学位論文要旨



No 125056
著者(漢字) 河野,円樹
著者(英字)
著者(カナ) カワノ,ノブキ
標題(和) 九州南部里地地域における草地の成立と草地生植物種の多様性保全
標題(洋) Patterns of species diversity in semi-natural grassland in the southern part of Kyusyu, Japan
報告番号 125056
報告番号 甲25056
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第474号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 教授 横張,真
 東京大学 准教授 キクビツェ,ザール
 東京大学 准教授 斎藤,馨
内容要旨 要旨を表示する

1900 年頃まで日本の半自然草地は国土の約10%もの面積を占めていたが、高度経済成長期(1955 年から1973 年)以降の農業形態や生活様式の変化により減少し続け、その面積は現在3%にも満たない(生物多様性情報システム:J-IBIS)。日本の多くの草地環境は、半自然草地と呼ばれる人為的干渉のもとに成立した草地である。里山の一構成要素として生物多様性が高く、絶滅危惧種をはじめ多くの固有種の生息・生育地としても重要であることが、第3 次生物多様性国家戦略(環境省2007)の中でも述べられている。草地保全に基づいて、生態学分野などでいくつかの既往研究が存在するものの、地域の景観スケールで草地環境の種多様性の変化をとらえ保全に向けた具体的提言を行った研究は少ない。そこで本研究では、伝統的農村景観の残る九州南部宮崎県串間市周辺で、過去の土地利用履歴が異なる里地地域4地区を選び、草地の種多様性に影響を及ぼしている要因を、草地植物相および希少種の個体数レベルでの比較によって明らかにし、草地の種多様性を維持するための手法を提言することを目的とした。はじめに、土地利用図を作成し、調査地周辺および4 地区内の草地面積の変化を明らかにした。4 地区全体では管理形態が異なる6 タイプの草地環境が類型化でき、それぞれにおいて草地植物相の多様性や種組成を比較し、管理形態に応じた種多様性の違いを明らかにした。また、草地生絶滅危惧種の開花個体数から草地生植物種の分布状況を把握した。最後に、土地利用変遷の中での里地草地の植物相パターンを解明し、今後の草地生種の多様性保全へ向けた管理方法の提言を行った。

九州南部宮崎県串間市笠祇山(標高444m)麓の中山間地において、近年の土地利用履歴が集落単位で異なる地域を含む面積500m×500m(25ha)の調査枠を4 地区に設置した。枠内の植生変遷を把握する目的で、1947 年、1974 年、2003 年の3 ヵ年の航空写真(国土地理院)判読を行い、相観植生図を作成した。2005 年から2006 年に、調査範囲内を隈なく踏査し、植生型や管理形態など、草地環境の立地状況を記録した。管理内容や土地利用履歴については、地区の住民への聞き取り調査を行った。各地区の現在の草地環境は、管理形態や立地環境により、火入れ・刈り取り採草地・畦畔草地・農道路傍・崩壊地・湧水湿地の6 つのタイプに区分できた。4 地区6 タイプで合計172 の草地パッチが調査できた。2006 年から2007 年にかけて各パッチについて植物相調査および植生調査(1m×1m 方形枠:計289 ヵ所)を行った。特に4 地区に共通する草地生絶滅危惧種(以下RDB 種)については開花個体数のカウントを行った。植生調査の結果は、調査したパッチごとに集計し、各パッチの平均値として用いた。

第 2 章では、串間市周辺における草地面積の変遷および現状を把握することを目的とした。本調査地域におけるかつての牧(まき)草地は、一部の地区を除くとそのほとんどが、過去100 年の間に、植林化および管理放棄による常緑広葉樹林への遷移の進行で消失した。調査地4 地区の過去60 年の変化では、笠祇地区や古竹地区では、それほど大きな変化がなかったものの、高松地区と奴久見地区では過去の山火事の影響で土地利用が劇的に変化していた。高松地区では、1972 年の山火事後草地の管理を放棄して常緑広葉樹林へ遷移が進行してしまった。奴久見地区では、1968 年の山火事で管理放棄され、その後、スギ・ヒノキ植林へ移行した。この2 地区において草地面積が急激に消失し、一部の住民がわずかな私有地を野焼き管理している以外では、稲作などの耕作地管理に付随する刈り取りや踏みつけにより小面積の草地環境が残されているのみであった。耕作地周辺の草地環境(刈り取り採草地・畦畔草地)だけは4 地区ともにほとんど変化は見られなかった。

