学位論文要旨



No 125018
著者(漢字) 大和,知永
著者(英字)
著者(カナ) オオワ,チエ
標題(和) カイコ周気管腺の機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 125018
報告番号 甲25018
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第436号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 准教授 青木,不学
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

20世紀初頭に器官として同定されたカイコ周気管腺は、囲心細胞や食道下体と同様にathrocyte(nephrocyte)として位置付けられる細胞から構成される。athrocyteは殆どの昆虫に存在し、体腔に注入した異物を取り込む特徴を持つ細胞の総称であり、その機能として異物の分解との関連が指摘されているが、詳細については未解明なままである。特に、カイコ周気管腺に関しては組織・形態学的な研究に留まり、1981年の電子顕微鏡による観察以後、本器官に関する研究は報告されていない。カイコ周気管腺は体腔内全体に分布し、単離・摘出が容易でないため、機能に関する研究が不充分なまま今日に至っている。

一方、同じathrocyteである囲心細胞の方は昆虫に広く存在が知られ、機能探索が行われてきており、(1)異物の取り込みと分解、(2)血液タンパク質の合成と分泌、(3)物質の貯蔵、などの機能が推測されているが、実験的根拠が充分に与えられていないものが多い。囲心細胞は器官形態をとっておらず、背脈管の筋肉に直接細胞が付着しているため、生化学および分子遺伝学実験では複合体として扱わざるを得ない問題点がある。近年、ハエでは囲心細胞を心臓(背脈管)形成に働く付属器官と捉える報告も増え、この点からもathrocyteの機能の再検討が必要と考えられる。本研究は、器官が大きく単離が可能というカイコ周気管腺の利点を用いて、生化学的・分子遺伝学的な研究から、周気管腺、さらにはathrocyteの生理機能を明らかにしたものである。

[結果と考察]

1.カイコ周気管腺の形態学的特徴と発育による変化

athrocyteについては昆虫の種によって多様な存在様式が知られているが、特に周気管腺は、カイコ以外の昆虫ではこれまで報告例がなかった。そこで、他の数種の鱗翅目昆虫に関して、カイコとの比較で周気管腺の有無を調査した。鱗翅目昆虫の最終齢幼虫にトリパンブルーを投与すると、athrocyteはそれを取り込んで明瞭に観察される。カイコと同属のクワコでは囲心細胞、食道下体と共に周気管腺も存在していたが、エリサン、アワヨトウガ、モンシロチョウなどでは周気管腺に相当する器官は認められなかった。器官の有無という大きな違いが鱗翅目昆虫の中にあることは注目すべき事実であるが、他昆虫の研究をみると昆虫種によってathrocyteには非常に多くのバリエーションが認められている。

次に、形態学的構造を詳細に観察した。その結果、周気管腺は、囲心細胞とは異なり明瞭な器官形態をとること、食道下体に比べて量が多いことなどから、機能探索に適した器官であると考えられた。

さらに、幼虫から成虫に至る発育時期ごとに周気管腺の形態を観察した結果、多くの幼虫組織が崩壊する蛹初期でもしっかりとした組織構成が認められた。5齢幼虫における周気管腺は、約100μm四方の扁平細胞が連なって靴紐のような形状で体腔全体に広く分布している(図1)。蛹初期になると各細胞内に顆粒が充満し、大きさも最大でおよそ500μm四方の扁平細胞になる。蛹後期では、組織は小さく、壊れやすくなり、細胞内の顆粒も少なくなっていた。以上の点から、最も変化の大きい幼虫期から蛹初期を中心に研究を進めることにした。

2.異物の処理

囲心細胞による異物の取り込みは過去に数多く報告されており、athrocyteを定義付ける現象とみなされている。しかし、取り込み後の物質の行方に関しては、これまで殆ど調べられていない。そこで本研究では、色素取り込み後の変化を調査した。そして、異物取り込みと関連する生理学的な現象を新たに見出した。

2-1.色素

トリパンブルーの周気管腺への取り込みは、注射後1時間で観察され始め、1日後で最大となるが、3日、6日後と、日数の経過と共に色素は少なくなった。これにより、周気管腺は血液中の色素を急速に取り込み、その後徐々にマルピーギ管などの排泄器官へ放出しているのではないかと考えられた。

2-2.メラニン

昆虫では病原体が侵入すると体腔内でメラニンが形成される生体防御反応が知られている。そこで、大腸菌の死菌を注射したところ、血液中にメラニンが生じると共に、それが周気管腺に取り込まれる現象が観察された。これは、過剰のメラニンによる障害が多くの組織に及ばないように周気管腺が吸収したものと推測した。

