学位論文要旨



No 125024
著者(漢字) 川口,大地
著者(英字)
著者(カナ) カワグチ,ダイチ
標題(和) マウス大脳発生におけるNotch-Delta経路の機能解析
標題(洋)
報告番号 125024
報告番号 甲25024
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第442号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
 東京大学 准教授 東原,和成
 東京大学 准教授 久恒,辰博
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

序論

脳は神経情報を処理・統合する事により生物の複雑な行動を制御する高度な機能を持つ器官であり、その形成過程は非常に興味深い。脳を含む中枢神経系において、発生初期には比較的均一な性質の神経系前駆細胞が未分化性を維持したままその数を増やす。発生が進むと神経系前駆細胞はニューロンを産生し、さらに発生が進むとグリア(アストロサイト、オリゴデンドロサイト)を産生する。そして、分化したニューロンやグリアが複雑なニューロンネットワークを構築する。神経系前駆細胞は発生が進むと一斉に分化するのではなく、一部の細胞のみが選別されてニューロンに分化する。このとき、ニューロンの選別機構が正常に機能しないと最終的なニューロン数や組織の形態に大きな影響を与える事が予想される。例えば、神経系前駆細胞からニューロンに選別される割合が高くなると親細胞である神経系前駆細胞の数が減少し、結果としてニューロン数が減少する事が考えられる。しかし、どのようなメカニズムで一部の細胞のみがニューロンに選別されるのかは十分にはわかっておらず、そのメカニズムの解明は哺乳類の中枢神経系発生を理解する上で重要であるといえる。

ショウジョウバエの神経系などでは、分化抑制機能を持つ膜タンパク質NotchとそのリガンドDeltaのシグナル経路による側方抑制機構が均一な細胞集団から細胞の多様性を生み出すのに重要な役割を果たしている事が知られている。Notch-Delta経路による側方抑制機構は、活性化したNotchの下流でリガンドDeltaの発現が抑制される事に基づいて起こる。均一な細胞集団においてDeltaの発現量が周囲よりも多くなった細胞が現れると、その周囲の細胞ではNotchがより活性化しDeltaの発現は抑制される(Fig.1b中央)。すると、Deltaを多く発現した細胞は周囲からのリガンド刺激が減弱しNotchが活性化しなくなり分化する(Fig.1b右)。その結果、Notchが活性化している細胞とDeltaを発現している細胞は別の細胞で相互排他的に存在するようになる(Fig.la,b)。哺乳類の中枢神経系において値Notchの活性化が神経系前駆細胞を強力に分化抑制する事は知られているが、Notch-Delta経路による側方抑制機構が機能しているかはわかっていなかった。本研究では、マウス大脳発生において神経系前駆細胞から一部の細胞がニューロンに選別される際にNotch-Delta経路による側方抑制機構が機能しているのかを検討した。

結果

(1)ニューロン分化期の大脳の神経系前駆細胞においてDll1のとNotch1の活性化は相互排他的である

マウス大脳発生のニューロン分化期においてこれまでの報告ではNotchリガンドDll1(ショウジョウバエDeltaのホモログ)は神経系前駆細胞では発現せず、ニューロン分化直後に発現が上昇すると考えられてきた。しかし、神経系前駆細胞からニューロン分化細胞が選択される際にもし側方抑制機構が機能しているならば、神経系前駆細胞間でDmの発現量に差が生じている事が考えられる。そこで本研究ではまず、ニューロン分化期の大脳においてDll1のmRNAとタンパク質の発現を調べた。その結果、神経系前駆細胞においてDmが発現する事が観察され、さらに神経系前駆細胞においてDmの発現に強弱がある事がわかった。側方抑制機構が機能しているならば、Dll1陽性細胞ではNotch活性が低く、逆にDUI陰性細胞ではNotch活性が高い事が予想される。そこで次に、Dll1発現とNotch活性の関連について調べた。その結果、大脳の神経系前駆細胞においてDll1の発現とNotchlの活性化が同じ細胞では殆ど重ならず、相互排他的に存在する事が明らかとなった(Fig.2)。これらの結果から、マウス大脳発生においてNotch-Delta経路による側方抑制機構が機能している可能性が示唆された。

