学位論文要旨



No 125015
著者(漢字) 下野,昌宣
著者(英字)
著者(カナ) シモノ,マサノリ
標題(和) 脳磁図を用いた複雑な神経表現の抽出とその単一試行分類に関する研究
標題(洋) A MEG study on extraction of complex neural representation and its single-trial classification
報告番号 125015
報告番号 甲25015
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第433号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,常広
 東京大学 教授 岡田,真人
 東京大学 教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 外池,光男
 理化学研究所 副チームリーダ 北城,圭一
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

脳機能計測技術の進展に伴い,脳機能の解明が進んでいる.しかし,複雑系として脳を取り扱う脳機能計測研究は未だに少ない.本論文では,視覚認知機能と脳磁図(MEG)で計測した脳活動について議論する.そこに見られる複雑な様相の例として,広い周波数域にまたがるベキ分布成分(Chapter2),複数の状態間での,知覚の"揺らぎ"と,それに伴う脳活動の"揺らぎ" (Chapter 3,4),目で特徴の判別が困難な脳活動のパターン(Chapter 4,5) などを取り扱う.また,目での判別が困難な脳活動から特徴を抜き出す解析手法は,認知状態の一試行分類にも応用できる事にも強く言及する(Chapter 4,5).Chapter 1 では,本論文に関わる専門知識や手法を鳥瞰し,最後に,Chapter 6 で4 つの研究の関係性を議論する.

2.Chapter1 の概要

各研究で用いた手法の紹介はChapter 2-5 の中のsubsection に委ね,本Chapter では,鳥瞰的な視点から,刺激,計測,解析の手法を紹介する.

3.Chapter2 の概要:脳磁図に計測されるベキ分布の認知機能の探求

3-1. 背景

脳研究では,未解決部分への(入力)刺激と(出力)応答の相関関係から,システム特性に迫る方法がよく選ばれる.ここでは,刺激が応答を決めると暗に仮定されているが,刺激の入らない状況での脳活動(自発脳活動) が応答を予め決める,という報告がされている(Kenet, 2003; Hansen, 2004).他方,自発脳活動は,時間スケール,空間サイズでベキ則を満たす成分を含んでいる(Hwa,2002; Beggs,2003).しかし,周波数解析では,決められた周波数領域(周波数帯)での位相や強度と認知機能の関係を述べる事が多く,ベキ分布成分がヒトの認知成績を反映する報告はなかった.

3-2. 目的

以上から,ベキ分布を示す自発脳活動が,積極的に行動成績を反映する事を検証する事とした.

3-3. 解決のコンセプト

そこで,『パワースペクトルのベキ分布が,非常に弱い刺激の検出可否と関係する』という仮設(図1-(a), 点線)を,『ある周波数帯の強度が,検出可否と関係する』という仮説,及び『ベキ分布成分を差し引いて残る成分のある周波数帯の強度が,検出可否と関係する』という仮説(図1-(b))らと比較した.

3-4. 研究方法

検出閾値の(50%で検出できる) 輝度の光点滅を二つの視野にランダムな順序で提示し,被験者に知覚した位置を回答してもらった. そして,事前に調べた刺激提示の位置に選択的に応答するセンサー群の活動にWavelet 解析を適用した.そして,回答の正解群,不正解群の間での有意な差異に着目した.

3-5. 結果

次の二つの事実が観察された.(1) スペクトル強度でどこかの周波数領域が(正解群と不正群を比べて)有意な違いを示した時間帯において,両群の大小関係が15Hz をまたいで反転していた(図2).(2) 正解群と不正解群の間での有意な違いは,ベキ分布成分を差し引くと消えた.

3-6. 結論

得られた結果は,ベキ分布の自然対数の傾きで行動成績を説明しやすい事を示唆していた.

4.Chapter3 の概要: 知覚交代の意図的コントロールの神経相関

4-1. 背景

脳は,刺激が単一でも,複数の解釈や知覚をする事がある(多義図形).この多義的知覚は,時間的に交代し(Eichler, 1930).被験者が意図的にバイアスを掛けられる事も知られている(Meng & Tong, 2004).しかし,過去の研究でのバイアス効果は,ある知覚の持続時間を伸縮する効果であり,知覚交代のタイミングまでもコントロールする効果を述べた研究はなかった.

