学位論文要旨



No 125078
著者(漢字) 寺田,一美
著者(英字)
著者(カナ) テラダ,カズミ
標題(和) マングローブ水域における物質収支に関する研究
標題(洋) Study on Material Flux in Mangrove Estuary
報告番号 125078
報告番号 甲25078
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第496号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 鯉渕,幸生
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 佐藤,愼司
 東京大学 准教授 佐藤,弘泰
 東京大学 准教授 黄,光偉
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

沿岸域は,大気,海洋,陸地の3者が接する特徴的な空間であり,そこではさまざまな物質の活発な循環が繰り広げられ,人類を含む生態系の活動に深く関わってきた.特に沖縄県などの熱帯・亜熱帯域沿岸にはサンゴ礁などの豊かな生態系が形成されているが,近年の土地改良事業により,都市排出物による河川汚濁,沿岸の水質悪化が顕在化している.

沿岸域が抱えるこのような問題の解決には,河川からの流入負荷量や河口での交換量などの物質収支を定量的に把握することが重要である.しかし沿岸域での物質収支は,河川形態や土地利用の違いで大きく異なることが予想される.そこで本研究では,自然河川の特徴を生かした水域管理の実現を念頭に,都市河川と自然河川の水質変動を定量化し比較すること,それにより自然河川の持つ機能を把握することを目的とした.

2. 研究概要

都市河川と自然河川の比較を行うには,気候や気象条件などの周辺状況が同じでなければならない.そこで本研究では,三面張の都市河川だけでなく,典型的な自然河川であるマングローブ河川をも併せ持つ沖縄県石垣島に着目した.ここは横断距離が約10[km]の小さな離島であり,その気象条件が島内でほぼ一致している.石垣島における3か所の観測地点を図-1 に示す.本研究では自然河川の代表として,島北西部に位置する吹通川マングローブ水域(図-1 中(1))をとりあげた.マングローブとは,熱帯・亜熱帯沿岸の感潮域に生育する森林帯であり,吹通川では蛇行した支流が網目状に広がり,そこにマングローブが密生し,典型的な自然河川の容貌を示している.また形態の異なる河川として,上流にダムを持つ宮良川マングローブ水域(図-1 中(2)),および島内唯一の都市河川である新川川(図-1 中(3))を取り上げた.各河川の特徴をまとめた表を表-1 に示す.

マングローブ水域の物質収支に関しては,クリークを通過する水中輸送量やガスフラックスを計測し,図-1 右図に示す吹通橋(河口域)とStn.A(上流域)において物質の流入出量を計測し,マングローブ水域を1つの系とする物質収支を算定した.現地観測は2006 年7 月から2008 年6月にかけて行い,水・ガスサンプルの採取,栄養塩(N,P,C,SS など)の化学分析等を行った.本稿ではまず,マングローブ自然河川の水質の挙動について検討し,それに基づいてマングローブ水域の物質収支を議論し,形態の異なる3河川を比較し,自然河川の持つ機能を抽出する.

3. マングローブクリーク内の水質時空間変動

2008 年6 月に図-1 の吹通川マングローブ水域において,Stn.A~吹通橋までの計6 地点で定点連続観測を行い,クリーク内での物理環境・栄養塩の時空間変動を調査した.その下げ潮~上げ潮時の塩分・DO の河川断面分布,表層水のNO3-N とNH4-N を図-2 に示す.

クリーク中の塩分は潮汐とともに変動し,15 時の干潮時にはStn.B~Stn.D の底層に高塩分水塊が滞留し,成層化していることがわかる.DO は干潮時に高塩分水塊が存在した空間で貧酸素濃度を示した.これはマングローブ密生域であるStn.B~D の窪地で水塊が滞留したことにより,嫌気土壌によってDO が消費され貧酸素状態となったと思われた.ここでクリーク内の栄養塩の変化をみると,DO の変化と対応し,NH4-N とNO3-N は下げ潮~干潮時(14~16 時)にマングローブ密生域(B~D)で増加していることがわかった.マングローブ水域では,マングローブ樹木が存在することで流動抵抗が増し,河道に多量の有機物が蓄積され,貧酸素化が誘引され,栄養塩が徐々に放出されることが明らかとなった.

