学位論文要旨



No 125046
著者(漢字) 河合,繁子
著者(英字)
著者(カナ) カワイ,シゲコ
標題(和) 酵母プリオン伝播の分子機構の解明
標題(洋)
報告番号 125046
報告番号 甲25046
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第464号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 田口,英樹
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 准教授 伊藤,耕一
内容要旨 要旨を表示する

【背景と概要】

羊のスクレイピーや牛の狂牛病などの神経変性疾患の原因であるプリオンは、タンパク質性の感染因子である。プリオンは、正常型タンパク質から異常型タンパク質へと自己触媒的に構造を変換し、アミロイド線維を形成する。近年、真核生物のモデル生物である出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)においても、プリオンのような挙動をするタンパク質がいくつか見つかっており、プリオンの概念は普遍的なものとなってきた。たとえば、非メンデル性の遺伝現象として古くから知られていた出芽酵母の[PSI]は、プリオンの概念を当てはめると説明がつき、その原因タンパク質であるSup35がプリオン的にふるまうことから、今ではプリオンの一つと考えられるようになっている(Wickner,Science 1994)。

そのSup35にGFP(green fluorescence protein)をつないだSup35-GFP融合タンパク質を[psi]株(野生株)で発現させると、細胞質全体がGFPの蛍光で光るのに対し、プリオンとなった[PSI]株では蛍光がドット状の凝集体として点在することが知られている(図1)。このドット状の凝集体こそがプリオンの実体であり、世代間を伝播することでプリオンが維持されると考えられていた。そこで私は、酵母プリオンがどのようなメカニズムで伝播するのかを調べるために、[PSI]株を用いて1細胞レベルで観察することで、その解明を目指した。その結果、酵母プリオンは凝集体の状態で娘細胞に伝播するのではなく、分子シャペロンであるHsp104によって、オリゴマーの状態に分断されて、伝播することを明らかにした。

1.プリオン伝播ダイナミクスの1細胞観察

従来は、細胞内でのプリオンの実体はドット状の凝集体であり、この凝集体が遺伝することによってプリオンが伝播すると考えられていた。しかし、今までに凝集体が親細胞から娘細胞に伝播されていく「現場」を直接観察した例はなかった。そこで私はこのプリオンの伝播のダイナミクスを、1細胞を経時的に観察することで明らかにしようと試みた。その結果、予想外なことに、プリオンは凝集体がオリゴマーに分断された状態で伝播することを明らかにした。

【プリオン伝播の1細胞観察系の構築】

プリオン伝播ダイナミクスを1細胞レベルで観察するために、東京医科歯科大学、安田賢二研究室と共同で、オンチップ1細胞培養システムを構築した。このシステムは、酵母1細胞を顕微鏡下のスライドグラス上で培養することができ、1細胞内のプリオンの娘細胞への伝播を直接観察することができる。その結果、驚いたことにドット状の凝集体は酵母の成長に伴って解消し、細胞質に拡散しながら伝播していくことが明らかとなった。

【プリオンの実体を明らかにする】

細胞観察によって、ドット状の凝集体は細胞の成長に伴って消失することが明らかになったが、いったいどのような状態で娘細胞に伝播するのであろうか。私は、プリオンの実体を調べるために、細胞内におけるプリオンの大きさを見積もった。方法として、蛍光相関分光法(FCS)を用いた。FCSとは、蛍光分子の揺らぎ(ブラウン運動)から、その蛍光分子の拡散の速さを測定することができる方法である。実際には共焦点レーザー顕微鏡を使って測定する(図2)。

この方法を用いれば、細胞を破壊せずに、生きた細胞内でのSup35-GFPの大きさを見積もることができる。その結果、[PSi]株ではモノマーのSup35が細胞質に存在していたのに対して、[PSI]株にはある程度の大きさのオリゴマーが細胞質に存在することがわかった。さらに、オンチップ1細胞培養システムとFCSを組み合せたオンチップ1細胞培養FCS測定法を構築した。それを用いて1細胞におけるオリゴマーの伝播を経時的に観察すると、ドット状のプリオン凝集体は細胞の成長に伴ってダイナミックにオリゴマーになり、そのオリゴマーの状態で、酵母プリオンが娘細胞に伝播していくことが明らかとなった(図3)。このFCS測定は、北海道大学金城政孝研究室との共同研究である。

