学位論文要旨



No 124996
著者(漢字) 兵藤,宏
著者(英字)
著者(カナ) ヒョウドウ,ヒロシ
標題(和) 金属ドープボロン正20面体クラスター固体の構造と物性に関する研究
標題(洋)
報告番号 124996
報告番号 甲24996
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第414号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 木,英典
 東京大学 准教授 山本,剛久
 東京大学 准教授 高木,紀明
 東京大学 准教授 中,知
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

単体のボロン結晶は、B(12)正20面体クラスターを構造の基本とする結晶構造をとり、それらはボロン正20面体クラスター固体(B-ICS)と呼ばれている。これはボロンが3価であり、通常の共有結合では電子が不足しているため、より効率の良い特異な結合を必要とすることに由来している。また、B-ICSの持つ多数の侵入型サイトに数at. %の他元素ドープが可能であるが、ドーピングによるB-ICSの電気伝導制御は難しく、良く理解されていない。本研究の目的は、特異な結合と構造を有するB-ICSであるβ菱面体晶ボロン(β-B)とα正方晶構造を有するボロンナノベルト(BNB) [1]に、リジッドバンド的な電子ドープが期待できるLi, Mgドープを行うことで、電気伝導制御の可能性を検討し、電子構造とドーピング特性を明らかにすることである。

β-Bの構造を図1(a)に示す。B(12)クラスターとB(28)クラスターを構造単位とし、理想的には(B(12))4(B(28))2B、つまりB(105)の組成で表されるが、実際には部分占有のサイトと侵入型のBが存在し、単位胞内に106.6個のBが存在する。また、バンドギャップ内に内因性アクセプター準位(IAL)と呼ばれる局在準位が存在しており、過去に行われた電子8個までのLi, Mgドープでは、フェルミ準位がIALを埋めるにとどまり電気伝導制御はできなかった[2,3]。IALを全て埋め、さらに電子ドープを行った場合に電気伝導制御が可能であるかどうかは分かっていない。図1(b)にα正方晶ボロン(α-t-B)の構造を示す。4個のB(12)クラスターを持ち、理想的にはB(48)B2の組成で表されるが、バルク体では侵入型のBとC,N置換(2bサイト)がなければ安定に存在できない(B(48)C2B2,B(48)N2B2)。一方、BNBは欠陥を持たないB(48)B2である可能性があり、その構造を求めることは興味深い。また金属ドープによりα-t-Bの電気伝導性がどのように変化するかは全く知られていない。

2.実験方法

β-B粉末とMgをBN坩堝に入れて石英管に真空封入し、熱処理を行うことでMgドープを行った。Liドープでは、石英管の替わりにステンレス管への封入を行った。一部の試料では電気伝導率を測定するために、焼結体の作製を行った。作製した試料は粉末XRD、Rietveld解析を用いて格子定数、Mgドープ量を求め、電気伝導率、磁化率の測定を行った。また、原子吸光分析法を用いてLiドープ濃度を求めた。

BNBはパルスレーザーアブレーション法により作製した。Li,Mgドープは石英管およびステンレス管に封入し、熱処理することで行った。SPring-8のビームラインBLO2B2でXRDパターンを取得し、Rietveld解析を用いて格子定数、BNBの構造を求めた。電子線描画装置を用いて微細電極加工を行い、ナノベルト一本の電流-電圧特性を測定した。

3.結果と考察

Mgドープβ-Bでは、1000℃以下で熱処理することでSiの混入を防ぎ、単位胞あたり8.6個までの高濃度のMgドープに成功した。図2に電子ドープ数とMg,Bが部分的に占有するサイトの占有率の関係を示す。MgによるFサイトの占有により、骨格構造を形成するB4サイトのBが脱離していた。図3にLiドープβ-Bの単位胞あたりのLi濃度と格子容積の関係を示す。格子容積はLi濃度に対して線形に増加しており、原子吸光分析で観測されたLiは不純物の生成なしに、全てβ-Bにドープされていることがわかった。単位胞あたり17.8個までの高濃度のLiドープに成功した。これは、β-Bへの過去最高の金属ドープ量である。ステンレス管へ封入し、石英管とLiとの反応を防ぐことで高濃度のLiドープが実現できた。

高濃度のLi,Mgドープβ-Bの電気伝導率の温度依存性を図4に示す。ドープ前のβ-B同様、可変領域ホッピング伝導(VRH伝導)を示しており、IALを越える8個以上の電子ドープを達成した試料でさえフェルミ準位は局在準位内にあり、電気伝導制御ができないことが分かった。図5にLi,Mgドープβ-Bの電子ドープ数と図4の傾きから求めたフェルミ準位付近での状態密度(N(EF))の関係を過去の結果と併せて示す。Mgドープでは、IALを占有した電子ドープ数8個以上の領域でN(EF)は増減の振る舞いを示していたが、これはIALの上にもう一つの局在準位が存在していることを示唆している。図2 (c)に示すように、8個以上の電子ドープによりB4サイトに欠陥が生じていたが、これはフェルミ準位がIALを埋め、局在準位を占有し始めた電子ドープ数と一致している。従って、この局在準位はB4サイトの欠陥準位である可能性が高い。LiドープでもB4サイトに欠陥ができていることから、やはりB4サイトの欠陥準位内にフェルミ準位が存在している可能性が高い。MgドープとのN(EF)の違いは、Liが未知のサイトを占有しており、B4サイト以外にも欠陥が生じているからだと考えられる。

