学位論文要旨



No 125050
著者(漢字) 森本,智美
著者(英字)
著者(カナ) モリモト,トモミ
標題(和) 単純ヘルペスウイルス2型改変系の構築と血清型間の差異
標題(洋) Construction of herpes simplex virus reverse genetics system and analyses of the differences in HSV serotypes
報告番号 125050
報告番号 甲25050
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第468号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 川口,寧
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 甲斐,知恵子
 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 講師 藤井,毅
内容要旨 要旨を表示する

単純ヘルペスウイルス(HSV)には、血清型があり、HSV-1とHSV-2が存在する。HSV-1は主に脳炎や口唇ヘルペスなど上半身への病態を引き起こし、HSV-2は主に性器ヘルペスのような下半身への病態を引き起こすとされている。HSV-1とHSV-2で、ウイルスの構造やウイルス遺伝子のリニアリティに、ほとんど差は見られないにもかかわらず、病態に差があることは古くから知られている。この違いは、再活性化および潜伏感染におけるウイルス機能の差によるものであることが推測されているが、詳細は解明されていない。これは、HSV-1の分子生物学的解析が世界中で精力的に行われているのに対して、HSV-2の分子生物学的解析が遅れていることによると考えられる。HSV-2の分子生物学的解析の遅れの要因の1つとして、HSV-2には適切なウイルス改変系がないことが挙げられる。本研究では、まず、HSVゲノムにおける外来遺伝子の挿入に適した領域の探索を行った。次に、HSV-2の基礎研究および医学的利用を加速させるため、同定した外来遺伝子至適挿入領域を利用してHSV-2のウイルス改変系を構築した。

1. HSVゲノムにおける外来遺伝子至適挿入部位の解析

マウス脳腫瘍モデルにおいてある種のHSV変異ウイルスを投与すると腫瘍が消失するという報告があり、臨床応用が試みられてきた。しかし、最近では、HSVをオンコリティックベクターとして利用するには、HSV単独では十分な効果が得られないとされている。これを改良するために、HSVにIL12を搭載して癌障害性を高めた組換えウイルスの報告がある。また、HSVをベースとしてサルの免疫不全ウイルス(simian immunodeficiency virus:SIV)の構造タンパク質を搭載した多価ワクチンが作製され、サルの動物モデルにおけるワクチン効果が報告されている。このようにHSVは、遺伝子治療ベクターや多価ワクチンのベースとしての利用に有効なウイルスである。

遺伝子治療ベクターや多価ワクチンとしてHSVを利用するには、ウイルスゲノムのいずれかの領域に外来遺伝子を挿入する必要がある。その際、ベクターやワクチンのプラットフォームであるウイルスにはできるだけ影響を及ぼさないことが重要となる。つまり、外来遺伝子の挿入によって、元来HSVに備わっている癌障害性やワクチン能が低下することは避けなければならない。

我々は、これまでに、HSV-1のUL3-UL4遺伝子間領域に外来遺伝子を挿入しても、ウイルスの増殖やマウスへの病原性には影響がないことを報告している (PNAS, 2001; J. Virol., 2003)。UL3-UL4遺伝子間領域は、逆方向からコードされる2つの遺伝子とそれら2つの遺伝子のpoly Aシグナルに挟まれた領域であり、同様な構造をもった領域は、HSVゲノムにおいて10ヵ所以上存在する。そこで、本研究では、UL3-UL4遺伝子間領域と同様な構造を有する領域が外来遺伝子挿入に適しているのではないかという仮定に基き、HSV-1のUL3-UL4領域のほか、UL50-UL51およびUS1-US2遺伝子間領域への外来遺伝子の挿入を試みた。また、HSV-2においてもUL3-UL4およびUL50-UL51遺伝子間領域への外来遺伝子の挿入を試みた。

