学位論文要旨



No 125023
著者(漢字) 加藤,綾
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,アヤ
標題(和) 匂い刺激による嗅覚受容体の活性化および脱感作に関する生化学的解析
標題(洋)
報告番号 125023
報告番号 甲25023
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第441号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 東原,和成
 東京大学 准教授 河村,正二
 東京大学 准教授 松本,直樹
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 片岡,宏誌
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

我々の周りには常に匂いが存在する。その匂い環境は決して一定ではなく、匂いを構成する分子の種類も濃度も刻一刻と変化する。周囲の匂い環境の変化を察知するセンサーとして働くのが、Gタンパク質共役型受容体(GPCR)ファミリーに属する嗅覚受容体である。GPCRは、リガンドの結合に伴い構造を変化させてGタンパク質を活性化し、その後すぐに脱感作することが知られている。嗅覚系においても、生物が常に変化する匂い環境に対応するために、匂い受容機構の最初のステップである嗅覚受容体が素早く活性化し、また素早く不活性型に戻り、次の匂い受容に備えることが重要であると考えられる。しかし、嗅覚受容体一匂い分子間の相互作用や構造活性相関が明らかになる一方で、嗅覚受容体-Gタンパク質問の相互作用や、嗅覚受容体の脱感作(不活性化)の分子メカニズムについては未解明なままである。そこで本研究は、嗅覚受容体がGタンパク質を活性化する際の分子機構、および嗅覚受容体の脱感作機構の解明を目的とした。

[結果]

1.嗅覚受容体におけるGタンパク質活性化機構の解明

1)嗅覚受容体とGタンパク質の共役に関与するアミノ酸の同定

嗅覚受容体は、嗅神経細胞においてGsタイプのGタンパク質であるGαolfと共役する。そこで本研究ではまず、HEK293細胞を用いてmOR-EGとGαsの共役に関わるアミノ酸の同定を試みた。mOR-EGをHEK293細胞に発現させアゴニストであるオイゲノール(EG)で刺激を行うと、mOR-EGは細胞内在性のGαsと共役し、細胞内cAMP量が増加する。一方、様々なGPCRと共役するGα15とmOR-EGを共発現させEG刺激を行うと、mOR-EGはGα15と共役し、細胞内Ca(2+)の上昇が引き起こされる。そこで、Gタンパク質と相互作用すると予想される細胞内領域に存在するアミノ酸の部位特異的変異体を作製し、共役するGタンパク質が異なるcAMPアッセイ法およびCa(2+)イメージング法によって匂い応答解析を行った。

その結果、細胞内第3ループおよびカルボキシル末端(C末端)に位置する複数の変異体において、Gα15を介したCa(2+)上昇は野生型と同様であるが、Gαsを介したcAMP産生が顕著に低下するという表現型が認められた1図1AI。Ca(2+)上昇が野生型と変わらないという結果は、mOR-EGとEGとの結合が正常であることを示している。このことから、これらのアミノ酸がGαsとの共役に関与することが示唆される。興味深いことに、C末端に存在する8番目のヘリックス構造内のアミノ酸のProへの変異体では、どちらのアッセイ法においても匂い応答が完全に消失した[図IB]。Proはヘリックス構造を壊すアミノ酸として知られているため、8番目のヘリックス構造が嗅覚受容体とGタンパク質の相互作用に必須の機能を担うことが示唆される。

2)リガンド結合に伴う嗅覚受容体の構造変化に関する解析

嗅覚受容体が属するGPCRは、アゴニストの結合に伴い構造を変化させ、その構造変化によりGタンパク質を活性化することが知られている。その際、3,6番目の膜貫通部位(TM3,6)の動きがGタンパク質の活性化に重要であることが、ロドプシンなどでの実験より明らかとなっている。嗅覚受容体においては、TM6に位置するPhe252のLeu変異体でアンタゴニストによる阻害活性が消失することが示されている。この結果から、Phe252がアンタゴニストと安定な結合をとり、受容体構造を不活性型に維持するものと考えられる。そこで、TM6内アミノ酸の部位特異的変異体を解析し、嗅覚受容体の構造変化におけるTM6の役割を検証した。

