学位論文要旨



No 125055
著者(漢字) 大上,隆史
著者(英字)
著者(カナ) オオガミ,タカシ
標題(和) 濃尾平野における最終氷期以降の相対的海水準変動に伴う堆積体発達過程
標題(洋) The evolution of deltaic coastal sediment associated with sea-level changes since the last glacial at the Nobi Plain, Central Japan
報告番号 125055
報告番号 甲25055
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第473号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 川幡,穂高
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 准教授 芦,寿一郎
 東京大学 准教授 穴澤,活郎
内容要旨 要旨を表示する

要旨

河口~沿岸域に広がる沖積平野は河川と海との相互作用で形成されており,その地形形成プロセスによって具体的にどのくらいの時間で,どのような規模で地形変化が起こるかを知ることは相対的海水準変動の影響を大きくうける沿岸域における長期的な地形変化の将来予測を行う上で重要である.そのためには,堆積速度がどのような場所で最大となるのか,また地形と堆積プロセスとがどのように影響しあって堆積速度が決定され,それらが相対的海水準という基準面の変化にどのように応答するのかを実証的に検討することが求められる.沖積層についてはボーリングコアの解析と放射性炭素年代測定にもとづいた研究が国内外で行われ,臨海低地を形成する沖積層は後氷期の急激な海水準上昇のステージおよびそれに引き続く高海面期を通じて形成されてきたことが明らかにされている.しかし河川作用が卓越するデルタにおいて十分な時間空間分解能を伴った実証的な研究事例は世界的にも少なく,第三紀以前の古い堆積物の露頭から得た知見にもとづいた演繹的な解釈にとどまったものが多い.そのため,本研究では典型的な河川卓越型平野である濃尾平野を対象として,その地下の沖積層の発達過程を高い時間・空間能で検討することによって河川による堆積作用が海水準変動によってどのように変化してきたかを実証的に復元することを目的とする.特に堆積速度が最大となる場所を具体的に明らかにするとともに,その場所が地形発達と相対的海水準変動に伴って時空間的にどのように振る舞うかを検討する.そのために,相対的海水準変動に支配されて形成されてきた堆積シーケンスの高い時間・空間分解能での検討,ならびに堆積物を構成する粒子の粒径変化と堆積速度の時間変化の定量的な検討を行う.

上記の検討を行う対象として,濃尾平野の沖積低地を構成する更新統最上部および完新統の浅海~河成堆積物を選定した.中部日本に位置する濃尾平野は半地溝状に沈降する堆積盆を埋積した平野であり,その大部分が沖積低地によって占められ,上流から扇状地,自然堤防帯,三角州が形成され,河川による堆積地形の典型的な配列を示している.これらは海水準が変動した際に「基準面」変化に対して河川による砕屑物の篩い分けがどのように変化したかを検討するのに好適な条件である.河口付近から自然堤防帯の上流部までの平野全域(完新世浅海堆積物分布範囲内)で掘削された7 本のオールコアボーリングの解析と合計128 個の(14)C 年代値を用いて濃尾平野の沖積層の形成過程の検討を行った.また,同地域で既に詳細な堆積曲線が得られている海底ボーリングコアの成果も用いて研究を進めた.

第 1 章では,河川地形学およびシーケンス層序学におけるこれまでの研究をレビューし,問題の所在と研究の構成について述べた.

第 2 章では,対象地域である濃尾平野の自然条件および,これまでの濃尾平野における研究史について整理した.

第 3 章では,本研究で使用した7 本のボーリングコアの掘削地点とコア観察にもとづく堆積相についての記述を行い,AMS(14)C 年代値および広域火山灰に基づく各コア掘削地点における堆積曲線の復元を行った.これらの結果に基づき,濃尾平野沖積層の堆積相区分を行うとともに各地点における堆積速度の時間変化を明らかにし,さらに地形・地質総合断面図に基づいて堆積シーケンスを検討した.その結果,以下の点が示された.