HSV後期タンパク質のプロモーター であるUL26.5p、蛍光タンパク質Venusおよびpoly Aシグナルで構成される外来遺伝子挿入カセットをHSV-1 F株のUL3-UL4、UL50-UL51およびUs1-Us2の遺伝子間領域に挿入したウイルスを作製した。また、HSV-2 186株 のUL3-UL4およびUL50-UL51の遺伝子間領域に同様のカセットを挿入したウイルスを作製した。作製したウイルスの感染細胞におけるVenusの発現量には、遺伝子挿入部位による差は認められなかった。作製したウイルスは、培養細胞において野生体と同等な増殖能を有し、マウスモデルにおいては野生体と同等な病原性を示した。 すなわち、HSV-1のUL3-UL4、UL50-UL51、Us1-Us2およびHSV-2のUL3-UL4、UL50-UL51の遺伝子間領域は、外来遺伝子を挿入しても、ウイルスの性状にほぼ影響を与えない理想的な外来遺伝子挿入部位といえる。

以上のことから、逆方向からコードされる2つの遺伝子とそれらのpolyAシグナルにはさまれた領域は、HSVにおいて外来遺伝子の挿入に適していることが示唆された。この構造をもつ領域が、HSVには13ヵ所存在する。本知見は、HSVの今後の医学的利用において有用な情報を提供するものである。また、本研究において作製されたウイルスは、動物モデルにおけるウイルスの局在解析に有用であると考えられる。

2. 野生体の性状を保持した完全長HSV-2感染クローンの構築とそれを用いたウイルス改変系の確立

ウイルスの解析において、ウイルスの改変技術は非常に重要となる。しかし、HSVは巨大なゲノムを有するため、その遺伝子改変の過程が煩雑であった。しかし、ウイルスゲノムをBAC(bacterial artificial chromosome)にクローニングし大腸菌に保持させ、大腸菌遺伝学を用いてウイルスゲノムに変異を導入後、ウイルスゲノムを培養細胞に導入することで変異ウイルスの作製が容易にできるようになった(BACシステム)。これまでに、我々の研究室において完全長のウイルスゲノムおよび野生体の性状を保持したHSV-1のBACシステムを構築したが、HSV-2に関しては、同様なBACシステムは構築されていない。そこで、野生体の性状を保持した完全長のHSV-2感染クローンの構築およびそれを用いたウイルス改変系の確立を試みた。

HSV-2 186 株を親株として、今回同定した至適外来遺伝子挿入部位の1つであるUL50-UL51遺伝子間領域に選択マーカーとしてのGFP発現カセットおよびBACを挿入した組換えウイルスを作製した。組換えウイルスの感染細胞から環状ウイルスDNAを抽出し、大腸菌DH10Bに保持させた。制限酵素パターンによる解析により、クローニングされたHSV-2ゲノムクローンは完全長であることが示唆された。また、大腸菌より回収したHSV-2ゲノムクローンからウイルスを再構築することが可能であった。再構築したウイルスは、培養細胞において野生体と同等の増殖能を示し、マウスモデルにおいては野生体と同等な神経病原性および神経侵襲性を示した。また、EGFP発現カセットおよびBACはCre/loxP recombinationによって容易に除去することが可能であった。

次に、確立したHSV-2の BACシステムを用いてHSVにコードされているプロテインキナーゼの1つであるUS3の活性中心である220番目のリジンをメチオニンに置換したウイルス(HSV-2 US3KM)およびHSV-1 Us3の自己リン酸化部位に対応する147番目のアスパラギン酸をアラニンに置換したウイルス(HSV-2 US3DA)の作製を試みた。大腸菌内でUS3に点変異を導入後、大腸菌から抽出したウイルスゲノムをrabbit skin cellにトランスフェクションして変異ウイルスを作製した。Us3KMは、すべてのプロテインキナーゼに保存されている活性中心に変異を入れたので、Us3は予想どおりプロテインキナーゼ活性を消失していた。また、Us3 DAでもUs3のプロテインキナーゼ活性が著しく低下していた。すなわち、HSV-2 Us3の147番目のアスパラギン酸は、Us3のプロテインキナーゼ活性の発現に重要であることが明らかとなった。