(2)in vitroにおいてDll1細胞は細胞間相互用を介してニューロンに分化する

もし、側方抑制機構が機能していれば、Deltaを周囲よりも多く発現した神経系前駆細胞は、周囲の細胞のニューロン分化を抑制し、続いて周囲の細胞でのDeltaの発現が抑制されるため、自身はNotchの活性が減弱してニューロン分化する事が予想される。そこで、少数の神経系前駆細胞にのみDll1遺伝子を導入して周囲の細胞とのDmの発現量に差をつけ、Dll1導入細胞のニューロンマーカーTuJ1陽性細胞の割合を調べた。その結果、Dll1導入細胞はニューロン分化が促進した(Fig.3a)。この時期の神経系前駆細胞はアストロサイトには殆ど分化しないが、Dll1導入細胞はアストロサイト分化には影響が殆どなかった。また、アストロサイトに主に分化する時期の神経系前駆細胞でもニューロン分化が促進し、アストロサイト分化は抑制された。次に、Fig-3aで見られたDll1導入細胞のニューロン分化が側方抑制機構という細胞間相互作用に基づいた分化であるかを調べた。側方抑制機構による分化細胞の決定には、周囲の細胞とのDll1の発現量に差がつく事が必要である。そこでまず、周囲の細胞との発現量の差をなくすために殆どすべての神経系前駆細胞にDll1を遺伝子導入した。その結果、少数の細胞でのみ遺伝子導入した場合に見られたDll1導入細胞のニューロン分化の促進は見られなくなった(Fig.3b)。次に、細胞密度を薄くする事で細胞間相互作用を減らすと、Dll1導入細胞のニューロン分化が見られなくなった(Fig.3c)。さらに、Dll1は細胞内ドメインが切断されて核内移行し細胞自律的に何らかのシグナルを伝えている可能性を示唆する報告があるので、Dll1細胞内ドメインのみを神経系前駆細胞に遺伝子導入したが、ニューロン分化に対する影響はなかった(Fig.3d)。以上の実験より、Fig.3aで見られたDll1発現細胞のニューロン分化促進は細胞間相互作用に基づいた側方抑制機構によるものである事が強く示唆された。

(3)in vivoにおいて周囲より多くDll1を発現した神経系前駆細胞はニューロンに分化する

次に、in vitroだけでなくin vivoにおいてもDll1を周囲より多く発現した細胞がニューロン分促進するか検討するため、マウス子宮内において胎児大脳の神経系前駆細胞に遺伝子導入する手法を用いた。胎生12.5日目の胎児大脳において少数の神経系前駆細胞にのみDll1を過剰発現し、2日間母胎内で発生を進めた後の遺伝子導入細胞の大脳皮質における位置と、分化状態を調べた。神経系前駆細胞は分化すると脳室帯(VZ)を離れて脳室下帯(SVZ)→ 中間帯(IZ)→ 皮質板(CP)へと移動していくが、Dll1導入細胞はコントロールに比べて皮質板へと移動している細胞の割合が高くニューロン分化が促進している事が考えられた(Fig.4a)。また、Dll1導入細胞におけるTuJ1陽性細胞の割合がコントロールに比べて上昇している事がわかり(Fig.4b)、in vivoにおいてもDll1を周囲の細胞よりも多く発現した細胞はニューロン分化が促進する事がわかった。

(4)in vivoにおいてDll1が周囲の細胞より少ない神経系前駆細胞は未分化性が維持される

さらに、Dll1のニューロン分化細胞選択における必要性を検討するため、Dll1のコンディショナルノックアウト(cKO)マウスを用いた解析を行った。そもそも大脳発生においてどのNotchリガンドがNotchの活性化に重要なのかは分かっていない。そこでまず、Dll1がNotch活性化とニューロン分化抑制においてどれほど重要なのかを検討した。神経系前駆細胞マーカーNestinのpromoter/enhancerの下流でCreリコンビナーゼを発現するトランスジェニックマウスとDll1-locusの一部をloxP配列で挟んだマウス(Dll1 flox/floxマウス)をかけ合わせることにより神経系前駆細胞でDll1をKOした。その結果、胎生11.5日目には大脳におけるNotch1の活性化は殆どみられなくなり、また、ニューロン分化が促進している事がわかった。胎生16.5日目には神経系前駆細胞が枯渇し殆どすべてがニューロンに分化した。このことから、Dll1は大脳発生において神経系前駆細胞の未分化性維持に必須のNotchリガンドである事がわかった。次に、D111が側方抑制機構を介したニューロン分化細胞の選択に必要かを検討するため、in vivoにおいて少数の神経系前駆細胞のみDll1をKOする実験を行った。これにより、Dll1KO細胞は周囲の神経系前駆細胞のNotchを活性化できなくなるので、周囲の細胞はDll1の発現が上昇する。その結果Dll 1 KO 細胞はNotchが活性化するので未分化性が維持される事が考えられる。そこで、Dll1 flox/floxマウスの胎生12.5日目の胎児大脳において少数の神経系前駆細胞にのみCreリコンビナーゼを遺伝子導入し、3日間母胎内で発生を進めた後の遺伝子導入細胞(Dll1 KO細胞)の位置と、分化状態を調べた。その結果、Dll1 KO細胞はコントロールに比べて神経系前駆細胞が存在する脳室帯により多く残り、未分化性が維持されている事が示唆された(Fig.5a)。また、Dll1 KO細胞における神経系前駆細胞マーカーPax6陽性細胞の割合もコントロールに比べて増加する事が明らかとなった(Fig.5b)。殆どすべての神経系前駆細胞でDll1をKOするとすべての細胞がニューロンに分化するという結果と合わせると、周囲の細胞とのDll1の量の違いを介した相互作用がニューロンに分化するか未分化性を維持するかを決めるのに重要である事を示唆しており、すなわちそれは側方抑制機構がニューロン分化細胞選択に必須である事を示唆している。

