学位論文要旨



No 125049
著者(漢字) 松村,史子
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,フミコ
標題(和) グリコシルホスフェート誘導体の合成と性質
標題(洋)
報告番号 125049
報告番号 甲25049
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第467号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 和田,猛
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 准教授 鈴木,穣
 東京大学 准教授 田口,英樹
 東京大学 准教授 津本,浩平
内容要旨 要旨を表示する

(序論)グリコシルホスフェートは、病原性細菌を含む細菌の細胞壁に含まれるリボ多糖や、夾膜中に存在する多糖類の構成要素であり、多くの場合抗原として働く。また、リューシュマニア原虫の糖衣を構成するリボ多糖、及び分泌糖タンパク質の繰り返し配列にも見られる。この様な多糖類や糖タンパク質はそれぞれの生物に固有なものであることが多く、その構造や機能、及び生合成経路の解明は、ワクチンや副作用の小さい医薬品の開発につながる極めて重要なテーマである。そのため、グリコシルホスフェートやそれを構成要素とするホスホグリカン、及びそれらの化学修飾アナログは、生体分子の構造や機能を解明するためのプローブや、医薬品候補分子として現在注目されている。しかし、これらグリコシルホスフェート誘導体の化学合成は、一般的に不安定な化学種を中間体として用いなければならないために困難である。そこで本研究では、グリコシルホスフェート誘導体のより効率的な合成法の確立を目指すとともに、得られたグリコシルホスフェート誘導体の生物学的及び化学的性質について解析することを目的とした。

1.グリコシルボラノホスフェートの合成法の確立、及びリン原子化学修飾アナログ合成への応用(背景)本研究の目的を達成するための鍵となる化学種として、ボラノホスフェートに着目した。ボラノホスフェートは、ホスフェートのリン原子に結合する非架橋酸素原子の一つをBH3基(ボラノ基)に置き換えたホスフェート誘導体の一つであり、従来核酸化学分野において含リン酸化合物の脂溶性や酵素耐性の向上を志向して用いられてきた。加えて、ボラノホスフェート誘導体は、リン原子上に様々な化学修飾を有するホスフェート誘導体の合成前駆体であるH-ホスホネートへと変換される合成化学的に有用な化合物である。一方、この修飾様式をグリコシルホスフェートへ導入した場合に特徴的な効果として、糖アノマー位とリン酸部位との結合の安定化が期待される。グリコシルホスフェートやグリコシルH-ホスホネートでは、極めて高い電子求引性を有するホスフェート及びH-ボスホネート部位が、糖環内酸素原子からの電子供与効果によってアノマー位から容易に脱離するという性質を有するが、グリコシルボラノホスフェートのP→BH3結合はP=0結合と比較して電子求引効果が小さいために、この脱離反応を抑制できるものと考えられるためである。

(グリコシルボラノホスフェーみの合成)

まず、還元糖2a-2hと1との脱水縮合反応を、ビス(2-オキソ3-オキサゾリジニル)ホスフィン酸塩化物(Bop-C1)を縮合剤、3-ニトロ-1,2,4-トリアゾール(NT)を求核触媒として用いて行い、良好な収率で3a-3hを得た(Scheme1)。グリコシルボラノホスフェート3a-3hは、精製操作において、対応するグリコシルホスフェートと比較して化学的に安定であった。

そこで、3bより誘導した4と(S)-β-citronerollとの脱水縮合反応及びそれに続く保護基の除去反応を試み、真核生物の糖リン脂質のモデル化合物である7を良好な収率で合成した(Scheme 2)。

(H-ホスホネートへの変換反応、及び様々なグリコシルホスフエート誘導体合成への応用)ボラノホスフェートジエステルは、トリチルカチオン(Tr+)を作用させると、リン原子上に置換基を有する様々なリン酸類縁体の合成前駆体であるH-ホスホネートジエステルへと定量的に変換できることが報告されている。この変換反応がグリコシルボラノホスフェート誘導体に対して適用されれば、(1)まずグリコシルボラノホスフェートを、対応するH-ホスホネートのより安定な保護体として用いてホスホグリカン骨格を構築し、(2)合成の最終段階で、対応するH-ホスホネートを経て様々なリン原子部位修飾アナログへと誘導する、という合成戦略が可能となる。つまり、従来合成することが困難であった、複雑なホスホグリカンの化学修飾アナログの有用な合成手法となりうる。

そこでこの変換反応について検討したところ、目的とするグリコシルH-ホスホネートジエステル8特有の副反応として、H-ホスホネート部位のアノマー位からの脱離が見られたが、検討の結果TrOMeとジクロロ酢酸(DCA)とを用いて反応系中に発生させたTr+と、4とを反応させることで、グリコシルH-ホスホネートジエステル8が定量的に得られることを見出した。また、8はグリコシルホスホロアミダイト9やグリコシルホスホロチオエート10に容易に変換された(Scheme3)。

