特に適しており、高分子の主分散など運動サイズの大きいモードの観測に有用である。誘電緩和測定は、電気双極子モーメントの配向が関与した分子運動を観測するものであり、広帯域の測定が可能である。また、多数の、あるいは強い電気双極子モーメントが関与したモードであれば、低温域・高周波域の運動サイズの小さいモードも敏感に観測される。CDが分子の回転対称軸方向に強い電気双極子を持つという点からも、PR及び誘導体の誘電特性は興味深い。

粘弾性測定では、PR及び比較的結晶性の高いPR誘導体は、有意な力学緩和を示さなかった。一方で非晶性の試料においては、通常の高分子の主分散に相当するような緩和挙動が見られた。これは数個のPEGセグメントと複数個のCDの協同的なミクロブラウン運動であると考えられる。このモードは、PEG単独の場合の非晶部のミクロブラウン運動と比較して、著しく高温域に発現した。このことから、PR誘導体内では、CDによる幾何学的拘束のために、PEGのミクロブラウン運動の時間スケール・温度スケールが著しく変化するということが明らかとなった。また、このモードはDSCで観測されたガラス転移と関係していると考えられるが、PR誘導体の中でも結晶性の高いものにおいては、分子運動が若干抑制され、この転移が力学緩和として発現しなかったものと考えられる。以上の結果から、固体状態のPR及びPR誘導体内のCD間相互作用が、置換基の種類や密度に応じて異なっており、それに応じてPR及びPR誘導体の構造及び分子運動が大きく変化するということが明らかとなった。

誘電緩和測定においては、置換基の種類や数に関わらず共通して、力学緩和と比較して低温域で1つの緩和のモードが観測された。PEG単独の場合にも同様の温度域で1つのモードが観測され、これはPEGセグメント内の局所的な回転・屈曲運動による局所モード緩和であると考えられる。PR及びPR誘導体においても同様の局所運動が起きているものと考えられるが、PR及びPR誘導体で観測された緩和強度は、PEGの場合と比較すると著しく高いものであった。したがって、PR及びPR誘導体における緩和は、PEGの局所運動にCDが追随し、緩和強度が増大したものであると考えられる。以上のように、CDの存在がPR及びPR誘導体の誘電特性に大きく寄与していることが見出された。

本研究ではさらに、ポリロタキサン (PR) への置換基導入によるPR誘導体の構築という概念を拡張し、液晶性置換基を付加することで、PR誘導体の性質と高分子液晶の性質を併せ持った液晶性PRを作製し、その構造と熱的挙動及びダイナミクスの評価を行った。

液晶分子として、研究例の非常に多いシアノビフェニル (cyanobiphenyl, CB) を用いた。CD上の水酸基との酸クロライド反応により、CB側鎖のPRへの導入を試み、新規液晶性PR (CB5PR) の合成に成功した。CB5PRは、CBの光学的異方性とその配向に由来する複屈折を示した。また、温度により配向構造が変化することによる液晶相-等方相転移を120~130 ℃の温度域において示した。すなわち、一般的な側鎖型高分子液晶と同様の挙動を示した。X線散乱の結果から、液晶相の種類はネマチック相であると考えられる。また、CB5PRはHyPRなどのPR誘導体と同様の温度域でガラス転移様の挙動も示した。

CB5PRの粘弾性測定では、PR誘導体と共通の運動モードが見られた。すなわち、CB5PRの主鎖を構成する PEGとCDの協同的な運動による力学緩和が観測された。緩和挙動の温度依存性は、他のPR誘導体の力学緩和や、通常の高分子の主分散とはわずかに異なっていた。CB5PRの粘弾性には、CD及びPEGからなる主鎖のみでなく、液晶の粘弾性も影響する。また、配向する液晶分子の存在のために、主鎖の運動サイズに若干の制限が加わり、自由体積モデルが十分に成立していないものと考えられる。

CB5PRの誘電緩和測定においては、PR及びPR誘導体で見られる PEGとCDの局所モード緩和に加え、もう1つのモードが高温域で観測された。このモードでは、温度の上昇に伴い、緩和時間シフトの減少及び緩和強度の増加が見られた。特に、液晶相から等方相への転移を境に、アレニウス式の活性化エネルギーが著しく減少した。こうした挙動は従来の高分子液晶でも見られるものであり、このモードは側鎖の回転・配向に由来すると考察される。