第 3 章では、管理形態の種類、個々の草地環境の歴史的な継続性、周辺環境との連続性など、どのような環境で草地生植物種の多様性が維持されているのかを明らかにした。4 地区6 タイプの草地、合計172 パッチでの植物相調査結果から、4 地区に共通して火入れ草地が最も多様性が高く、次に刈取り草地や畦畔草地が草地生種の重要な生育地として機能していることが明らかになった。単位面積あたりの種数は、火入れ・刈り取り草地で最も多く、崖地で少ない結果となった。特にRDB 種の種数密度は、火入れ草地が刈り取り草地と比べて有意に高かった。火入れ草地パッチは伝統的な草地であるとともに面積が大きく、地形的多様性も高い。一方、刈り取りや畦畔草地は面積が小さく、地形的多様性は低い。さらに、過去(約30 年程度)の土地利用変化の有無によって、伝統的に維持されてきた草地と改変草地とが含まれている。今回の調査結果から、現在残存する刈り取り、畦畔草地のような小規模草地でも伝統的管理が継続されているパッチにおいては高い種多様性が維持されていることが示唆された。この結果は、面積が小さくても伝統的な畦畔草地では草地生植物種の多様性が高いという、既往研究(大窪・前中1995;Kitazawa and Ohsawa 2002)の結果とも一致する。火入れ管理が存続不可能な地域では、なるべく多くの残存する草地生植物種の生育が確保できるよう、刈取り草地や畦畔草地など、特に歴史の古い草地との連続性を考慮した管理方法が行われるべきである。

第 4 章では、草地生の種多様性の高さを表す指標として、本調査地で良く残されている草地生RDB 種に着目し、どのような生態的特性や分布特性を持つのかを把握することを目的とした。4地区の草地環境に共通して生育が確認できる草地生RDB 種のうち、ノヒメユリ、ヒキヨモギ、フナバラソウなど数種の開花個体数と、各種の分布状況が明らかになった。笠祇・古竹地区の火入れ草地のような伝統的な草地環境にRDB 種が多く生育しており、火入れ草地がほとんどなくなった高松・奴久見地区では、多くのRDB 種が個体数の減少、または絶滅してしまったと考えられる。火入れ草地のような広大な面積でのみ維持される地形的多様性が失われたこともひとつの原因である。また、草地生RDB 種群がなぜRDB 種になってしまったのかを他の草地生の普通種に比べて特別な生態的特性を持っているかどうかを調べてみたところ特に差異はなく、むしろ生育地である草地環境の減少や消滅そのものが個体数の減少や地域絶滅をひきおこす最大の要因であることが明らかになった。

第 5 章では、同じ調査地内で、過去の土地利用形態がほとんど変化せずに現在に至る笠祇・古竹地区の草地と、現在までに土地利用の多くが変化してしまった高松・奴久見地区の草地環境とを比較し、面積の変化が草地の種多様性に与える影響を明らかにした。その結果、4 地区の土地利用変遷のパターンは異なるものの、草地植物相を比較すると、種組成や総出現種数には大きな違いは見られなかった。このことは、2 章や3 章で述べたように、4 地区ともに、現在も伝統的な水田耕作地環境が維持されているため、耕作地周辺の草地環境に未だ多くの種が残存していたと考えられる。多くの草地生種にとっての主要な生育地である火入れ管理草地がほとんど存在しない現在の高松、奴久見の2 地区では、草地生RDB 種の総個体数が非常に少ないにもかかわらず、かろうじて耕作地周辺に生き残っていた。総個体数の違いは、4 章での結果と同様に、高松・奴久見地区の大面積の火入れ草地の減少が最も大きな要因であると考えられる。地区単位での草地面積の減少は、RDB 種をはじめ多くの草地生植物種の個体数の減少を引き起こしている可能性がある。

本調査地において草地生の植物種を効率よく保全するためには、数百年間続く伝統的管理方法である火入れ管理が継続的に行われることが最も重要である。しかし、火入れ管理が行われなくなった高松、奴久見両地区では、小面積ながらも耕作地周辺の刈り取り採草地や刈り取り畦畔草地が、火入れ草地と隣接していた時期から続く草地生植物の避難地として重要な役割を果たしていることが明らかになった。これは類似の土地利用変遷を辿った日本各地の草地の現状についてもあてはまると考えられる。多くの場合、過去に比べて草地面積は大きく減少しているが、小面積でも伝統的で多様な管理草地環境が維持され続けることは多様な草地生植物種の生育地の確保という点で重要である。すべての草地を保全できない場合でも、伝統的管理草地を特に優先的に管理していくことで、今後草地面積の拡大や、復元する際に必要な種子供給源としての役割を果たせる可能性がある。

本研究の成果は、これまで極めて生態学的知見の乏しかった草地生絶滅危惧種の保全について、生育環境の変遷過程を景観レベルで明らかにし、生育地全体の種多様性や草地生種の生育分布特性を評価したという点で新たな基礎的知見を提供できたと考える。また、各地で問題とされている低地部の草地環境保全の手法に関して、管理方法、歴史的継続性、草地面積と種多様性などの視点から、今後の具体的対策案につなげることができると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,伝統的農村景観の残る九州南部宮崎県串間市周辺の里地地域4地区において,過去の土地利用履歴が草地の種多様性に重要な影響を及ぼしていることを,草地植物相および希少種の個体数レベルでの比較によって明らかにし,草地の種多様性が維持されるためのパターンを解明することを目的としたもので,6章からなっている.本研究の第2章から第6章は,大澤雅彦,河野耕三らとの共同研究であるが,いずれの章も論文提出者が主体となってデータ収集,解析,論文執筆をおこなったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断した.