4-2. 目的

以上を踏まえて,多義図形の一種である多義的仮現運動における知覚の意図的コントロールに関する心理物理特性と脳活動の関係性を調べた.多義的仮現運動とは,図3左に示す様なドットの対の画像を時間的に交互に提示する刺激である.この刺激から生成する知覚には,水平運動もしくは垂直運動の多義性がある.この刺激においては,知覚を生成するタイミングが,刺激の画像が切り替わるタイミングから明確に定義できる.

4-3. 方法

私は4つの実験を行いました.(1) 画像1枚の提示時間(Stimulus Onset Asynchrony: SOA) に対する被験者に意図的コントロール可能性の依存性を調べた.(2) 被験者が意図的に知覚交代をしている時の眼球運動をEOG(ElectroOculoGram)で計測した.(3) 被験者に,縦/横運動の系列をコントロールしてもらい,知覚交代が必要な刺激提示時の脳活動,と必要でない提示時の脳活動を比較した.(4) コントロールが50%可能なSOAに調節して,知覚交代が成功した時の脳活動と失敗した時の脳活動を比較した.(5) 意図的な知覚交代時と受動的な知覚交代(知覚交代をただ待つ)時の脳活動を比較した. 脳活動の強度を測る指標として,全頭でのRMS (Root Mean Square) 値を採用した.

4-4. 結果

(1)の実験では,刺激のSOA が約275ms より長い場合で知覚交代に成功する確率は高く,短い場合では低くなるという二層化が確認された.(1),(3)の実験では,刺激の切り替わり後300ms で条件間の違いが観測され,(2)の実験では,刺激の切り替わり後,約40 ms と約250 ms で有意な違いが見えた.

4-5. 結論

心理物理実験で観察された知覚交代の成功率が変化する特徴的なSOA(約275ms)を見出し,その周辺(約250ms と約300ms)で,有意なMEG の変調がある事を観察した.

5.Chapter4:意図的コントロール可能性の一試行事前予測

5-1. 背景

近年,一試行の非侵襲計測で得られた信号に機械学習的手法を用いて,被験者の知覚(Kamitani & Tong,2005,2006)や意図(Haynes, 2007)を高い精度で言い当てられる事が報告されてきた.周波数解析や主成分解析などの手法と比較して,この手法は,強度が弱くとも再現性の高いパターンであれば,それを高次元空間から自動的に抜き出せる優位性がある.

5-2. 目的

上記の優位性を活かし,刺激提示前に存在する知覚を意図的にコントロールしようとしている時の脳活動(Chapter3の実験4)から,そのコントロールの可否を予測する事を目指した.

5-3. 方法

成功率がほぼ50%となるSOAの時の脳磁図を計測した.画像三枚の内,二枚目の前後で知覚される運動方向の切り替えの可否に関する回答を記録した.SSP (Signal Space Projection) (Tesche et al., 1995) で眼球運動由来のノイズを除去した後,100試行のデータからSVM (Support Vector Machine)で状態分離面(Classifier) を作成して.そのClassifierで,残り100試行のデータの何%を予測可能かを評価した.

5-4. 結果

最も成功した脳活動の選択法は,着目する試行の刺激の交代前の脳活動とその一つ前の試行の刺激の交代前後の脳活動とを組み合わせて用いる方法であった.その場合,刺激の交代前でも70%を超える精度で知覚交替の成否が予測できる可能性が示された(図4, 矢印の下).

5-6. 結論

機械学習的手法が,知覚の予測が可能な程に,試行間に共通するパターンを抜き出していた."予測が可能である"という事は,脳活動に長期相関がある事を示唆する.

