学位論文要旨



No 124991
著者(漢字) 大坂,昇
著者(英字)
著者(カナ) オオサカ,ノボル
標題(和) 疎水性相互作用に着目した高分子水溶液系の圧力及び温度誘起相分離の研究
標題(洋) Study on Pressure- or Temperature-induced Phase Separation of Polymer Aqueous Systems Focusing on Hydrophobic Interaction
報告番号 124991
報告番号 甲24991
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第409号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 和田,仁
 東京大学 准教授 野口,博司
内容要旨 要旨を表示する

1.本研究の背景

水溶性高分子は水分子と水素結合を形成することでエネルギー的に安定な状態を作り出し、水中で安定した分散状態をとることができる。しかし、高分子水溶液に熱を加えると水分子の運動が活発化し、高分子に水素結合していた水分子の脱離が起きる。この時、高分子はエネルギー的に不安定な状態となる。そのため、溶液中で相分離が起こり高分子同士の凝集が起きる。この時に高分子同士に働く凝集力のことを一般に疎水性相互作用と呼ぶ。疎水性相互作用はDNA の折りたたみ、タンパク質の変性、ソフトマターの自己組織化、物質の溶解現象など幅広い科学分野で重要な働きをする相互作用の1つである。そのため、様々な系でこの疎水性相互作用の働きを理解することは自然現象の理解や科学技術の発展に極めて重要である。

そこで本研究は以下に記す(i)、(ii)の2つ点に注目して疎水性相互作用の理解を試みた。(i) 疎水性相互作用により凝集する高分子系の加圧による構造変化、(ii)高分子との親和性が高い粒子が疎水性相互作用による凝集と競合する、多体系での相分離。圧力は物質の構造変化へ直接働きかけるために高分子と水分子との水素結合に多大な影響を与える。そのため、疎水性相互作用への影響も非常に大きいと期待できる。本研究ではブロックコポリマー水溶液、タンパク質水溶液、2種の異なる溶媒中での高分子、の3つの系を対象に圧力を用いた研究を行っている。 (ii)では高分子系にナノ粒子を分散させた系を用いる。高分子とナノ粒子の複合系は高分子単独で用いられてきた従来の材料物質と比べ耐久性や延伸性が向上するため、新規材料創成に期待が持たれる分野である。但し、高分子とナノ粒子が競合した系の相分離に関する研究は例が少ない。ナノ粒子と高分子の相関が強く働く系では相分離時においても高分子は単独で凝集することができず、疎水性相互作用とナノ粒子との親和性が競合した相分離状態が出現することが期待できる。

3.研究内容

(i)圧力誘起による相分離

( 1 ) ブロックコポリマー水溶液への圧力効果

ブロックコポリマーとは異なる二つの高分子をつなげ合わせて一つの高分子としたものである。そのため、一方の高分子が相分離を引き起こしても、他方の高分子は安定して存在することができる。この時、高分子は高分子ミセルを形成し、析出等を引き起こすことはない。このブロックコポリマーの性質を利用することで従来と比べてより広い圧力、温度範囲で高分子の構造変化を調べることができる。本研究では上記の目的に加え、高分子濃度を希薄系から濃厚系へと変えて測定を行っており、圧力効果によるミセル間の相互作用の変化も調べている。サンプルはpEOEOVE-b-pMOVE (poly(2-(2-ethoxy)ethoxyethyl vinylether)-block-poly(2-methoxethyl vinyl ether))(MN=5.7×104kg/mol, MW/MN=1.20)をD2O 中に溶解させて用いた。濃度はそれぞれ15wt%と1wt%とし、濃厚系と希薄系のそれぞれを用いている。