1. 濃尾平野の上流側から河口付近にかけて掘削された7 本のオールコアを解析した結果,濃尾平野の沖積層は堆積相解析に基づいて下位から上位に向かって大きく5 つの堆積相(A:河川流路堆積物,B:河口低地堆積物,C:内湾堆積物,D:デルタフロント堆積物,E:デルタプレーン堆積物)に分類される.

2. 合計128 個の(14)C 年代測定値とテフラに基づいて,各コアについて詳細な堆積曲線を復元した.すべてのコアの堆積曲線は,傾きの異なる4 つのセクション(I~IV)に区分され,堆積速度が大きい区間(I)→小さい区間(II)→大きい区間(III)→小さい区間(IV)と変化してきた.I/II,II/III,III/IVの各セクション境界は, B/C,C/D,D/E の各堆積相境界に概ね一致する.

3. 木曽川デルタの地形地質断面図を作成し,1,000 年毎の等時間面を記入した.10,000 ~8,000 cal yrs BP の等時間面はオンラップを,6,500 cal yrs BP 以降の等時間面はダウンラップを示し,前者は堆積体の後退,後者は堆積体の前進によって形成されたと解釈される.

第 4 章では,第3 章で分類した各堆積相の粒度特性と堆積速度について,高密度で測定された粒度分析と多数のAMS(14)C 年代値に基づいた定量的な検討を行った.その結果,以下のことが明らかになった.

1. 堆積相B~E について砂質粒子集団(SP)を分離することによって粒度組成の特徴を整理した.堆積相B および堆積相E における粒度はSP の混合比で説明できる.また,堆積相C2 およびC3 にはSP 集団が認められず,SP 集団は堆積相D1,D2 で混合比が高い.

2. 堆積相毎に堆積速度を求めた.堆積相B,D で堆積速度が大きく,堆積相C,E では堆積速度が小さい.セクション毎の堆積速度を求め,堆積相内でのばらつきをみると,堆積相B では特にばらつきが大きい.

3. 各堆積相について,セクション毎の堆積速度と粒度の関係について検討した.堆積相B,E ではSP の混合率が大きいセクションで堆積速度が大きい傾向が見いだされた.堆積相C では粒度と堆積速度の関係は認められなかった.堆積相D では堆積速度の大きいセクションは細粒な堆積物から構成されていた.

4. 沖積層を通じた粒度および堆積速度の変化をみると,粒度・堆積速度がそれぞれ堆積相の変化に伴って変化している.粒度についてみると,様々な粒径の粒子からなる堆積相Bから,堆積相C1 を経て細粒な粒子のみからなる堆積相C2-C3 に変化する.堆積相C2-C3 から様々な粒径の粒子からなるD1 を経て粗粒な粒子のみからなるD2 に変化し,さらに様々な粒径の粒子からなるE に変化する.堆積速度についてみると,堆積速度が大きいBから堆積速度が小さいC2-C3 に変化し,堆積速度が大きいD1 を経て再びD2 で堆積速度が小さくなり,さらに堆積速度が小さいE に変化する.粒径と堆積速度の間には単純な相関関係が成立しないが,堆積相の変化と調和的に堆積速度が変化している.

第 5 章では,第3 章で検討した各地点における堆積相変化および堆積速度の時間変化ならびに第4 章で検討した堆積物の粒度特性にもとづき,時間を軸としてコア間の対比を行うことによって沖積層の堆積シーケンスを検討した.その結果,次の点が明らかになった.

1. 濃尾平野完新統は3 つの時期(10.0~8.0 ka の海進期,8.0~6.5 ka の海域最拡大期,6.5ka~のデルタ前進期)に分類でき,堆積体が後退から前進に転じた年代は7.8~7.3 ka である.内湾の拡大速度は約10 mm/yr で海進期を通してほぼ等速と見積もられた.5 本のボーリングコアおよび現在のデルタフロント前縁の間で求められた,6.5, 5.5, 4.1, 2.8, 1.3 ka および現在の5 つの期間におけるデルタフロントの前進速度はそれぞれ,3.5 m/yr,3.2 m/yr,5.0m/yr,5.0 m/yr,9.6 mm/yr と推定された.