2.プリオン伝播における分子メカニズムの解明

プリオン現象を要素に分けて考えると、プリオンの「実体」が「増殖」していきながら、「伝播」することが必要である。プリオンの「実体」がオリゴマーであることは分かったが、そのオリゴマーがどのようなメカニズムで「増殖」して「伝播」するのかはまだ分からない点が多い。一方、酵母プリオン[PSI]の維持(「増殖」および「伝播」)には、適度に発現したHsp104という脱凝集を促進するシャペロンが必要であることが知られている(図4)。しかし、このHsp104が実際にSup35オリゴマーに対してどのように作用しているのかは分かっていない。よって、Hsp104によるプリオンの「増殖」「伝播」の分子メカニズムを明らかにするために、親細胞と娘細胞を区別して、細胞内のオリゴマーを観察する手法をとることにした。そこで、今までに構築してきた1細胞観察系を利用し、Hsp104を過剰発現させた場合と、Hsp104の機能を塩酸グアニジン(GuHCl)によって阻害した場合とで、プリオンの凝集体、およびプリオンの実体であるオリゴマーが世代ごとにどのように変化し伝播されていくのかを、1細胞レベルでFCSによって解析した。それらの結果から、Hsp104とプリオンとの関係を明らかにしようと試みた。

【Hsp104過剰発現によるプリオン伝播への影響】

Hsp104が適度に発現しているときは、Sup35はオリゴマーの状態で娘細胞に伝播していく。Hsp104がSup35の凝集状態にどのように関わるのかを明らかにするために、まずHsp104を過剰発現させた。その結果、Sup35-GFPが恒常的に発現しているにもかかわらず、Sup35-GFP凝集体は経時的になくなっていった(図5)。また、FCS測定の結果から、Hsp104過剰発現時のSup35の状態は、親細胞よりも娘細胞、娘細胞よりも孫細胞、というように世代をへてオリゴマーのサイズが小さくなり、モノマーに近づいていることが分かった。

【Hsp104の機能阻害によるプリオン伝播への影響】

GuHCl処理によってHsp104の機能を阻害した[PSI]株では、Hsp104の機能、および発現量が正常なときには見られないようなアミロイド線維様のヒモ状凝集体ができる(図6)。FCSによってこのヒモ状凝集体をもつ細胞の細胞質にはオリゴマー状態のSup35が存在していることがわかったが、世代を経るにつれて、細胞質に存在するSup35がモノマーに近づいていっていることがわかった(図7)。すなわち、GuHClによってHsp104の機能を阻害することで親子間のプリオンの伝播に障害が生じ、よりサイズの小さなSup35オリゴマー、およびモノマーが伝わっていることがわかった。この結果は光退色後蛍光回復(FRAP)の解析結果からも示唆することができた。FRAPとは、ある領域の蛍光をレーザーで退色した後の蛍光の回復を測定することで、蛍光分子の拡散速度を調べることができる方法である。娘細胞全体の蛍光を退色させ、Sup35-GFPの母細胞からの伝播速度を調べると、約半数の細胞が、[psi]株(GuHCl未処理)における親子間のSup35の伝播速度とほぼ同じ速度で伝播していた。すなわち、GuHClによってHsp104の機能を阻害することで、モノマーに近い小さなサイズのSup35がダイレクトに伝播されている様子を観察することができた。これらの結果から、Hsp104はプリオンダイナミクスの重要な因子であり、Hsp104が適度に発現し機能していないと、世代間のオリゴマー伝播に障害が生じ、プリオンが維持されないことがわかった。

【まとめ】

通常の遺伝学では細胞の集団を扱うため、個々の細胞内におけるタンパク質の情報を直接得ることはできない。また、個別の細胞内のタンパク質を蛍光などでイメージングする技術も、ある時間での静止画を捉えるのがふつうであり、タンパク質がどのような動態にあるかを知ることはなかなかできない。本研究では、1細胞内でのタンパク質の動態を経時的に追うことで、従来の方法では成しえなかったタンパク質の動態を直接捉えることに成功し、「プリオンの伝播」という興味深い生命現象がおこるまさにその「現場」をダイレクトに「観る」ことができた。この手法により酵母プリオンの正体は、従来考えられていた凝集体ではなく、オリゴマーであることが解明された。そして細胞の成長に伴って、凝集体は分子シャペロンであるHsp104によってダイナミックにオリゴマーに分断され、次の世代に伝播されていることがわかった。このような手法はプリオン現象にとどまらず、細胞内で起こっている多くのタンパク質の動態解析に応用できるものと期待される。