2-3.絹糸腺

充分の吐糸ができずに営繭できないものを不吐糸蚕(不結繭蚕)というが、これには、蛹初期で黒化して死亡する場合と成虫になることが可能な場合がある。それぞれの個体を解剖したところ、羽化できなかった個体では周気管腺は全て肥大していた。一方、羽化できた成虫の周気管腺では、正常(営繭)に比べて大きさは変わらなかったが、若干茶色に見えた。この現象は、繭として吐糸できずに体内に残存した絹タンパク質及び変態時に崩壊する絹糸腺組織を周気管腺が処理しきれなかったために起きたものと考えられた。そこで、周気管腺は蛹初期における幼虫組織の分解過程に重要な役割を果たしていると考察し、分解機構に焦点を当てて以下の機能研究を進めた。

3.リソソームの分布

ハエ囲心細胞においてリソソームやサイトリソームが発達していることは、電子顕微鏡観察に基づき報告がなされている。しかし、発育時期による変化、また周気管腺におけるリソソームの報告は極めて少ない。そこで蛍光プローブを用いて、カイコ周気管腺におけるリソソームの存在と変化を調べた。まず、5齢幼虫において、周気管腺には囲心細胞ならびに食道下体と同様に発達したリソソームがあることを確認した。一方、筋肉など他組織では、蛍光顆粒は観察されなかった。次に、発育時期ごとに、摂食期(5齢3日、6日)、吐糸期(1日)、蛹期(2日)の周気管腺を調べた。その結果、5齢3日幼虫の周気管腺の細胞質全体に蛍光を発する顆粒を検出した。5齢6日、吐糸1日へと時間経過が進むと、周気管腺内の蛍光顆粒は徐々に増加した。そして蛹2日では、強い蛍光を発する膨張した顆粒が細胞質全体に充ちていた。このことから、カイコ周気管腺では常時リソソーム系が機能しており、特に変態初期においてその機能が活発になると考えられた。一方、脂肪体では、幼虫期における蛍光は弱いが、蛹初期において細織崩壊に伴う強い蛍光顆粒が観察された。

4.周気管腺における遺伝子発現解析

5齢3日幼虫の周気管腺は組織単離が可能であることから、athrocyteにおける遺伝子発現解析に適していると考えた。そこで、過去に囲心細胞での合成が報告されているものを含め、血液タンパク質の遺伝子発現レベルを調べた。その結果、血液タンパク質の主成分であるアリルフォリンと30Kタンパク質、またリゾチームの発現レベルは比較的低いことが示された(図2)。

次に、異物分解との関連から、線虫・ハエ・哺乳類等で報告されているエンドサイトーシス関連遺伝子と、オートファジー関連遺伝子であるATGの数種遺伝子の発現解析を行った(図3)。まず、ゲノムデータベース上でカイコホモログを探索し、その配列からプライマーを作成してリアルタイムPCRでcDNA中のターゲット遺伝子の発現レベルを調べた。その結果、エンドサイトーシス系ではタンパク質品質管理に関与すると報告されている朗2の発現が、またオートファジー系では調べた4つの遺伝子全ての発現が、脂肪体や筋肉に比べて周気管腺において高かった。一方、一般的なエンドサイトーシスとしてのmultivesicular body pathwayへの関与が報告されているVp54遺伝子の発現は、周気管腺でも脂肪体や筋肉と同程度であった。以上より、 カイコ周気管腺では、リソソームに関連したタンパク質分解システムが発達していると判断された。

5.異物タンパク質の取り込みと分解

これまでにathrocyteへの外来性タンパク質の取り込みの報告は数多くなされている。しかし、取り込まれたタンパク質のその後の変化については全く報告がなく、また、発育時期による取り込み活性の差異も検討されていない。そこで、これらの点に関して、カイコ周気管腺を対象として調べた。

異物タンパク質としてrabbit IgGを体腔内に注射し、周気管腺への取り込みをwestern blottingで調べたところ、蛹1日の周気管腺において、取り込み能が最大であり、同時に血液からのIgGの消失量が大きいことが分かった(図4)。また、組織化学的な検討として、注射1日後のFITC標識IgGの取り込みとリソソームとの共局在を共焦点レーザスキャン顕微鏡で観察した結果、5齢3日幼虫、蛹2日共にIgGの取り込み顆粒が多いが、蛹2日の方が取り込んだ顆粒が大きかった。