2. 堆積速度の空間的分布上の極大点として表現される堆積の中心は海退期・海進期を通じて,常に陸海境界に位置しており,これが時間とともに後退・前進していることが示された.また,内湾底の堆積速度に着目すると,堆積体が後退から前進する年代(7.8~7.3 ka)において堆積速度が小さくなっていることが確かめられた.

3. 粒度分布の時空間分布を復元し,粒度(中央粒径)の分布パターンが堆積相と調和的であることを示した.内湾底における粒径変化に着目すると,堆積物の粒径は陸海境界から海側に向けて細粒化し,堆積相C/D 境界前後で最も細粒な領域を形成し,さらに海側では粗粒化している.時空間ダイアグラムから,こうした粒度分布が海岸線の移動に伴って平行移動する様子が明らかになった.

4. 堆積速度と粒度の時空間分布を比較すると,時間毎の堆積速度および粒度の空間的な分布が保たれた状態で堆積体が発達してきた様子が明らかになった.

5. 最大海氾濫面(MFS)の年代と,堆積速度,粒度の関係について検討した.最大海氾濫面は堆積体の後退・前進の境界面として,海岸線が後退から前進に転じたと推定される7.8~7.3 ka に最大海氾濫面を設定した.このとき,堆積速度は海域で前後の層準に比して小さくなっているが,粒径はK-Ah 由来の粒子が混入していたことを差し引いても最も細粒とはいえない.

6. ユースタシーとテクトニックな沈降のみの仮定で各地点における相対的海水準変動曲線を復元し,各地点における古水深を復元し,水深の変化と粒度・堆積速度の変化を検討した.鉛直方向でみると粒度と水深の相関が認められるが,空間的にみると粒度と水深の関係が見かけ上のものであることが示された.

7. 濃尾平野沖積層の堆積シーケンスをモデル化した.内湾拡大期には海面付近の低平な地域で最も堆積速度が大きく,デルタ前進期にはデルタフロントスロープにおいてもっとも堆積速度が大きくなるような堆積速度の空間分布が保たれたまま,海岸線の移動に伴って堆積体が発達する堆積モデルを示した.濃尾平野沖積層の堆積シーケンスはこのモデルによってよく説明される.

第 6 章では,前章までに示した成果を踏まえて,高い時間・分解空間能で更新世末~完新世の浅海~河川堆積物を解析することによって明らかになった河川卓越型平野における河口域の堆積体発達のダイナミクスについてまとめた.

時空間ダイアグラム上に時間層序を編むことによって海陸境界付近における堆積物の篩い分けと堆積速度の分布が定量的かつ実証的に示された.沖積層についてこのような詳細な時空間ダイアグラムが示された例はこれまでになく,これは河川卓越型平野の環境変遷史のフレームを与えるものである.海水準変動にともなう河川の応答を理解するためには,氷期-間氷期サイクルを通じた流域スケールでの研究が必要とされる.今後は上流側および海域へ延長した研究が期待される.

審査要旨 要旨を表示する

河口~ 沿岸域に広がる沖積平野は,河川と海との相互作用で形成されている.沖積研究は近年急速に進展し,ボーリングコアの解析と(14)C年代測定にもとづいた研究が国内外で行われ,後氷期の急激な海水準上昇期とそれに続く高海面期を通じて沖積平野が形成されてきたことが解明された.しかし,河川作用が卓越するデルタにおいて十分な時間空間分解能を伴った研究事例は世界的にも少ない.河川が運搬する陸源物質の堆積速度がどのような場所で最大となるのか,地形と堆積プロセスとがどのように影響し合って堆積速度が決定されるのか,さらには,それらが相対的海水準変動にどのように応答するのかを定量的に解明することが求められている.本研究は,典型的な河川卓越型平野である濃尾平野を対象として,その地下の沖積層の発達過程を既存研究よりも一桁高い時間・空間能で復元し,上記の課題を解明した.