その結果、TM6の細胞質近傍に位置するSer240の変異体で、匂い応答が野生型に比べ顕著に上昇するという結果が得られた[図2A]。これらの変異体の細胞膜における発現量は野生型と変わらないため[図2B]、変異導入によりmOR-EGによるGタンパク質活性化効率が上昇したと考えられる。次に、この表現型が嗅覚受容体ファミリー全般に共通するものかを検証したところ、他の嗅覚受容体においても同部位への変異導入により匂い応答{生の上昇が認められた[図2C,D]。このSerは嗅覚受容体ファミリーに高く保存されたKAFSTCモチーフの中に位置しており、KAFSTC内Serが受容体の活性調節に重要な役割を果たすことが示唆される。

2.嗅覚受容体の脱感作機構の解明

アゴニストによって活性化したGPCRは、活性型のGPCRを特異的にリン酸化するGRK(G-protein coupled receptor kinase)などのキナーゼによってリン酸化され、脱感作することが知られている。しかし、個体レベルでの匂いの順応現象はよく知られている一方で、嗅覚受容体そのものに焦点を当てた脱感作機構の解析はほとんどされていない。そこで、mOR-EGを用いて嗅覚受容体の脱感作機構の解明を試みた。

まず、アゴニスト刺激によってmOR-EGのシグナル伝達活性が低下するかを検証するために、野生型mOR-EGを発現するHEK293細胞を低濃度のEGで前処理し、その後のEG刺激に対するcAMP産生量を測定したところ、コントロールに比べ有意にEG応答が低下することを見出した[図3A]。このEG応答の抑制は、mOR-EGのリガンドでない匂い分子(AA)や、mOR-EGと同様にGαsと共役するβ2アドレナリン受容体のアゴニスト(ISO)で前処理を行った場合には認められない。このことから、細胞内情報伝達に関与する分子ではなく、mOR-EG自体のシグナル伝達機能がアゴニスト刺激によって減弱したことが示唆される。

次に、このmOR-EGのシグナル伝達機能の低下がどのようなメカニズムによって引き起こされるかを解析した。まず、EG刺激によるmOR-EGのシグナル伝達機能の低下が、mOR-EGの細胞内移行によるものかを検証するために、EG刺激を行った後に細胞膜上受容体数の定量を行った。その結果、これまでに細胞内移行することが示されているムスカリン性アセチルコリン受容体などとは異なり、mOR-EGを発現する細胞ではEG刺激による細胞膜上受容体数の低下が認められなかった[図3B]。このことから、mOR-EGは脱感作の過程で細胞内移行しないことが示唆される。次に、セカンドメッセンジャー依存的に活性化するキナーゼであるPKAやPKCの特異的な阻害剤(H-89,Calphostin C)や、幅広いキナーゼを阻害するStaurosporineで前処理した細胞を用いて匂い応答解析を行った。その結果、mOR-EGを発現するHEK293細胞は、StaurosporineによりcAMP産生が上昇したが、H-89およびCalphostin Cの影響を受けないことが明らかとなり、mOR-EGの脱感作にはStaurosporineによって阻害されるキナーゼが関与することが示唆された[図3C]。

嗅覚受容体が発現する嗅上皮には、GRKファミリーの1つであるGRK3が多く発現することが知られている。また、GRK3はHEK293細胞に内在的に発現することが報告されており、Staurosporineによる阻害を受けると考えられる。そこで、嗅覚受容体の脱感作へのGRK3の関与を検証した。まずGRK3をmOR-EGと共発現させたところ、コントロールと比べ有意にEG応答が抑制された[図4A]。このEG応答の抑制は、GRK3のdominant negative体存在下では認められなかった[図4A]。また、図3Aのようなアゴニスト前処理によるEG応答の低下は、GRK3のdominant negative体では引き起こされなかった[図4B]。これらの結果から、mOR-EGの脱感作にGRK3によるリン酸化が関わる可能性が示唆される。そこで、mOR-EGのリン酸化を直接検出することを試みた。HEK293細胞にFlag-mOR-EGおよびGRK3を過剰発現させ、EG刺激を行った後に抗Flag抗体で免疫沈降し、抗リン酸化Ser抗体でイムノブロットを行ったところ、EG刺激によりリン酸化mOR-EGのシグナルが検出された。この結果は、GRK3存在下においてEG刺激によりmOR-EGのSer残基がリン酸化されることを直接示すものである。

[結論]

