学位論文要旨



No 125075
著者(漢字) 國木田,大
著者(英字) Kunikita,Dai
著者(カナ) クニキタ,ダイ
標題(和) 東日本における縄文時代後半期の環境変動と人間活動の編年学的研究
標題(洋) Chronological research of environmental change and human activity in the late Jomon periods in eastern Japan
報告番号 125075
報告番号 甲25075
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第493号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 教授 佐藤,宏之
 東京大学 准教授 清水,亮
 東京大学 准教授 吉田,邦夫
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、縄文時代後半期、とりわけ中期から後期にかけての環境変動と人間活動・社会文化変容の関係を解明することを目的とする。環境変動と社会文化変容の関係を議論する先行研究として三内丸山遺跡(青森県青森市)の事例が挙げられる。ここでは、「人と自然の交渉史」、「生態系史」という用語を用いて、環境変動と人間活動の関係が議論されてきた。遺跡の生態系史解明において最も重要な課題は、層序と編年の確立である。遺跡の層序と編年の確立は、考古学において主要な研究対象である遺物や遺構の層位を確定するためだけでなく、遺跡を取り巻く周辺域との対比や広域的な対比に不可欠となる。特に、AMS(accelerator mass spectrometry)(14)C年代測定法で得られる数値年代は、土器型式などの遺物を対象とした相対的な序列(相対編年)と、周辺域で得られる環境データを同時系列として評価できる点で、最も優れた手法である。三内丸山遺跡の研究では、環境変遷と集落変遷の関係が(14)C年代値や層序を根拠に議論されてきた。そこでは、数値年代による三内丸山ムラの全存続期間の編年、クリ林を中心とした人為生態系の形成と維持、平野の古地理変遷と海洋動物資源利用の復元などが解明された。これらの成果は、主に縄文時代前期を中心とした温暖期に形成された文化についてであり、三内丸山ムラの終焉の様相については、その編年や生活文化の変化、変化をもたらす要因については依然として不明な点が多く残されてきた。この時期は、辻(1988)が定義する環境変動史の第3の画期として位置づけられ、完新世以降の間氷期を二分するきわめて大きな寒冷化があったことが知られている。この画期では、気候変動によって引き起こされる海面変動や浅谷形成などの環境変化、大集落・遺跡密度の減少や祭祀遺物・遺構の増加などにみられる文化変容、縄文時代中期農耕論に代表される新たな植物資源利用の開始など、環境変遷と人間活動を取り巻く様々な問題が存在する。

本論文の目的は、これら環境変動と人間活動の関係を、諸現象の編年学的検討から読み解こうとするものである。諸分野における様々な現象に対して14C年代測定を行い、その年代的な相関性を解明することを目指す。これまでの編年学研究は、各個別分野の問題意識や課題に対してなされるのが一般的で、総合的・広域的に検討された例は少ない。人間活動を生態系の一部として環境学的に評価するためには、まずは相互の時間的な関係性を把握することから始めなければならないであろう。本論文では主要な課題として、トチノキ利用の編年、土器型式の編年、植生・地形変遷史の編年を議論する(第III章・第IV章・第V章)。各章では、本研究で得られた年代値と先行研究に基づき編年を検討している。第VI章にてトチノキ利用の変遷と文化・環境変遷の関係をモデル化し、他の変遷モデルとの相関性を考察した。

第III章のトチノキ利用の編年では、東北北部地域の遺跡のトチノキ遺体(利用残滓)を中心に測定を行った。トチノキについては縄文時代中期から後期にかけて分布拡大したことが三内丸山遺跡などの研究例から知られている。利用面においても縄文時代後半期の重要な食料資源として位置づけられてきた。トチには非水溶性のサポニンやアロインといった成分が含まれ、灰すなわちアルカリで中和してアク抜きをする必要があり、もっともアク抜きがむずかしい堅果類とされている。トチノキ利用の変遷の様相を解明することは縄文時代後半期の生業や文化を語る上で欠くことのできない課題なのである。