第1章では,日本全国の半自然草地環境の成立要因と現状を述べるとともに,草地生植物種の保全の重要性および生育地の維持管理手法を評価するに至った経緯を示した.日本の草地環境は全国的な面積の減少にともない,現在その存続自体が極めて厳しい状況に置かれており,草地固有の種をはじめとする草地生態系の生物多様性の衰退は,第3次生物多様性国家戦略でも取り上げられている.しかし,国内における草地研究,特に生物多様性に関する知見の蓄積は欧州等に比べて極めて少ないことを論じ,本研究の意義を示した.

第2章では,九州南部串間市周辺を調査地とし,草地面積の変遷および現状を把握した.本調査地域におけるかつての牧(まき)草地は,一部の地区を除くとそのほとんどが,過去100年の間に,植林化および管理放棄による常緑広葉樹林への遷移の進行により消失したことが明らかにされた.

第3章では,歴史的な継続性,周辺環境との連続性,管理形態の種類など,どのような環境で草地生植物種の多様性が維持されているのかを明らかにした.各地区の現在の草地環境は,管理形態や植生型により,火入れ・刈り取り採草地・畦畔草地・農道路傍・崩壊地・湧水湿地の6つのタイプに区分できた.現在残存する刈り取り,畦畔草地のような小規模草地でも伝統的管理が継続されているパッチにおいては高い種多様性が維持されていることが示唆された.火入れ管理が存続不可能な地域では,刈取り草地や畦畔草地など,特に歴史の古い草地との連続性を考慮した管理方法が行われるべきであると考えられた.

第4章では,草地生の種多様性の高さを表す指標として,本調査地で良く残されている草地生絶滅危惧(RDB)種に着目し,どのような生態的特性や分布特性を持つのかを調査した.笠祇・古竹地区の火入れ草地のような伝統的な草地環境にRDB種が多く生育しており,火入れ草地がほとんどなくなった高松・奴久見地区では,多くのRDB種が個体数の減少,または絶滅してしまったと考えられた.

第5章では,同じ調査範囲内で,過去の土地利用形態がほとんど変化せずに現在に至る笠祇・古竹地区の草地と,現在までに土地利用の多くが変化してしまった高松・奴久見地区の草地環境とを比較し,面積の変化が草地の種多様性に与える影響を明らかにした.その結果,4地区の過去の土地利用変遷のパターンは異なるものの,草地植物相を比較すると,種組成や総出現種数には大きな違いは見られなかった,このことは,2章や3章で述べたように,4地区ともに,現在も伝統的な水田耕作地環境が維持されているため,耕作地周辺の草地環境に未だ多くの種が残存していたためと考えられる.しかし,火入れ管理草地がほとんど存在しない現在の高松,奴久見の2地区では,草地生RDB種の総個体数が非常に少なかった.地区単位での草地面積の減少は,RDB種をはじめ多くの草地生植物種の個体数の減少を引き起こしている可能性がある.

第6章においては,これらの結果を総合して考察を行った.本調査地において草地生の植物種を効率よく保全するためには,数百年間続く伝統的管理方法である火入れ管理が継続的に行われることが最も重要である.しかし,火入れ管理が行われなくなった高松,奴久見両地区では,小面積ながらも耕作地周辺の刈り取り採草地や刈り取り畦畔草地が,火入れ草地と隣接していた時期から続く草地生植物の避難地として重要な役割を果たしていると考えられる.これは類似の土地利用変遷を辿った日本各地の草地の現状についてもあてはまる.多くの場合,過去に比べて草地面積は大きく減少しているが,小面積でも伝統的で多様な管理草地環境が縦持され続けることは多様な草地生植物種の生育地の確保という点で重要である,すべての草地を保全できない場合でも,伝統的管理草地を特に優先的に管理していくことで,今後草地面積の拡大や,復元する際に必要な種子供給源としての役割を果たせる可能性がある.

本研究の成果は,これまで極めて生態学的知見の乏しかった草地生絶滅危惧種の保全について,生育環境の変遷過程を明らかにし,生育地全体の種多様性や草地生種の生育分布特性を評価したという点で新たな基礎的知見をもたらした.また,各地で問題とされている低地部の草地環境保全の手法に関して,管理方法,歴史的継続性,草地面積と種多様性の視点から,今後の具体的対策案の提言につながる重要な成果である.

したがって,博士(環境学)の学位を授与できると認める.

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