ここでは、濃厚系の記述のみを示す。SANS を用いて加圧によるブロックコポリマーの構造の変化を調べた。相分離温度より高い温度(45℃)で加圧を行った結果をFig. 1 に示す。大気圧下では散乱曲線にピークが観測されており、シミュレーションの結果より高分子ミセルがBCC 構造を形成していること理解される。この状態から加圧を行なうと、強度が著しく減少し、100MPa ではピークの消滅が見られた。さらに加圧を行なうと250MPa において強度の上昇と再度ピークの出現が観測された。この現象はさらに高圧での300MPa でより顕著に理解される。しかし、高圧下で再帰的に出現したピークは大気圧下で得られたピークと比べて幅広くなっている。この結果は、高圧下ではミセル形成が低圧下と比べて抑制されているためと考えられる。つまり、ミセル形成に働く疎水性相互作用が高圧下では減少していると考えられる。

( 2 )タンパク質(b-Lactoglobulin)水溶液への圧力効果

我々は(1)において圧力による高分子水溶液の相挙動を明らかにしてきた。特に、高次構造形成に働く疎水性相互作用の働きが高圧下で弱められることを明らかにした。そこで本研究においては、これまでの高分子水溶液を用いて得られた圧力効果の知見、特に疎水性相互作用の加圧による変化がタンパク質(b-Lactoglobulin、以下bLG)においても同様に理解できるか、という点に注目して研究を行っている。また、本研究で扱うbLG はある濃度以上で変性するとタンパク質同士が凝集しゲル化することが知られている。そこで温度誘起、圧力誘起のそれぞれのゲル化の違いにも注目して研究を行った。

bLG はシグマ社製(lot no. 114H7055)のものを使用した。分子量は18,400 g/mol であり、D2O に溶解させて用いている。濃度は12wt%で調整した後、0.1mm のフィルターに通している。pH は約7.0 である。温度ジャンプ(20→70℃)、圧力ジャンプ(0.1→300 MPa)実験の両方をDLS、SANS のそれぞれを用いて測定した。

Fig. 2 にDLS で得られた温度ジャンプ、圧力ジャンプそれぞれの散乱強度変化の結果を示す。温度(T)誘起と比べて圧力(P)誘起のゲル化は変化が遅く、散乱強度の上昇が緩やかであることが分かる。また、ゲル化時間tg は強度の揺らぎが大きくなる(非エルゴード性の発現による)ことから決定できるが、圧力誘起のゲル化の方がtg が遅くなっていることが分かる。この結果は、今回の測定条件においてbLG の凝集に働く疎水性相互作用が加熱の場合より加圧の場合の方が弱いことを示唆している。

( 3 ) 2種の異なる溶媒中での高分子への圧力効果

これまでに高分子水溶液に圧力を加えると下限臨界共用温度(以下、LCST)は低圧下では上昇するが、高圧下では減少することが明らかにされた。この時には上の凸の形を持った相図が得られている。一方、溶媒として水ではなく有機溶媒を用いた系を加圧すると、低圧下で上限臨界共用温度(以下、UCST)が減少するが、高圧下では上昇することが明らかになった。この時には下に凸の形を持った相図が得られている。以上のように加圧による相分離点の変化は大気圧下における系の相挙動(LCST or UCST)を明確に反映していると考えられる。しかし、大気圧下での相挙動の違いに注目した圧力研究は例がない。poly(N-isopropylacrylamide)(以下、PNIPA)は水溶液中において約33℃ でLCST を示す。また、PNIPA は溶媒にDMSO などの有機溶媒を加えていくと大気圧下での相挙動がLCST からUCSTに変わることが知られている。そこで、本研究は高分子としてPNIPA を用い、PNIPA 水溶液が示す共貧溶媒性を利用してLCST、及びUCST と系の相挙動を変えることで、大気圧下での相挙動の違いが圧力効果へ与えるの違いを統一的に理解することを試みる。さらに、DSC を用いてそれらの熱力学的起源を探っている。

DMSO のモル分率 (x(DMSO))が低い領域(x(DMSO) <0.1)ではLCST を示すが、x(DMSO) が高い領域(x(DMSO)>0.65)ではUCST を示すことを透過率計をパワーメータを用いて確かめた(図略)。Fig. 3 にx(DMSO) =0.0, 0.0197, 0.0421, 0.0679, 0.098(以上,LCST), 0.325(UCST)を加圧した結果を示す。LCST を加圧すると相分離温度は低圧下では上昇するが、高圧下では減少することが明らかにになった。一方、UCST は低圧下では相分離温度が減少するが、高圧下では上昇した。以上のように、共貧溶媒性を利用することで単一の高分子から相挙動の異なる2つの相図を加圧下で得ることができた。これにより、大気圧下での相挙動の違いが加圧による相分離温度の違いに影響を与えることを明らかにした。

