学位論文要旨



No 125019
著者(漢字) 白井,博之
著者(英字)
著者(カナ) シライ,ヒロユキ
標題(和) エクジソン誘導性核内受容体遺伝子群のエクジソン応答性の解析
標題(洋)
報告番号 125019
報告番号 甲25019
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第437号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 准教授 青木,不学
 東京大学 講師 尾田,正二
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

現在、地球上には80万種を超える昆虫が存在し、最も多様性に富んだ生物群と考えられている。昆虫繁栄の理由の一つには、脱皮と変態というシステムを環境に応じて上手く利用したことが挙げられる。脱皮と変態はステロイドホルモンの一種であるエクジソンによって進行する。エクジソンの刺激は多数の遺伝子の発現を誘導するが、この誘導は全て同じタイミングで起こるわけではない。エクジソンによって直接速やかに誘導される少数の転写因子(初期遺伝子)や、その転写因子によって誘導される多数の遺伝子(後期遺伝子)がある。つまり、各組織でエクジソンによって引き起こされる遺伝子群の極めて順序だった階層的な発現(エクジソン誘導経路)が脱皮や変態という現象を引き起こしている。

昆虫において機能的なエクジソンは20-hydroxyecdysone(20E)であり、核内受容体遺伝子の一つエクジソン受容体(ecdysone receptor,EcR)によって受容される(図1A)。核内受容体 とは、DNA結合ドメインとリガンド結合ドメインを持つ転写因子の総称である。EcRはリガンドのエクジソンを受容する唯一の分子であり、他の核内受容体USPとヘテロダイマーを形成して機能的な転写因子となる。この複合体(20E-EcR/USP)は、遺伝子のpromoter領域などにあるcis-elementに結合し、その遺伝子の転写を制御すると考えられる。脱皮期や変態期には、前胸腺からエクジソンが分泌され体内の濃度が上昇し、それに伴って階層的な遺伝子発現が起こる。低濃度のエクジソンによって速やかに少数のクラス1初期遺伝子、少し遅れて少数のクラスII初期遺伝子が誘導される。前者に属するEcRはわずか数ng/mLのエクジソンで誘導される一方、E75などのクラスII遺伝子の誘導にはその10倍程度のエクジソンが必要とされる(図1B)。これらに遅れて、HR3などの少数の初期-後期遺伝子の誘導には数ug/mL以上の高濃度エクジソンと初期遺伝子産物が必要とされる(図1B)。このような転写因子群の階層的な発現が最終的に多数の後期遺伝子群を誘導するが、初期、初期-後期遺伝子群がエクジソンによって転写が誘導される機構はほとんどわかっていない。

本研究では、培養細胞やゲノム情報の利用できるカイコBombyx moriを用いて、上述した異なる3つのクラスに属するエクジソン誘導性転写因子BmEcR,BmE75,BHR3に着目し、解析を行った。いずれも昆虫全般で高度に保存された、核内受容体に属する転写因子である。これまでにいくつかの構造タンパク質遺伝子でEcR/USPの結合するcis-elementとしてエクジソン応答配列(Ecdysone Response Element,EcRE)が報告されたが、それらの構造の保存性は低く、またエクジソン誘導経路への関与も明瞭には示されていないものが多い。一方、エクジソン誘導経路の転写因子群に関しては、エクジソン応答が明瞭に示された応答配列は全く知られていない。そこで、これら,3つの核内受容体のエクジソン誘導性を制御するcis-elementを同定し、それらの比較から個々の誘導パターンに違いを生じさせる原因や階層性の機構を探ろうと考えた。

【結果】

1.カイコ培養細胞のエクジソンと応答性の違いと遺伝子発現の網羅的解析

カイコの組織由来培養細胞ではエクジソンに対する応答性や内在的な遺伝子発現の変動はほとんど調べられていない。そこでBmN(卵巣由来)、aol(卵巣由来)、aff3(脂肪体由来)の各細胞の20Eに対する応答を調べた。その結果、aol細胞、aff3細胞では、細胞の一部が凝集する反応が見られたが、BmN細胞では外見上明瞭な細胞応答は観察されなかった(図2A)。次に、BmEcR-B1、BmE75、BHR3のエクジソンに対するmRNA発現パターンの変化をNorthernBlotで調べた。その結果、aol細胞では、BmEoR-B1は20B濃度が2.0×10(-4)ug/mLで誘導が見られたのに対し、BmE75は20E濃度;2.0×10(-2)ug/mL以上の濃度でしか誘導が確認できなかった(図2B)。一方、BHR3は2ug/mL以上の高濃度で非常に強く誘導された(図2B)。この3つの遺伝子の濃度依存性傾向は他の細胞でも同様であり、発生段階などで示されていたエクジソン応答性と3つの遺伝子のクラス分けがこれらの細胞でも適用できることが確認された。またカイコmicroarrayを用いてBmN、aff3細胞間の遺伝子の発現の変動を網羅的な解析、比較を行った。