Mgドープでは、電子ドープ数8個の時点で、D,Hサイトがまだ占有可能なのにもかかわらず、B4サイトに欠陥を作ってまでFサイトを占有していた。これより、β-Bは電子ドープにより金属化するよりも、欠陥を導入し半導体のままでいるほうが安定である、つまり構造を変化させずに電子状態を変化させるよりも、電子状態をほとんど変化させずに構造のうち最も不安定であるサイトを変化させたほうが安定であるのだと考えられる。この結果はドープの効果が母体元素の欠陥の消滅や生成により打ち消される自己補償が起こっていると解釈することができる。また、放射光を用いた精密構造解析の結果から、電子ドープにより侵入型のBであるB16サイトの脱離が観測されているが、これも自己補償であると考えられる。バンド計算から示されているようにIALの電子収容数は2個程度に過ぎないが、B16サイトの脱離が電子ドープを補償したため、電子8個まで収容できるように見えたのだと考えられる。ドープ前のβ-Bでも、B(12)クラスターの電子不足とB(28)クラスターの電子過剰が欠陥により補償されている。

β-Bは単体の結晶半導体で自己補償が生じる初めての例である。β-Bは複雑構造固体であり、Bのサイトが20種類も存在するため、不安定なサイトが存在し、ドーピングに対して自己補償が生じているのだと考えられる。

表1,2にそれぞれBNBのBの占有率、格子定数を示す。バルク体同様、侵入型サイトである2a,8i,8hサイトにBが存在していた。バルク体と原子配置はほぼ同じであるため、格子定数の違いはCの有無に由来すると考えられる。これより、BNBの構造は理想的なB(48)B2ではなく、欠陥を有するB(48)B2B2であることが明らかになった。この構造はバルク体のB(48)C2B2の構造とほとんど同じである。B(12)クラスターの電子不足を補償するために理想的なB(48)B2ではなく、侵入型のBを有した構造をとっているのだと考えられる。

表2にMg4B(50),Li6B(50)の格子定数を示す。これらの値は仕込み組成である。Mg4B(48)C2[4]以上の格子定数の伸びが観測されたことから、BNBへの高濃度ドープに成功したと考えられる。特にMg4B(50)は大きな格子定数を示しており、高濃度のMgドープが示唆されている。図6にこれらの試料と石英管を用いて作製した低濃度のMgドープBNBのコンダクタンスの温度依存性を示す。Mg4B(50)以外の試料ではドープ前のBNBと同様、VRH伝導を示していたが、Mg4B(50)では熱活性化型の伝導を示していた。β-B同様、α-t-Bもギャップ内に欠陥に由来する局在準位(IAL)があり、そこにフェルミ準位が存在しているのだと推測される。Li6B(50)は電子ドープ数が少ないために、IALが完全に埋まらず、VRH伝導が観測された。Mg4B(50)では大量のMgドープにより、電子不足が解消されたために侵入型のBが消失し、IALが完全に埋まったが、さらなる電子ドープにより、B(l2)クラスターをつなぐ2bサイトに欠陥が生じ、浅い局在準位ができたために熱活性化型の伝導が観測された可能性がある。電子ドープに対して、α-t-Bでもβ-Bのように電子不足に由来する侵入型のBの消失と骨格構造を形成するBの脱離という、2種類の自己補償が起きていると考えられる。

4.結言

β-B、α-t-Bへ大量のLi,Mgドープを行うことに成功し、他元素添加による電子ドープに対して、自己補償が起こるため電気伝導制御ができないことが明らかになった。自己補償はB-ICSであるβ-Bとα-t-Bが、単体の結晶でありながら複雑構造固体であることに由来している。単体の結晶半導体で自己補償が起こる系は他に例が無い。また、ステンレス管を用いたLiドープ法は、従来の手法よりも高濃度のLiドーピングが可能な非常に有効な方法であり、様々な系への応用が期待できる。

[1]Z.Wang et al.,Chem.Phys.Lett.368,663(2003).[2]H.Matsuda,et al.,Phys.Rev.B 52,6102(1995).[3]K.Soga,et al.,J.Solid State Chem. 177,498(2004).[4]V.Adasch et al.,J.Solid State Chem.179,2150(2006).