第IV章では、土器型式編年を検討した。近年、AMS法を用いた14C年代による高精度編年の手法が考古学研究においても利用され、著しい成果を挙げている。特に、微量な土器付着炭化物を用いて、直接土器自体の年代を測定することが可能になった。三内丸山遺跡の研究例でも、この手法により遺跡の前半期の土器型式に関して年代値が得られているが、後半期の様相は課題として残されてきた。本論文では、東北北部地域の測定例の少ない土器型式やトチノキ利用に関連する土器型式を中心に測定を行い、先行研究のデータと併せて評価した。また、炭素・窒素安定同位体分析を併用することで、海洋リザーバー効果や大まかな食性分析の検討も行った。

第V章では、植生・地形変遷の編年を検討した。上記のトチノキ利用や土器型式の変遷要因・過程を考える上で、植生・地形変遷の年代は、きわめて重要な意味を持つ。本論文では、主に花粉分析による植生変遷、珪藻分析による海水準変動の画期、基準面低下による浸食作用に起因する浅谷形成とその後の木本質泥炭の埋積、海岸砂丘地帯における砂丘固定と旧期クロスナ層の形成時期に焦点を当て議論を行った。各調査地点では、他の自然科学分野と共同研究を実施し(層序・花粉分析・珪藻分析など)、本論ではその成果を引用する形で用いている。

研究対象地域は、先行研究での課題が多く、環境変遷と文化の関係が密接に議論できる東北北部地域に重点を置いている。トチノキ利用の編年では、トチノキ遺体を中心に14C年代測定を行った。測定資料は、三内丸山(9)遺跡、近野遺跡(F区)(青森県青森市)、富ノ沢(2)遺跡(青森県上北郡六ヶ所村)、野場(5)遺跡(青森県三戸郡階上町)、神田遺跡(青森県つがる市)、御所野遺跡(岩手県二戸郡一戸町)、柏子所II遺跡(秋田県能代市)、上谷地遺跡(秋田県本荘市)、橋場岱D遺跡(秋田県北秋田市)などである。土器編年に関しては、土器付着炭化物の測定を中心に行った。分析した遺跡は、三内丸山遺跡、三内丸山(6)遺跡、三内遺跡、近野遺跡、小牧野遺跡(青森県青森市)、堂平遺跡(新潟県中魚沼郡津南町)である。植生・地形変遷は、秋田県男鹿半島箱井、秋田県本荘市葛法、青森県つがる市神田遺跡、千葉県九十九里平野北部椿海低地帯などで調査を実施した。オリジナルデータの範囲は、非常に限られているので周辺地域の先行研究と比較しながら議論を展開した。

第VI章では、以上の三つの編年を検討し(第III章・第IV章・第V章)、相互の関係性を明らかにするとともに、トチノキ利用と古環境変遷について考察した。本論では、東北北部地域のトチノキ利用変遷について、円筒上層d・e式期に対応するNT1期(約4400BP)、大木9・10式期に対応するNT2期(約4100BP)、十腰内1式期に対応するNT3期(約3700BP)の3段階の変遷画期を定義した(NT:Northern Tohoku districtの頭文字)。設定は、トチノキ利用形態の変遷を軸に、土器文化や環境変遷との関係も含めた内容に基づいている。着眼点は、(1)花粉増加開始時期、低地部での環境変遷、(2)沢筋に代表される低地部の利用・開発・維持、(3)大木式土器文化の拡散である。NT-1期(約4400BP)は、沢筋でトチノキ種皮片が集積した状態で出土することが多く、低地部で増大したトチノキを積極的に利用しはじめた時期と評価できる。NT-2期(約4100BP)は、東北北部地域では円筒土器文化が終焉し、大木土器文化圏にうつる時期である。利用が広域拡散化し、沢筋での利用は低調になり、台地集落上で住居跡や土坑から炭化した状態の種子片が多く出土する。住居内備蓄や、ある種のトチノキ儀礼行為が組み込まれた可能性を指摘できる事例が登場する。NT-3期(約3700BP)は、さらに分布が拡大し、大規模で継続的な沢筋の開発・管理・維持が行われる。トチノキの水さらしを目的とした水場遺構が構築きれ、トチノキ利用が生業の大きな部分を担っていたようである。