本研究では、匂い分子との結合により、嗅覚受容体が活性型へと構造を変化させGタンパク質を活性化し、その後リン酸化され脱感作するまでの一連の動態変化を分子レベルで明らかにすることを目指した。まず、嗅覚受容体によるGタンパク質活性化における2つのステップ、すなわち嗅覚受容体の活性型への構造変化と、Gタンパク質共役に関与するアミノ酸を同定した。また活性型への構造変化や活性調節にはTM6のダイナミクスが重要であることを示した。また、アゴニスト刺激によって嗅覚受容体は脱感作し、その脱感作機構にGRK3によるリン酸化が関わることを明らかにした。

Kato A. Katada S and Touhara K (2008) "Amino acids involved in conformational dynamics and G protein coupling of an odorant receptor: targeting gain-of-function mutation" Journal of Neurochemistry, 107,1261-1270 (2008)

図1. Gタンパク質との共役に関与するアミノ酸の変異体解析

図2.KAFSTCモチーフ内のSer変異体の匂い応答解析

図3.HEK293細胞におけるmOR-EGの脱感作機構の検証

図4.mOR-EGの脱感作へのGRK3の影響

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、五感のひとつである嗅覚感覚において、嗅覚受容体が、匂いや香りと結合してシグナルを伝達し、その後定常状態にもどる機構を解明することが目的とされている。本論文は、嗅覚受容体とGタンパク質との共役に関わるアミノ酸の同定、嗅覚受容体の活性型への構造変化に関わるアミノ酸の同定、嗅覚受容体の脱感作機構の解析の三章からなる。

第一章では、嗅覚受容体がGタンパク質と共役するさいに相互作用するアミノ酸を同定したことが述べられている。具体的には、嗅覚受容体のなかで、Gタンパク質と相互作用すると予想される細胞内領域に存在するアミノ酸の部位特異的変異体を作製し、培養細胞での匂い応答解析を行った。その結果、細胞内第3ループおよびカルボキシル末端(C末端)に位置する複数のアミノ酸変異体において、Gタンパク質との共役によるセカンドメッセンジャー産生量が顕著に低下するという表現型が認められた。これらのアミノ酸がGタンパク質との共役に関与することが示唆された。また、8番目のヘリックス構造が嗅覚受容体とGタンパク質の相互作用に必須の機能を担うことが示された。

第二章では、嗅覚受容体の構造変化に関わるアミノ酸を同定したことが述べられている。具体的には、第六膜貫通部位に位置するSer240の変異体で、匂い応答が野生型に比べ顕著に上昇するという結果が得られた。いくつか複数の嗅覚受容体においても同部位への変異導入により匂い応答性の上昇が認められた。このSerは嗅覚受容体ファミリーに高く保存されたモチーフの中に位置しており、嗅覚受容体が活性型へと構造変化するさいに重要な役割をするアミノ酸であると考えられた。

第三章では、嗅覚受容体は、匂いのシグナルを細胞内に伝えた後、リン酸化をうけることによって脱感作し、定常状態にもどることを明らかにしたことが述べられている。具体的には、嗅覚受容体を発現させた培養細胞を匂い物質で前処理しておくと、その後の匂い刺激応答が減弱したことが示された。次に、その減弱には、Gタンパク質共役型受容体リン酸化酵素3(GRK3)が関わることがわかった。実際、嗅覚受容体が匂い刺激依存的にリン酸化を受けることは、抗リン酸化Ser抗体を用いて実証された。

本研究は、嗅覚受容体の活性化メカニズムとその脱感作(順応)機構を、初めて分子レベルで示したものである。本審査における、論文提出者の口頭発表は、非常にわかりやすく、明快に研究成果が説明された。審査の質疑で集中した点は、嗅覚受容体が脱感作してすばやく定常状態にもどる意味について、リン酸化が本当に匂いに対する順応に必要かどうかについて、匂い応答のアッセイ系について、などであったが、論文提出者は適確に答えた。一方、In vivoにおいて本当にリン酸化がおきうるかどうかの実証が、今後の課題として残されている。また、博士論文は、審査員全員の共通コメントとして、大変わかりやすく、理路整然と説得力ある形で書かれているという評価があった。

なお、本論文は、当研究室出身の堅田明子博士の実験技術指導のもとおこなった研究であるので、原著論文では共著者となっているが、すべての結果は、論文提出者がだしたものなので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上の結果、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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