図1.(a)β-Bの結晶構造とドープサイト。大きい球はB(12)クラスターを表している。実際にはこれ以外にも侵入型のBが存在している。(b)バルク体のα-t-Bの結晶構造と侵入型のBのサイト(小球)。

図2.電子ドープ数とMg,Bが部分的に占有しているサイトの占有率の関係。D-B13,E-H,F-B4はそれぞれ近接しているサイトである。電子ドープ数はMgがMg(2+)になっていると仮定して計算した。

図3.原子吸光分析から求めたLi濃度と格子容積の関係。

図4.Li,Mgドープβ-Bの電気伝導率の温度依存性。

図5.電子ドープ数とN(EF)の関係。過去のLi ドープ、MgとSiの共ドープの結果も併せて示した[2,3]。電子ドープ数はLi,Mgがそれぞれ1,2個、Bと置換してドープされるSiが1個とした。

図6.Li,MgドープBNBのコンダクタンスの温度依存性。

表1.BNBのBの占有率。2α,8h,8iサイトはBの侵入型サイト。

表2.BNBおよびLi,MgドープBNBの格子定数とその伸び率。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は単体ボロンの結晶であるボロン正20面体クラスター固体が、LiまたはMgドープによるリジッドバンド的な電子ドープに対して、自己補償が生じる固体であることを明らかにしたものである。また、本論文で確立したステンレス管を用いたLiドープ法は、従来用いられている石英管を用いた手法よりも高濃度のLiドーピングが可能な非常に有効な方法であり、様々な系への応用が期待できる。

本論文は8章からなる。第1章は序論であり、ボロン正20面体クラスター固体の特異な結合と構造について概観し、本研究の目的、本論文の構成について述べている。単体のボロン結晶は、B(12)正20面体クラスターを構造単位としているが、これはボロンが3価であり、通常の共有結合では電子が不足しているため、より効率的な結合を必要とすることに由来している。ボロン正20面体クラスター固体は、単位胞の大きな複雑構造固体であり、多数の侵入型ドープサイトに構造を保ったまま数%の他元素ドープが可能であるが、ドーピングに対する挙動は複雑で、良く理解されていない。そこで、本研究の目的は、特異な結合と構造を有しているボロン正20面体クラスター固体にリジッドバンド的な電子ドープが期待できるLiまたはMgドープを行うことで、電気伝導制御の可能性を検討し、電子構造とドーピング特性を明らかにすることである。

第2章は研究背景であり、研究対象であるβ菱面体晶ボロン(β-B)とボロンナノベルト(BNB)の構造と物性、およびそれらへの金属ドープについて、既往の報告を概観している。ただし、BNBは分かっていることが非常に少ないため、バルク体でほぼ同様の構造をとっているα正方晶ボロンについての報告も併せてまとめてある。さらに、様々な半導体のドーピングに対する挙動について、ドーピングによる電気伝導制御が可能かどうかに注目して概説している。

第3章は試料作製と評価であり、β-BとBNBへのLiまたはMgドープ方法、粉末X線回折実験、Rietveld解析、原子吸光分析、及びそれらの結果について述べている。特に高濃度のLiまたはMgドーピングが、どのような改良を行うことで達成されたのか、従来のドーピング法と比較して述べている。

第4章では、Mgドープβ-Bの構造解析、電気伝導性と磁気的性質の測定を行い、高濃度のMgドープによりB(28)クラスターの一部であるB4サイトに欠陥が生じること、B4サイトの欠陥に由来する局在準位内にフェルミ準位が存在しているため、高濃度のMgドープを行っても電気伝導制御ができないことを明らかにしている。

第5章では、Liドープβ-Bの構造解析、電気伝導測定を行い、Liドープβ-Bの構造と物性については、Mgドープβ-Bとほぼ同じ描像で理解できること、すなわちLiの高濃度ドープでもB4サイトに欠陥が生じ、それに由来する局在準位内にフェルミ準位が存在するため、高濃度のドーピングを行っても電気伝導制御ができないことを明らかにしている。

第6章では、BNBの構造解析を行い、BNBの結晶構造が、理論的に予測されていた欠陥のない構造ではなく、侵入型のボロンを有した構造であることを明らかにしている。また、LiまたはMgドープBNBの電気伝導測定を行うことで、β-B同様、LiまたはMgドープを行っても電気伝導制御ができないことを明らかにしている。

第7章では、β-BとBNBへのLiまたはMgドープの構造と電気伝導性の変化について得られた知見をまとめることで、リジッドバンド的な電子ドープにより、これらの固体で自己補償が起きていることを明らかにしている。電子ドープ量に対応して侵入型のボロンの脱離、及び骨格構造を形成するボロンの欠陥が生じていた。β-Bは電子不足のB(12)クラスターと電子過剰のB(28)クラスターの複合体であり、ドープ前でも侵入型サイトと欠陥により電子不足と電子過剰が、それぞれ補償されている特異な固体である。自己補償はβ-BとBNBが複雑構造固体であり、不安定なサイトの存在に由来していると考察している。単体の結晶半導体で自己補償が生じる固体は他に例が無いとしている。

第8章は結論である。

なお、本論文の第3、4、5、7章は、荒明聡、細井慎、根津暁充、曽我公平、木村薫、等との、第3、6、7章は、桐原和大、曽我公平、清水禎樹、川口建二、佐々木毅、越崎直人、木村薫、等との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上本論文は、ボロン正20面体クラスター固体が、単体の結晶半導体で初めてリジッドバンド的な電子ドープに対して自己補償が生じる特異な固体であることを解明した点で、物質科学の発展に寄与するところが大きく、よって博士(科学)の学位を授与できると認める。

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