次に、周気管腺にIgGを取り込ませた後、体外に取り出して分解を調べたexo vivoの実験結果を図5に示す。各発育時期において、取り込まれたIgG(H鎖約50kDa)は時間経過と共に濃度が減少した。一方、30kDa周辺にIgG由来の分解過程と思われるバンドが増えていた。すなわち、取り込まれたIgGは、低分子に分解されていくと推定された。さらに、牛血清アルブミンを投与した実験でも同様の結果が得られた。

6.血液タンパク質との関連

これまでathrocyteのタンパク質分解機能と内在性タンパク質との関係は明らかにされていないので、周気管腺と血液タンパク質であるアリルフォリンとの関連を調べた。カイコ幼虫の主血液タンパク質であるアリルフォリンは、吐糸期に脂肪体に吸収され貯蔵顆粒を形成し、その後成虫組織形成のアミノ酸源になると報告されている。

まず、精製したアリルフォリンをFITCで標識し、5齢3日幼虫・吐糸1日・蛹2日の組織への取り込みの様子を共焦点レーザスキャン顕微鏡で観察した。その結果、従来の報告のようにアリルフォリンは吐糸期にのみ脂肪体に著しく取り込まれ、顆粒状になることが確認でき、幼虫や蛹2日では取り込みは認められなかった。一方、周気管腺では、アリルフォリンの取り込みは常時認められ、特に蛹においてサイズの大きい顆粒が細胞周縁部に局在していた。次に、図6では、蛹1日のカイコを使って、アリルフォリンの取り込み後の分解について検討した。FITC標識アリルフォリンを注射した個体の周気管腺を摘出し、時間経過を追ったところ、培養日数と共に取り込まれたFITC標識アリルフォリンが減少し、その下に分解物と推定されるラダーバンドが増加した(図6上)。次に、同メンブレンをストリッピングバッファーで処理した後、抗アリルフォリン抗体を用いてwestern blottingを行ったところ(図6下)、脂肪体では吐糸期に取り込まれていた内在性アリルフォリンが多量に存在し、培養日数と共にこのアリルフォリンが大きく5~6箇所に分解されていることが観察された。この分解は、脂肪体の組織崩壊に伴う分解と考えられた。蛹期に生じるアリルフォリンの分解を担う組織やその過程については分かっていないが、本結果から、アリルフォリンは脂肪体内で自己分解と共に低分子化されること、さらに周気管腺もアリルフォリン分解に関わっていることが示唆された。最後にFITC標識による影響を除くためnativeアリルフォリンの存在量を調べた。

蛹期の周気管腺を体外に取り出して培養し、抗アリルフォリン抗体を用いてwestern blottingを行ったところ、アリルフォリンは周気管腺内に存在し、そのバンド濃度は培養日数と共に減少し、蛹初期において分解物と推定されるバンドが増加していることを確認した(図7)。

以上より、周気管腺は内在性タンパク質についても取り込み、分解する機能を持ち、幼虫組織が崩壊する時期に当たる蛹初期において、その活性が高いことが推察された。

[結語]

カイコ周気管腺においては、タンパク質分解系の遺伝子発現が高く、常時リソソーム系が機能し、特にそれが蛹初期で活発になっていた。また、異物タンパク質、さらに内在性タンパク質についても取り込んで分解することが示された。

以上、本研究は、athrocyteが異物タンパク質の分解を行うことに関し周気管腺を用いて実験的根拠を与え、さらに周気管腺が変態初期の幼虫組織の崩壊やタンパク質の分解処理にも関わる重要な器官であることを明らかにしたものである。

Chie Owa, Fugaku Aoki, and Masao Nagata, Distinctive presence of peritracheal athrocyte in Bombyx mori L. and Bombyx rnandarina M. as compared to their absence in several other lepidopteran species, Arthropod Struct. Dev., 35, 93-98. (2006)Chie Owa, Fugaku Aoki, and Masao Nagata, Gene expression and lysosomal content of dkworm peritracheal athrocyte, J. Insect Physiol., 54,1286-1292. (2008)

図1 カイコathrocyte

図2 半定量RT-PCR法による血液タンパク質の遺伝子発現レベル

図3 リアルタイムPCR法における分解系遺伝子発現パターン(PA,周気管腺;FB,脂肪体;M,筋肉)

図4発生時期による周気管腺における外来性タンパク質IgG(矢印)の取り込み活性

図5 周気管腺におけるIgGの分解

図6血液タンパク質アリルフォリンの分解

図7 抗アリルフォリン抗体を用いたwestem blotting

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、解明が遅れていたカイコの周気管腺の機能を、生化学的・分子遺伝学的に追究し、周気管腺さらには同器官を構成する細胞であるathrocyteの生理機能を明らかにしたものであり、3章から構成される。