2-(1)クラスI 初期遺伝子BmEcRの転写制御に関わるcis-elementの同定

(a)BmEcR isoformの転写開始点近傍で基本転写活性を担う cis-element

BmEcRでは、選択的転写によりN末端側のアミノ酸配列が異なる2種類のisofbrm(A,B1)が生じる。各EcR isoformは組織分化や細胞応答に密接に関連し機能的に分化しているが、そのpromoter領域はほとんど調べられていない。2つのisoformの第1エキソンはゲノム上では少なくとも150kb以上離れている(図3A)。そこで、まず第1エキソン周辺をゲノムからクローニングして転写開始点を決定した。興味深いことに、BmEcRの2つのisoformはいずれもTATA boxのないTATA-less遺伝子であることがわかった。転写開始点付近の配列は特異的な転写制御に関わるとの報告もあり、各isoformの転写開始点近傍め基本転写に必要なcis-elementを解析した。その結果、A isoformでは、Inr(initiator)および転写開始点下流側+28位に存在するDPE(downstream promoter element)が必須であるのに対し(図3B)、B1 isoformではDPEとは全く異なるcis-elementが機能していることが明らかとなった(図3C)。このようなEcR isoform転写開始点近傍の構造の差異が示されたのは初めてである。

(b)BmEcR-B1のエクジソン応答配列(BmEcRB1-EcRE)の同定

BmEcR isoformのpromoter領域からエクジソン応答配列を同定するべく、カイコのゲノム情報を基に、BmEcR-Aは転写開始点上流3.9kbから下流309bp(pBmEcR-A_-3932/+309)、BmEcR-B1は上流3.7kbから下流248bp(pBmEcR-B1 -3652/+248)をゲノムから単離した。aff3細胞を用いたDual-Luciferase reporter assayの結果、pBmEcR-B1_-3652/+248は20Eを添加して12時間後から転写活性が誘導され、その誘導は20E濃度2.0×10(-2)ug/mLでも検出された(図4A)。これに対してpBmEcR-A_-3932/+309は、エクジソンを添加しても転写活性に変化は見られなかった。次にエクジソン応答性の見られたpBmEcR-B1_-3652/+248に対し、複数のdeletionコンストラクトを順次作成していき、最終的に-2850~-2800位の50bpにエクジソン応答配列が存在することが明らかになった。この領域を5bpずつ5'-AAAAA-3'(A5)に置換して絞り込んだ(A5 mutation)ところ、-2845~-2830までの領域(BmEcRB1-elementl,以下E1)、及び-2825~-2805までの領域(BmEcRB1-element2,以下E2)がエクジソン応答1生に関与していた(図4B)。更に2bpずつのmutationで解析した結果、BmEcR-B1 isoformのエクジソン応答性には2つの領域が必須であることが示された。このような構造をもったエクジソン応答配列はこれまでに報告がない。E1、E2とEcR/USPとの相互作用を解析するため、aff3細胞抽出物を用いてEMSA(electrophoretic mobility shift assay)を行った。その結果、E1のプローブに対しては明瞭なバンドが観察され、このバンドは20E処理した抽出物では増強されること、またUSP抗体でスーパーシフトすることがわかった(図4C上段)。更に、BmEcR-A,-B1,BmUSPにV5タグを付けたキメラタンパクをそれぞれ過剰発現させたaff3細胞抽出物を用いると、同様なバンドが観察され、抗V5抗体によってスーパーシフトした(図4C 下段)。この結果は、E1にEcR/USPヘテロダイマーが結合していることを強く示唆する。一方、E2プローブでは、明瞭なバンドが観察されるが、20Eでは増強されないこと、EcR/USPの結合が見られないことが示された。この結果は、E2には定常的に発現する細胞内因子が結合する可能性を示唆する。