6.Chapter5:オブジェクトカテゴリー知覚の神経相関の一試行分類

6-1. 背景

OC (Object Category)とは,顔,車,鳥などの抽象的な集合概念を指す認知神経科学の専門用語である.OCの画像を提示した時の脳波,脳磁図計測は多く報告されている(Lu et al., 1991; Swithenby, 1998).近年,Tanらは,OC の判別に対する脳波を高い精度で一試行分類した(Tan et al., 2008). しかし,本研究にはいくつかの問題点をある.彼らは,Classifier を作成するのに,多くの被験者の脳活動を利用していたが,計測される脳活動の個人差が大きい可能性がある.また,彼らは,オブジェクトサイズや輝度などを標準化していないが,近年,単一のOC(たとえば,顔)の画像のコントラストの分布間での共分散(ISPV) が大きいと170ms 成分が強くd なる事が報告されており,何の情報がclassification に利いているのかが不明瞭である(Thiery et al.,2007).

6-2. 目的

以上の問題点を解決した実験を行うとともに,好成績,高速な解析手法を提案したい.

6-3. 手法

ISPV を車画像と顔画像で揃えて,一つの画像は一回のみ提示した.必ず単一被験者の情報からclassifierを作成した.事前の解析を通して,後頭頭頂部のセンサーの3-20 [Hz] 成分を選んだ.また,100 試行でのCross Validation(CV)から,120-200ms の中でclassification に利く時間領域を選んだ.その後に,他の100 試行で,選択された時間領域で作成したclassifier からの距離を変換した確率変数をlikelihood とみなして,Bayes推定をする事で,選ばれた時間領域での複数のクラス情報を統合した.

6-4. 結果と結論

顔 vs.車,顔vs.家のclassification で被験者間平均80% を超える精度を実現し,車vs.家のclassificationでも70%を超える精度を得た(図5).MEG/EEG での一人の被験者のデータを用いたオブジェクトカテゴリークラシフィケーションでは,現時点での最高成績である.

7.Chapter 6:総括

本論文で紹介する研究は,視覚系の認知活動を脳磁図で計測する事を通して,認知状態,脳活動から"複雑系" を連想させる情報の抽出を試みてきた.本論文で取り扱えたのは,『特定の特徴スケールを持たないベキ分布の認知機能の解明』や『多義的知覚状態の確率的遷移とその決定性』や『一見,パターンが見出せない磁場マップからの認知・知覚の予測と分類』などである.それぞれは,『自発活動』,『知覚交代』,『意図』,『カテゴリー認知』など脳認知科学の文脈を縦糸とし,『スケールフリー性』,『決定性と確率性』,『長期相関性』,『機械学習』などの数理科学的な概念や手法を横糸とした,学際的な知の一例である.

図1. Wavelet power spectrum の時間断面の例.(a)wavelet power (実線)の時間断面(自然対数表示)と,ベキ近似線(点線),(b)両者の差分

図2. 受容野周辺でのセンサーの応答におけるに関する"正解群と不正解群でのWavelet power spectrumの差"と"その差自身"との積.

図 3. 多義的仮現運動

図 4. 知覚交替成否の予測正解率.

図 5. 分類成績 三つのバーグラフは,それぞれが顔vs.家,顔vs.車,車vs.家のクラシフィケーション結果を示している.それぞれの中で,緑のバーが8 人の被験者への結果をしめし,青いバーがその平均と分散を意味する.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり,MEG計測を行うことにより,複雑な脳内の神経活動を解明するとともに、計測されたMEGの単一データを、数理的手法を用いて分類する手法を開発しその有効性を検討している。

第1章では,鳥瞰的な視点から、本論文で用いた視覚刺激、計測手法、解析手法を説明し、研究課題の位置付けを行っている。

第2章は、従来の脳磁図研究では,周波数情報をδ,θ,α,β,γ と名づけられる周波数帯での位相や強度と、認知機能の関係を調べる事がほとんどであったが,本論文では、広域的周波数にまたがるベキ分布成分がヒトの認知成績を反映することを示した。