(ii)高分子とナノ粒子の競合した相分離

ナノコンポジット型ゲル(NC ゲル)はナノオーダーの超微粒子(1-100nm 程度)を架橋剤として得られるゲルである。有機物を架橋点とした従来の高分子ゲルと比べ、優れた力学特性、耐熱性、透明性を有する。その中でもマトリクスとして刺激応答性高分子poly(N-isopropylacrylamide)(PNIPA)水溶液、分散相として粘土鉱物(クレイ)を用いたナノコンポジット型ゲルはゲルとしての柔らかさを保持したまま優れた透明性や強靭な力学特性を持つことから非常に注目を集めている。一方、PNIPA は下限臨界相溶温度(LCST)を持っているが、LCST 以上でNC ゲルの構造を研究した例は報告されていない。相分離時に各組成間での凝集性の競合が起きることが期待され、従来にない新規な高次構造の形成が期待される。

Fig.4 はSANS で測定したNC ゲルの温度依存性てある。(a)、(b)、(c)はそれぞれ重水分率が100、66、21.6%の時のNC15 の散乱曲線を示している。(a)を見ると、温度上昇によりLCST(約33 ℃)よりも高い温度では散乱曲線中にピークの出現が観測される。このピーク位置は凡そ0.015A-1 であり、ゲル中にナノオーダーの凝集構造(ミクロ相分離)が出現したことを意味している。(b)は重水分率66%のNC ゲルの散乱曲線である。この時、PNIPA のみから散乱が観測されている。昇温により散乱曲線中にピークが出現する。またhigh q 側では散乱関数がべき数4 で落ちこんでいるから、ゲル中に出現した相分離構造はシャープな界面を持っていることが分かる。(c)は重水分率が21.6%時の散乱曲線であり、クレイのみからの散乱を観測している。しかし、散乱曲線に温度依存性は現れていない。このため、ゲル中でのクレイの構造に変化はないと考えられる。以上より、NC ゲル中で出現するミクロ相分離はPNIPA のみに由来していることが分かった。

4.総括

本論文は(i) 疎水性相互作用により凝集する高分子系の加圧による構造変化、(ii)系に内在するナノ粒子と疎水性相互作用の競合、の2つのテーマからなっている。圧力効果の研究ではブロックコポリマーを用いた構造解析から疎水性相互作用の働きが高圧になるほど抑えられることが分かった。この理解はタンパク質のゲル化を用いた系にも適用可能であることが理解された。また、溶媒に有機溶媒を加えていく系では加圧による相分離温度の変化を大気圧下での相状態から理解できることを明らかにした。最後に、高分子と親和性の高いナノ粒子が内在する系ではCV 法を用いて詳細な構造解析を行った。そこでは高分子の凝集が各組成間の競合を受けて、従来にない新規な高次構造が出現することが示された。以上より、本研究では多様な系における疎水性相互作用の役割を理解することできた。

Fig. 1: ブロックコポリマー濃厚系の各圧力下でのSANS 結果。

Fig. 2: 温度ジャンプ、圧力ジャンプによる散乱強度(θ=90°)の経時変化。

Fig. 3: 溶媒中のDMSO 分率を変えた時の圧力-温度相図。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「Study on Pressure-or Temperature-induced Phase Separation of Polymer Aqueous Systems Focusing on Hydrophobic Interaction(疎水性相互作用に着目した高分子水溶液系の圧力及び温度誘起相分離の研究)」と題し6章より成る。疎水性相互作用は高分子水溶液の相挙動やタンパク質の折りたたみ等の広い分野において、凝集性を示す現象に支配的に働くことが知られている。大気圧下での疎水性相互作用については膨大な研究報告があるが、加圧下の系は圧力実験の困難さのために研究例が非常に限られている。本論文では近年開発されたin-situ中性子小角散乱(SANS)装置を用いて、高分子の相挙動の観点から疎水性相互作用の圧力依存性について一連の実験を行い、その結果について詳しく考察している。