Kawai-Noma, S., Ayano S, Pack CG, Kinjo M, Yoshida M, Yasuda K and Taguchi H.Dynamics of yeast prion aggregates in single living cells. Genes to Cells. 11: 1085-96, (2006)

図1酵母プリオン[PSI]

図2蛍光相関分光法(FCS)

図3酵母プリオンの実体

図4Hsp104の発現量とプリオンの伝播の関係

図5Hsp104過剰発現による凝集体の変化

図6ヒモ状凝集体(左)とその電子顕微鏡写真(右)

図7Hsp104機能阻害におけるプリオン伝播への影響

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第一章は序論、第二章はプリオン伝播ダイナミクスの1細胞観察、第三章はプリオン伝播における分子メカニズムの解明、第四章は全体を通して、そして第五章は実験で用いた方法と材料について述べられている。

まず、第一章では、プリオンとは何か、酵母におけるプリオン現象とはどんな現象か、さらに論文提出者の研究に至るまでの背景が書かれている。

羊のスクレイピーや牛の狂牛病などの神経変性疾患の原因であるプリオンは、タンパク質性の感染因子である。プリオンは、正常型タンパク質から異常型タンパク質へと自己触媒的に構造を変換し、アミロイド線維を形成する。近年、真核生物のモデル生物である出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)においても、プリオンのような挙動をするタンパク質がいくつか見つかっており、プリオンの概念は普遍的なものとなってきた。たとえば、非メンデル性の遺伝現象として古くから知られていた出芽酵母の[PSI+]は、プリオンの概念を当てはめると説明がつき、その原因タンパク質であるSup35がプリオン的にふるまうことから、今ではプリオン現象の一つと考えられるようになっている。

そのSup35にGFP(green fluorescence protein)をつないだSup35-GFP融合タンパク質を[ρsi株(野生株)で発現させると、細胞質全体がGFPの蛍光で光るのに対し、プリオンとなった[PSI+]株では蛍光がドット状の凝集体として点在することが知られている。このドット状の凝集体こそが次世代に伝播するいわばプリオンの実体であり、プリオンが維持されると考えられていた。そこで論文提出者は、酵母プリオンがどのようなメカニズムで伝播するのかを調べるために、[PSI]株を用いて1細胞レベルで観察することで、その解明を目指した。

第二章では、プリオン凝集体の運命を1細胞で経時的に観察するための1細胞観察系の構築と、プリオン伝播ダイナミクスの1細胞観察についての実験結果が述べられている。

従来は、細胞内でのプリオンの実体はドット状の凝集体であり、この凝集体が遺伝することによってプリオンが伝播すると考えられていた。しかし、今までに凝集体が親細胞から娘細胞に伝播されていく「現場」を直接観察した例はなかった。そこで論文提出者はこのプリオンの伝播のダイナミクスを、1細胞を経時的に観察することで明らかにしようと試みた。

まずプリオン伝播ダイナミクスを1細胞レベルで観察するために、東京医科歯科大学、安田賢二研究室と共同で、オンチップ1細胞培養システムを構築した。このシステムは、酵母1細胞を顕微鏡下のスライドグラス上で培養することができ、1細胞内のプリオンの娘細胞への伝播を直接観察することができる。その結果、驚いたことにドット状の凝集体は酵母の成長に伴って解消し、細胞質に拡散しながら伝播していくことが明らかとなった。

次に、どのような状態でプリオンが伝播するのかプリオンの実体を調べるために、細胞内におけるプリオンの大きさを見積もった。方法として、蛍光相関分光法(FCS)を用いた。FCSとは、蛍光分子の揺らぎ(ブラウン運動)から、その蛍光分子の拡散の速さを測定することができる方法である。実際には共焦点レーザー顕微鏡を使って測定する。この方法を用いれば、細胞を破壊せずに、生きた細胞内でのSup35-GFPの大きさを見積もることができる。その結果、[psi]株ではモノマーのSup35が細胞質に存在していたのに対して、[PSI]株にはある程度の大きさのオリゴマーが細胞質に存在することがわかった。

さらに、オンチップ1細胞培養システムとFCSを組み合せたオンチップ1細胞培養FCS測定法を構築した。それを用いて1細胞におけるオリゴマーの伝播を経時的に観察すると、ドット状のプリオン凝集体は細胞の成長に伴ってダイナミックにオリゴマーになり、そのオリゴマーの状態で、酵母プリオンが娘細胞に伝播していくことが明らかとなった。このFCS測定は、北海道大学金城政孝研究室との共同研究である。