2-(2)クラスII 初期遺伝子BmE75-Aのエクジソン応答配列(BmE75A-EcRE)の同定

BmE75にはN末配列の異なるA~Dの4種類のisoformが存在するが、カイコゲノム情報を基にA isoformの転写上流約5kb(pBmE75-A_-5023/+85)をクローニングし、解析を行った。この領域全体は低濃度のエクジソンに対する明瞭な応答性を示したので(図5A)、複数のdeletion及びA5 mutationから、最終的に-335~-315の20bpの配列(BmE75A-EcRE)がエクジソンに応答し転写を活性化することが明らかになった(図5B)。更にEMSAから、この領域にEcR/USPのヘテロダイマーが結合することが明らかとなった。

2-(3)初期-後期遺伝子BHR3のエクジソン応答配列(BHR3B-EcRE)の同定

BHR3にはN末配列の異なるAとBの2種類のisoformが存在するが、カイコゲノム情報を基にB isoformの転写上流約2.9kb(pBHR3-B _-2891/+18)をクローニングし、解析を行った。このコンストラクトは、20Eが高濃度の2.0ug/mLの場合、転写活性が数百倍以上に上昇したが、低濃度の2.0×10(-2)ug/mLの場合にはほとんど応答性を示さず、初期-後期遺伝子のエクジソン応答性を維持していた(図6A)。このpBHR3B_-2891/+18に対し、deletionコンストラクトを順次作成して解析したところ、エクジソン応答配列は-445~-405の40bpに絞り込まれた(図6B)。EMSAから、この領域の18bpの配列(BHR3B-EcRE)がEcE/USPヘテロダイマーと強く結合することが明らかとなった。

【考察と結論】

本研究により、クラスI初期遺伝子BmEcR-B1、クラスII初期遺伝子BmE75-A、初期-後期遺伝子BHR3-BのEcREを同定することに成功した。初期遺伝子、初期-後期遺伝子の各クラスでEcR-Eを明瞭に示したのは今回が初めてである。

BmEcRB1-EcREは、EcR/USP複合体が認識・結合するE1と、隣接したE2から構成されていた。EcR/USPが結合しないE2の配列の一部にはbHLH(basic helix loop helix)の認識するCACGTG配列が含まれており、bHLH型の転写因子がある程度定常的に結合している可能性が考えられる。一方、BmE75A-EcREは20bpからなる単純なEcR/USP結合配列であり、両者のエクジソン応答性にはこのようなEcREの構造上の差が反映されているのかもしれない。高濃度の20Eで誘導される初期-後期遺伝子BHR3B-EcREは、BmE75と同様に18bpからなる単純なEcR/USP結合配列だった。従来から、HR3の転写は当初初期遺伝子によって抑制され、高濃度のエクジソンで誘導されると報告されている。BHR3のEcREが機能するにはこのような抑制から開放される必要があるのだろう。興味深いことに、3つの遺伝子のEcR/USP結合配列では5'末端側14bp(5'-TCGGGTCWWCGAAC-3')は完全に保存されていることが明らかとなった(図7)。これに対し3'末端側は各クラスで違いが見られ、EcR/USPへの結合に差をもたらしている可能性が考えられた。今後、EcR/USPの結合強度を比較することにより、エクジソン誘導性経路の階層性がより明確になると考えられる。

1) Shirai H, Kamimura M and Fujiwara H. (2007). Characterization of core promoter elements for ecdysone receptor isoforms of the silkworm, Bombyx mori. Insect Mol Biol. 16(2):253-64.2) Shirai H, Imanishi S, Kamimura M, Kojima T and Fujiwara H. Identification and characterization of ecdysone response elements conserved among edysone inducible nuclear receptor genes, BmEcR, BmE75 and BHR3. Manuscript in preparation

図1 エクジソン応答遺伝子の階層性の概念図

図2.3種類の培養細胞のエリジソン応答性と核内受容体遺伝子の20Eによる発現パターンの変化

図3.BmEcR-A-B1 isoformの転写開始点周辺の違い

図4.PBmEcr-B1_-3652/+248のエクジソン応答配列の解析

図5.pBmE75-A_-5023/+85のエクジソン応答配列の解析

図6.pBHR3-B_-2891/+18のエクジソン応答配列の解析

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章は複数のカイコ組織由来の培養細胞のエクジソン応答性とエクジソン誘導性核内受容体遺伝子の発現パターンの変化について、第2章はエクジソン誘導性核内受容体遺伝子のpromoter領域の解析について述べられている。