中部日本に位置する濃尾平野は半地溝状に沈降する堆積盆を埋積した平野であり,その大部分が沖積低地によって占められ,上流から扇状地,自然堤防帯,三角州が形成され,河川による堆積地形の典型的な配列を示す.河口付近から自然堤防帯の上流部までの平野全域で掘削された7本のオールコアボーリングの解析と合計128個のAMS(14)C年代値を用いて濃尾平野の沖積層の形成過程を検討した.また,同地域に近接するで海底ボーリングコアの既存研究成果も用いて研究を進めた.

第1章では,河川地形学およびシーケンス層序学におけるこれまでの研究をレビューし,問題の所在と研究の構成について述べ,第2章では,濃尾平野の自然条件および既往研究について整理した.

第3章では,各コアを対象として,堆積相の記載,ならびに(14)C年代値と広域火山灰を用いた堆積曲線の復元を行った.そして,濃尾平野沖積層の堆積相区分を行い,地形地質総合断面図にもとづいて堆積シーケンスを検討した.濃尾平野の沖積層は,上位に向かって5つの堆積相(A:河川流路堆積物,B:河口低地堆積物,C:内湾堆積物,D:デルタフロント堆積物,E:デルタプレーン堆積物)に分類され,堆積速度はAで大きく,Bで減少し,Cで再び増大して,D,Eで再び減少することを示した.

第4章では,第3章で分類した各堆積相の粒度特性と堆積速度の関係を定量的に検討した.とくに堆積相B~Eについて,砂質粒子集団(SP)を分離することによって粒度組成の特徴を整理し,堆積物の篩分けと再移動プロセスについて検討した.

第5章では,第3,4章の成果を統合し,絶対時間軸上でのコア間の対比を行い,沖積層の堆積シーケンスを検討した.その結果,次の点が明らかになった.

1,濃尾平野完新統は3つの時期(10.0~8.0kaの海進期,8.0~6.5kaの海域最拡大期,6.5ka~ のデルタ前進期)に分類でき,堆積体が後退から前進に転じた年代は7.8~73kaである.内湾の拡大速度は約10mm/yrで海進期を通してほぼ等速である.他方デルタフロントの前進速度は3~5m/yであったが,最近1000年間は9.6mm/yrに見掛け上加速した.

2.堆積速度の空間的分布上の極大点として表現される堆積の中心は海退期・海進期を通じて,常に陸海境界に位置しており,これが時間とともに後退・前進してきた.また,内湾底の堆積速度に着目すると,堆積体が後退から前進する年代(7.8~73ka)において堆積速度が極小を示す.

3.堆積物の中央粒径の分布パターンは堆積相と調和的である.内湾底の粒径に着目すると,陸海境界から海側にむけて細粒化し,最も細粒な領域を形成し,さらに海側では粗粒化している様子が示され,こうした粒度分布が海岸線の移動に伴って平行移動してきた.

4.最大海氾濫面(MFS)は堆積体の後退・前進の境界面として7.8~7.3kaに出現した.このとき,堆積速度は海域で極小を示すが,粒径は最も細粒ではなかった.

5.ユースタシーとテクトニックな沈降のみの仮定で各地点における相対的海水準変動曲線ならびに古水深を復元し,水深の変化と粒度・堆積速度の変化を検討した.水深が大きいほど粒度が小さいという相関関係は,見かけのものであることが判明した.

第6章では,前章までを踏まえて,河川卓越型平野における河口域の堆積体発達過程についてまとめた.内湾拡大期には海面付近の低平な地域で最も堆積速度が大きく,デルタ前進期にはデルタフロントスロープにおいてもっとも堆積速度が大きくなる堆積速度の空間分布を保ったまま,海岸線の移動に伴って堆積体が発達する堆積モデルを示した.

以上のように,本研究は,時空間ダイアグラム上に時間層序を編むことによって海陸境界付近における堆積物の篩い分けと堆積速度の分布が定量的かつ実証的に示した.沖積層についてこのような詳細な時空間ダイアグラムが示された例はこれまでになく,これは河川卓越型平野の環境変遷史のフレームを与えるものである.したがって,博士(環境学)の学位を授与できると認める.

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