以上のように、本研究で合成した液晶性PRは、PR誘導体としての性質に加え、高分子液晶としての性質を有する物質であるということが明らかとなった。液晶部分とCDの間にスペーサー分子が存在することで、液晶分子間相互作用とCD間相互作用はある程度の独立性を保ち、各分子は高い運動性を持つことが可能である。

本研究ではまた、PRの環状分子間を線状高分子PPGにより架橋した2種類のマクロ架橋エラストマーについて、その力学特性と構造の関係を調べた。

アセチル化PR誘導体を用いたエラストマーでは、PPGとの間に相分離構造が形成された。各ドメインが異なるガラス転移点を持ち、ガラス状態のドメインが応力を支えることで、応力-伸長曲線に大きな履歴が生じた。また、この試料は10倍以上の高い延伸率を示し、変形状態から力を取り除くと長時間を経て系のサイズや相分離構造が元に戻ることが明らかとなった。これはガラス状態のPR誘導体中における、CDのスライディングを示唆する結果である。

ポリカプロラクトン (PCL) 化PR誘導体を用いた系では、系全体の相溶性が高く、PR誘導体のガラス転移温度が大きく低下した。相分離構造は観測されず、応力-伸長曲線が履歴を持たないことから、室温でほぼ均一なゴム状態をとっていることが明らかとなった。

以上のように本研究では、PR 及びその誘導体が、溶液中においてのみでなく固体状態においても、分子設計に応じて異なる物性を示すことが見出された。PR の物性は、環状分子間の相互作用に大きく影響を受けており、軸高分子単独の場合とは大きく異なる高次構造や熱物性を示すことが明らかとなった。また、軸高分子のダイナミクスは環状分子により大きく抑制され、単独の場合と比較して大きく高温域・長時間域へ変化することが見出された。さらに、PR 誘導体の分子設計の概念を、高分子液晶や、架橋系に拡張することに成功した。

本研究を契機として、固体高分子及びポリロタキサン・環動高分子材料の基礎、応用両面における研究がさらに発展することを期待する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、ポリロタキサン構造を有する環動高分子材料について、固体材料としての応用につながる知見を得ることを目的とした、固体状態での基礎物性の評価について報告されている。

本論文は5章から構成され、各章の概要は以下の通りである。

第1章ではまず、本研究で取り扱う環状オリゴ糖alpha-シクロデキストリン(alpha-cyclodextrin,alpha-CD)と線状高分子ポリエチレングリコール(polyethylene glycol,PEG)からなるポリロタキサン(PR)について、基礎的な事項や先行研究を紹介している。続いて固体高分子の熱的性質及びダイナミクスについて解説し、本研究で粘弾性測定と誘電緩和測定を併用した意義について説明している。

第2章では、alpha-CD及びPEGからなるPRと、その数種類の誘導体について、固体状態での基本的な物性、すなわち構造及び熱物性・ダイナミクスを研究し、比較・検討を行っている。はじめに、未修飾PR及び4種類の誘導体の計5種類の試料について紹介されている。X線構造解析の結果、未修飾PRでは、CDが水素結合によりパッキングし主鎖に沿って並び、結晶性の筒型構造が形成されるのに対し、各種PR誘導体では著しく結晶性が低下するということが明らかとなった。また、CD筒型構造の結晶化度が、PR及びPR誘導体の熱物性に大きく影響しているということを熱測定の結果から説明している。すなわち、結晶性の高いPRは熱的転移を示さないのに対し、PR誘導体は高い割合で非晶部分を有しており、そのガラス転移様の挙動が、いずれの誘導体試料においても30~50℃の温度域に観測されるという結果を示している。また、粘弾性測定により未修飾PR及び各PR誘導体の高温域・低周波域のダイナミクスについて検討している。その結果、非晶性でCD間の相関が弱い試料においては緩和挙動が見られ、CDの密度が異なる試料同士を比較すると、密度の高い系で緩和が高温域に観測されることが明らかとなった。筆者は、このモードの温度依存性が通常の高分子の主分散に類似したものであることを見出し、本モードは数個のPEGセグメントと複数個のCDの協同的なミクロブラウン運動であると結論している。さらに、誘電緩和測定によって低温域・高周波域の未修飾PR及び各PR誘導体のダイナミクスについて検討し、未修飾PR及び各PR誘導体の全ての試料に共通して1つの緩和モードが存在することを示した。同様の緩和モードはPEG単独の場合にも観測され、PEGセグメント内の局所的な回転・屈曲運動による局所モード緩和であると説明されている。以上の実験結果から筆者は、PR及びPR誘導体における緩和は、PEGの局所運動にCDが追随し、緩和強度が増大したものであると結論している。