第1章では、まず本論文で用いた3種類のカイコ組織由来培養細胞のエクジソンに対する特性について解析されている。この3種類の培養細胞は、カイコの卵巣もしくは脂肪体を由来とする。まずそれぞれの細胞にエクジソンを添加して培養することで起こる変化を顕微鏡で観察し、それぞれの培養細胞でエクジソンに対する応答性が異なることが示された。実験としては単調であるが、添加するエクジソン濃度を変化させるなど、複数の検証がなされていることは評価できる。次に、各培養細胞において3種類の核内受容体遺伝子がエクジソンによって発現パターンがどのように変化するのかをNorthern Hybridizationによって解析している。それぞれの核内受容体の発現パターンはエクジソンによって様々に変化することが多角的な視点による解析から示された。中でも3種類の核内受容体遺伝子について、それぞれの発現が活性化するのに最低限必要なエクジソン濃度の決定を試みた点は評価できる。第1章は、それぞれの核内受容体遺伝子のpromoter領域を解析する第2章第2部の基盤として位置付けられており、その役割は十分に果たしていると思われる。

第2章は2部に分けられて構成されている。第2章第1部はエクジソンの直接の受容体であるエクジソン受容体(ecdysone receptor,以下EcR)の、isoform毎のpromoter領域について解析されている。これまでの解析から、EcR isoisoformfbrmには複数のisoformが存在すること、また変態期に昆虫の組織における細胞死・細胞増殖といった、細胞運命の決定にそれぞれのisoformが深く関与していることが示唆されていた。しかし、それぞれのisoformの発現を制御するメカニズムはおろか、promoter領域の解析すら行われていなかった。本論文ではカイコのEcR-A,EcR-B1という2種類のisoformに対し、それぞれの転写開始点を共同研究により決定した。この情報を基に、それぞれのisoformのpromoter領域を更に詳細に解析した。まず転写開始点より上流側を様々な形で欠失させたコンストラクトを作成し、Dual-Luciferase Assayにより解析、それぞれのisoformの転写に必要な領域を絞り込んだ。加えてそれぞれのpromoter領域全体をcis-element予測ソフトで解析し、絞り込まれた領域との関連性を調べた。また、どちらのisoformも転写開始点の上流側にTATA boxを持たないTATA-less遺伝子であることが明らかとなった。このような遺伝子は転写開始点の下流側から制御を受けていることが考えられ、この領域をDual-Luciferase Assayで詳細に解析した。その結果、EcR-AとEcR-B1では転写開始点周辺で機能するcis-elementの種類が異なることが示された。このようなEcR isoformのそれぞれのpromoter領域を詳細に解析した点、及びこれらEcR isoformの転写開始点周辺の違いと領域特異的な発現との関係を結びつけて考察した点は評価できる。

第2章第2部はカイコにおけるEcR-A,EcR-B1,E75-A,HR3-Bといった4種類のエクジソン誘導性核内受容体遺伝子のpromoter領域に対して、エクジソン応答配列(ecdysone response element,EcRE)の探索・解析が行われている。着目した各遺伝子のエクジソンによる誘導パターンがそれぞれ異なることは第1章で示されており、その関係性を含めて考察がなされている。それぞれのpromoter領域の転写開始点上流側をDual-Luciferase Assayで解析していったところ、最終的にEcR-Aを除く3種類のpromoter 領域からEcREを同定することに成功した。この解析では単純に転写開始点上流側を欠失させただけでなく、部分欠損や複数の変異を用いて、緻密に行われた点は評価できる。また同定した3種類のEcREをEMSA(electrophoretic mobility shift assay)で結合する因子で調べたところ、E75-A,HR3-BのEcREにはEcRが結合することが示された。興味深いことに、EcR-B1のEcREは「EcRの結合配列」と「別の因子が結合する領域」という2つの領域がどちらも必要である、つまり2つのcis-elementが共役する形で構成されていることが明らかとなった。このようなEcREはこれまでに報告が無く、本研究で明らかとなった新規の知見となる。またこの「別の因子が結合する領域」に対しては更に解析が行われており、bHLH(basic helix-loop-helix)ドメインを持つ転写因子が結合する可能性が示唆された。つまり昆虫の脱皮・変態で中心的に機能するEcRのエクジソン応答性が、EcRと別の転写因子によって制御されているということである。これは脱皮・変態の分子メカニズム全体を制御に関わる未知の因子を加えることができる、極めて重要な知見であり、本論文中で最も評価できる点である。

なお、第2章第1部は、農業生物資源研究所の神村学博士との共同研究である。しかし、BmEcR isoformのpromoter領域を含む多数のコンストラクトの作成・解析、それぞれのpromoter領域で予測される既知の転写因子認識配列のとりまとめなどは、論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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