2.α 選択的なグリコシルホスフェート誘導体の合成反応の開発

(背景),一般に、糖リン酸の化学合成において困難であるのは、アノマー異性体(α 体とβ体)の立体選択的合成である。その中でも、天然に存在するホスホグリカンの多くはαグリコシド結合を有することから、α体選択的なグリコシルホスフェート誘導体の合成法の開発が特に望まれている。しかし、前述の脱水縮合によるグリコシルボラノボスフェートの合成法では、α体を優先的に得ることは本質的に困難である。ここで、本研究では当初予期しない反応として、ヨウ化糖とジアルキルホスホネートとが塩基性条件下反応し、α選択的にグリコシルホスファイトへと変換される新規反応を見出した。

そこで、この反応の反応機構について詳細な解析を行うとともに、これをα選択的なグリコシルホスフェート誘導体の新規合成手法として応用することとした。

(反応条件及び反応機構の検討)ヨウ化糖13とジメチルホスホネート11との反応のα選択性及び酸素原子選択性について検討した結果、ジイソプロピルエチルアミンもしくはN,N,N,N-ビスジメチルアミノナフタレン(DMAN)などが共存する塩基として適当であり、弱塩基を用いた場合には反応のα及び酸素原子選択性が共に著しく低下することが見出された。また、CH2Cl2、トルエン、1,4-ジオキサン、CH3CN、DMFなどの広範な溶媒中で良好なα及び酸素原子選択性で反応が進行した。非極性溶媒中であるトルエン中では反応速度が低下したが、最も高いα選択駐(α:β=98:2;Table1 ,entry1)が達成された。

(α選捉的なグリコシルボラノホスフェート及びアミダイトの合成)見出された反応条件をもとに、ヨウ化糖13-15と11との反応を試みたところ、対応するグリコシルホスファイト17-19を高α選択的に得た(Table1,entries1-4)。これらグリコシルホスファイトは、ボラノ化を経て既述のグリコシルボラノホスフェートへと定量的に変換可能であった。さらに、ヨウ化糖13、14、16とホスホンアミデート12との反応も同様に進行し、対応するグリコシルホスホロアミダイト20-22を高α 選択的に得た(Table1,entries5-7)。

(総括)本研究では、還元糖の脱水縮合反応によるグリコシルボラノホスフェートの効率的な合成を達成した。また、得られたグリコシルボラノホスフェートを、様々なリン原子部位修飾アナログの合成前駆体であるH-ホスホネートジエステルへと定量的に変換する反応条件を見出した。グリコシルボラノホスフェートは、グリコシルホスフェートの化学修飾アナログの一つとして興味深いだけでなく、その安定性や多くのリン酸部位修飾アナログへと誘導可能である点から、ホスホグリカンやその化学修飾アナログの合成においても極めて有用であるといえる。

また、ヨウ化糖とジアルキルH-ホスホネート及びホスホンアミデートとの反応により、グリコシルホスファイト、グリコシルボラノホスフエート及びホスホロアミダイトをα選択的に合成する新規な手法を見出した。グリコシルボラノホスフェートとグリコシルホスホロアミダイトはホスホグリカンの有用な合成中間体であるが、これらのα選択的な合成を達成した例は極めて少ない。本手法は、従来立体選択的に合成することが困難であった、αグリコシルボラノホスフェート及びアミダイトの一般的な合成手法となり得るものである。

Figure 1. Glycosyl phosphate derivatives

Scheme 1. Boranophosphorylation of reducing sugars.

Scheme 2. Synthesis of Glc-PB-Cit 7.

Scheme 3. Synthesis of glycosyl phosphate analogs 9,10 via H-phosphonate 8.

Scheme 4. Unexpected formation of a glycosyl phosphites from glycosyl iodides

Table 1. Synthesis of glycosyl phosphites 17-19 and phosphoramidites 20-22.a

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、グリコシルボラノホスフェートを安定な合成中間体として用いたホスホグリカン及びその類縁体の新規合成法の開発と、糖アノマー位の立体を制御したグリコシルホスフェート誘導体の新規合成反応の確立、及びグリコシルホスフェート誘導体をグリコシルドナーとしたグリコシル化反応の開発と応用について述べたものであり、序論、本論の3章、総括、及びスペクトルデータを含む実験項により構成されている。

序論では、天然に存在するグリコシルホスフェート構造を有する化合物の役割、及び化学合成によって得られたこれらのフラグメントや類縁体の利用法(生体分子の機能や構造を解明するためのプローブやワクチンなど)について列挙して述べるとともに、グリコシルホスフェート誘導体の化学合成法の問題点及び本研究の目的と意義を述べている。