刺激の入らない状況での脳活動(自発脳活動)は時間スケール,空間サイズでベキ則を満たす成分を含んでおり,近年,自発脳活動が刺激に対する脳の応答すらも予め決める,という報告が頻繁にされる様になってきている。そこで,『パワースペクトルのべキ分布が,非常に弱い刺激の検出可否と関係する』という仮設を,『ある周波数帯の強度が,検出可否と関係する』という仮説,及び「ベキ分布成分を差し引いて残る成分のある周波数帯の強度が,検出可否と関係する」という仮説とを比較した。

検出閾値輝度の点滅光を二つの視野にランダムな順序で提示し,被験者に知覚した位置を回答してもらい,事前に調べた刺激提示の位置に選択的に応答するセンサー群の活動にWavelet解析を適用したうえで,回答の正解群,不正解群の間での有意な差異が生じることを明らかにした。その結果、ベキ分布の自然対数の傾きで行動成績を説明できることを示した。

第3章では、複数の解釈や知覚が可能な刺激(多義図形)が提示された時の、脳内の情報処理特性について明らかにした。多義図形の一種である多義的仮現運動(ドットの対の画像を時間的に交互に提示する刺激)における、知覚の意図的コントロールに関する心理物理特性と脳活動の関係性を調べた。

本論文では、(1)画像1枚の提示時間に対する被験者の意図的コントロールの依存性を調べ、(2)知覚交代が必要な刺激提示時の脳活動と必要でない提示時の脳活動を比較し、(3)コントロールが50%可能なSOAに調節して,知覚交代が成功した時の脳活動と失敗した時の脳活動を比較し、(4)意図的な知覚交代時と受動的な知覚交代(知覚交代をただ待つ)時の脳活動を比較する、4つの実験を行った。

(1)では,刺激のSOAが約275msより長い場合では,知覚交代を極めて高い精度で意図的にコントロール出来る事が確認された。(1),(3)では,刺激の切り替わり後300msで条件間の違いが観測され,(2)では,刺激の切り替わり後,約40msと約250msで有意な違いが観察された。また、(4)では、SOAが約275ms以上の遅い刺激提示を行うと,知覚交代の成功率が極めて高くなる(100%に近い)現象を発見した。

第4章では、一試行のMEG信号に機機学習的手法を用いて,被験者の知覚を高い精度で推定できる事を示した。提示した連続する画像三枚の内,二枚目の前後で知覚される運動方向の切り替えの可否に分類して応答を記録した。眼球運動由来のノイズを除去した後,100試行のデータからSVM(Support Vector Machine)で状態分離面(Classifier)を作成して、予測性能を評価した。

その結果、最も成功した状態分離面は,着目する試行の刺激の交代前の脳活動とその一つ前の試行の刺激の交代前後の脳活動とを組み合わせて用いる方法であり,刺激の交代前でも70%を超える精度で知覚交替の成否が予測できることを示した。MEGでは刺激提示以前の脳活動の強度は一般に小さいため,一試行ごとに信号を分類できる事が示されたのは、初めてである。

第5章は、OC(Ob ject Category)の画像を提示した時のEG計測を行い、好成績・高速な解析手法を提案した。事前の解析を通して,後頭一頭頂部のセンサーの3-20Hz成分を選んだ。また,100試行でのCros Validation(CV)から,120-200msの中でclassificationに利く時間領域を選んだ。トレーニング期間で得られたデータにおいて得られた170ms成分の閾値を用いて,分類を行った場合の結果との比較検討を行った。

その結果、顔と車,顔と家の分類で被験者間平均80%を超える精度を実現し,車と家の分類でも70%を超える精度を得た。単に,170ms強度のみ強度を用いた解析では,顔と車,顔と家で約70%,車と家の分類で約60%であり,約10%の成績の向上を得た事になり,現時点での最高成績を達成した。

第六章では,以上4つの実験のまとめと総合考察を述べている。本論文では、脳磁図で計測した脳活動に数理解析を適用する事を通じて,視覚認知情報処理に関連する脳情報の抽出を試みた。なお、本論文第2章は大脇隆史、天野薫、北城圭一、武田常広,第4章は武田常広との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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