第VI章では、このトチノキ利用変遷画期を中心に、各地域間での比較検討、変遷の要因、先行研究の画期との対比、派生する問題についても議論を行った。重要な点を要約すると、(1)縄文中期前半(約4800~4700BP)と、縄文後期初頭(約4000BP)には寒冷化にともなう大きな海水準低下が存在し、河川浸食に伴う浅谷形成により新たな開析谷低地が登場する。この地は後続して泥炭埋積地になり、トチノキ林成立の背景になる。海岸砂丘地帯では、旧砂丘の固定が行われ、旧期クロスナ層が堆積し、同じくトチノキ林拡大につながる。(2)NT-1期とNT-3期は、この新たな環境区への適応戦略のあらわれと考えられるが、明確な時間差が存在し、環境変動と植物利用の変化は厳密にはパラレルでないことが分かる。(3)NT-2期は環境変動との関係より、大木式土器文化の広域拡大による情報の共有化に起因すると考えられる。環境変動のみが文化変容要因ではないようである。(4)後期以降だけではなく、すでに中期の段階で一部の集団は沢筋での植物利用を開始している。

本論文では、様々な分野の編年学的検討により、自然環境や文化現象と密接に関係して変遷するトチノキ利用の実態が解明できた。縄文時代後半期には、トチノキだけではなく、ヒエやアサ、ゴマなどの栽培植物、ニワトコやヤマグワなどの果実類が利用され、多角的な食糧戦略の様相が窺える。本研究では、トチノキ利用に焦点をあてたが、今後は他の植物利用も連動して議論可能なのか考える必要がある。このような多角的な資源利用が、縄文時代後期の多様性のある文化に反映されているものと理解でき、さらには文化システムの変容に繋がったことが想像される。このように考えてくると、縄文時代中期の寒冷化は、縄文時代を二分する大きなトリガーとしての役割を果たしており、きわめて大きな意義を持っていたと評価できる。今後、さらなる縄文時代中期~後期の具体的な生態系史像を明らかにしていく必要があろう。

東北北部地域のトチノキ利用変遷画期(NT-1~3期)

審査要旨 要旨を表示する

縄文時代は約10000年以上にわたって継続したが、縄文中期から後期にかけては縄文時代を2分できるほど文化的にも大きな変革がもたらされたと考えられてきた。考古学の成果によれば、縄文前期から中期にかけて最大となった人口が大きく減少し、集落が大規模から中小規模へと縮小し、食料獲得戦略も大きく変化をとげたとされている。一方、自然科学的手法によって明らかにされてきた環境変動史においては、縄文海進(有楽町海進)をもたらした地球規模の急激な温暖化がピークを迎えたあと、ゆるやかに気候の寒冷化が進行し、陸上の森林生態系が変化を開始し、海岸線も後退して海退が始まったと考えられてきた。さらに平野や河川の中流域から上流域の地理的環境も大きく変化を開始したと考えられてきた。しかし、これら人間活動・文化史に見られる現象と、自然環境に見られる現象はこれまで個別の分野で研究対象とされてきており、それぞれの成果を引用するかたちで原因についての議論がなされるにすぎなかった。それは、考古学においては土器の形式学的変遷にもとついた層序・編年観が人間活動・文化史の基軸に据えられており、自然環境にかかわる地理・地球科学においては地形・地質の層序・編年観が基軸に据えられており、両者を相互に関連付けることが容易でなかったことによる。1950年代以降、これらを歩み寄らせたのが放射性炭素年代測定法であったが、人文科学と自然科学の距離は簡単には狭まらなかった。近年、タンデム加速器質量分析計を用いた放射性炭素年代測定法の普及によって急速に両者の距離が狭められ、ようやく両者の時間的な関係が綿密に議論されるようになってきた。