作製したUs3変異ウイルスを感染させた細胞は野生体を感染させた細胞に比べて細胞の形態が変化しにくく、HSV-2の感染における細胞形態の変化はUS3のキナーゼ活性に依存することが示唆された。また、UL34とUL31はUS3のリン酸化基質であり、HSV-1 US3KM感染細胞において核膜での局在がHSV-1野生体感染細胞と異なることが報告されている。しかし、HSV-2においては、野生体感染細胞とUS3KM感染細胞でUL34とUL31の核膜における局在に変化は見られなかった。

以上のことから、HSV-1のUs3とHSV-2のUs3は、プロテインキナーゼ活性の制御機構および下流の標的因子の制御が異なることが明らかとなった。これらUs3の機能の差異と、HSV-1とHSV-2の病態の差異の関連について今後さらなる解析が必要である。

まとめ

本研究において、HSVにおける外来遺伝子の挿入には、UL3-UL4遺伝子間領域と同様の逆方向からコードされる2つの遺伝子とpolyAシグナルという構造を持つ領域が至適であることが明らかとなった。この構造をもつ領域はHSVに13ヵ所存在した。本知見は、HSVの今後の医学的利用および基礎研究において有用な情報を提供するものである(特許出願中:特願2008-142662)。

また、同定した外来遺伝子至適挿入部位の1つを利用して完全長のウイルスゲノムおよび野生体の性状を保持したHSV-2のBACシステムを構築した。HSV-2における簡便な組換えウイルス作製系の確立は、HSV-2の基礎研究の進展やHSV-2をベースとした遺伝子治療ベクターやワクチン開発に貢献するものである。また、HSV-2のBACシステムは、我々が以前構築したHSV-1のBACシステムと併用することにより、血清型間における病原性差異の発現メカニズムの解明に大きく貢献すると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、HSVゲノムにおける外来遺伝子の挿入に適した領域の探索を行った。次に、同定した外来遺伝子挿入領域を利用してHSV-2のウイルス改変系を構築した。さらに、確立したウイルス改変系を利用して変異ウイルスを作製することによりHSVが保持するプロテインキナーゼUs3の機能を血清型問で比較検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.逆方向からコードされる2つの遺伝子とそれらのpo1yAシグナルにはさまれた領域は、HSVにおいてウイルスの性状にほぼ影響を与えない理想的な外来遺伝子挿入部位である。

2.同定した外来遺伝子挿入部位の1つを利用して完全長のウイルスゲノムおよび野生体の性状を保持したHSV-2のBACシステムを構築した。

3.HSV-1 Us3のキナーゼ活性が自己リン酸化により厳密に制御されているのに対して、HSV-2のUs3はconstitutive activeな状態にある。

4.HSV-1 Us3はエンベロープタンパク質、gBの887番目のスレオニンをリン酸化して、細胞表面のgBの発現を抑制しているのに対して、HSV-2 Us3は、gBの細胞表面の発現量の制御に関与していなかった。

5.HSV-1 Us3はヌクレオカプシドの核膜からの放出を制御しているが、HSV-2 Us3は、ヌクレオカプシドの核膜からの放出に関与していなかった。

6,HSV-1、HSV-2ともに、感染細胞の形態変化の制御には、Us3のキナーゼ活性に依存する。

以上、本論文は、HSVにおける理想的な外来遺伝子挿入部位を探索し、その知見をもとにHSV-2のウイルス改変系を構築した。これらの知見および構築されたウイルス改変系は、HSV-2の基礎研究の進展やHSV-2をベースとした遺伝子治療ベクターやワクチン開発に貢献するものである。

したがって、博士(生命科学)の学位の授与に値するものと考えられる。

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