第三章では、第二章までに構築した1細胞観察系およびFCSを用いて、プリオンの「伝播」という現象を分子レベルで解明することを試みている。

プリオン現象を要素に分けて考えると、プリオンの「実体」が「増殖」していきながら、「伝播」することが必要である。プリオンの「実体」がオリゴマーであることは分かったが、そのオリゴマーがどのようなメカニズムで「増殖」して「伝播」するのかはまだ分からない点が多い。一方、酵母プリオン[PSI+]の維持(「増殖」および「伝播」)には、適度に発現したHsp104という脱凝集を促進するシャペロンが必要であることが知られている。しかし、このHsp104が実際にSup35オリゴマーに対してどのように作用しているのかは分かっていない。よって、Hsp104によるプリオンの「増殖」「伝播」の分子メカニズムを明らかにするために、Hsp104を過剰発現させた場合と、Hsp104の機能を塩酸グアニジン(GuHCl)で阻害した場合とで、プリオンの凝集体、およびプリオンの実体であるオリゴマーが世代ごとにどのように変化し伝播されていくのかを、親細胞と娘細胞を区別して、細胞内のSup35の動態を見ることで調べた。

まずHsp104過剰発現によるプリオン伝播への影響を調べた。Hsp104を過剰発現させるとSup35-GFPが恒常的に発現しているにもかかわらず、Sup35-GFP凝集体は経時的になくなっていった。また、FCS測定の結果から、Hsp104過剰発現時のSup35の状態は、親細胞よりも娘細胞、娘細胞よりも孫細胞、というように世代をへてオリゴマーのサイズが小さくなり、モノマーに近づいていることが分かった。

次にHsp104の機能阻害によるプリオン伝播への影響を調べた。GuHCl処理によって耳sp104の機能を阻害したLPsr1株では、Hsp104の機能、および発現量が正常なときには見られないようなアミロイド線維様のヒモ状凝集体ができる。FCSによってこのヒモ状凝集体をもつ細胞の細胞質にはオリゴマー状態のSup35が存在していることがわかったが、世代を経るにつれて、細胞質に存在するSup35がモノマーに近づいていっていることがわかった。すなわち、GuHClによってHsp104の機能を阻害することで親子間のプリオンの伝播に障害が生じ、よりサイズの小さなSup35オリゴマー、およびモノマーが伝わっていることがわかった。この結果は光退色後蛍光回復(FRAP)の解析結果からも示唆することができた。FRAPとは、ある領域の蛍光をレーザーで退色した後の蛍光の回復を測定することで、蛍光分子の拡散速度を調べることができる方法である。娘細胞全体の蛍光を退色させ、Sup35-GFPの母細胞からの伝播速度を調べると、約半数の細胞が、[psi]株(GuHCl未処理)における親子間のSup35の伝播速度とほぼ同じ速度で伝播していた。すなわち、GuHClによってHsp104の機能を阻害することで、モノマーに近い小さなサイズのSup35がダイレクトに伝播されている様子を観察することができた。これらの結果から、Hsp104はプリオンダイナミクスの重要な因子であり、Hsp104が適度に発現し機能していないと、世代間のオリゴマー伝播に障害が生じ、プリオンが維持されないことがわかった。

第四章では、論文提出者の全体を通しての考察と今後の展望が書かれている。

通常の遺伝学では細胞の集団を扱うため、個々の細胞内におけるタンパク質の情報を直接得ることはできない。また、個別の細胞内のタンパク質を蛍光などでイメージングする技術も、ある時間での静止画を捉えるのがふつうであり、タンパク質がどのような動態にあるかを知ることはなかなかできない。本研究では、1細胞内でのタンパク質の動態を経時的に追うことで、従来の方法では成しえなかったタンパク質の動態を直接捉えることに成功し、「プリオンの伝播」という興味深い生命現象がおこるまさにその「現場」をダイレクトに「観る」ことができた。この手法により酵母プリオンの正体は、従来考えられていた凝集体ではなく、オリゴマーであることが解明された。そして細胞の成長に伴って、凝集体は分子シャペロンであるHsp104によってダイナミックにオリゴマーに分断され、次の世代に伝播されていることがわかった。このような手法はプリオン現象にとどまらず、細胞内で起こっている多くのタンパク質の動態解析に応用できるものと期待される。

なお、本論文における1細胞観察は東京医科歯科大学安田賢二教授、綾野賢博士との共同研究であり、FCSは北海道大学金城政孝教授、白燦基博士(現理化学研究所)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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