4. マングローブ自然河川における物質収支

2007 年1 月に測定したマングローブ水域における上流のSS は,降雨時に晴天時の約6 倍以上もの流入があった.SS 収支を換算した結果(図-3)降雨時に大量のSS がマングローブ域に堆積することが明らかになった.塩分と濁度の河口から上流までの断面図(図-4)をみると,マングローブ域の底層に高塩分水が分布すると同時に,その直上で高濁度となったことがわかる.すなわち降雨時に大量に流入したSS が,底層が高塩分のマングローブ域において凝集し沈降していることが明らかになった.また水中のT-N,T-P はSS との相関が良かったことから,懸濁態栄養塩も同様にマングローブ域に大量に堆積していることが立証された.一方,溶存態栄養塩は,晴天が続き海水交換が滞ると,クリーク内が嫌気状態となり,土壌中に貯まったH4-N の溶出が促進され,通常の2~6 倍の濃度で沿岸域に流出されることがわかった.これはNH4-N の土壌含有量がマングローブ中央域で最も高いことや,溶出実験の結果からも裏づけられ,このようなSSの沈降,溶出の過程で物質循環がマングローブによって平滑化されることが明らかとなった.

同様の調査を夏季(2008 年6 月)にも行い,冬季と夏季で比較した結果,吹通川マングローブ水域では,冬季にSS,TN を堆積し,夏季にマングローブ沖合の沿岸域へ流出させる傾向にあった.さらにそれらを総じてみると,マングローブ水域で堆積と流出のバランスがとれていることが示唆された.一方TP は夏季にも冬季にもマングローブ密生域に堆積傾向を示し,夏季の降雨後のみ流出傾向となり,窒素とリンで挙動が異なることが判明した.またTP のマングローブ域への堆積量は,冬季のほうが夏季の10 倍近く多かった.

さらに,マングローブより沖の海域を中心に考えると,冬季,夏季どちらも下げ潮時に,マングローブ水域から低濃度の栄養塩が流出していた.これはマングローブ水域が,沿岸生態系への栄養安定供給源となっていることを意味している.

5. 三河川同時観測によるマングローブ水域の機能抽出

2008 年6 月に行った吹通川,宮良川,新川川の同時観測で得られた,水質と栄養塩の時系列変動を図-5 に示す.水温,降水量は三河川でほぼ変わらないものの,塩分を比較してみると,吹通川では下げ潮時に15[PSU],宮良川は最低0[PSU]まで減少し,潮汐影響が大きい吹通川と,流域面積が広く河川の影響を大きく受ける宮良川の違いが明らかになった.

一方,新川川は平均して10~25[PSU]の間を変動し,河川水と海水が常に混合していた.しかし2008 年6 月17 日3 時頃の降雨後には,急激に水温・塩分が低下し,濁度は最大38 倍にまで急増した.同じ時間帯の吹通川,宮良川では,目立った変化は見られなかった.だが降雨から4~5 時間後の2008 年6 月17 日7 時頃に,吹通川の濁度が上昇し,最大約3 倍の濃度となった.吹通川マングローブ水域では,降雨に対する反応が遅れ,その増加量も新川に比べると格段に小さくなること,すなわち新川川でみられたような濁度のピークを平滑化する機能があることが示唆された.宮良川でも同様に,約4-5 時間のタイムラグのあと,塩分は急低下,DO は上昇し,濁度は最大約35 倍もの高濃度となった.宮良川のマングローブ植生面積は約0.15[km2]と,吹通川(約0.13[km2])とほぼ変わらないにも関わらず,降雨の影響が大きく表れていた.これは,宮良川の上流に島内最大のダムがあることや,直線状の河川形態が及ぼす影響が,マングローブ植生の持つ平滑化機能を上回る結果となったと考えられる.