第1章では、形態学的手法を元に、過去の研究成果の再確認を行なった。その過程においてathrocyteは体内の異物除去や生体防御に関与することを示唆する現象を見出した。さらに、周気管腺はカイコガ上科にのみ存在する器官であることを明らかにし、発育過程での変化や不結繭蚕の観察から変態時の幼虫組織の崩壊と関連して活発な機能をもつことを推測した。

第2章においては、周気管腺の分解機構に焦点を当てて研究を進めた。まず、蛍光プローブを用いて、幼虫諸器官のリソソームの状態を調べ、カイコのathrocyteである周気管腺、囲心細胞、食道下体では発達したリソソームがあるのに対し、筋肉など他組織では少ないことを観察した。次に、発育時期ごとに周気管腺を調べて、幼虫から変態期への発育経過とともに、リソソームの蛍光顆粒が徐々に増加し、蛹2日では、強い蛍光を発する膨張した顆粒が細胞質全体に充ちることを観察した。このことから、周気管腺では常時リソソーム系が機能しており、特に変態初期においてその機能が活発になると考えられた。次に、単離が可能な5齢幼虫の周気管腺を用いて、遺伝子発現解析を行なった。まず、血液タンパク質の遺伝子発現レベルを調べた結果、アリルフォリン、30Kタンパク質、リゾチームの発現レベルは比較的低いことが示された。次に、異物分解との関連から、エンドサイトーシスとオートファジーの関連遺伝子の発現解析を行い、エンドサイトーシス系ではDJA2の発現が、またオートファジー系では調べた4つのATG遺伝子全ての発現が、脂肪体や筋肉に比べて周気管腺において高いことを示した。これらの点より、周気管腺では、リソソームに関連したタンパク質分解システムが発達していると判断された。

第3章においては、周気管腺のタンパク質の取り込みと分解について検討した。異物タンパク質としてIgGを体腔内に注射し、周気管腺への取り込みを調べたところ、他の時期に比べ蛹1日の周気管腺の取り込みが最大であり、組織化学的な観察でFITC標識IgGとリソソームが共局在することを示した。次に、周気管腺にIgGを取り込ませた後、体外に取り出して培養するexo vivoの実験を行なった。周気管腺に取り込まれたIgGは培養と共に濃度が減少する一方、分解物と思われる低分子のバンドが増えおり、取り込まれた異物タンパク質は、低分子に分解されていくと推定された。次に、血液タンパク質であり成虫組織形成のアミノ酸源になるアリルフォリンと周気管腺との関連を調べた。まず、精製したアリルフォリンをFITCで標識して投与し、組織への取り込みの様子を観察した。その結果、脂肪体では従来の報告のようにアリルフォリンは吐糸期に著しく取り込まれて顆粒状になることが確認でき、他の時期では取り込みは認められなかった。一方、周気管腺においては、アリルフォリンの取り込みが常時認められ、特に蛹においてサイズの大きい顆粒が細胞周縁部に局在していた。蛹1日のカイコを使って分解について検討したところ、周気管腺では取り込まれたアリルフォリンが減少し、分解物と推定されるラダーバンドが増加した。一方、抗アリルフォリン抗体を用いて調べたところ、蛹の脂肪体では吐糸期に取り込まれていた内在性アリルフォリンが多量に存在し、このアリルフォリンが大きく5~6箇所に分解されていくことが観察され、これは脂肪体の組織崩壊に伴う分解と考えられた。すなわち、アリルフォリンは脂肪体内で自己分解と共に低分子化されること、また周気管腺もアリルフォリン分解に関わっていることが示唆された。これらの結果より、周気管腺は内在性タンパク質についても取り込み、分解する機能を持ち、蛹初期において幼虫組織の分解に関与することが推察された。

以上、本研究においては、カイコ周気管腺はタンパク質分解系の遺伝子発現が高く、常時リソソーム系が機能し、特にそれが蛸初期で活発になっていること、また異物タンパク質のみならず内在性タンパク質についても取り込んで分解することを明らかにした。すなわち、athrocyteがタンパク質の分解を行うことに関し周気管腺によって実験的根拠を与え、さらに周気管腺が変態初期の幼虫組織の崩壊やタンパク質の分解処理にも関わる重要な器官であることを明らかにしている。

なお、本論文は、青木不学、永田昌男との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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