第3章では、ポリロタキサン(PR)への置換基導入によるPR誘導体の構築という概念を拡張し、液晶性置換基を付加することで、PR誘導体の性質と高分子液晶の性質を併せ持った液晶性PRを作製し、その構造と熱的挙動及びダイナミクスの評価を行っている。はじめに液晶及び高分子液晶の基礎的な概念について述べられている。続いて、酸クロライド反応によるPRへのシアノビフェニル(cyanobiphenyl,CB)側鎖の導入法について説明され、生成物の分子量や、液晶の導入率についての分析結果が示されている。偏光顕微鏡観察・熱測定・X線構造解析から、液晶性PRがCBの光学的異方性とその配向に由来する複屈折性を持ち、120-130℃の温度域で配向がランダムな状態に変化する液晶相-等方相転移を示すことが示されている。液晶性PRのダイナミクス測定からは、第2章のPR誘導体と共通の力学緩和及び低温域の局所モード緩和に加え、高温域での誘電緩和モードが存在することが明らかとなった。筆者は、本モードの活性化エネルギーが液晶相-等方相転移を境に著しく減少することから、本モードを側鎖の回転・配向に由来すると結論している。

第4章では、PRの環状分子間を線状高分子PPGにより架橋した2種類のマクロ架橋エラストマーについて、その力学特性と構造の関係を検討している。アセチル化PR誘導体を用いたエラストマーでは、PPGとの間に相分離構造が形成され、室温でガラス状態のPRドメインが系の応力を支えていることを、X線構造解析及び一軸伸長試験の結果から見出している。また、この試料は10倍以上の高い延伸率を示し、変形状態から力を取り除くと長時間を経て系のサイズや相分離構造が元に戻ることが明らかとなった。この結果から筆者は、ガラス状態のPR誘導体中における、CDのスライディングの可能性に言及している。一方で、ポリカプロラクトン化PR誘導体を用いた系では、系全体の相溶性が高く、PR誘導体のガラス転移温度が大きく低下することが見出された。相分離構造は観測されず、ゴム状ポリマーに典型的な力学特性を示すことから、室温でほぼ均一なゴム状態をとっていると説明されている。

第5章では、本論文全体の結論が示されており、本研究を通して明らかとなった、固体PRの基礎物性についての総括と、固体材料としてのPRの応用への展望が述べられている。

以上のように本論文で著者は、alpha-CD及びPEGからなるポリロタキサンの固体状態での基礎物性を解明し、また、PRの誘導体化や環状分子の架橋により結晶・ガラス・ゴム・液晶など様々な固体状態が形成されることを明らかにした。これら一連の研究成果は、固体高分子及びポリロタキサン・環動高分子材料の基礎、応用両面における研究に大きな進展をもたらすことが予想される。

本論文の内容において.第2章は宇野万里恵、片岡利介、酒井康博、篠原佑也、横山英明、雨宮慶幸、伊藤耕三との共同研究、第2章は犬東学、斎藤豪、石橋整、木戸脇匡俊、酒井康博、篠原佑也、横山英明、雨宮慶幸、伊藤耕三との共同研究、第4章は伊藤美智子、ルスリム・クリスティアン、酒井康博、篠原佑也、横山英明、雨宮慶幸、伊藤耕三との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験を行い解析したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって、本論文は博士(科学)の学位論文として合格と認められる。

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