栄養塩の結果をみると,全体的な濃度傾向は新川川>宮良川>吹通川と順に小さくなり,新川川は常に高濃度の栄養塩を流出し,降雨後にはSS が約80 倍,TN は約3 倍,TP は約15 倍も増加し,この急激な栄養塩の増加が,新川川沿岸の富栄養化の一因となることが示唆された.一方,吹通川の栄養塩は常に低濃度であり,降雨による大きな影響は見られなかった.すなわちマングローブ水域には,降雨時の物質流出のタイミングをずらし,SS,栄養塩の流出フラックス量を抑える機能があることが判明した.

6. 結言

本研究によりマングローブを持つ自然河川では,上流からの土砂を貯め込み降雨時の過剰な物質流出を緩和し,晴天時には栄養塩を溶出し沿岸に流出させるなど,これまでの都市河川にはない様々な機能を持つことが判明した.すなわちマングローブによって沿岸生態系における物質循環が平滑化されている可能性が示唆された.マングローブ域の沖には,アマモやサンゴ礁をはじめとした豊かな沿岸生態系が創られていることが多いが,近年石垣島のサンゴ礁では,農地からの赤土流出によって,その表面が覆われ死滅する問題が多発している.本研究で調査を行った吹通川沿岸には豊かなサンゴ礁が形成されており,これは河口に土砂を沈降させ,沿岸へ過剰に流出させないという,本研究でかになったマングローブの機能が影響を与えていると考えられる.また土砂だけでなく,栄養塩溶出も沿岸生態系の生育に効果があると予想されるが,河川からの寄与が沿岸生態系に与える効果はほとんど解明されておらず,今後更なる研究が望まれる.

図-1 石垣島における観測地点

表-1 三河川の特徴

図-2 クリーク内の塩分・DO の時空間分布および表層NO3-N,NH4-N の変化

図-3 2007 年1 月のSS 収支

図-4 2007 年1 月の塩分,濁度断面分布

図-5 吹通川・宮良川・新川川の水質,栄養塩時系列(栄養塩の単位はすべて[mg/L])

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,沖縄県石垣島マングローブ水域において詳細な現地観測および水質,底質,ガスの分析を行うことにより,マングローブ域を中心とする物質収支を定量化した。さらに、マングローブを有しない、異なる河口形態2河川とそれを比較することで、ヤングローブ域での物質収支の特徴を抽出したものである.

第1章では、研究の背景や沿岸域についての既往の研究について、第2章ではマングローブの特徴および既往の研究例について解説した。第3章では現地調査および室内実験,化学分析の手法を説明した。第4章では,マングローブクリーク内での多点連続観測を行い,マングローブクリーク内での物理環境・栄養塩の時空間変動,マングローブ水域における底泥-水フラックスの算定とクリーク水中の濃度変化の関係を明らかにした.第5章では,吹通川マングローブ自然河川における2008年6月の現地観測結果をもとに,夏季の懸濁態栄養塩の挙動の解明ならびにSS,TN,TP収支の定量化を行った.第6章では,2007年1月の吹通川における調査結果をもとに,冬季の吹通川マングローブ水域の水質変動および物質収支を検討した.また同時期のマングローブ水域での炭素収支を第7章で検討し,そこでは水フラックスのみならず,ガス輸送までを含めた総合的な炭素収支の計測を行った.続く、第8章では,上流域に島内最大のダムを持つ宮良川マングローブ水域と,島内唯一の都市河川の新川川における物理環境,水質の時系列変動を調査し,物質の河口交換量を定量化した.その結果をもとに,第9章では2008年6月に行った吹通川,宮良川,新川川の同時観測によって,マングローブ水域の持つ特徴の抽出と河口部の形態の違いや上流部の土地利用の違いが、物質フラックスにどのような影響を与えるか比較検討した.

本論文の内容の一部は、共著の論文としてすでに発表されているが、すべて提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので論文提出者の研究であると判断できる。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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