本論文は、これまで別個に研究されてきた人間活動・文化史と環境変動や生態系変動を統一的に編年し、相互の因果関係を解明することによって、縄文時代中期から後期にかけての人間活動・文化史に見られる劇的な変化が段階的に起こり、それらが自然環境の大規模な地球寒冷化の段階的な変化に対応していることを明らかにし、人間社会の寒冷化適応と縮小社会における適応戦略の解明の端緒を導びくという画期的な成果をあげたものである。

本論文は、第I章から第VI章の六つの章から成り立っている。

第1章では研究の背景と目的が述べられている。上述したような考古学におけるこれまでの成果と自然科学における成果が概説され、縄文時代中期から後期への変化を重要な画期として捉えられてきた背景が簡潔の整理されている。

第II章では、研究の方法論が詳細に述べられている。方法論の主体は放射性炭素年代測定と測定値を補正するための同位体分別効果や海洋リザーバ効果の算出方法やそれらにかかわる基礎的問題が論じられる。後述する土器編年、気候環境変動編年、海面変動編年、生態系変動編年のいずれにおいても放射性炭素年代測定法が適用されていることを考えれば、この章に重きが置かれていることは当然である。

第III章はトチノキ利用の編年学的検討、第IV章は土器型式の編年学的検討、第V章は植生・地形変遷史の編年学的検討である。これら三つの章が放射性炭素年代測定法による編年学的な検討結果の記述からなる。第III章と第IV章は考古学的事実に対する編年であるが、東北地方ではトチノキの利用がまず約4400BPの縄文時代中期の円筒上層d・e式土器段階に始まり、約4100BPの中期末期の大木9・10式土・器段階において第2段階を迎え、約3700BPの縄文時代後期の十腰内1式土器段階でトチノキ利用が普遍的となることを明らかにした。そして、これら三つの段階をNT-1、-2、-3期と定義している。考古学的な土器型式とトチノキ利用の関係が明確になり、さらにそれぞれが放射性炭素年代によって編年されたのである。第V章は、東北地方平野部における森林植生の変遷とトチノキの出現・拡大開始期が編年され、さらに関東平野東部の九十九里海岸平野における海面変動史が編年され、約4400BPと約3700BPの二つの時期に際立った海退が起こったことを明らかにした。これら二つの海退は急激な気候寒冷化によって引き起こされたと考えられ、トチノキ利用の最初のNT-1期とNT-3期がこれらに対応することが示された。このことにより、人間活動・文化史における二つの画期が気候寒冷化とそれにともなう生態系変動に連動することを明らかにした。

第VI章は、本論文の研究の結論が述べられている。本研究が主な対象とした東北地方北部のトチノキ利用と古環境変遷の画期が改めて明確にされている。ここで重要なことは、気候変動と海面変動がゆるやかに起こるのではなく段階的に画期的に起こっていること、このような変化に対応するようにどき型式の変化とトチノキ利用の変化も段階的に起こっていることが明らかにされたことである。さらに関東地方や中部・北陸地方での先行研究との比較検討がなされ、各地で連動している可能性が指摘され、今後の研究によって広域的な現象として捉えられる可能性が示唆されている。このように、縄文時代中期から後期にかけての人間活動と環境変動が連動していること、環境変動が段階的な気候寒冷化であること、人間活動がそれに対する適応戦略であることを提示したことの意義は大きい。また、別個に扱われてきた現象を同じ地平で扱うという新たな編年学的研究のあり方を示した意義も大きい。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/32663