第1章では,本研究の背景と目的、および論文の構成を示している。

第2章では、本論文で用いた種々の実験装置の概要、及び理論的基盤について述べている。

第3章では、ブロックコポリマー準濃厚系水溶液を用いた。動的光散乱法を用いて加圧下での相図を決定し、低圧では下限臨界相溶温度(LCST)が上昇するが、高圧ではLCSTが下がるという、非常に興味深い挙動を発見した。次に、LCSTより十分に低温で加圧下でのSANSを行い、密度揺らぎの相関長の臨界現象を観測した。一方、LCSTより高温でミセルがBCC格子を形成すること、この状態から加圧を行うと、再帰的な相分離が起きることを発見した。この低圧下と高圧下での散乱曲線の比較から、疎水性相互作用の働きが加圧下で低下すると結論づけている。

第4章では、前章で扱ったブロックコポリマー水溶液を希薄系へと拡張した。希薄系ではミセル間干渉効果が無視でき、詳細な構造解析が可能である。SANSの結果を球状ミセルモデルを用いてフィッティングし、ミセルのコアサイズやコア内部での含水率が圧力によって再帰的に変化することを確認した。これらの結果は濃厚系で得られた結果と一致しており、加圧による一連の構造変化について信頼性の高い結果を得ている。

第5章では、3、4章で扱った合成高分子から、より複雑な組成や構造を持つタンパク質の研究へと拡張している。β-ラクトグロブリン(bLG)水溶液を用いた。この系は濃度が十分に高いと相分離に伴いゲル化を示す。そこで、温度、圧力ジャンプ実験を用いて、それぞれのゲル化過程を動的光散乱で調べた。圧力ジャンプによるゲル化は温度ジャンプによるゲル化と比べて緩慢な変化であった。この結果も加圧により疎水性相互作用が低下することを示しており、ブロックコポリマーを用いて得られた疎水性相互作用の圧力依存性の理解が、タンパク質においても普遍的に成り立つことを意味し、学問的にも意義深い。

第6章では、高分子水溶液の系にdimethyl sulfbxide(DMSO)分子を加えたときの加圧下での相変化を調べている。DMSO添加により高分子の水和状態が影響を受け、DMSO増加量に依存して、加圧下での相分離線の頂点が高圧、高温側へシフトすることを見いだしている。また、この変化の起源が大気圧下での水分子とDMSO分子のモル体積の違いにあることを明らかにした。一方、高DMSO分率では、大気圧下の相変化がLCSTから上限臨界相溶温度(UCST)へと変化する性質を利用してUCST状態で加圧を行い、LCST状態とは逆の下に凸の相分離線を見いだした。これらの結果より、添加物効果による圧力効果の多様性について検討した。

以上、ブロック共重合体の圧力、温度誘起相分離現象を通じて疎水性相互作用に及ぼす圧力効果について構造研究の観点から研究を展開し、疎水性相互作用に及ぼす圧力効果に再起性があること、及び、高圧では疎水性相互作用の選択性が低下することを見いだした。次に、対象を天然高分子へと拡張し、この結論が天然高分子にも適用できる普遍性の高いものであることを確認した。さらに、水とDMSOの混合溶媒系において圧力誘起相挙動の研究を行い、より普遍性の高い結論を導き出した。これらは十分に博士(科学)の学位にふさわしい研究と認めることができる。

なお、本論文第3~6章は、下記の方々との共同研究であるが、すべて論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。(敬称、所属略)

第3章:岡部哲士、狩野武志、平原裕実、青島貞人、柴山充弘

第4章:宮崎将、岡部哲士、遠藤仁、笹井彩、瀬野賢一、青島貞人、柴山充弘

第5章:高田慎一、鈴木拓也、遠藤仁、柴山充弘

第6章:柴山充弘

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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