結論

これまでに、大脳発生において神経系前駆細胞がどのようなメカニズムで一部のニューロン分化細胞を選択しているのかは十分にはわかっていなかった。これまでの報告から、そのメカニズムとしては神経系前駆細胞が分裂する際に分化決定因子を非対称に分配することで分化細胞を決定するという非対称分裂が考えられていた。しかしながら、非対称に分配される分化決定因子の存在は未だ明らかにはなっておらず、その重要性は未解明である。本研究によって、神経系前駆細胞間のDll1の発現量の違いがニューロン分化細胞の選択に重要である事を示した。このことから、細胞分裂時の非対称分配だけでなく細胞間の相互作用を介したNotch-Delta経路による側方抑制機構がニューロン分化細胞選択に寄与している事が示唆された。

Fig.1 Notch-Delta経路による側方抑制機構の模式図

Fig.2胎生135日目のマウス大脳皮質の脳室帯(VZ)において、Dll1陽性細胞中、またはDm陰性細胞中の活性型Notch1陽性細胞の割合を調べた。 *P<0.0005

Fag.3マウス大脳皮質由来神経系前駆細胞にDll1またはDll1細胞内ドメイン(DICD)を遺伝子導入し、ニューロンマーカーTuJ1陽性細胞の割合を調べた。(a,bの模式図の黒丸は遺伝子導入細胞を表す)*P<0.05

Fig.4胎生12.5日目のマウス大脳皮質において一部の神経系前駆細胞にのみDll1を遺伝子導入し、発生を2日進めた後、遺伝子導入細胞の位置(a)とニューロンマーカーTuJ1陽性細胞の割合(b)を調べた。*P<0 .01, **P<0.001

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、哺乳類の大脳発生において神経系前駆細胞の中から一部の細胞のみがニューロンに分化する機構としてNotch-Delta経路に注目して解析を行っている。神経系前駆細胞からニューロン分化細胞が産生される際に、神経系前駆細胞は一斉にニューロン分化するのではなく、未分化性を維持している神経系前駆細胞の中から一部の細胞のみがニューロンに分化選択される。ニューロン分化細胞の選択は最終的なニューロン数の決定や大脳形成において重要な要素である事が考えられるが、どのようなメカニズムによって一部の細胞のみが分化選択されるのかは殆どわかっていなかった。一方、ショウジョウバエの末梢神経などにおいては、Notch-Delta経路の細胞間フィードバックループによるシグナル差の増幅が均一な細胞集団からの分化細胞選択に貢献している事が示されていた。そこで本論文では、マウス大脳発生においてNotch-Delta経路のフィードバックループが未分化な神経系前駆細胞間で機能する事によりニューロン分化細胞が選択されるかを検討している。

まず、神経系前駆細胞におけるNotchの活性化とNotchリガンドDelta-like1の発現の関係を調べるために組織染色を行い、Notch活性化とDelta-like1発現が異なる神経系前駆細胞で相互排他的に起きている事を示した。この事は、神経系前駆細胞間でフィードバックループが機能している事を示唆している。さらに、神経系前駆細胞間でのDelta-like1の発現量の差によって分化細胞選択が行われるかを大脳皮質由来神経系前駆細胞を用いて解析を行っている。その結果、周囲の細胞よりもDelta-like1発現量の高い細胞が細胞間相互作用を介してニューロンに分化する事が明らかになった。同様の結果がin vivoにおける実験によっても示されている。これらの結果は、未分化細胞間でのNotch.Delta経路のフィードバックループがニューロン分化細胞選択において機能している事を示唆している。さらに、Delta-like1コンディショナルノックアウトマウスを用いて、分化細胞選択におけるDelta-like1の必要性についても検討している。その結果、Delta-like1を神経系前駆細胞全体でノックアウトすると神経系前駆細胞はほとんどすべてニューロンに分化してしまうが、一方で周囲の細胞に対してDelta-like1をノックアウトした細胞は未分化性がより維持されるという結果が得られており、このことはまさに細胞間相互作用を介したフィードバックループによるシグナル差の増幅モデルを支持している。

これまで、哺乳類の大脳発生において神経系前駆細胞からの分化細胞選択を説明する機構としては細胞分裂時に分化決定因子が非対称に分配されて分化細胞が決定するという非対称分配が考えられてきた。しかし値非対称に分配される分化決定因子の存在は未だ明らかにはなっておらず、どのようなメカニズムが分化細胞選択に重要であるのかはほとんどわかっていなかった。そのような研究背景の中で、細胞分裂時の非対称性だけでなく細胞間相互作用を介したメカニズムによっても分化細胞が選択されるという事を示した本論文は大脳発生における重要な知見であるといえる。そして本論文により得られた知見は大脳発生において重要な要素であるニューロン数の決定の理解に大きく貢献すると考えられる。

なお、本論文は吉松剛志、穂積勝人、後藤由季子との共著であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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