第一章では、グリコシルホスフェート構造を複数点有する化合物(オリゴグリコシルホスフェート誘導体)の合成中間体としての、グリコシルボラノホスフェートの化学的性質について述べている。まず、研究背景の既述では、オリゴグリコシルホスフェート誘導体の合成building blockとしてグリコシルホスホロアミダイト及びH-ホスホネートモノエステルを挙げ、これらを用いた場合には合成中間体の化学的不安定性が問題となることを述べている。具体的な研究内容では、まず還元糖の脱水縮合反応によるグリコシルボラノホスホトリエステルの効率的な合成について述べ、これらを対応するジステル体及びモノエステル体へ誘導する反応例を示した。次いで、グリコシルボラノホスフェートの反応性に関する検討として、グリコシルボラノホスホジエステルとアルコールとの脱水縮合反応が良好な収率で進行すること、及びグリコシルボラノホスホトリエステルが対応するホスホトリエステル及びホスファイトと比較して化学的に安定であることを述べている。これらの反応性より、グリコシルボラノホスフェートをbuiding blockとし、安定な合成中間体を経由した、オリゴグリコシルボスフェート誘導体の合成戦略の妥当性を示している。また、グリコシルボラノホスフェートを、リン原子部位に種々の化学修飾を施したホスフェート類縁体の合成前駆体である、H-ホスホネートジエステルへと定量的に変換する反応条件の検討について述べ、実際にこの変換反応を用いてグリコシルボスホロチオエート及びホスホロアミデートの合成例を示した。これにより、グリコシルボラノホスフェートは、リン原子部位に化学修飾を施したオリゴグリコシルホスフェート誘導体の合成中間体としても極めて有用であると示している。

第二章には、ヨウ化糖とジアルキルH-ホスホネート及びホスホンアミデートとの反応により、グリコシルホスファイト、グリコシルボラノホスフェート及びホスホロアミダイトをα選択的に合成する新規反応が述べられている。研究背景として、天然のグリコシルホスフェート構造のほとんどがα結合を有すること、及びオリゴグリコシルホスフェート誘導体のbuilding blockとして利用できる化合物を、α選択的に入手する手法は一部の糖基質に限られていることが述べられている。実際の研究内容では、まずヨウ化糖のグリコシル化を検討する過程で、予期しない反応としてα選択的なグリコシルホスファイト生成反応を見出したことについてNMR解析の結果を示して述べ、本反応が糖アノマー位においてα選択的である点、及びH-ホスホネートジエステルの0選択的な付加反応である点で新規性が高いことについて述べている。次に、見出した反応の反応機構の考察や一般化を目的として、反応に用いる塩基の種類、試薬の当量、反応温度、及び反応溶媒などの検討を行った結果を示し、特に、反応に適する塩基として1,8-ビス(ジメチルアミノ)ナフタレン及びジイソプロピルエチルアミンを、反応のα選択性を向上させる反応溶媒としてトルエンを見出している。更に本反応の反応機構の考察を行い、反応系の塩基性が十分高い場合、反応のα選択性は、速度論的支配によるβヨウ化糖へのH-ホスホネート化合物の反応によって発現すること、及びO-選択性はヨウ化糖のアノマー位炭素原子が正電荷の局在するハードな求電子種であることに起因することを提唱している。また、反応の一般的な応用を目指して、まず種々のハロゲン化糖を反応に適用し、ヨウ化糖より反応性の低い臭化糖でも反応が進行することや糖水酸基の保護基によって反応効率に違いが生じることを示し、次にグリコシルホスファイトのボラノ化によるα-グリコシルボラノホスフェートの合成、及びジアルキルH-ホスホネートの代替としてホスホンアミデートを用いたα-グリコシルホスホロアミダイトの合成を達成した。これらは、本手法が従来立体選択的に合成することが困難であった、α-グリコシルホスフェート誘導体の一般的な合成手法となり得ることを示すものである。

第三章では、第一章及び第二章で述べた、リンオキシグリコシド結合の生成反応やリン原子の修飾反応について検討する過程で、副反応として見られたリンオキシグリコシド結合の切断反応を、糖鎖の連結反応(グリコシル化)につながる素反応ととらえ、グリコシルホスフェート誘導体をグリコシルドナーとするグリコシル化反応の開発を行っている。まず、グリコシルホスファイトの極めて穏和なプロトン酸性活性化剤として第三級アミンのトリフルオロメタンスルホン酸塩を見出し、DMTr基を有する酸性条件下不安定な基質に対しても十分適用可能なでかつ迅速なグリコシル化反応を達成している。すなわち、本グリコシル化反応は、穏和な活性化剤を用いても迅速に進行する点で、従来合糖鎖の合成戦略の幅を広げる有意義なものであることが示されている。また、第一章でホスホグリカンの合成buiding block候補分子として見出されたグリコシルボラノホスフェートを、糖鎖合成においてグリコシルドナーの安定な等価体として利用する手法の可能性についても検討している。その結果見出された反応として、酸化剤を用いたグリコシルボラノホスホトリエステルの活性グリコシルドナーへの変換反応、及びカルボカチオンを用いたグリコシルボラノホスフェートの直接的な活性化によるグリコシル化反応、が述べられている。

総括では、本論文で述べたグリコシルホスフェート誘導体の合成と性質についての有用性を示し、生理活性を有するオリゴグリコシルホスフェート誘導体の合成への応用など、今後の展望について述べている。

本論文で提唱されたグリコシルボラノホスフェートの化学的性質の利用法、α選択的なグリコシルホスフェート誘導体の新規な合成法、及び新規なグリコシル化反応は、有機化学、糖科学、医科学の発展に貢献するものである。

よって本論文は、博士(生命科学)の学位請求論文として合格と認められる。

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